3305話
「んん……あー……」
起きた時、レイは一体自分が何故外にいるのかが理解出来なかった。
いつもならマジックテントを使って野営をするのに、一体何故? と。
だが、周囲の様子を見れば自分以外に他にも何人もが眠っている。
それを見て、何故自分がこのような状況になっているのかを思い出す。
普段は三十分近くは寝惚けているのだが、こうした状況ではレイも寝惚けるようなことはない。
「ふわぁ……んー、やっぱり疲れるな」
ドラゴンローブを着ているので、冬の寒さについては問題ない。
一応布を地面に敷いて直接地面に寝るといったこともしていないので、そこまで身体も痛くはない。
だが……それでもマジックテントの中にあるベッドで眠るのとでは、疲れの癒え方、体力の回復の仕方が違う。
(これで穢れの関係者……だけじゃなくて、盗賊とか動物とかに襲撃されていれば面倒だったけど、そういうのもなかったみたいだし)
セトがいるので動物の襲撃についての心配はいらない。
しかし、それ以外……それこそ穢れの関係者や盗賊であれば、セトの存在に気が付かず、あるいは気が付いてもどうにかなると思って襲撃をしてきてもおかしくはなかったのだが、幸いなことに今の状況でそのようなことはなかったらしい。
(オーロラは……)
現在の一行の中で一番危険な相手の様子を見てみるが、器用なことに縛られた状態のまま眠っている。
そんな様子を眺めていると、不意に少し離れた場所にいたセトが顔を上げる。
何だ? と思ってセトの視線を追うと、そこにはニールセンがレイ達のいる場所に向かって飛んできていた。
ニールセンも自分を見ているレイの姿に気が付いたのだろう。
元気よく手を振り、レイのいる方にやってくる。
「ただいま、レイ」
「ああ、おかえり。それで……いや、場所を移すか」
「え? 何で?」
何故か急に場所を移すと口にしたレイに不思議そうに尋ねるニールセン。
レイはそんなニールセンをいつもの場所……自分の右肩に乗せながら、口を開く。
「昨夜、ニールセンがいないのはどうしてだと話題になってな。その時、自分の心臓を狙っている、もしくは狙っていた者達の前に出てくるようなことはしないと説明したからな」
妖精郷に戻って降り注ぐ春風に事情を説明しているニールセンの不在を誤魔化すには、そのような方法を採るしかなかったとはいえ、それが嘘だったと知られない為にはその説明通りにするしかない。
つまり、オーロラとヌーラのいる場所でニールセンが姿を現すのは難しい。
あるいはヌーラはレイ達に寝返ったので、多少時間を空ければニールセンが姿を見せてもおかしくはなかったが。
……もっとも、ニールセンはオーロラのことが本格的に苦手だ。
そうである以上、ニールセンもオーロラの前に自分から出るようなことは基本的にないだろう。
「ふーん、そうなんだ。分かったわ。じゃあ、ちょっと離れましょうか」
ニールセンの言葉に頷き、レイはその場から離れる。
そうしてある程度の距離を移動したところで、レイは改めてニールセンに尋ねる。
「それで? 降り注ぐ春風は何か言ってたか?」
「うーん、降り注ぐ春風はいつも笑ってるから、こっちが何を言ってもそれをどう思ってるのかが分かりにくいのよね。向こうが笑っていられないような出来事でもあれば、もう少し話は違ったのかもしれないけど」
「穢れの関係者の本拠地の場所が分かったんだから、それは驚くのに十分じゃないのか? ベスティア帝国だぞ?」
「あのね、レイ達にとっては国というのは大きいかもしれないけど、私達にとってはそこまで重要じゃないのよ」
妖精にしてみれば、国という知識はあるが別に妖精達の国がある訳でもない。
無理矢理当て嵌めるのなら、妖精郷が一つの国と表現出来るかもしれないが、規模からして普通に考えれば村程度だろう。
あるいは長なら多少は国という存在を意識しているのかもしれないが、ニールセンは違う。
(けど、ニールセンは一応長の後継者といった扱いなんだよな? なら、その辺についてもう少しくらい考えていてもいいと思うんだが。まぁ、今更そんなことを考えても意味はないかもしれない。もっとも降り注ぐ春風がそういう風に考えているのなら、それも仕方がないかもしれないけど)
ここで自分がどのように考えたとしても、ニールセンが何かをするといった様子はない。
であれば、わざわざここで話す必要はないだろうと思っておく。
「他には何か言ってなかったか?」
「うーん、そうね。出来れば洞窟の方をどうにかして欲しいとは言ってたわ」
「そうなのか?」
それはレイにとっても少し意外だった。
洞窟があるのは、降り注ぐ春風の妖精郷がある場所からかなり離れている。
セトに乗って移動すればそんなに離れているようには思えなかったが、それはあくまでもセトの飛行速度が普通ではないからだ。
妖精郷の近くにあった小屋をそのままにしておいたのに、洞窟の方はどうにかして欲しいというのは、何か具体的な考えがあってのことなのかもしれないが……
「その辺についての理由は、何か聞いてきたか?」
「ううん、特には聞いてこなかったわ。けど、オーロラがいたような洞窟でしょう? 出来るだけ早くどうにかしたいと思ってもおかしくはないじゃない?」
「いや、それはどうかと思うんだが」
ニールセンがオーロラを苦手にしているのは理解出来るものの、それが理由で洞窟をどうにかした方がいいと降り注ぐ春風が判断するとは、レイには思えなかったが……ふと気が付く。
「妖精の心臓を欲してるのが理由か?」
降り注ぐ春風が穢れの関係者のいる洞窟をどうにかして欲しいと考える理由で、レイが思いつくのはそれしかなかった。
「さぁ? それはちょっと分からないけど、レイがそう思うならそうなんじゃない? 実際、私もああいう人達は好きじゃないし」
「お前がオーロラを嫌ってるのは分かるけど、オーロラ以外の相手はそこまで嫌ってないよな? ヌーラとか」
ヌーラは最初にニールセンを追ってきた男だ。
もし妖精の心臓を狙っているという意味でニールセンがオーロラを嫌っているのなら、それこそヌーラも同じように嫌ってもおかしくはない。
なのに、ニールセンはヌーラに対してはそこまで苦手意識は抱いておらず、オーロラに対しては極端に苦手意識を持っている。
これがオーロラの存在があるからヌーラは許容範囲内と考えたのか、それとも単純にヌーラはそこまで苦手意識を抱くような相手ではないのか。
(相性とか、そういうのもあるしな。もしくは理由もなく好きになれない相手がいるとか)
レイにもそのような相手はいる以上、ニールセンも同じような相手がいてもおかしくはなかった。
だからといって、それを露骨に表に出すのはどうかと思うが。
「洞窟の件は分かった。ただ、もしかしたら俺達が何かをするよりも前に、あの洞窟から人がいなくなるかもしれないな。個人的には、それはそれで困るんだが」
洞窟を任されていたオーロラがレイ達に捕まり、恐らくはオーロラの次の次の地位だったヌーラもレイ達に捕まった。
……実際にはヌーラは捕まったのではなく寝返ったのだが、オーロラ以外にそのことを知ってる者はいない。
オーロラとヌーラ以外に特に地位のある者がいないというのは、ヌーラから聞いてレイも知っている。
もっとも、ヌーラが知ってるのはあくまで浅い知識なので、実はヌーラが知らないだけでオーロラに次ぐ地位の者がいてもレイは驚くようなことはなかったが。
レイが知ってる限りではあるが、洞窟の中はそのような状況だ。
他に地位のある者……もっと言えば、リーダーシップを執ったり、皆に指示を出して行動させるようなことが出来る者がいない場合、洞窟の中の状況を立て直せるとは思えない。
だとすれば、オーロラに代わる人物が送られてくるか、もしくは洞窟に住んでいる者達がそこから逃げ出すか。
(いや、俺達に洞窟の場所を知られた以上、洞窟に住み続けるのは悪手だ。今までは岩の幻影があったからどうにかなったが、それがただの幻影であると知られた以上、もうあそこは無防備に近い)
だとすれば、穢れの関係者が洞窟の状況を知ればすぐにでも洞窟の住人達を移動させる可能性があった。
「最悪……かどうかは分からないが、もしかしたらあの洞窟は爆破されるか何かして、もう使い物にならなくなるかもしれないな」
「え? 本当に?」
「ああ。あの場所が大きな拠点であると俺達に知られた以上、その対処は難しくなると思った方がいい。具体的には、そうだな。もしかしたら爆発じゃなくて、穢れを使う可能性もある」
「穢れを? あ、でも洞窟の中を調べられると困るんだし、そう考えれば穢れならいいのかもしれないわね」
穢れについてレイと同じくらい接してきたニールセンは、その特性についても十分に知っている。
それでも嫌そうな……オーロラについてとは別の意味で嫌そうな表情を浮かべているのは、やはり穢れを見た時に本能的な嫌悪感を抱くからだろう。
オーロラに対して強い苦手意識は持っているものの、それは嫌悪感という訳ではない。
そんなニールセンの様子を見つつ、レイは頷く。
「穢れは触れると黒い塵にして吸収するからな。爆発とかだと残骸が残ったりするけど、穢れを使って証拠隠滅をすれば、何も残らない」
爆破の場合の残骸は、それこそ運によっては何らかの手掛かりとなる事もあるだろう。
しかし、穢れを使って全てを黒い塵にして吸収してしまえば、証拠らしい証拠はなにも残らない。
手掛かりを残さないという意味では、非常に有用な処分方法だった。
(もっとも、穢れの関係者は穢れを御使いと呼んでる奴もいて、自分達の上位存在だと認識している者もいる。そうである以上、そんな存在を証拠隠滅に使うかと言われれば……ちょっと微妙だが)
そう思うレイだったが、実際には穢れの関係者の中でも穢れを御使いと認識している者もいれば、自分の使う武器と認識してる者もいるのはレイも理解していた。
「ふーん。じゃあ、取りあえず洞窟の心配はそこまでしなくてもいいのよね?」
「そうなるな。どうする? この件を降り注ぐ春風に知らせて来るか?」
「そうね。出来るだけ早く戻ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言うと、ニールセンは空に向かって素早く飛んでいく。
そんなニールセンを見送ると、レイは野営をしていた場所に戻る。
「あら、レイ。もういいの?」
そうレイに声を掛けてきたのは、マリーナ。
どうやら自分が起きたことに気が付いていたのだろう。
マリーナの性格を知っているレイは、そんなマリーナの様子を見ても特に驚いた様子はない。
マリーナならそのくらいやっても特に驚くようなことはないと思ったのだろう。
「ああ、用事は終わらせた。ただ、出発まではちょっと延びると思う」
「そうなの? 分かったわ」
ニールセンという言葉や妖精郷という単語を口には出さず、レイはマリーナにそう返す。
まだオーロラが寝ているが、もしかしたら寝た振りをしているだけなのかもしれないからだ。
また、ヌーラもまだ眠っている様子だ。
「そう言えば、ヴィヘラは?」
「女には色々と準備があるのよ」
即座に返ってくるマリーナの言葉に、レイもそれ以上は何も言えない。
もしここで何かを言ったら、それが自分にとって致命傷になりそうな展開になってもおかしくはないと、そう判断した為だ。
「朝食の準備でもするか。パンとスープとチーズ辺りでいいか? 何なら、サンドイッチくらいは出してもいいけど」
「普通のパンでいいんじゃない? 別にサンドイッチも嫌いな訳じゃないけど……今日はそういう気分じゃないわ」
マリーナの言葉にレイは特に反論することなく頷く。
レイもどうしてもサンドイッチを食べたいという訳ではない。
それに食べるのは普通のパンだが、そのパンは焼きたての香ばしく、柔らかいパンだ。
それこそ人によってはそのパンだけでご馳走だと言ってもおかしくないような、そんなパン。
またスープも野菜がたっぷりと入っている具沢山のスープで優しい味だ。
飲むスープというよりは、食べるスープ。
レイにとってもお気に入りのスープで、正直なところヌーラはともかくオーロラに食べさせるのは勿体ないと思わないでもない。
だからといって、オーロラだけに何も食べさせなかったり、もしくは干し肉といった保存食ですませるのは、それはそれでどうかと思う。
(もっとも、一番重要なのは猿轡を取った時に、オーロラが自殺しないようにすることなんだけどな)
そんな風に思いつつ、レイは朝食の準備をするのだった。