3304話
マジックテントを使わない野営というのは、かなり大変だというのがレイの正直な感想だった。
それは同時に、今まで一体どれだけ自分がマジックテントのお陰で楽をしてきたのかということを意味してもいる。
薪を集めるのは、そんなに大変ではない。
秋なら折れた木の枝も乾燥していて薪にしやすいのだが、今はもう冬だ。
それでもまだ雪が降っておらず、またこの辺りでは最近雨が降ったりもしていないのか、落ちている木々が濡れていて燃えにくいということはない。
もっとも、もし多少木が濡れていてもレイの魔法を使えばその辺に対処するのは難しい話ではないのだが。
食事も、レイのミスティリングにはたっぷりの食料……それこそ店で売ってるような料理の類があるので、困らない。
だが問題なのは、どうやって夜をすごすかだ。
レイやヴィヘラは問題ないし、マリーナも多少の無理をすれば小規模な精霊魔法は使える。
だが、ヌーラは魔法を使える訳でもなく、マジックアイテムを使える訳でもない。
オーロラもそれは同様だった。
……あるいは洞窟の中にある家の中には、その手のマジックアイテムがあったのかもしれないが。
(あの魔剣や指輪があったことを考えると、多分他にも何かマジックアイテムはあった筈なんだよな。マリーナ達にはそれを探している時間はなかったみたいだけど)
レイはそれを少しだけ残念だと思いながら、オーロラとヌーラに視線を向ける。
二人とも、その身体には布を巻いている。
レイのミスティリングの中には、テントや寝袋の類は入っていないものの、布はそれなりに入っている。
その布を使えば、それなりに寒さに耐えることは出来る筈だった。
(今度、テントとか寝袋とか、何かあった時の為に余分に買っておいた方がいいか。出来れば、マジックテントの予備とかがあればいいんだけど……それはそれで難しいしな)
マジックテントは、金を払えば買えるというものではない。
購入しようと思っても、そこに現物がなければ購入出来ない。
そういう意味で、レイが新たなマジックテントを欲するというのは、ある意味で贅沢だった。
本人にその意識があるかどうかはまた別の話だが。
「ヌーラ、どうだ? 寒くないか?」
「少し寒いが、焚き火の側にいれば我慢できない程ではない。……しかし、これが野営か。思っていたのとは違うな」
ヌーラは気落ちした様子で呟く。
血筋の関係で遊んで暮らしてきたヌーラだ。
冒険者や商人達がするような野営というのは、今までしたことがなかったのだろう。
それだけに、ヌーラにとっては野営について色々と思うところが……それこそ面白そうだという思いがあったのだろうが、実際に体験してみると決していいものではない。
ヌーラやオーロラがいるからということで使っていない、マジックテントでもあれば快適な野営を楽しむことも出来たのだろうが。
しかし、ヴィヘラからの提案により今回の野営でマジックテントは使わないことになった。
結果として、レイ達もマジックテントを使った快適な野営は楽しめなくなっている。
(たまにはこういうのもいいかもしれないけどな)
レイにとっては、現在の状況が大変なのは間違いないものの、そういうものだと納得すれば理解出来ないこともない。
それにマジックテントを入手してからは、非常に楽な野営をしていたものの、マジックテントを入手する前は、レイも普通に他の冒険者と同じように野営をしていたのだ。
……いや、セトがいるだけで大抵のモンスターや動物が襲撃してくることはないし、もし襲撃してきてもセトなら大抵の相手はどうにか出来るので、レイは見張りを気にせず朝までぐっすり眠ることが出来るという時点で、他の冒険者と同じようにという訳ではなかったが。
「レイ、冒険者というのはいつもこういうことをしてるのか?」
「野営をするという意味でならそうだな。とはいえ、人によって……いや、冒険者によって違うけど。例えば馬車を持ってるような裕福な冒険者なら、野営をする際にも馬車の中で寝たりする者もいる。もっとも、それはかなり危険な一面もあるけどな」
「危険な一面? 具体的にはどのような?」
「馬車の中で寝ていれば、外で何か起きても察知するのが遅れるし、馬車から出るという行動でも一歩遅れる。何者かに襲撃された時、その一歩が致命的なことになってもおかしくはない」
「それは……困るな」
ヌーラもレイの言いたいことは理解したのか、困った様子でそう告げる。
戦いそのものは経験がなくても、実際に戦いになった時、その一歩出遅れるというのが具体的にどのくらいのミスとなるのか、予想するのは難しくないのだろう。
……実際には、ヌーラが予想しているよりも更に数段危険な行為なのだが。
「後は、他にも絶対に野営をするような依頼は受けないとか、街や村のある場所を通るような経路がなければ移動しないとか、そういうのは色々とあるな。中には貴族に専属で雇われているような者もいるし」
「ああ、貴族街にそういう冒険者は多いわね」
マリーナがレイの言葉に同意するように呟く。
マリーナにしてみれば、実際に自分の家のある場所にそのような者達がいるので、その辺の情報には詳しいのだろう。
また、元ギルドマスターというのも、その辺について詳しい理由なのかもしれない。
「そういう冒険者もいるのか。それはいいな」
感心したように言うヌーラ。
穢れの関係者からレイ達に寝返った以上、最初のうちはともかく、いずれは働く必要がある。
今までのように遊んで暮らすことも出来ない以上、何らかの仕事を見つける必要があった。
そんな中でレイから聞いた今の話からすると、貴族専属の冒険者というのは悪くないように思えた。
野営を経験したヌーラにしてみれば、出来れば野営はもうしたくないのだろう。
貴族の専属ともなれば報酬もいいだろうし、貴族の屋敷で寝泊まり出来るかもしれないし、それが無理でもかなりいい宿に泊まれるかもしれない。
また、貴族の娘とお近づきになれるかもしれないという打算もあった。
そんなヌーラの考えを読み取ったマリーナは、呆れと共に言う。
「言っておくけど貴族専属の冒険者というのは、そう簡単になれるものじゃないわよ。まず普通の冒険者として実績を重ねて、それが貴族の目に留まれば一時的に雇われることになって、その依頼を成功させて、その上で貴族との関係を良好に保って……そこまでやって、初めてその道が開けるといったところね。最低でも相応の実力……ランクC、出来ればランクBくらいの実力があった方がいいわ」
その言葉を聞いても、ヌーラは首を傾げるだけだ。
今まで洞窟の中で暮らしており、冒険者と関わることがなかったので、それがどれだけの難易度なのかが分からないのだろう。
ヌーラの様子を見たマリーナは、ミスティリングから取り出した干した果実を食べているレイを見て口を開く。
「レイは今はランクA冒険者だけど、ちょっと前まではランクB冒険者だったわね」
「嘘だろ……」
驚愕の視線をレイに向けるヌーラ。
ヌーラにしてみれば、レイの強さは目の前で見ている。
……実際にレイが倒したのは、その殆どが戦闘訓練をしていないか、あるいは戦闘訓練をしていても最低限といったような者達で、もしレイ以外の者が戦っても楽に勝てる程度の実力しかなかった。
しかし、それでもヌーラが見たレイの強さは圧倒的だったのだ。
他の者に対する攻撃に巻き込まれて自分の指を数本失ってしまったが、特にその攻撃……多連斬とレイが呼んでいた攻撃は凄かった。
そんな攻撃をする者が、ランクB。
つまり、冒険者の中にはレイよりも強い存在がまだ大量にいる。
ヌーラがそのように思ってもおかしくはないのだが……それは一部間違っていた。
レイは純粋な戦闘力なら、ランクA冒険者の中でもトップクラスの実力がある。
それでもそれなりに長い間――普通の冒険者の視点で見れば、かなり短期間なのだが――ランクB冒険者だったのは、貴族との交渉的な意味での問題があるからというのが大きい。
勿論、レイよりも強い者が誰もいないという訳ではないのだが。
例えば、世界中に三人しか存在しないランクS。
そのうちレイが知ってるのは二人で、本気で戦ったことがあるのはベスティア帝国にいる不動のノイズだけだ。
ベスティア帝国の内乱の時に戦っており……表向きにはレイが勝ったということになっているし、実際にそれによってレイの評判が上がったのは間違いない。
しかし、レイはそのことを素直に喜べない。
ノイズと本気で戦い、実際にいいところまでいったのは間違いないものの、ノイズは本当の意味で本気を出しておらず、まだ十分に力を残していたと理解していた為だ。
つまり、レイとしてはノイズから勝利を譲られたような形になっており、それに納得出来ていない。
(今ノイズと戦ったら、以前よりは本気を出させることも出来ると思うけど)
マリーナとヌーラの会話を聞きながら、レイはノイズとの戦いについて思い出す。
以前はデスサイズだけが武器だったが、今は黄昏の槍もあり、二槍流を十分に使いこなしているという自負もある。
なら、今度戦うことになったら……そんな風に思いつつ、レイは干した果実に舌鼓を打つ。
「つまり、私が貴族専属の冒険者になるのは無理だと?」
「絶対に無理だとは言わないわ。人にはどんな才能があるのか分からないもの。実はヌーラには戦いの才能があっても、驚くようなことはないわね」
そう言うマリーナだったが、それがお世辞だというのは周辺で聞いている者達だけではなく、それこそヌーラにも分かった。
特にオーロラは、マリーナの言葉を聞いてヌーラに嘲りの視線を向けている。
ヌーラについてそれなりに知っているオーロラにしてみれば、ヌーラにそのような才能があるとは到底思えないのだろう。
そんなオーロラの視線に眉を顰めるヌーラだったが、特に何かを言うようなことはない。
洞窟の中で遊んで暮らしていた自分がオーロラにどのように思われていたのかは、それこそ考えるまでもなく明らかなのだから。
「冒険者になるのは諦めて、他に何かいい道がないか探すとしよう」
「そう? ヌーラがそう言うのなら、私はそれでも構わないけど」
マリーナの目から見ても、ヌーラが冒険者として大成するようには思えない。
これがもっと若い……それこそまだ十代といった年齢なら、今からでも鍛えれば冒険者として活躍出来るようになる可能性はある。
しかし、ヌーラの年齢を考えると、今から鍛えて冒険者になるのは難しい。
勿論、それでも絶対に無理だとは言わない。
実際に世の中にはヌーラよりもっと年上ながらも冒険者になり、相応に活躍した者もいるのだから。
数が少ないだけに、非常に貴重な例なのは間違いないが。
「そう言えば、妖精はどうした? 暫く見ていないが」
ヌーラは話を誤魔化そうとしたのか、ニールセンについての言葉を口にする。
しかし、レイにしてみればそれは寧ろ避けて欲しい話題だった。
まだ妖精郷から戻ってきていないのだから、ここに姿を現せる訳がない。
ニールセンがここにいない理由を口に出来る筈もなく、レイは誤魔化しの言葉を口にする。
「ヌーラとオーロラという、自分の心臓を狙っている二人がいるんだ。そんな場所に、そう簡単に姿を現せると思うか?」
「私はもう妖精を狙ってはいないんだがな」
「……今はもう狙っていなくても、自分の心臓を狙っていた者がいるんだぞ? そんな場所に簡単に顔を出せると思うか? ましてや、オーロラはまだニールセンを狙っていると思っても間違いないだろうし」
その言葉を聞いたオーロラはレイを睨む。
自分が全く退くつもりはないと、負けてはいないと、そう示しているのだろう。
「な? こんな奴がいるところで、ニールセンが出てくると思うのか?」
「そうか。なら仕方がないな」
ヌーラも別にどうしてもニールセンに会いたいと思っている訳ではなく、ただ話題を移す為にニールセンの話題を出しただけでしかない。
レイの言葉を聞いて、更に深くニールセンについて話そうとは思わず、それで会話を切り上げる。
「そろそろ夜も遅くなってきたし、寝るか。ヴィヘラには悪いが、オーロラの見張りを頼む。夜の闇に紛れて穢れを使って縛っているロープを切ったり、あるいは俺達を攻撃してきたりするかもしれないしな」
「しょうがないわね。……けど、今はいいけど、ギルムで引き渡したらどうするの? 引き渡した後も私がずっと一緒にいないといけないとかはごめんよ?」
「その辺については、後でダスカー様と相談してどうにかするしかないだろうな。ともあれ、ギルムに到着するまでは頼む」
そう言うレイに、ヴィヘラは渋々とだが頷くのだった。