3290話
自分達の自殺に巻き込まれる方はたまったものではない。
そう言うレイに、オーロラは冷静という言葉をどこかに投げ捨てたかのように口を開く。
「勘違いしないでちょうだい。私達が望んでいるのは、この世界の破滅よ。私達だけで自殺をしたい訳じゃないわ」
「……何でだ? 死ねばもうこの世界のことについて考えたりする必要はない筈だ。なら……」
「だから勘違いしてると言ってるのよ。そうね、この世界が終われば私達も終わる。それは間違いじゃないわ。けど、だからといって私達が死ぬのが目的ではない。……そうね、こう言えばいいのかしら。私達だけが不幸を背負って死ぬのは我慢出来ない。どうせなら、この世界そのものを巻き込んで死ぬのよ」
「……うわ……」
オーロラの言いたいことを理解したレイの口からは、そんな声が出た。
当然だろう。自分達が不幸なまま死ぬのは嫌だから、この世界に生きている者達をも巻き添えにするというそれは、世界規模の無理心中とでも呼ぶべきものだ。
レイにしてみれば……いや、レイ以外の多くの者にとっても、そんな大規模な無理心中に巻き込まれるのはごめんだというのが正直なところだろう。
そんなレイの様子を見て、オーロラは鼻で笑う。
自分達の望みが普通の者達に受け入れられないのは理解している。
そういう意味で、今のレイの反応は特に気にする必要もないと判断したのだろう。
オーロラの様子に、その全てを理解した訳ではないにしろ、それでもレイは何故かオーロラが半ば優越感に浸っているのを理解する。
具体的に何がどうなってそのように思うようになったのかは分からないが、それでもオーロラの中には決して譲れない何かがあり、それに対してレイが何かを言っても意味はないのだろうというのは予想出来てしまう。
だが……そんなオーロラの様子を理解しつつ、同時にレイは疑問を抱く。
「お前の考えは分かった。けど、この世界が崩壊したら、当然だがこの洞窟の中にいる連中も同時に死ぬことになると思うんだが。お前はそれでも構わないのか?」
「……そうね。それは残念に思うわ。けど、この洞窟にいるのは、私以外も……いえ、ヌーラ以外の者はその多くが外で理不尽な目に遭ってきた人達なの」
「つまり、この世界が崩壊するのに自分達が巻き込まれても問題はないと?」
レイの問いに、オーロラは無言で返す。
ただ、その口元に笑みがあるのを思えば、何を言いたいのか、どのように思っているのかは明らかだった。
レイとしては決して共感出来ないような何かがあるのは、間違いないだろう。
(とはいえ、その割には洞窟の住人を人質にすると言うと、動揺してるんだよな。世界の崩壊と共に死ぬのなら、別にそこまで気にするようなことはないと思うんだが。それとも、世界の崩壊によって死ぬのはいいけど、それ以外の理由で死ぬのは嫌だとか、そういう感じだったりするのか?)
レイにしてみれば、死ぬのならどうせ一緒だろうと思う。
しかし、それは将来的に老衰で死ぬのだから、今ここで死んでも構わないだろうと、そのように言ってるようなものだった。
少なくても、オーロラにレイがそのように言えば、同じような言葉が返ってくるのは間違いない。
「つまり、お前は尋問を……いや、拷問されても何も言わないと?」
そう言いながら、レイはミスティリングからデスサイズを取り出すとオーロラに刃を突きつける。
決して広くはない部屋の中だったが、レイにとってこの程度の広さの中でデスサイズを使うのは難しい話ではない。
デスサイズの刃を付けられたオーロラは、しかしその表情に動揺の一つも見せずに口を開く。
「そうね。何も喋るつもりはないわ」
「……世界を無理心中に巻き込むような真似をして死のうとしているお前が、ここで俺に殺されるようなことになってもいいのか?」
「よくないわ。けど、そうなったらそうなったで仕方がないという思いがあるのも事実なの。私にしてみれば、この世界に復讐出来るだけで十分に満足だもの。最悪、私が死んだことによって世界への復讐が行われるのなら、それを受け入れてもいいと思うわ」
そう言うオーロラは、自分の目の前にある鋭い刃を見ても特に動揺した様子は見せない。
今のこの状況において、本当の意味で自分に危害を加えられるとは全く思っていないのか、それとも拷問されても自分なら耐えられると思っているのか。
その辺りの理由は生憎とレイには分からなかったものの、それでも今の状況を思えばレイもここで迂闊に力を振るうことは出来なかった。
開き直った尋問対象程、厄介な相手はいない。
(さて、どうするべきだ?)
そう思いながら、取りあえずこれ以上オーロラを脅しても効果はないと判断し、デスサイズをミスティリングに収納する。
それを見ても、オーロラは特に驚いた様子はない。
レイがアイテムボックスを持っているというのは、比較的知られている情報の一つだ。
レイをレイだと認識した時点で、そんなことで驚く必要はないと思ってもおかしくはない。
(問題なのは、こうして俺達と話している中でオーロラの中の覚悟が決まってしまったということだろうな。最初は洞窟の住人を人質にするというのは効果があった筈なのに、今はもう違う。……いや、その件について悔しく思うのは恐らく間違いないだろうけど、それでも割り切ってしまう)
最初と違い、今ここで洞窟の住人を殺すとレイが口にすれば、オーロラは怒り、悲しむだろう。
だが、それと引き換えに組織の情報を教えろと言っても、恐らく……いや、ほぼ間違いなく喋らない。
どうしたものか。
そう思った瞬間、不意に扉の外から大きな声が聞こえてきた。
『よ、妖精だと!?』
それが誰の声で、何を見てそのように叫んだのか、すぐにレイは理解する。
いや、レイだけではない。マリーナやヴィヘラもまた同様にその言葉の意味を理解した。
(ヌーラ、目が覚めてたのか。大人しいから、てっきりまだ気絶したままだと思ってた)
レイの予想では、もう数時間くらいは気絶していると思っていたのだが。
ヌーラが持つ頑丈さは、ある意味でレイの予想を超えていたのだろう。
オーロラも今の叫びが誰のもので、一体何を見て叫んだのかというのは理解しているのか、扉の方に視線を向けていた。
オーロラを含めて部屋の中にいた者達が扉に視線を向けていると……やがてその扉が、微かにだが開く。
「生きてる捕虜は全員縛った……ぴぃっ!」
自慢げに捕虜を縛るのを終えたと言おうとしたニールセンだったが、自分を見ている視線の中にオーロラの視線もあることに気が付き、思わずといった様子で悲鳴を上げる。
ニールセンはオーロラに対して強い苦手意識を抱いてしまうようになったのだろう。
ニールセンが苦手意識を抱いている相手となると、長……トレントの森の妖精郷の長の数多の見えない腕もその一人だ。
だが、それでも長の方はニールセンと友好的な存在でもある。
それに対して、オーロラは違う。
純粋にニールセンの……妖精の心臓を欲しての視線だった。
ニールセンもそれを知ってるからこそ、オーロラを苦手としているのだろう。
オーロラの視線を避けるように、ニールセンはレイに近付くとドラゴンローブの中に入る。
「そう言えば……何でお前達穢れの関係者は、妖精の心臓を欲してるんだ? 何かに使うから、そこまでして妖精の心臓を求めてるんだろう?」
「……組織名は教えたのだから、穢れの関係者などと言わないで欲しいわね」
「組織名がなかったり、ノーネームというのを受け入れろという方が難しいと思うがな」
レイの言葉に、オーロラは自分の言葉が理解されるとは思っていないといった様子で口を閉じる。
そんなオーロラを見て、今のは少し問題だったか? とレイは若干の疑問を抱く。
妖精の心臓を何に使うのか、それを聞く必要があるのに、肝心のオーロラを怒らせてしまったのだ。
(ヌーラに聞けば分かったりしないか? そもそも妖精を捕らえようとしていたのはヌーラなんだし。だとすれば、ヌーラも妖精の心臓をどう使うのか分かるかもしれないし)
そう思いつつも、何となくヌーラとのやり取りから恐らく聞いても知らないだろうと予想出来てしまう。
レイの中で、ヌーラはその血筋からある程度の地位にはいるものの、穢れの関係者でありながら享楽的に暮らすのを重要視しており、組織の重要事項については何も知らないだろうと思っていた。
そもそもレイは既にヌーラから知ってる限りの色々な情報を聞いている。
もしヌーラが妖精の心臓を何に使うのか知っていたら、情報を聞き出した時に言ってるだろう。
「効果があるかどうかは分からないが、一応言っておく。ニールセンがやって来たという事は、さっき話を聞いていたかもしれないが、俺達との戦いの中で生き残っていた連中は縛ってさっきの戦闘が行われた場所に転がされている。もしお前が何も言わないのなら、人質がどうなるのか……言うまでもないよな?」
「……」
レイの言葉を聞いても、オーロラは沈黙を守る。
妖精についての情報をここで言えば、それが自分達にとって致命傷になるかもしれないと、そう思っているのか。
もしそうでなければ……そこまで重要でないのなら、オーロラも妖精の心臓をどう使うのか話してもおかしくはない。
「穢れによって、世界を破滅させるのに必要な素材……かしら?」
そう口にしたのは、レイとオーロラのやり取りを黙って見ていたマリーナ。
今まではレイが尋問しており、オーロラと話すのもレイが主体となっていた。
そんな中でいきなりマリーナがそのように言ったことにより、オーロラはピクリと反応してしまう。
その反応こそが、マリーナの言葉が間違っていない……もしくは完璧な正解ではなくても、それなりに正解に近いということを示していた。
なるほど。妖精の心臓はその辺の素材として使う予定だったのか。
その件については納得出来るものの、だからといってこっちがそれに頷く必要はないのだが。
「どうやら当たりだったみたいだな。お前にとっては、マリーナからそんな風に言われるとは思わなかったみたいだが」
「……ふん。本当にそのように思ってるの?」
オーロラは自分の言葉に極力感情を乗せないようにしながら、そう言う。
何とか自分の失態を隠したいのだろうが、だからといってレイが素直にそのような相手の言葉に引っ掛かる必要はない。
「そうだな。思っているぞ。お前だけじゃない。ヌーラ……はともかく、それ以外の穢れの関係者の中にも、妖精の心臓を欲している者がいた、その連中の必死さを思えば、恐らくマリーナの言葉はそこまで違っていないと思う」
レイが最初に穢れの関係者と遭遇したのは、ボブと知り合った時だ。
その時、ボブを追ってきた穢れの関係者達は、ボブを殺すのを最優先していた筈だったが、ニールセンの姿を見て、ある意味ボブを殺すよりもニールセンの心臓を奪う方を優先しているようにすら思えた。
勿論、だからといってボブを殺すのを諦めた訳ではなかったようだったが。
とにかく、その辺りの理由からある意味でボブを殺すのと同じくらいに妖精の心臓を入手するのを重要だと思っているのは間違いない。
(降り注ぐ春風の妖精郷が、実は穢れの関係者の拠点の一つだった山小屋からそう離れていない場所にあったと知ったら、一体どう思うんだろうな)
レイはもう消滅したその山小屋が、いつから穢れの関係者の拠点だったのかは知らない。
また、降り注ぐ春風の妖精郷がいつから今の位置にあるのかも知らない。
だがそれでも、どちらもそれなりに昔からあったのではないかと予想していた。
つまり、その山小屋を使っていた穢れの関係者達は、そう離れていない場所に妖精郷があるとは全く思っていなかったのだ。
これはある種のコメディではとすら思ってしまう。
(とはいえ、この件をオーロラに話すことは出来ないけど)
オーロラを逃がすつもりはないが、何らかの予定外の事態によって……もしくはオーロラが命懸けでこの場から逃げ出す可能性は十分にあった。
であれば、ここでレイが迂闊に相手に情報を教えた場合、その情報から降り注ぐ春風の妖精郷が穢れの関係者達に襲撃されないとも限らないのだから。
「妖精の心臓か。……俺なら頼まれても欲しくはないな。痛っ!」
呟くレイの言葉に不満を感じたニールセンは、ドラゴンローブの中でレイの身体を抓る。
ニールセンも自分の心臓を奪われたくはないものの、だからといって頼まれてもいらないと言われるのは不満だったらしい。