3329話
レイがダグラスと流水の短剣について話していると、不意に部屋の扉がノックされる。
いいところで話の邪魔をされたダグラスは、少しだけ眉を顰めたものの、それでも自分が何をしに領主の館に来たのかを思い出したのだろう。
すぐに落ち着きを取り戻す。
そんなダグラスを見ながら、レイはノックをした相手に入るように言うと……
「レイ様、ダグラス様。ダスカー様の仕事が一段落したとのことなので、もうすぐ来るということです」
「そうか。……ダスカー様の方で問題ないのなら、俺は構わない。ダグラスは?」
「儂は元々ダスカー様に鑑定の為に呼ばれたのだ。そうである以上、ここで嫌とは言わんよ」
そうして二人が問題ないという話を聞くと、メイドは一礼して部屋を出ていく。
何をしに行ったのかは考えるまでもないだろう。
ダスカーにこちらの受け入れ準備は問題ないと報告しに行ったのだ。
それを眺めていたレイは、流水の短剣やコップをミスティリングに収納する。
「あ……」
そんなレイの様子を見たダグラスが、少しだけ名残惜しそうに呟く。
ダグラスにとって、レイの魔力によって生み出された水はそれだけ美味かったのだろう。
レイは自分でいつでも流水の短剣を使って水を生み出せるものの、ダグラスにしてみれば今日が最初で最後の機会だったかもしれないのだ。
だからこそ、ダグラスは少しでもレイが生み出した水を飲みたいと、そのように思ったのだろう。
とはいえ、レイもこれからダスカーが来る以上は流水の短剣やコップをそのままにしておく訳にもいかなかったのだが。
そんな訳で、ダグラスが残念に思っているのは理解しつつもレイはダスカーが来る準備を整える。
「……魔剣と指輪だったか。まずは出しておいて貰えるか? ダスカー様が来てから鑑定をするのは時間の無駄だろう」
「分かった。ただ、説明を二度するのは面倒だろうし、そっちについてはダスカー様が来てからにしてくれよ」
そう言い、レイはミスティリングから魔剣と指輪を取り出す。
「ほう」
テーブルの上に置かれた魔剣と指輪……特に魔剣を見たダグラスの口から、興味深そうな声が出る。
流水の短剣やコップが消えた時に見せていた残念そうな表情は既にそこにはない。
この辺はさすがに鑑定の為にダスカーから呼ばれた人物だけはあるのだろう。
「触っても?」
「ああ、構わない。ただ、具体的にどういう効果があるのか分からない以上、気を付けてくれよ」
魔剣も指輪も、レイが言うようにどのような効果があるのか分からない。
そうである以上、ダグラスが迂闊にマジックアイテムを起動させ、それによって何らかの被害を受けるのはレイとしては絶対に避けたかった。
これがただのマジックアイテム……それこそどこかのダンジョンで見つけたり、盗賊狩りで手に入れたマジックアイテムなら、レイもここまで警戒はしない。
だが、このマジックアイテムは穢れの関係者の中でも相当な高位に位置するオーロラの家にあったものなのだ。
そうである以上、どのような効果があるのか分からないのだから、警戒するなという方が無理だった。
「分かった、気を付けよう」
レイの様子から、目の前にある二つのマジックアイテムが危険な物だというのはダグラスも理解したのだろう。
真剣な表情で、そして慎重に魔剣に手を伸ばす。
(あ、やっぱり最初に見るのは魔剣なんだな)
ダグラスの視線が指輪よりも魔剣に向けられていたのはレイも知っていたので、真っ先に手を伸ばしたのが魔剣であってもレイは特に驚くようなことはない。
そういうものだと十分に理解した上で、ダグラスの鑑定を邪魔しないように静かにしておく。
何か……そう、もし魔剣が何らかの意図せぬ行動をした時は、すぐに魔剣をダグラスの手から弾く準備をしながら。
(とはいえ、こうして見ている限りでは、あまりそういう心配はいらないと思うけど)
ダグラスはダスカーに信用されるだけの実力を持つ人物なのだ。
危険なマジックアイテムを鑑定するにも、慎重になるのは見ていたレイにも理解出来る。
「ふむ、なるほど。これは……珍しい」
珍しいと口にしたダグラスをレイは見る。
凄いといった表現が出るのなら、レイもそこまで気にするようなことはなかっただろう。
だが、それが珍しいという表現となれば話は違ってくる。
珍しいということは、つまり普通なら使われるようなことがない何かが使われていると思った方がいい。
であれば、やはり魔剣には何らかの特殊な効果があったり、素材が使われていたりするのだろう。
(オーロラのベッドの下にあったということだし、とてもじゃないが普通の魔剣であるとは思ってなかったが……一体どういう効果があるのやら)
そう思いつつもレイは特にダグラスに声を掛けたりはせず、黙って鑑定の様子を見守る。
するとダグラスはある程度魔剣を見て満足したのか、次に指輪を手に取る。
ただし、その指輪を指に嵌めるといったような行為は絶対にしない。
もしそのようなことをした結果、妙な効果が……それこそ場合によっては致命的な効果が発動するのかもしれないのだから。
ダグラスにしてみれば、そのようなことはそれこそ自殺行為でしかない。
魔剣を見た時と同じように、真剣に指輪を確認するダグラス。
そんなダグラスの様子を見ていたレイだったが、こちらに近付いてくる覚えのある気配に気が付く。
それが誰なのかは、ここに誰が住んでいるのかを考えればすぐに分かった。
「ダスカー様、入って下さい」
ノックがされる前にそう言うレイ。
そんなレイの言葉が聞こえたのだろう。
数秒の沈黙の後、扉が開けられる。
中に入ってきたのは、戸惑った様子のダスカー。
「レイ、何故俺が来たと分かった?」
「気配を感じればそのくらいは分かります。特にダスカー様は、その気配がかなり強烈ですし」
そう説明するレイだったが、それは嘘でも何でもない。
存在感や本人の能力、雰囲気……それら諸々を総合的に見た場合、ダスカーの気配はかなり強烈で濃いのは間違いなかった。
勿論、それは誰であっても分かるという訳ではない。
相応の技量があって、初めてそれを察することが出来る。
……もっとも、レイが言うようにダスカーは一種の覇気とでも呼ぶべき雰囲気を持っているので、かなり分かりやすい気配を持っているのだが。
「なるほど、そのようなことがあるのか。……まぁ、いい。来るのが遅れて悪かったな。書類仕事が一段落するまで少し時間が掛かったのだ」
「冬になって大分仕事が減ったと思いますけど、それでもまだかなり忙しいんですか?」
そうレイが尋ねたのは、ダスカーは冬の間にゆっくり休むことによって、春から秋に掛けて忙しく、酷使した身体を休ませるというのを聞いていたからだ。
だがその休むべき時にもかなりの仕事があるのなら、それこそゆっくりする暇がないのではないか。
それによってダスカーが身体を壊すようなことになったら、大変だ。
そう思っての言葉だったのだが……
「ん? ああ、心配するな。別に今は忙しい訳じゃない。ただ、早く仕事を終えれば、それだけゆっくりと出来る時間が増えるからな。そういう意味で、出来るだけ早く今日の分の仕事を終わらせようと思っただけだ」
「ああ、なるほど」
ダスカーの言葉にレイが思い浮かべたのは、小学校から高校に掛けての夏休みの宿題だった。
……いや、正確には夏休みだけではなく、冬休みの宿題もか。
東北に住んでいたレイは、小学校、中学校、高校と基本的に東京の学校と違って夏休みは少し短い。
その代わり、夏休みが短い分だけ冬休みが東京の学校と比べると長いのだ。
とはいえ、結果的に宿題の量は変わらないのだが。
そんな夏休みや冬休みの宿題だが、人によって片付け方は違う。
最初のうち……それこそ中には夏休み前から宿題を始めて出来るだけ早く終わらせようとする者もいれば、毎日決められた量をこなす者、全く手を付けないでおいて夏休み終盤になってから必死にやる者といったように。
ちなみにレイの場合は、最初のうちは定期的に宿題をこなすものの、次第にそれが面倒になってきて終盤に必死になってやるというタイプだった。
ともあれ、そういう意味ではダスカーは宿題が出たら夏休み前であっても宿題を始めて、出来るだけ早く終わらせるタイプなのだろう。
「ならいいんですけど。ダスカー様が病気とか過労とかで倒れると、ギルムは大変なことになりますし。……ギルムの増築工事はもう数年は続くでしょうから、その辺はしっかりと頑張って貰う必要がありますから、気を付けて下さいね」
「もう数年か。……出来れば来年辺りでもう完成して欲しいんだがな。無理は言えないか」
「そうですな。無理に急がせると、どうやって早く工事を終わらせるのかだけを気にして、結果的には手抜き工事となるかもしれません。そうなれば、幾ら工事が早く終わっても意味がないのは、ダスカー様ならお分かりでしょう?」
そう言ったのは、レイ……ではなく、ダグラス。
先程までは魔剣や指輪を鑑定するのに夢中になっていたのだが、その鑑定も終わったのかダスカーにそう言う。
ダスカーもそんなダグラスの言葉に一理あると思ったのか、素直に頷く。
「そうだな。ここで急いでも意味はないか。工事の進み具合は気にせず、確実に進めた方がいいだろう」
そう言ったダスカーは、改めてダグラスに視線を向ける。
「それで、ダグラス。魔剣と指輪の鑑定は終わったと思ってもいいのか?」
「ええ、もっとも能力の全てを完全に理解した……とまではいきませんが。あくまでも大雑把な情報です。もっと詳細に調べるのなら、持ち帰って専用のマジックアイテムを使う必要があるかと」
「……どうする?」
ダスカーがその魔剣と指輪の持ち主のレイに、どうするのか尋ねる。
尋ねられたレイも、この場合はどう反応したらいいのか迷う。
魔剣も指輪も、その詳細な能力を知りたい。
これは間違いのないことだったが、同時にレイとしてはダグラスに魔剣と指輪を預けることの危険性も理解出来てしまう。
オーロラという、穢れの関係者の中でもかなりの地位にいる者が持っていたマジックアイテムを預かる。
それは場合によっては穢れの関係者がそれらを取り戻そうと襲撃してくるかもしれない危険を受け入れるということだ。
そのようなことは起きないかもしれないが、それも絶対ではない。
万が一を考えると、レイとしては魔剣や指輪を預ける気にはなれなかった。
また、完全に決まった訳ではないが、恐らくは冬の間にベスティア帝国に存在する穢れの関係者の本拠地の奇襲は行われるだろうと思っていた。
その時に魔剣や指輪が使えるのなら、レイにとって悪くはない。
「ダグラスに聞きたいんだけど、詳細に調べる場合、どのくらいの時間が掛かる?」
「時間……か。物によるとしか言えんな。もしかしたら数日程度かもしれないし、数十日……それこそ数年掛かるという可能性もある」
「なら却下で」
これが数日程度と断言されたのなら、レイもダグラスに頼んだかもしれない。
しかし、最悪数年となれば論外だ。
「そうか。仕方がないな」
レイが却下するのを聞いても、ダグラスは残念そうには見えない。
恐らくレイが断るというのを予想していたのだろう。
「だから、分かってる分だけでいいから教えてくれ」
「構わんよ。まずの魔剣だが、どうやら特定の存在に特別な効果があると思える」
「特定の存在?」
ダグラスのその言葉に、レイは特定の存在と呟き、次にこの魔剣がオーロラの寝室、それも枕の下のように取り出しやすい場所ではなく、ベッドの下にあったということを思い出していき……
「おい、ちょっと待て……待て、待て、待て」
その想像から思い浮かべた魔剣の能力に、レイは自分自身に言い聞かせるように呟く。
「レイ? どうした?」
ダスカーがレイと同じ結論にならなかったのは、洞窟に直接行ったかどうかの違いか。
もっとも魔剣や指輪を見つけたのはあくまでもマリーナで、レイはその現場を見てはいないのだが。
ただ、そんなダスカーの言葉でレイは我に返る。
「いえ、その……もしかしたら、あくまで本当にもしかしたらなのですが……」
そこまで言ったレイは、不意にその視線をダスカーからダグラスに向ける。
ダグラスが穢れについて知ってるかどうか分からない以上、穢れという言葉をここで言ってもいいのかと迷ったのだ。
そんなレイに、ダスカーは構わんと頷く。
そしてここまでの流れから、ダスカーも魔剣についての能力の想像……レイがどのような能力について思い浮かべたのかを理解してしまう。
それでも改めてレイに予想を言うように言ったのは、それを信じたくなかったからか、もしくは信じたかったからか。
そんなダスカーの視線を向けられたレイは、魔剣を手に口を開く。
「もしかしたら、穢れを殺せる武器なのではないかと」
そう、言うのだった。