3332話
レイの提案は、ダスカーにとってコロンブスの卵とでも言うべきものだった。
ギガントタートルをそのまま出して解体をするのだから、ギルムの中でその解体を行うようなことは出来ない。
だが、レイが言うように足を一本ずつ切断し……場合によっては切断した足を更に幾つかに切断した上で解体をするのなら、それを行う場所はギルムの中でも十分用意出来る。
何気にギルムの外で解体をするのは、護衛の冒険者を雇うという意味で大変だった。
しかしレイの提案なら、わざわざギルムの外で解体をしなくてもいい。
とはいえ、それで全てが解決する訳でもない。
去年の解体ではギルムの外という一ヶ所だけで解体を行っていたので、そこにいるギルド職員の数も少なくてすんだ。
だが複数の場所で解体を行う場合、その数だけギルド職員を派遣する必要があった。
……これがギガントタートルのような希少なモンスターでなければ、別々の場所で解体をしてもそこまで厳重に見張る必要はなかったのだが、解体するモンスターが希少となれば話は違ってくる。
解体をしにやって来た者はスラム街から来た者が多く、そのような者達の中には誰も見ていないからと素材をこっそり盗んでいくといった者がいないとも限らない。
また、それこそスラム街で敵対していた勢力が襲撃をしてくるといったことをしないとも限らなかった。
それらを守る為にはギルド職員だけではなく護衛の人員も必要になる。
……あるいは護衛の人員が解体をしている最中に盗んだりしないかと見張る役目も担うかもしれないが。
ともあれ、ギルムの中でギガントタートルの解体を行うとなると、それはそれで面倒が増える。
外でなら、ギガントタートルの肉に惹かれてやって来るモンスターを倒すだけでいいが、ギルムの中での解体となると、それ以外にも様々な注意が必要となる。
それでも外では冬にしか現れないモンスター……普通よりも強いモンスターと戦う必要があるものの、ギルムの中ではそこまで強力な相手とは戦わないで、採用出来る人員の幅は広がるだろう。
そうレイが説明すると、ダスカーは難しい表情で唸る。
「うーむ、どちらにせよ面倒があるか。……では、解体をするのはギガントタートルの足一本を出すようにするが、その時レイに無理にでも接触するような者はこちらで処分する。そう前もって話を広げておけばどうだ?」
「実は聞いてなかったとか、そういう風に言い訳をする者もいるかもしれませんよ?」
「前もって情報を広めておいた以上、そういう言い訳を聞くつもりはないな。もしそのようなことになったら、こちらも相応の対処をすることになるだろう」
「それは、また……えっと、俺はそれでいいと思いますけど、ダスカー様に不満を抱く者も出るかもしれませんよ?」
どうにかしてクリスタルドラゴンの件でレイに接触しようとしていた者達にとっては、確実にレイが来るというギガントタートルの解体現場は決して逃すことが出来ない場所だろう。
だというのに、レイに接触するのを禁じるのだ。
それを命じたダスカーに不満を持ってもおかしくはない。
ダスカーはギルムにおいて圧倒的な権力を持つ。
領主であるというのもそうだが、単純にギルムの住人に好かれているからというのも大きい。
そうである以上、レイに接触するのを禁止されたとしても、その不満を正面から堂々と言うような者はいないだろう。
だがそれでも、不満が溜まっているのは間違いないのだ。
そうである以上、今はいいが後々何か妙なことにならないとも限らない。
「構わん。不満を抱く者がいても特に何か行動を起こさなければ問題はない。そして問題を起こしたら起こしたで、こちらとしても相応の対処をすればいい」
きっぱりと言い切るダスカーに、レイは納得する。
ダスカーにとっては、それくらいのことは平気で出来るのだろうと。
「分かりました。どうするのかはダスカー様に任せます。……ただ、そうするとギルドにギガントタートルの解体の件の話を通すのは少し待った方がいいですか?」
レイとしては、出来ればギガントタートルの解体をやるのなら、少しでも早い方がよかった。
まだそこまで大量に雪が積もっている訳ではないし、去年よりも雪が降るのが遅かったのは間違いないものの、それでも雪が降ったのは間違いない。
であれば、スラム街の住人達を少しでも助ける為に、少しでも早く報酬を支払えるようにしたいと思う。
それ以外にも、ギガントタートルの解体を少しでも早く進めたいという思いがあったのも事実だったが。
「分かった、出来るだけ早くどうするのか決めよう」
「じゃあ、ギルドにある素材はそろそろ受け取った方がいいですかね?」
「そうだな。だが……問題なのは、やはりレイが直接行くということになれば騒動になることだろう。セトがここに降りたのは、もう多くの者が知っているからな。いっそ、セトはまだここに置いておいて、俺の馬車でギルドまで行くか? そうなれば、レイに接触しようと思う者がいてもそう簡単には接触出来ないだろうし」
「それでも中には無理矢理接触してきそうな相手がいるのが、少し不安ですけどね」
普段であれば、領主の館から出た馬車に乗っているレイに対し、そう簡単に接触したりは出来ないだろう。
ダスカーの言葉から、恐らく護衛として騎士を数人つけるつもりなのだろうとレイには予想出来ていたのだから。
そんな中で強引にレイに接触しようものなら、そのような相手に対するダスカーの印象は極めて悪くなる。
このギルムにおいて最高権力者と呼ぶべき存在のダスカーの印象が悪くなるのは、ギルムにおいて決してプラスではない。
それどころか、極大のマイナスだろう。
レイに接触しようとしている者の多くが貴族街に住む貴族であったり、大きな商会を持つ大商人であったり、あるいはそれ以外にも何らかの理由で金持ちだったりする者が多い。
そんな中で共通しているのは、もう雪が降っている今でもギルムにいるということ。つまり、このギルムを拠点としていることだ。
そのような者がダスカーを敵に回したいと思う筈もない。
ただし、レイはそう考えているものの、それはあくまでもレイの考えだ。
中にはその程度のことは誤魔化せると考えている者がいたり、それこそダスカーと揉めてもいいからクリスタルドラゴンの素材を確保しろと上から命じられているかもしれない。
そういう意味では、絶対に安全ということがないのは明らかだ。
……だからといって、レイがそれに付き合う必要がないのも事実だが。
「もし強引にちょっかいを出してくる奴がいたら、レイも相応の対応をしても構わない」
この場合の相応の対応というのは、それこそレイがその力を振るっても構わないということを意味していた。
ダスカーにそのように言われなくても、レイもその気になれば躊躇なく力を振るう。
しかし、こうしてダスカーが許可を出していたということは、実際にレイがその力を振るった時に意味を持つようになる。
それが分かったレイは、ダスカーに感謝の言葉を口にする。
「ありがとうございます」
「気にするな。今の状況を思えば、レイが力を振るうくらいのことをやっても特におかしくはない。……とはいえ、手足の一本くらいならともかく、殺さないでくれるとこちらとしては助かるのだがな」
「覚えておきます。……さて。じゃあ、話も決まったことですし、ギルドの方に行ってきますね。馬車の用意をお願いします」
「任せておけ。それと、一応だがそろそろギガントタートルの解体を行うということもギルドに話を通しておいてくれると助かる」
まだギルムの外でやるか、あるいはレイがある程度の大きさに切断したギガントタートルをギルムの中でやるのか、決まってはいない。
それでもギガントタートルの解体の準備を行っておくのは、ギルドにとっても悪い話ではない。
いざギガントタートルの解体の仕事を行う時、準備をしていなければ手が回らないということにもなりかねないのだから。
……ギルムのギルドである以上、いざという時の対応力が高いのは間違いなく、そういう意味では前もって準備をしていなくても何とかなるかもしれない。
だが、それでもわざわざ前もって準備出来る余裕があるのに、それをしないというのはギルドとして有り得ないことだった。
「分かりました。……俺が行くとなると、セトはどうします? それに……」
途中で言葉を止めたのは、部屋の中に隠れているニールセンをどうするのかと考えてのものだ。
ダグラスがいるので、ニールセンについて話すことは出来ない。
もっともレイとダスカーの話を聞くとはなしに聞いていたダグラスも、何か隠してるというのは理解出来たが。
ただ、ここで迂闊に話に加わると不味いのは明らかだ。
そうである以上、わざわざ何のことなのかと聞くような真似はしない。
「そうだな。行くのはレイだけにした方がいいかもしれんな。そうなれば、いざという時にどうとでも対処出来るだろうし」
「……セトがいれば、いざという時は一気にギルムの外に出ることも出来るんですけどね」
レイはダスカーから特別に許可を貰って、セトがギルムの上空を自由に飛んでもいいことになっている。
だからこそ、この領主の館やマリーナの家に空から直接降りてくることが出来るようになっているのだが。
とはいえ、それはあくまでもギルムが増築工事中の今だからの話だ。
この先、ギルムの増築工事が進んで結界が展開されれば、セトも自由に空から直接ギルムに降りてくることは出来なくなる。
こうして自由にギルムに降下出来るレイにしてみれば、それが出来なくなるのはかなり面倒に思うのだが……今の待遇が色々と特別なのはレイも理解しているので、それに対する不満を口にするつもりはなかったが。
「そうならないように、こっちからも護衛の騎士を出す。セトがいれば、そこにレイがいるとすぐに分かるが、馬車で移動していればそれがレイだとは分からない筈だ。……ギルドに到着して、馬車から降りればレイをレイだと認識出来る者が出てくるかもしれないが」
例えば、身体の動かし方を見て相手の力量を見抜ける者や、ドラゴンローブの持つ隠蔽の効果を見抜く者、領主の館にセトが降りてきたのを見ていた者が馬車を怪しいと思って追い掛けたり……そんな諸々の理由で、レイをレイだと見抜ける者もいるだろう。
だが見抜ける者と見抜けない者では、後者の方が圧倒的に数が多い。
であれば、セトとニールセンを置いてレイだけが護衛の騎士達と一緒にギルドに行くというのは、悪い話ではないだろう。
もしレイの存在を見抜いてレイに接触しようとした者がいても、それこそ騎士がそのような相手を止めることになる。
「分かりました。ダスカー様の心遣いですし、素直に甘えさせて貰います。ただ、急に俺がいなくなるとセトが驚くかもしれないので、セトには……先にマリーナの家にでも行って貰った方がいいですかね?」
「そうすれば、レイがここにいないということで監視の目が甘くなるかもしれんな」
そうして話が決まると、ダスカーはダグラスに視線を向ける。
「ダグラス、今日は助かった。ダグラスのお陰で未知のマジックアイテムがどのような効果を持つのか判明した」
「いえいえ、感謝するのはこちらもですよ。ダスカー様のお陰で儂も未知のマジックアイテムを鑑定出来たのですから。それだけで強い感謝の気持ちを抱いています」
それはお世辞でも何でもなく、ダグラスが本当に心の底から思っていることだというのは、ダグラスの表情を見れば明らかだ。
ダグラスはマジックアイテムに強い興味を持っている。
そういう意味では、レイと近しい嗜好を持っているのだろう。
とはいえ、レイの場合はあくまでも実戦で使えるマジックアイテムを好むのに対し、ダグラスはどのようなマジックアイテムであっても、マジックアイテムであるというだけで興味を持つようだったが。
「そう言って貰えると、こっちも呼んだ甲斐がある。後で幾らか報酬を渡すから、受け取ってくれ」
「分かりました。出来れば報酬はマジックアイテムがいいのですが……無理は言いますまい」
ダグラスも今回のマジックアイテムを鑑定しただけで報酬として何らかのマジックアイテムを貰えるとは思っていない。
安物のマジックアイテムならともかく、ダグラスが欲しいのはしっかりとした……それこそ自分のコレクションに相応しい、そんなマジックアイテムだ。
そのようなマジックアイテムは貰えないだろうと思ったダグラスだったが……
「いや、今回のダグラスの鑑定は、大きな意味を持つ。何でもとは言わないが、それなりのマジックアイテムを用意しよう」
ダスカーの言葉に、ダグラスは驚きつつも嬉しそうな表情を浮かべるのだった。