3291話
妖精の心臓についての話は、レイにとっても収穫だった。
もっとも、収穫ではあるが妖精の心臓を穢れの関係者に入手させないようにするにはどうすればいいのかという問題もあったが。
現在判明しているだけでも、トレントの森にある数多の見えない腕が長をしている妖精郷と、穢れの関係者の拠点となっていた山小屋の近くにあった降り注ぐ春風が長を務めている妖精郷。後は妖精郷そのものはどこにあるのか分からないが、以前闘技大会や内乱の件でベスティア帝国に行く際に遭遇した妖精達の長もいる。
もっとも前二つはともかく、最後の偶然遭遇した妖精達やその長とはそれ以降全く会っていないので、もう一度会えるとは限らないのだが。
(あ、いや。でもそうだな。降り注ぐ春風が数多の見えない腕に連絡をしてきたことを思えば、妖精郷の間には何らかの連絡の手段があるのは間違いないんだよな。なら、穢れの関係者と遭遇しないようにすれば……とはいえ、連絡は妖精が直接移動しているから、すぐに情報を行き渡らせるのは難しいか? ネットとかそういうのがあれば便利なんだけど。それに、妖精だし……)
妖精というのは、良くも悪くも強い好奇心を持つ。
穢れの関係者が危険な相手で、妖精の心臓を狙っていると説明しても、それを聞いて大人しく穢れの関係者に接触しないように引っ込んでいるかと言われれば……レイは首を横に振るだろう。
それこそ穢れの関係者というのがどのような存在なのか、好奇心から妖精達が動く可能性は十分にあった。
もしそうなれば、穢れの関係者にとって有利な事態になるかもしれない。
妖精達にしてみれば、自分達が殺されるかもしれないという思いを抱くのかどうかは分からないが、それでも万が一という可能性は否定出来ないものがあった。
「それで、私をどうするのかしら?」
沈黙するレイに対し、オーロラはそう尋ねる。
オーロラにしてみれば、この状況で自分がどうなるのかは分からない。
だが、レイと話している間に覚悟を決めた今、もしこの場で自分が殺されても、それはそれで構わないという思いがあったのも事実。
レイもあっさりとオーロラを殺すのは勿体ないという思いがある。
それは何も、オーロラが美人だからそのように思っている訳ではない。
もしオーロラが筋骨隆々の男であっても、今の状況で殺すのは勿体ないと思っただろう。
何しろオーロラは、穢れの関係者の中でも高い地位にいる人物なのだ。
そうである以上、もっと知っている情報を引き出した方が有益ではないかと、そう思う。
とはいえ、同時にここで大人しく尋問に答えるとは思えなかったが。
今のところは期待した情報を入手出来ていない。
具体的には、穢れの関係者の本拠地がどこにあるのかという情報を聞き出せていないのは大きい。
(かといって、迂闊に引き渡したりも出来ないんだよな)
引き渡す相手としてすぐに思いつくのは、ギャンガを引き渡したブレイズ達だろう。
だが、ブレイズ達と遭遇した森……降り注ぐ春風の妖精郷がある森とここでは結構な距離がある。
それ以外にもブレイズ達は既にギャンガを連れてあの森を引き払っている筈だった。
(奴隷の首輪があればな)
今更ながらにそう思うも、基本的に奴隷の首輪は厳しく管理されている。
異名持ちのランクA冒険者のレイであっても、入手しようとして簡単に入手できる物ではない。
また、ブレイズは自信満々だったが、穢れというのは普通の魔力ではなく悪い魔力だ。
奴隷の首輪によって使わないようにと命令をしても、それが本当に効果があるのかも分からない。
「取りあえず生かしておく」
「あら、意外ね。もう情報を聞き出すことが出来ないんだから、ひと思いに殺すのかと思ったのに。もしくは私を慰みものにするか。……まぁ、レイが連れているのは美人だし、そういう目的はないのかもしれないけど」
そう言い、オーロラは唯一自分から見えるマリーナに視線を向ける。
ヴィヘラもいるが、オーロラの後ろにいるので、わざわざ視線を向けたりはしないのだろう。
「随分と自分を安売りするのね。貴方くらいに美人なら、それこそ言い寄っている人も多いでしょうに」
マリーナから見ても、オーロラは間違いなく美人だ。
そんな美人が自分を慰みものにするのを認めるかのようなことを言うのだから、それに疑問を持ってもおかしくはなかった。
「貴方のような美人にそう言われても、嫌味にしか聞こえないわ。私はそれなりに顔立ちが整っている自覚はあるけど、それをこの場で使うのは悪い話ではないでしょう」
「いや、それを俺に言ってる時点でどうかと思うんだがな。……まぁ、取りあえず今の時点でお前がこれ以上の情報を口にするつもりがないというのは分かった」
「なら、どうするつもりなのかしら?」
「お前から情報を入手出来ないのなら、別の場所から情報を入手すればいい」
「……ヌーラが何も分からないのは、貴方も知ってるでしょう?」
「そうだな。ヌーラは何も知らない。けど、ヌーラ以外の者なら知ってるかもしれない」
そう言いつつも、レイの目的は他の人物……洞窟に住んでいる者達から情報を聞き出すというものではない。
オーロラがこの洞窟を任されていたのだとしたら、何らかの書類の類が残っている可能性は高い。
そして書類には、本拠地に関する何らかの情報が書かれている可能性は十分にあった。
勿論、それはあくまでもレイの予想であって、絶対にそうだとは限らない。
もしかしたらその手の情報はないかもしれないし、あるいは情報があっても暗号で書かれている可能性も否定出来なかった。
実際にその場所を知っているオーロラから情報を聞き出すのが最善なのだが、それが出来ない以上は別の場所に手掛かりを見つけるしかない。
「そんな訳で、俺はちょっと家捜ししてくるから……マリーナは俺と一緒に来てくれ。ヴィヘラはここでオーロラを見てて欲しい」
「え? ちょっと、私を置いていく気?」
まさかここで自分が置いていかれるとは思っていなかったのか、ヴィヘラが驚きの声を発する。
とはいえ、レイにしてみればここで自分がマリーナと一緒に行き、ヴィヘラをここに残すのは当然だった。
「しょうがないだろう。もしオーロラが穢れを使って逃げ出そうとした場合、それを止められるのはヴィヘラだけなんだし」
実際にはレイも穢れに対処出来るものの、その場合は魔法を使う必要がある。
そうなるとどうしても呪文の詠唱に時間が必要となる以上、浸魔掌で即座に攻撃出来るヴィヘラがオーロラに対する見張りとしてここに残るのはレイの中では既定事項だ。
「……殺した方がよくない?」
自分がここに置いていかれるくらいなら、オーロラを殺した方がいい。
そう言うヴィヘラだったが、その言葉を聞いたオーロラは特に驚いたり怖がったりする様子は見せない。
最終的には自分は殺されないと思っているのか、それともここで自分が殺されても問題はないと思っているのか、はたまたそれ以外に何か思うところがあるのか。
生憎とレイにはその辺の理由は分からなかったが、ヴィヘラの言葉に首を横に振る。
「オーロラは生かしておいた方が便利だ」
そうである以上、オーロラの見張りはヴィヘラしかいないのはどうしようもない事実だった。
「でも、ヌーラからの情報だと他にもまだ穢れを使う人がいるかもしれないんでしょう? なら、私が必要じゃない?」
「そうかもしれないが、それでもオーロラと比べると重要性は明らかにこっちの方が上だ」
「……なら、殺さないにしても、気絶させてしまえばいいんじゃない?」
「それも駄目だ、気絶させたとして、いつ目覚めるか分からないだろ」
続けざまに反論するヴィヘラだったが、レイはそれを次々に封じていく。
そんなレイに、最終的にヴィヘラは黙り込んでしまう。
何を言ってもレイはヴィヘラをオーロラの見張りとしてこの部屋に残すことを前提として話していると、そう理解してしまったのだ。
「ヴィヘラ、言うまでもなくこの洞窟の中で最強なのはオーロラだ。そのオーロラが倒されて、他の穢れを使う連中もその多くがさっきの戦いで死ぬなり、気絶するなりしている。そう考えると、ヴィヘラが洞窟を進んでもそこに歯ごたえのある奴はいないと思うぞ?」
「それは……」
レイの言葉に、ヴィヘラは何も言えなくなる。
実際、この洞窟の中にいる中で最強なのはオーロラだと聞いている。
そのオーロラがこうして捕まっている以上、他に残っている者達がどれだけ強いのかは微妙なところだろう。
勿論、実はオーロラよりも強いが何らかの理由で実力を隠している者もいるかもしれない。
しかしそのような相手が本当にいるかどうかと言われれば、ヴィヘラなら可能性はそう高くない。いや、かなり低いと答えるだろう。
そもそもオーロラよりも強いのに、その実力を隠す意味が分からない。
何らかの秘密の任務を上層部から指示されており、オーロラもそれを知らないということになる可能性もあるのだろうが。
それでもそのような者がいるかいないかとなると……考えるまでもない。
「しょうがないわね」
最終的にヴィヘラはレイの言葉を素直に聞くことにする。
ヴィヘラが求めているのは、あくまでも戦いであって蹂躙ではない。
オーロラ程の強さを持つのならまだしも、以前戦ったギャンガと同程度の相手とは、戦っても全く楽しくない。
そんなヴィヘラにレイは悪いなと小さく呟いてから、マリーナと共に部屋の外に出る。
なお、レイが外に出たということは、ドラゴンローブの中に逃げ込んでいたニールセンもレイと一緒に部屋の外に出たということになってしまう。
(とはいえ、オーロラを苦手にしているニールセンが、この部屋の中に残るとは思えないけど)
そうレイは考えたし、実際にドラゴンローブの中にいるニールセンからも自分が部屋の中に残るといった意思表示はない。
「レイか」
扉から出て来たレイを見て、ヌーラがそう口に出す。
ヌーラにしてみれば、気が付いたらいつの間にかここにいたのだ。
それでも混乱していないのは、あの状況で生きていたので自分が殺される心配はないと判断していたのだろう。
「無事なようで何よりだ」
「……私を人質にした人物が口にするようなことではないと思うがな」
ヌーラにしてみれば、自分の知ってる限りの情報を口にしたのに、オーロラに対する人質にされてしまったのだ。
その上、オーロラからはあっさりと見捨てられている。
そのような状況に機嫌がいいとは到底言えない状況だった。
「そうか? なら、好きにすればいいと思うぞ」
「それは少し冷たいんじゃないか?」
不満そうなヌーラだったものの、レイにしてみればヌーラから引き出せる情報はもう殆ど引き出し、オーロラに対する人質としても使えない。
また、穢れを使える訳でもない。
そのようなヌーラは、レイにとってもう役立たずと言うべき存在だった。
ヌーラはレイの様子を見て、微かに眉を顰める。
レイの態度があからさまだったのもそうだが、自分に対してどのように思っているのかを理解したのだろう。
「レイ、行きましょう。結構時間が経ってるし、オーロラがいなくなったことで洞窟の中が騒動になるかもしれないわよ」
「そうだな。騒動になるよりも前に、手っ取り早く行動する必要があるし」
オーロラはこの洞窟を任されているだけあって、多くの者に慕われている。
そんなオーロラがヌーラを追って……もしくは妖精を追って出発してから、それなりの時間が経っていた。
オーロラが戻ってこないのを疑問に思い、捜しに来る者がいないとも限らない。
あるいは不安に思って、動揺して騒動が起きるといった可能性もある。
そのようなことにならないようにする為、レイはマリーナと共にその場を後にする。
ヌーラはそんなレイに向かって何かを言おうとしたものの、ここでそのようなことを言ってもレイがそれを素直に聞くとは思えなかった。
「それにしても、オーロラがあそこまで頑なだとは思わなかったな」
「そう? 最初のうちは人質が効果的に見えたじゃない。……もっとも、話している途中で気分が切り替わったというか、吹っ切ったみたいだったけど」
「そうなんだよな。一体何があってああなったのやら。最初の人質について苦しんでいたのなら、ある程度の情報は聞き出せるかと思ったんだが。……後はオーロラの書斎か何かそういう場所を探し本拠地の情報を入手するしかないだろうな」
「……あると思う?」
「普通に考えればあると思う。ただ、穢れの関係者を普通と評してもいいのかどうかは、正直微妙なところだけど」
そんな風に会話をしながら、レイはマリーナと……そしてドラゴンローブの中にいるニールセンと共に洞窟を進むのだった。