3310話
暫く沈黙をしていたダスカーは、やがて口を開く。
「レイの提案は悪くないと思う。いや、かなり有効なのは間違いないだろう。だが有効であると同時に危険も大きい。最悪、国と国との戦争……それも小国ではなく、ミレアーナ王国とベスティア帝国との戦争になるかもしれないとなれば、俺だけで決める訳にはいかん」
「じゃあ、どうするんですか?」
「まずはブロカーズ殿に相談して、それで問題がなければ王都に連絡をしてみようと思う」
ブロカーズというのは、今回の穢れの件……だけではなく、妖精郷の一件もあって王都から派遣されてきた人物だ。
地位は間違いなく高いのだろうが、レイにしてみれば夜中にトレントの森に馬車一台だけでやってくる面倒な相手という認識の方が強い。
とはいえ、レイがどのように思おうとブロカーズが王都から派遣されてきた人物であるのは変わらない。
「そうですか。ヴィヘラがいるから、その点も説得する時の材料として使って下さい」
「そうさせて貰おう。もっとも、この件でヴィヘラ殿が嫌な気分になったら、その対応はレイに任せることになるが」
「あー……多分大丈夫だとは思いますけどね。ただ、その場合は本拠地の襲撃にヴィヘラも連れていって下さい。そうすれば、ヴィヘラとしては問題ないでしょう」
穢れを倒す方法を編み出したヴィヘラだが、洞窟にいる者達は穢れを使うことは出来ても、本人は決して強くなかった。
戦闘狂のヴィヘラとしては満足出来ない戦いだっただろう。
しかし、本拠地ともなれば強い者がいる可能性は高い。
いや、ほぼ間違いなく強者がいるだろうというのがレイの予想だった。
本拠地である以上、いざという時の戦力を用意しておくのは当然だろう。
そうである以上、ヴィヘラが戦いたいと思う相手がいるのはほぼ確実だろう。
レイの説明に、ダスカーは微妙な表情をする。
「そうか……そうか」
二度同じことを繰り返す辺り、ダスカーの心中をよく表していた。
ダスカーもヴィヘラが戦闘狂であるのは知っている。
しかし、それでも……と、そのように思ってしまうのだろう。
「そんな訳で、ヴィヘラの件については心配ありません。ベスティア帝国に話を通すのも、メルクリオが相手なら問題ないでしょうし。……いえ、別の意味で問題はあるかもしれませんけど」
レイが知ってる限り、メルクリオはシスコンだ。
それもちょっとやそっとのシスコンではなく、重度のシスコン。
そんなメルクリオが今回の件を知ったらどうするか。
敬愛する姉のヴィヘラが、穢れという怪しげな力を使う者達の本拠地の攻撃に参加するのを認められるか。
レイが知っているメルクリオなら、絶対に認めないと思う。
とはいえ、メルクリオもシスコンだがヴィヘラの性格については十分に知っている。
そうである以上、その皺寄せが来るのはヴィヘラ以外の者達となるだろう。
その可能性が一番高いのは、当然ながらヴィヘラと行動を共にしているレイとなる。
メルクリオにしてみれば、ただでさえレイは自分の姉を奪った嫉妬すべき相手だ。
……実際には色々と違うのだが、メルクリオにしてみれば現在の結果が全てだろう。
それでいながら、ベスティア帝国で起きた内乱についてはレイの力があったからこそ、自分達の勝利で終わったというのもきちんと理解している。
いざ口に出すと、レイがいなくても勝てたと言うのだが。
勿論、それも嘘ではない。
もしレイがあの内乱に参加していなくても、もしかしたらメルクリオが勝利したかもしれない。
だが肉樹の件を考えると、メルクリオ軍は非常に大きな被害を受けただろう。
レイが主に肉樹の対処をしていたので、メルクリオ軍は内乱に専念出来たという一面もある。
何しろ肉樹は、非常に凶悪な存在だったのだから。
「何やら色々とありそうだな」
「聞きますか?」
「止めておこう」
レイの様子から、メルクリオとの間に複雑な事情があるのはダスカーにも容易に理解出来た。
だが、だからといってその件を詳しく知ってしまうと、後々面倒なことになるのはほぼ間違いない。
であれば、ダスカーもわざわざそんなことに首を突っ込みたくはなかった。
「それが賢明でしょうね」
ダスカーの気持ちが分かるレイはそう言うが、その言葉程に納得した様子はない。
とはいえ、その件についてダスカーに無理強い出来る訳ではないのも事実。
「ともあれ、色々と面倒はあるでしょうけど、まずは穢れの関係者の本拠地を襲撃して、主な構成員達だけでも殺すなり捕らえるなりすることです」
少し前なら、捕らえるということはレイも口にしなかっただろう。
だが、穢れを呼び出せないようにする方法があるとなれば話は別だった。
そのような方法が出来るのなら、それこそ穢れの関係者の中でも穢れを自由に使いこなせるだけの実力を持った者を捕らえるという選択肢も十分に有り得る。
いや、寧ろそのような手段に使うのが最善だろう。
「レイの気持ちも分かる。だが、今の状況を思えば全てをこちらで勝手に決められない。先程も言ったが、ブロカーズ殿に話を通す必要がある。だから今は勝手に動くようなことはするな」
レイに言い聞かせるようにダスカーが言う。
もしここで中途半端な言葉を口にした場合、それこそレイは自分の判断でベスティア帝国に向かってしまいかねない。
そのようなことにならないように、ダスカーはレイにしっかりと今は動かないように言っておく必要があった。
……もっとも、言ってしまえばダスカーに出来るのはそれが限界でもあったのだが。
ダスカーはレイの雇い主ではあるし、レイが自分を尊敬しているのも知っている。
だが、それは結局その程度でしかないのも事実。
もし本当にレイがその気になって勝手に行動しようとした場合、とてもではないがダスカーにレイを止める手段はない。
いや、ギルムにいる冒険者達に要請してレイを止めるという方法はあるかもしれないが、そのようなことをした場合はギルムにいる高ランク冒険者や異名持ちとレイが……そしてレイの仲間達が正面からぶつかることになるだろう。
そうなればギルムが受ける被害は大きい。
場合によっては、エレーナすらレイの味方として戦いに参加するかもしれず、そうなるとダスカーは軍事的な意味での被害だけではなく、政治的な意味での被害も大きくなってしまう。
ダスカーとしては、とてもではないがそのようなことは許容出来ないので、もし本当にレイが我慢出来なくなるといったようなことにはならないよう祈るばかりだった。
そして幸い、レイはそんなダスカーの言葉に素直に頷く。
「分かりました。けど、向こうの準備が整ってから攻撃をするとなると、こっちの被害も相応に大きくなると思うので、時間が経てば経つ程にこっちが不利になっていきますよ」
「ああ。俺も別に絶対にレイの提案を却下するとは言っていない。ブロカーズ殿と相談して、それでブロカーズ殿が許容出来ると考えれば実行されるだろう」
「だといいんですけどね」
ダスカーの言葉にそうレイが言うのは、ブロカーズではなく、ブロカーズの護衛のイスナの性格を知っているからだ。
一言で表現するのなら、お堅く生真面目な性格。
そのような性格だけに、ブロカーズに振り回されることも多い。
事実、レイがブロカーズと初めて会った時も夜だというのにブロカーズが馬車でトレントの森に来ており、イスナはその護衛として一緒にいたのだから。
馬車が穢れに襲撃されているのをレイが知り、それを助けに来たのがブロカーズやイスナとの最初の接触だった。
その時の経験から、イスナはもし冬の間に少人数で穢れの関係者の本拠地に襲撃をするというレイの提案を聞けば、恐らく問答無用で却下するだろうと思ってしまう。
だからこそ、レイはブロカーズに相談をするという時点で自分の提案は却下されてしまうのだろうと予想していた。
「ダスカーがそう言うのなら、任せてもいいんじゃない? 何しろ相手は大陸の崩壊どころか世界を崩壊させようと考えている相手だもの。そのような相手を倒す為に手続きに拘った結果、それが致命傷となる可能性は十分にあると分かってるんだもの。きっとどんな手段を使ってでもレイの提案した作戦を実施してくれる筈よ」
そう言うマリーナの言葉を聞いたダスカーは微妙な表情を浮かべる。
実際、ダスカーにしてみればマリーナの言葉に理があるのは分かっているのだ。
もしここで時間を無駄にしたことによって穢れの関係者にとってプラスになるようなことにでもなれば、それはこの大陸どころか世界にとって致命傷になりかねないのだから。
「話はしておく。それにブロカーズ殿にもこの件がどれだけの利益をもたらすか、そして実行しない場合はどれだけ被害が大きくなるのかを知らせるから、心配はいらない筈だ」
結局マリーナの意見に押されるように、ダスカーはそう言う。
もっとも、これはただダスカーがマリーナに弱みを……黒歴史と呼ぶべき過去の色々な話を知られているからだけではない。
それを盾にレイの提案に乗るように言われても、それがギルムにとって利益になるものでなければ、ダスカーはそれを断っただろう。
ダスカーが素直にマリーナの言葉を受け入れたのは、冬の間に襲撃するというのがギルムにとって……何よりミレアーナ王国やこの大陸、あるいは世界そのものにとって有益だと判断したからだろう。
難しいことを考え、議論の為の議論をし、その結果として攻略するべき時を見逃した結果、世界が滅ぶ。
そのようなことは絶対に避けたかった。
だからこそ、ダスカーはレイの提案について本気でブロカーズに説明する気になったのだろう。
勿論、それ以外にも自分の黒歴史をマリーナに話させる訳にはいかないという思いもあったのだが。
「ふーん。じゃあ、それって私も参加するの?」
部屋の中を飛びながら話を聞いていたニールセンが、そう尋ねる。
そんなニールセンの言葉に、レイはマリーナを見る。マリーナはダスカーを見て、ダスカーはレイを見る。そしてレイはマリーナからダスカーに視線を移す。
「どうすればいいと思います?」
最初に口を開いたのはレイで、尋ねられたのはダスカー。
だが尋ねられたダスカーも、戸惑ったように口を開く。
「俺に聞かれても困るな。もしレイの提案が実行されるのなら、レイも参加することになるんだ。なら、レイがどうするのかを決めた方がいいんじゃないか?」
「それは……まぁ、そうかもしれませんけど」
ダスカーの意見に一理あるのは間違いない。
だが、レイはすぐにニールセンをどうするのかといったことは決められない。
それでも今この状況で決めるのは自分なのは間違いなく、レイはニールセンに視線を向ける。
「そもそも、ニールセンは穢れの関係者の本拠地に行きたいのか? 言うまでもないけど、オーロラ達のいた洞窟よりも激しい戦闘になるぞ? それにオーロラよりも高位の奴がいるのは間違いないし」
オーロラの名前にニールセンは微妙な表情を浮かべる。
自分の心臓を欲しているという理由もそうだが、それ以上にただ純粋にニールセンはオーロラを苦手としていた。
そしてオーロラが苦手である以上、穢れの関係者の本拠地には他にも穢れの関係者がいるのは確実で、その中にはオーロラと同じようにニールセンが苦手とする者がいる可能性は十分にあった。
そんな場所に行きたいのかとレイは尋ね、その言葉にニールセンは黙り込む。
オーロラと同じような者達……いや、場合によってはオーロラよりも高位の地位にいる者達がいる以上、そのような者達がニールセンにどのような視線を向けてくるのか想像するのは難しくない。
とはいえ、ニールセンは自分が行きたくないと言っても、この後で妖精郷に戻り、長がレイの提案について知れば同行するように言われるのだと予想……いや、半ば確信していた。
今回の一件については一応レイ達に聞いてみたものの、既に半ば決定してしまっている。
「多分、長から行くように言われると思うのよね。……私が一緒に行って、役に立つとは思えないんだけど」
「そうか? 俺はニールセンはそれなりに役に立ってくれると思うけどな」
そうレイが言うのは、お世辞でも何でもない。
実際に今回の件ではレイも色々とニールセンに助けられている。
最初に先行してイエロや途中で仲間にしたハーピーのドッティと共に行動して岩の幻影によって隠された洞窟を見つけたのはニールセンだったし、洞窟の中で人が住んでいる場所を見つけたのもニールセンだった。
また、レイにしてみればその時に蝙蝠のモンスターと遭遇したのも、未知のモンスターの魔石を入手出来たという点では大きい。
(あ、そう言えばまだあの蝙蝠のモンスターの魔石は使ってなかったな)
そう思いながら、レイはニールセンは役に立つと断言するのだった。