3309話
ダスカーの言う穢れが侵入出来ないように出来たというのはレイにとっても非常に興味深いものだったが、今はその件について聞くよりも他に報告するべきことがあった。
「分かりました。じゃあ、オーロラの身柄はダスカー様に預けても大丈夫ですね」
「そうなるな。ただ、その用意がされた部屋に連れていく必要があるが……」
「それは私が引き受けましょう」
ダスカーの言葉に即座に立候補したのは、ヴィヘラ。
自分ならオーロラが何か妙な行動をしようとした時、即座に対処出来るという自信があったのだろう。
実際、オーロラはヴィヘラの言葉を聞いて苦々しげな表情を浮かべている。
ダスカーの言ってることが事実なら、そのような場所に行く前に脱出するなりなんなりする必要がある。
しかし、ヴィヘラがいればそのようなことをするのは不可能……とは言わないが、非常に難しいのは事実。
捕まってからここまでの旅路で、オーロラにもそれは十分に叩き込まれていた。
だからこそ、もしここからどうにか脱出するにしても、ヴィヘラがいる時点でそれが無理だというのは十分に理解出来ていた。
「では、少し待っててくれ。兵士……いや、騎士を呼んで来る」
そう言い、ダスカーは部屋を出る。
見ていたレイにしてみれば、メイドか誰かを呼んで、そのメイドに騎士を呼びに行って貰えばいいのでは? と思ったのだが、すぐに自分でそれを否定する。
オーロラを連れていくのは、言ってみればかなり重要度の高い部屋だ。
恐らくはダスカーの部下でも、その場所について知ってる者は決して多くはないのだろう。
だからこそ、ダスカーも他人に任せるようなことはせず、自分で呼びにいったのだ。
「俺達がいないちょっとの間に、まさかこういう発明? 発見? とにかくこういうのをするとはな。予想外だった」
「あら、そう? でも穢れの研究をしている人達は基本的に優秀なんでしょう? なら、そのくらいのことは出来てもおかしくないと思うけど」
ヴィヘラにしてみれば、そのくらいのことは出来て当然という認識だったのだろう。
しかし、レイは炎獄に閉じ込められた穢れを観察している研究者達の姿しか知らない。
そのような状況だったのに、気が付けば穢れに対する決定的とも呼べる研究結果を出しているのだ。
それに驚くなという方が無理だろう。
そうして話をしていると、やがてダスカーが二人の騎士を連れて戻ってくる。
「ヴィヘラ殿、この二人と共に、そのオーロラという人物を連行して欲しい。途中で脱出しようとしたり、もしくは何か他の行動を取ろうとしたのなら、その時はヴィヘラ殿の判断で何をしてもいい」
それは、もしオーロラが抵抗をしたり、逃げ出そうとしたり……もっと言えば、何か怪しいとヴィヘラが判断出来る行動をした場合、即座に殺しても構わないという許可だった。
ダスカーにしてみれば、オーロラは非常に重要な情報源なのは間違いない。
だが、色々と知られた状況で逃げられるようなことにでもなれば、それは洒落にならない。
なら、もし何かをしようとするのなら、その前に殺してしまうのが手っ取り早いと判断したのだろう。
また、連行をするのがヴィヘラだというのも、この場合は関係しているだろう。
ヴィヘラは出奔こそしているものの、ベスティア帝国の皇女だ。
それも次期皇帝のメルクリオが慕う姉でもある。
もしそのような人物がダスカーのいる領主の館で死んだらどうなるか。
間違いなく大きな問題となり、それこそ今はミレアーナ王国とは友好的にやっていこうと思っているメルクリオも、態度を変えるかもしれない。
そのようなことにならないようにする為には、例え重要な情報源であってもダスカーは処分するのを躊躇わない。
穢れの関係者の情報を持ってるオーロラと、出奔したとはいえベスティア帝国の皇女のヴィヘラ。
どちらを選ぶかと言われれば、それは考えるまでもないだろう。
これで実はオーロラを選ばないと世界の崩壊が始まってしまうというような状況ならまだしも。
「分かったわ。もっとも、オーロラも洞窟からここにやって来るまでの間にお互いの力の差は理解してる筈よ私がいる前で妙なことはまずしないでしょうね」
ヴィヘラは自信満々といった様子でそう言う。
実際、もしヴィヘラがいる場所でオーロラが何をしようとしても、その前にヴィヘラならオーロラの意識を絶つことが出来るのは間違いなかった。
オーロラも間違いなくそれについては理解している。
だからこそ、ダスカーがヴィヘラに今回の件を頼んだのは決して悪いことではなかった。
寧ろそれは最善に近い行動と言ってもいいだろう。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「あ、ちょっと待ってくれ。一応ヌーラも連れていって欲しい」
「……は?」
突然レイの口から出て来た言葉に、そんな声を上げたのは名前が出たヌーラだ。
まさかここで自分の名前が出るとは思いもしなかったのだろう。
ヌーラにしてみれば、オーロラが連れて行かれるのは尋問……場合によっては拷問されるかもしれないのだ。
そんな場所に自分を連れていくのは一体どういうことかと疑問に思うのは当然だろう。
もしかしたら自分も拷問されるのでは?
そんな思いすら抱いてしまう。
だが、そんなヌーラを落ち着かせるようにレイが口を開く。
「そこまで心配するな。別にお前をどうこうとは思っていない。ただ、妙な考えを起こしたらどうなるのか……それを知っておいて欲しいと思ってな」
実際にはダスカーと相談するのをヌーラに聞かせないための方便なのだが、レイが話したような思いがない訳でもない。
ヌーラはレイ達に寝返ると判断したし、レイ個人としては微妙に気が合うのでそれなりに好意的ではある。
だが、だからといって全てを完全に信じることが出来るかと言われたら、それは否だ。
ヌーラには一度しっかりと自分がどういう位置にいるのか……そして下手な行動をした時にどうなるのかを、見せておいた方がいい。
でなければ本人の気紛れによって、あっさりと考えを変えて実は穢れの関係者側に再度寝返る、もしくはそこまでいかなくても、他の派閥の者達に寝返るといったようなことを考えてもおかしくはなかった。
もしそのようなことを考えた場合、自分がどういう事になるのかというのは、知っておいた方がいい。
「そうだな。レイがそう言うのなら、見ておいた方がいいだろう。ヴィヘラ殿、頼めるだろうか?」
「ええ、その辺は構わないわ。オーロラを見るついでだと思えば、そこまで考える必要はないし」
ダスカーの頼みをヴィヘラはあっさりと受け入れる。
実際、ヌーラは穢れの関係者にとって血筋は大事かもしれないが、本人の実力ともなればそれは素人に近い。
穢れを使える訳でもなく、本人が戦闘訓練をしている訳でもないのだから。
そんなヴィヘラの態度にヌーラは不満そうな様子を見せるものの、ここで自分が何を言っても恐らく意味はないと判断して黙り込む。
また、レイやダスカーの様子を見る限り、本当に自分には尋問をするような場所を見せたりするだけで、身の安全は保証されてると思ったのも大きいだろう。
「分かった。私も行こう」
「そうしてくれ」
レイが言うと、ヌーラは完全に納得した様子を見せた訳ではなかったが、素直に立ち上がる。
オーロラもまた、ヴィヘラや騎士に連れられて部屋を出ていく。
そうしてヌーラやオーロラがいなくなってから数十秒程。
今まで黙って様子を見ていてダスカーが口を開く。
「それで、レイ。何故あそこまで無理矢理な理由を作ってまでヌーラを追い出す必要が?」
「ちょっとダスカー様に相談したいことがあって、それをオーロラは勿論、念の為にヌーラにも聞かせたくなかったんです」
「分かった、話を聞こう」
レイの言葉に、躊躇することなくダスカーはそう言う。
ダスカーにしてみれば、レイは信頼すべき相手だ。
そのレイがこのように言うのだから、そこには何らかの理由があると判断したのだろう。
レイもそんなダスカーの言葉に頷くと、ミスティリングから書類を取り出す。
マリーナがニールセンと共に洞窟の中にあったオーロラの家から見つけた書類だ。
その書類を渡されたダスカーは、素早く目を通し……
「本拠地はベスティア帝国か。……厄介だな。ヴィヘラ殿をオーロラ達の見張りとして部屋の外に出したのは、これも関係してるのか?」
「え? いや、そっちは偶然です。ヴィヘラにもこの件については、もう知らせてありますし」
ダスカーの言葉は、レイにとっても意外なものだった。
とはいえ、ヴィヘラの出身を考えればダスカーがそのようなことを考えてもおかしくはないと思えたが。
「そうか。だが……ベスティア帝国か」
普通に考えれば、ミレアーナ王国での犯罪者――レイにしてみればテロリストという表現の方が相応しい――を捕らえる為に無断でベスティア帝国に入るようなことは出来ない。
それこそしっかりベスティア帝国に話を通す必要があるだろう。
だが、当然ながら話を通すといったことをすれば、相応の時間が掛かる。
現在のベスティア帝国はミレアーナ王国にとって友好的な存在なのは間違いないものの、それでも相応の時間が掛かるのは間違いない。
特に今は冬で、移動するのにもかなりの労力が必要となる。
そうなると、それこそ春になってからベスティア帝国に話を通して、その後で穢れの関係者の本拠地を襲撃するということになれば、下手をすれば実際に襲撃するのは来年の秋……話を通すのに時間が掛かりすぎれば、それこそ冬になって行動するのに向いていないので再来年の春になってからということにもなりかねない。
だからこそ、ダスカーは厄介な場所と表現したのだろう。
「その件です。普通に考えれば、穢れの関係者の本拠地に襲撃するには手間が掛かります。ましてや、その間に洞窟の件を知った者達が自分達の本拠地を知られたということで、場所を移す可能性も十分にあるかと。なので……いっそ、この冬の間に穢れの関係者の本拠地を襲撃しませんか?」
「……何だと?」
レイの言葉にダスカーは数秒の沈黙の後でそう返す。
ダスカーもレイとはそれなり――それでも数年だが――の付き合いがある。
また、レイが良い意味でも悪い意味でも常識外れの存在だというのは知っていた。
それでも、まさかこのようなことを説明してくるとは思わなかったらしい。
当然だろう。普通に考えれば、レイが言ってるのは犯罪者の集団の本拠地が他国にあるので、そこを他国に無断で襲撃しようと言ってるようなものなのだから。
そのような常識外れの言葉に驚きつつも、ダスカーの頭の中ではレイの提案が非常に有効なのだと理解も出来た。
(ヴィヘラ殿がいる以上、そちらが主導で動いて貰えば、襲撃の件が発覚しても誤魔化すことは可能だろう。それに……レイがこのように言うということは、そちらの方が勝算が高いと判断しているからというのも事実。向こうもまさか冬に襲撃されるとは思っていない筈だろうし)
普通に考えれば、雪が降ってる中で他国に渡り、隠されているだろう本拠地を襲撃すると考えるか。
もしダスカーが相手の立場……穢れの関係者を率いてる場合、そのような想定はしないだろう。
だからこそ、相手の意表を突いて襲撃をすることが出来るというのは大きかった。
「レイ、一応聞くが本気か? ……普通ならここは正気か? と聞くところなんだがな」
レイの言葉に十分な説得力はある。
実際に穢れの関係者の本拠地を襲撃するのに、レイの提案が一定の……いや、大きな効果があるのは間違いないだろう。
だがそのようなことをすれば、当然だが問題になる。
穢れの関係者の本拠地の襲撃が成功すれば、その問題もある程度対処出来る可能性はあったが、それも絶対ではない。
それどころか、その奇襲で失敗すればより大きな問題となるだろう。
つまりレイの提案は上手くいけば穢れの関係者の件をある程度解決することが出来るものの、失敗すればそれがダスカーにとって致命傷となる危険も大きかった。
それ以外にも、最悪の場合はそれが理由となってミレアーナ王国とベスティア帝国との間で戦争になる可能性も決して否定は出来なかったのだ。
(とはいえ、その件で俺が責任を取ればどうにかなるか? しかし、穢れの件の危険性を考えると、俺の首一つでどうにかなるのなら、賭ける価値はある……か?)
ダスカーもミレアーナ王国の三大派閥の一つである中立派を率いている人物だ。
その首は決して安いものではないが、それでも穢れの関係者の危険性を考えればレイの提案に乗ってもいいのではないか。
そんな風に悩むのだった。