3300話
ヌーラはレイの言葉に一体何を言ってるのか理解出来ないといった表情を浮かべる。
そんなヌーラの様子を見て、レイはやはりヌーラが嘘を吐いているようには思えなかった。
(だとすれば、マリーナが見つけた書類が偽物だったのか?)
そんな疑問を抱くレイだったが、オーロラにとってもまさか自分の家に侵入者が来るとは思っていなかっただけに、偽物だったという可能性は低い。
「一応聞くが、ヌーラはベスティア帝国に行ったのか?」
本当に一応といった様子で尋ねるレイに、しかしヌーラは首を横に振る。
「いや、そんなことはない。ここからベスティア帝国までの距離は、とてもではないがすぐに行けるような場所じゃない」
「だろうな」
レイもヌーラの言葉に同意する。
……もしここで、実はベスティア帝国まで行っていたと言っていれば、それこそヌーラの言葉を信じることは出来なかっただろう。
「けど、私が本拠地に行ったのは間違いないんだ!」
「……どう思う? 俺にはヌーラが嘘を吐いてるようには思えないんだが」
レイから見て、ヌーラの態度は自分を欺こうとしているようには思えない。
だとすれば、何かもっと他の理由があって今のような状況になっている可能性が高い。
問題なのは、それが具体的に何なのかが分からないことだろう。
「考えられる可能性は……そうね、ヌーラは本拠地だと思っていたけど、実はそこは本拠地じゃなかったとか?」
「そんなことはない!」
マリーナの言葉に、ヌーラは即座に叫ぶ。
叫ぶが、そんなヌーラに対してマリーナは首を横に振る。
「貴方が本拠地と思っただけでしょう? どこかを本拠地に見立てて、貴方を連れて来たという可能性は十分にあるわ」
「それは……」
マリーナの口から出た言葉はヌーラにとってもかなり予想外だったのだろう。
まさかそんなことは……そう思いつつも、それを明確に否定出来る要素はない。
もしヌーラが、今までに本当の穢れの関係者の本拠地に行ったことがあるのなら、マリーナの言葉を否定出来たかもしれない。
しかし、ヌーラは一度しか本拠地……いや、本拠地と思しき場所に行ったことはない。
唯一否定出来る要素となると、ヌーラの血筋か。
だが、その血筋も人質にされた時にオーロラからあっさりと見捨てられそうになってしまっている。
そうである以上、本来なら自慢出来る血筋も現状のヌーラにとっては心の底から信じることは出来ない。
「そんな……私は今まで騙されていたのか?」
「だろうな。これはあくまでも俺達が知った情報からの予想だ。お前が嘘を吐いていないという前提でな」
そう言いつつ、レイはこの状況においてヌーラが嘘を吐いているとは思っていない。
もしヌーラが嘘を吐いて自分を騙しているのなら、それこそ劇団にでも入れと言いたくなる。
……もっとも、働かないで暮らす今の自分の状況に満足しているヌーラが、劇団に入れと言ってもそれを素直に聞くとは思えなかったが。
「私はどうすれば?」
「いや、それを俺に聞くのか? 忘れてるみたいだが、俺はお前達の敵なんだぞ?」
レイはヌーラを憎めない相手と思ってはいるものの、だからといってヌーラが穢れの関係者の一人であることは間違いない。
だからこそ、今のこの状況で自分がどうすればいいのかと言われても、素直にああしろこうしろとは言えない。
もしここで自分が何かを言って、それによってヌーラが自分がこれからどうするのかを決めた時、それにレイが責任を持てと言われても非常に困る。
「レイ、少しは何かを言ってもいいんじゃない?」
「……マリーナ?」
まさかマリーナからそのようなことを言われるとは思わなかったレイは、驚きつつ視線を向ける。
するとそんなレイの視線に、マリーナは笑みを浮かべてから口を開く。
「ヌーラは穢れの関係者の中でも重要な血筋を持つ一人なんでしょう? そんな相手を仲間に引き込めたら、こっちにとって色々と利益はあると思うんだけど」
「仲間に……? いや、だが本人の前で言うのもなんだけど、ヌーラは穢れの関係者についての知識は何も持っていないんだぞ? 穢れを使うことも出来ないし」
「だからこそよ。ヌーラが穢れを使うことが出来れば良かったのは違いないけど、それでも穢れの関係者……それも血筋的に重要な人物を仲間に引き込めるというのは、こっちにとって悪い話じゃないわ」
「それは……まぁ、そうなのか?」
レイにしてみれば、そこまでやる必要があるのか? と思わないでもない。
だが、実際にこうしてマリーナが勧めてくる以上、ヌーラを仲間にするのは悪い話ではないのかもしれないと思える。
……話の成り行きをドラゴンローブの中で聞いているニールセンは、そんな二人の会話に抗議するようにレイの身体を叩いていたが。
レイはそんなニールセンの行動を理解しながらも、気にしないようにしてヌーラに視線を向ける。
「そういう訳らしいが、どうする? ちなみに言っておくが、もし本当に穢れの関係者を裏切るのなら、今までのような生活は出来ないと思ってくれ」
レイがヌーラから聞いた話だと、ヌーラは特に仕事らしい仕事もせずに日々を暮らしていたという。
本人もその辺を微妙に気にしていたからこそ、ニールセンを見つけた時に手柄を立てようと、あるいはオーロラを見返そうと行動に出たのだろう。
その結果として、指を数本失うことになってしまったが。
ともあれ、今までは重要な血筋の者だからということでヌーラは働かず、遊んで暮らすことが出来た。
しかし、当然ながらレイ達にそんなことを許すつもりはない。
……いや、レイの所持金や、まだ換金していないモンスターの素材がミスティリングには大量に入っているので、もしレイがその気になればヌーラを今までと同じ生活……いや、それどころか今まで以上の生活をさせることは可能だろう。
だからといって、レイはそのようなことをするつもりはなかったが。
レイがヌーラのことを気に入っているのは間違いないが、だからといってわざわざ自分の財産を使ってヌーラを遊んで暮らすようにする意味はない。
「むぅ……働くのか……」
「あのな、俺が言うのもなんだけど、働くというのは普通のことだぞ」
「なんで『俺が言うのもなんだけど』なの? レイは普通に……というか、普通以上に働いてるでしょう?」
レイの言葉に疑問を抱いてマリーナがそう口を挟む。
実際、こうしている今も穢れの関係者の拠点を家捜しするという仕事をしているのだから、マリーナの言葉は決して間違っている訳ではない。
穢れの関係者について以外にも、それこそギルムの増築工事においては、当初レイがいなければ仕事が回らないのではないかと言われる程に、レイに頼りきりだった。
それ以外にもレイは多くの依頼を……それも普通の冒険者では到底達成出来ないだろう依頼をこなしているのを、元ギルドマスターのマリーナは知っている。
改めてマリーナにそう言われると、レイもそういうものかと納得してしまう。
レイにしてみれば、自分が仕事をしているという実感よりも、好き放題に暴れている、もしくは動いているという実感の方が大きかった。
だからこそ、レイの口からは『俺が言うのもなんだけど』という言葉が出たのだろう。
「そう言われると、喜んでいいのかどうかちょっと分からないけど……とにかくだ話を戻すぞ。ヌーラが正式に穢れの関係者からこっちに寝返るのなら、恐らく色々と仕事をすることになると思う。具体的にどういう仕事をするのかは分からないけど」
レイが見たところ、ヌーラは特に何かに秀でているようには思えない。
別にレイには相手の才能を見抜く目がある訳でもないので、その意見はあくまでもヌーラの身体の動かし方から予想してのものだったが。
純粋に身体の動かし方を見る限りでは、ヌーラは戦闘訓練を受けているようにも思えないし、特に身体を鍛えているようにも思えない。
冒険者になろうとしても、かなり厳しいだろう。
……もっとも、ヌーラが冒険者になりたがるかどうかは、また別の話だが。
「ぬぅ……働いたら負けのような気がする」
「おい」
ヌーラの口から出た言葉に、レイは思わずといった様子で突っ込む。
まさか今のこの状況でそんな言葉が出て来るとは、レイも思わなかったのだろう。
「ああ、いや。もうそれしか道がないのは分かっている。このままここにいても、私達の情報を漏らした以上、私がどうなるかは考えるまでもなく明らかだし」
そう言いながらもヌーラは悩んだ様子を見せ……
「分かった。レイ達に寝返る」
数分の葛藤の後、そう告げる。
「え? いいのか?」
寝返るように話の流れを作ったレイだったが、それでもまさかこうしてすぐに……数分の葛藤程度で決めるとは思ってもいなかったらしい。
驚きの視線を向ける。
「ああ、さっきも言ったが、他に選択肢はない。……いや、実際にはあるかもしれないが、結局のところレイ達に寝返るのが私にとっては一番いいと判断した」
例えば、もしヌーラが何かレイ達を倒す手段でもあれば、そのような選択肢も考慮に入れられただろう。
だが、そのような手段はない。
穢れの関係者の中で重要な血筋の男だが、穢れを使うことは出来ないのだ。
……もっとも、もし穢れを使えるようになっても、レイにしてみればそれに対処する方法はあるのだが。
トレントの森でレイが倒してきた穢れの数は、十匹や二十匹では利かない。
「分かった。なら……取りあえずここから出てギルムに戻るまでは、お前の身の安全は保証する。場合によっては、オーロラの見張りをして貰うかもしれないが、それでも構わないか?」
「私が、見張りを?」
まさか自分が見張りをさせられるとは思っていなかったのか、ヌーラの口から驚きの言葉が出る。
レイにしてみれば、使えるのなら親でも使えと言われているように、寝返った敵であっても使えるのなら使うつもりだった。
もしこれで、ヌーラが何らかの危険な力でも持っていれば、レイも少しは警戒しただろう。
しかし、幸か不幸かヌーラは魔法も使えない、スキルも使えない、穢れも使えない。
武器を渡せばそれは使えるかもしれないが、レイの予想ではそれは寧ろ武器に使われていてもおかしくはなかった。
そんなヌーラだけに、ある程度は安心して手伝って貰うことが出来た。
「ああ。さっきも言ったが、こっちに寝返った以上、遊んで暮らせるとは思わないことだ」
それなりに情報を持っていれば、話は別かもしれない。
しかし、ヌーラが持っている情報はそこまで重要度が高くない。
本拠地と思わされ、実際の本拠地とは全く違う場所に連れて行かれるといったことをされているのを思えば、レイの予想はそんなに間違っていない筈だった。
「分かった」
ヌーラも自分の立場は決して良好なものではないのは理解しているのか、レイの言葉に素直に頷く。
そうして話が決まると、レイは改めてヌーラに向かって言う。
「じゃあ、これからオーロラに色々と聞いて、それが終わったら気絶させてここから脱出する。この洞窟でやるべきことは、もう大体終わったしな」
「何? もう終わったのか?」
レイの言葉はヌーラにとって予想外だったのか、そう言う。
ヌーラにしてみれば、この洞窟の中にかなりの人数がいるのは理解している。
そんな中でやるべきことを、もう終わったと言うのだから。
実際には、まだやろうと思えば他にも色々とやるべきことはある。
しかし、それでもやるべき最優先のこと……穢れの関係者の本拠地のある場所を見つけるということや。穢れの関係者の中でも結構な地位にいるだろうオーロラを確保することにも成功した。
それだけではなく、ヌーラという結構な血筋の者を寝返らせるという予想外の結果も得た。
ここでもっと何らかの利益をと考えて行動すると、それによって何らかの失敗をする可能性もあった。
「ああ。全てを完全にという訳でもないけどな。ここで欲張ると面倒なことになりかねないし。ヌーラもそういうことになるのは嫌だろう?」
レイ達に寝返るという決断をしたヌーラだったが、もしそれが洞窟にいる他の者達に知られたら、どうなるか。
間違いなく裏切り者と呼ばれるだろう。
見ず知らずの相手、もしくは軽い知り合い程度の相手にそのように言われるのならまだしも、よく見知った相手……しかも自分が妖精のニールセンを見つけて、それを捕獲しようとして連れ出した多くの者を殺してしまい、それを行った相手に寝返るということになれば、それを洞窟の住人達に知られたくないと思うのはおかしくない。
そう判断し、ヌーラはレイの言葉に素直に頷くのだった。