3296話
オーロラの家に近付いた、マリーナとニールセン。
だが、予想外のことに何らかの罠の類もなければ、襲撃してくるオーロラの部下もいない。
(おかしいわね。オーロラの性格なら、万が一に備えてもおかしくはないと思うんだけど。それとも、岩の幻影にそこまで自信があったとか? 実際、あの岩の幻影は本物と見間違うくらいには高度な幻影だったし)
岩の幻影については非常に高度だったものの、だからといってそれだけに防衛を任せるというのは、マリーナが知っているオーロラの性格からは考えられない。
勿論、マリーナもオーロラの性格を全て知っている訳ではないが。
実際にマリーナが知ってるオーロラの性格は、ヌーラから聞いた情報と、短時間ではあるが直接オーロラに接しての経験からしか知らない。
ヌーラはオーロラに嫌われていたのを自分でも知っていたので、当然ながらオーロラに決して好意的ではなかっただろう。
下手にオーロラが美人だった分、余計にオーロラに対して思うところがあってもおかしくはない。
それだけに、ヌーラから教えて貰ったオーロラの説明についてはマリーナは素直に信じる訳にはいかなかった。
かといって、オーロラと接した短時間でその性格を完全に理解しろというのは、それはそれで難しい。
(出来ればこのまま全てが上手くいけばいいんだけど)
そんな風に思いながら、マリーナはニールセンと共に家の扉に手を伸ばし……あっさりと扉が開く。
「え?」
さすがにこれはマリーナにとっても予想外だったのか、思わずといった様子で声を出す。
それこそ僅かにでも知っているオーロラの性格を考えれば、出掛ける時に鍵もかけないとは思えなかったのだ。
「あれじゃない、ほら。最初はヌーラを捜しにきたんでしょう? なら、急がないと不味いと思ったとか」
「それは……でも、ヌーラを人質にした時、あっさりと見捨てたわよね?」
「私の方を優先したんでしょうね」
そう言うニールセンは、どう反応すればいいのか微妙な様子を見せている。
ニールセンにしてみれば、オーロラは苦手な相手だ。
それだけに、そのオーロラが自分を……正確には自分の心臓を欲していると言われても、決して好ましいことではなかったのだろう。
「妖精の心臓ね。あの様子を見ると、ニールセンの言ってるように急いで鍵も掛けないでそのまま……というのは考えられるかしら」
妖精の心臓という言葉に、ニールセンの表情が嫌そうなものになる。
自分の身体の一部……それも心臓を欲しているのを許容出来るかと言われれば、それは否だ。
それでも今はとにかくこの屋敷の中を確認する必要がある以上、そんなことを言ってはいられなかったが。
「取りあえずとっとと手掛かりを探しましょう。二手に分かれて探した方がいいわよね?」
「え? 本気?」
マリーナの提案は、ニールセンにとって意外なものだった。
この家の中には恐らく誰もいない。
いないだろうが、それでも色々と探している時に何らかの罠に引っ掛かったり……それこそ、場合によっては穢れを使って何らかの罠を用意している可能性が十分以上にある。
だからこそ、そんな万が一を考えればニールセンとしてはマリーナと一緒に行動したかった。
これがあるいは、オーロラの家ではなくもっと別の人物の家なら、ニールセンもそこまで気にしたりはしなかっただろう。
だが、それでも今の状況を思えば、それも仕方がないかと思い直して頷く。
「仕方がないわね。早いところ何らかの手掛かりを見つけてレイと合流した方がいいでしょうし。分かったわよ。マリーナの意見に賛成するわ」
「ありがとう。じゃあ、私は向こうから調べていくから、ニールセンは向こうから調べてきてくれる? 何かそれらしい物を見つけたら呼んでちょうだい」
「呼べばいいのね。けど……一応言っておくけど、私は身体が小さいから大きな荷物の後ろに隠されている何かとかがあった場合、対処するのは難しいわよ?」
「そういう場所は後で私が調べるわ。ニールセンでも調べられる場所は多いでしょうし、そういうのを先に調べておいて貰えるだけで助かるわ」
部屋の中がどのようになっているのかは、まだ調べていない以上は分からない。
分からないが、それでもニールセンでも調べられる場所を調べておいて貰えれば、マリーナが調べる時にかなり楽になる。
そう言われれば、ニールセンも反対することは出来ない。
ニールセンにしてみれば、オーロラの家にはあまり長くいたくはないのだから。
自分が頑張ることで少しでも早くこの家から出ることが出来るのなら、それで頑張らないという選択肢はニールセンにはない。
「じゃあ、早速始めましょう。マリーナも頑張ってね」
そう言うと、ニールセンはマリーナから自分が調べるように指示された方に向かう。
マリーナはそれを見送ると、自分もすぐにやるべきことをやる。
オーロラの家は他の家よりも広いものの、それでも一階建てだ。
しかし、その分部屋の数は多い。
「レイが頑張ってるんだし、ここで私がやる気を失う訳にはいかないわよね」
まずは家の中でも端にある部屋から調べることにして、扉に手を伸ばす。
この家の扉ですら鍵が掛かっていなかったのだから当然かもしれないが、マリーナが開けた扉も鍵は掛かっておらず、あっさりと扉が開く。
「……寝室ね。あまり気は進まないけど、調べておきましょうか」
部屋の中にはベッドだけが置かれている。
本当に寝るだけの部屋という表現が相応しい。
調べる場所そのものはそう多くはないが、それでも皆無という訳でもない。
まずマリーナが近付いたのは、ベッドの上……枕のある部分。
枕の下や敷き布団の下といった場所を確認してみるが、そこには何もない。
ならばベッドの下はと見ると……何かがあった。
「これは……」
マリーナが着ているのはパーティドレスだ。
それこそ着慣れているマリーナなら、パーティドレスを着たままでも戦闘が出来る。
しかし、ベッドの下を調べるのに向いている服装かと言えば、頷く者は非常に少ないだろう。
マリーナのパーティドレスは床に触れて汚れてしまう。
マリーナはそれを気にもせずベッドの下に手を伸ばし……
「長剣……いえ、魔剣ね。いざという時の為に隠しておいたかもしれないけど、そのいざという時に持っていなければ意味はないわよね」
そう言うマリーナだったが、オーロラにしてみれば妖精を追っていったヌーラが戻ってこないので、それを捜しに行ったのだ。
まさかそこにレイやマリーナといった存在がいるとは、想像もしていなかっただろう。
岩の幻影にそこまで自信があったのか、あるいは穢れの使い手がいれば侵入者がいても即座に倒すことが出来ると思っていたのか。
その辺は生憎とマリーナにも分からなかったが、とにかく魔剣を手に入れたことは悪い話ではない。
「問題なのは、これが具体的にどういう効果を持つ魔剣かということよね」
マリーナも長く生きているだけあって、マジックアイテムにはそれなりに詳しい。
だが、それでもこの魔剣が具体的にどういう効果を持っているのかはちょっと調べただけでは分からなかったし、すぐに調べるのなら実際に使ってみた方がいい。
今この場で使う訳にもいかないので、取りあえず確保だけしておくが。
(レイが喜ぶでしょうしね)
マリーナもレイがマジックアイテムを集めているのは知っている。
そんなレイに魔剣をプレゼントすれば、間違いなく喜んでくれるだろう。
もっとも、プレゼントする前にどういう効果を持つ魔剣なのかは確認しておく必要があったが。
「けど……ちょっと邪魔よね。資料とかそういうのを見つけても、この魔剣があるとあまり持っていけないでしょうし」
それでも見つけた書類の数を厳選すればどうにかなるかもしれないし、本当にどうしようもないのなら、それこそ魔剣をその辺に捨てていけばいい。
そう判断したマリーナは、魔剣を手に他の場所も調べていく。
だが、ベッドの下には魔剣以外に何もない。
「そう言えば、この魔剣……もしオーロラが眠っている時に襲撃された時に使うのなら、ベッドの下じゃなくて枕の下とかに隠しておくのが普通だと思うんだけど。何故ベッドの下にあったのかしら」
マリーナから見ても、オーロラは美人だ。
そんな美人を相手に、男の欲望を抑えられなくなったり、暴走したりといった事になってもおかしくはない。
そんな者達がオーロラの寝込みを襲う――暗殺的な意味ではなく夜這い的な意味で――かもしれず、それに対処する為に魔剣を使うとしたら、その魔剣をベッドの下に置いておくのはマリーナにとって疑問だった。
とはいえ、この辺の予想はあくまでもマリーナの考えでしかない。
実際にはもっと何か別の理由があって、魔剣をベッドの下に隠していた可能性も否定出来ない。
だからといって、それが分からない以上はどうしようもないのだが。
「とにかく他には特に何もなし……と」
寝室の中には、魔剣以外に特に何か怪しい物はない。
それでも魔剣を入手出来たのは、マリーナにとって嬉しい誤算だった。
(オーロラは敵対している相手だし、そのオーロラが持っていた魔剣は私が奪っても構わないわよね?)
そう考えつつ、マリーナは魔剣を手に寝室を出る。
次に向かうのは、寝室の正面にある扉。
こちらも他の扉と同じく鍵は掛かっていないので、あっさりと開けることに成功するが……
「台所、ね。一応調べる必要もはあるかしら」
保存の利く食材や、調理器具、竈、薪……それ以外にも色々と置かれてはいるが、その多くがしっかりと使い込まれていた。
これはつまり、オーロラは自炊をするタイプだったということだろう。
クールビューティと評するのが相応しいオーロラの顔を思い出し、マリーナはオーロラの意外な一面に驚く。
もっとも別にオーロラが料理をしていても、そんなにおかしな話ではないのだが。
ただ、マリーナはオーロラの性格から、料理をするタイプとは思えなかったのだろう。
とはいえ、それはマリーナにも言えることだ。
何も知らない者が客観的に見た場合、マリーナは非常に強い女の艶を持つ人物で、料理をするタイプには見えない。
だが実際には、マリーナの家で出される料理は基本的にマリーナが作ったものだ。
そういう意外性は、その話を聞いた者にしてみれば意外に思うだろう。
「探すのが大変そうね」
台所には多くの棚がある。
そのような場所を全て調べる時間的な余裕はない。
それでも調べない訳にはいかない。
(こういう場所に書類が隠されているとは思えないけど、意表を突いて……ということになってもおかしくはないし)
不満を抱きつつ、調べていく。
その結果分かったことは、オーロラの家にはそれなりに多数の食料が備蓄されているということだ。
これが洞窟を任されている人物だからなのか、それとも洞窟に住んでいる全員に十分な食料が渡っているのか。
マリーナにはその辺は分からなかったものの、どこかに書類がないかどうかといったことを調べていく。
「ないわね」
完全に台所を調べたという訳ではないが、それでも大体の場所を調べたにもかかわらず、そこには何もなかった。
そうして台所を出たところで、不意にニールセンの声が聞こえてくる。
「マリーナ、ちょっと来て! それらしいのがあったんだけど!」
「すぐに行くわ!」
その声に、マリーナは即座に声のした方……ニールセンのいる方に走り出す。
とはいえ、この家は他の家よりも多少広い程度だ。
走って数秒程度で声の聞こえてきた部屋の前に到着する。
(そう言えば、ニールセンはどうやって扉を開けたのかしら?)
本当に今更のことを考えつつも、マリーナは声の聞こえてきた部屋の中に入る。
するとそこは、机があり、椅子があり、本棚があり、まさにオーロラの執務室と呼ぶべき場所だった。
「マリーナ、こっちこっち!」
机の上にいるニールセンが、マリーナを見て叫ぶ。
机にある引き出しが幾つか開いており、そこには何枚もの紙がある。
ニールセンが見つけたのは、その書類だろう。
マリーナに向けて自信満々といった様子で胸を張るニールセン。
「どう? マリーナが探していたのはこういうのでしょ?」
「ちょっと待って。確認するわ。どちらにせよ、お手柄よ」
そう言い、マリーナは書類を手に取り目を通す。
出来ればじっくりと読みたいところだが、今は少しでも早く情報を集める必要があった。
だが、元ギルドマスターというのは伊達ではない。
日々多くの書類が提出され、それをしっかりと読んで問題ないかどうかを確認するのがギルドマスターの仕事の一つだ。
それだけに、マリーナが書類に目を通す速度は速く……
「これね」
やがて書類に目を通したところで、そう呟くのだった。