3286話
オーロラの表情は変わらないものの、その額には脂汗と思しき汗が浮かぶ。
それを見たレイは、このままなら倒せるか? と希望的な観測を抱く。
単純にオーロラを倒すだけなら、それこそ幾らでも手段はある。
だが、今回それを難しくしている理由は、オーロラから穢れの関係者の本拠地……それ以外にも、出来れば色々な情報を聞き出す為に生け捕りにする必要があったからだ。
倒すにも、殺してしまっては意味がない。
だからこそレイはネブラの瞳によって生み出された鏃を投擲していたのだが……その鏃を穢れで防いでいたオーロラの様子がおかしくなってきた。
それはレイの持つ莫大な魔力によって生み出されてた鏃を穢れが吸収したからこその状況。
穢れというのは、レイが長から聞いたように悪い魔力という表現が一番相応しい。
良い悪いはともかく、レイの魔力も穢れも双方共に魔力であるのは違いない。
そうである以上、魔力同士が干渉し合ってもおかしくはなかった。
これが、あるいはレイ以外……その辺の魔法使いの魔力程度なら、穢れもその程度の魔力を吸収したことで限界を迎えるといったことはなかっただろう。
そういう意味では、レイだからこその結果。
持ち前の莫大な魔力での力押しが現在の状況をもたらしていた。
もっとも、本人は何が原因でこのようなことになっているのかは全く理解していなかったが。
(何がどうなって今のような状況になったのかは、俺にも分からない。分からないが、それでも今のこの状況が俺にとって悪くないものではあるのは間違いない。なら、このまま……)
オーロラに対して自分の攻撃が有効なら、その理由は分からないものの、このまま攻撃を続ければオーロラを倒す……それも殺すのではなく、生きたまま倒すことが可能になるのではないか。
そうレイは判断し、投擲する鏃の数を増やしていく。
一方その頃、オーロラと共にこの場に現れた者達は急速にその数を減らしていた。
次々に放たれるヴィヘラの攻撃に地面に倒れていく者達。
頭部や首、心臓……幸運な場合は手足を矢に貫かれる者達。
もっとも、手足を貫かれてもその直後にヴィヘラによる一撃を受け、そのまま地面に崩れ落ちるのだが。
本来ならヴィヘラの一撃だけで気絶するのに、その前に手足を矢で射貫かれている者を、幸運と評してもいいのかどうかは微妙なところだが。
また洞窟の中で密集しているのも、穢れの関係者達にとっては大きく不利に働いた。
穢れは、それに触れた存在は何であっても……それこそ穢れの関係者であっても、無条件で黒い塵にして吸収する。
この狭い場所で穢れを出せば……それもオーロラのように完全に使いこなせているのならまだしも、ヌーラが口にしていた取りあえず使えるといった程度の者にしてみれば、このような密集している場所で穢れを出して、上手く使える筈もない。
実際、何人かの穢れの関係者は味方の出した穢れによって死んだ者もいるし、触れた場所を素早く短剣で切断した結果、死にはしなかったものの指の一本、手足の一本、身体の一部……そのように色々な部位を失ってしまった者もいた。
普通、穢れを相手にして自分から突っ込むといった真似は自殺行為でしかない。
それを上手くやってのけるのは、ヴィヘラの凄さだった。
それでも……と、中には味方に被害を与えようともヴィヘラを倒そうと考える者もいたのだが、そのような者は真っ先にマリーナの弓から射られた矢が貫く。
結果として、オーロラと共に来た者達はその大半が自分の実力を発揮することも出来ず、気絶し、あるいは殺されていった。
穢れを使えば、それこそ場合によっては高ランク冒険者であっても倒すことは出来ただろう。
しかし、ここにいるのは穢れを使えはするものの、あくまでも使えるだけの者が大半だ。
使いこなせる者もいるが、そのような者であってもこうして仲間が密集していては穢れを使うことは難しい。
結果として、ここにいる者達は個人で戦う場合はそれなりに厄介な相手となったかもしれないが、密集している集団戦となると、どうしても劣ってしまうのだろう。
勿論、集団戦の訓練をしている者がいない訳でもないのだろうが、今回は色々な意味で運が悪かった。
ここが洞窟のような狭い場所でなければ、まだそれなりにやりようもあったのかもしれないが。
それでも人数が減れば、自然と空間的な余裕は出来る。
地面には仲間が倒れているので、残った者達の練度では仲間の身体を踏まないように素早く移動しながら戦闘をすることは出来ないが、多くの者が倒れたのなら、ある程度穢れを自由に使える余裕は出来るのだ。
そうしてまだ戦える者の一人がヴィヘラに向けて穢れを放つが……
「はぁっ!」
鋭い叫びと共に、ヴィヘラが浸魔掌を放つ。
それを見た瞬間、穢れを操っている者は勝利を確信する。
手で穢れに触れるということが、一体どのような意味を持つのか。
それは穢れの関係者だけに十分理解していたのだ。しかし……
「え?」
本来なら、穢れに触れたヴィヘラの手が黒い塵となって吸収される筈だった。
なのに穢れに触れたヴィヘラの手は全く異常はなく、それどころか穢れの姿が消えてしまう。
そこに穢れがあったのが嘘のように、砕け散ったのだ。
炎獄を使って捕らえ、餓死……より正確にはエネルギー不足とでも呼ぶような状況になって消えるのや、レイの魔法によって燃やしつくされる時とはまた違った消え方。
一体何が起きたのか、穢れを出した男には全く理解出来なかった。
だが……自分の穢れが消滅したのを見ると、やがてその男には強い衝撃が走る。
「う……うわあああああああああああああああああああああああああ!」
男の口から絶叫と呼ぶべき叫びが出る。
そんな男に、ヴィヘラは驚きの表情を向ける。
一体何故急に叫んだのか、それが理解出来なかったのだろう。
もっとも、少し考えればその理由に思い当たってもおかしくはなかったが。
レイ達には穢れと呼ばれている存在だが、穢れの関係者達は御使いと呼んで敬っている。
そんな自分を守ってくれていた御使いを消滅させられたのだから、それに衝撃を受けるなという方が無理だった。
だが……その悲痛な叫びが事態を更に動かすことになる。
レイからの攻撃を多数の穢れを使って必死に防いでいたオーロラだったが、オーロラの操る穢れの多くがレイの魔力によって生み出された鏃を吸収することによって、既に限界近くなっていた。
それでも何とか意識を集中して、多少なりとも余裕のある穢れを使って投擲される鏃を吸収していたのだが、突然聞こえてきた慟哭に意識の幾らかが割かれてしまう。
オーロラは冷静沈着な性格をしているものの、だからといって部下を思いやる心がない訳でもない。
そのような性格でなければ、結構な人数が暮らしているこの洞窟を任されることはなかっただろうし、他の穢れの関係者に慕われることもなかっただろう。
仕事らしい仕事をせず、遊んで暮らすヌーラに対しては苛立ちを……このような状況になったら、即座に見捨ててもいいと思えるくらいの苛立ちを抱いてはいたようだったが。
そのような性格のオーロラだけに、部下の慟哭を聞いてそれを完全に無視することは出来ず……
「ぎゃっ!」
声の主に多少ではあるが意識が割かれた分、穢れのコントロールが微かにだが疎かになり、オーロラの前にいるレイがそのような隙を見逃す筈がなかった。
生まれた一瞬の隙を逃すことなく、素早く鏃を投擲するレイ。
その鏃は穢れの隙間を通り抜け、オーロラの右肩に突き刺さった。
鏃……つまりそれは矢の先端にある部分でいわゆる返しに近い構造となっている。
一度身体に突き刺されば、周囲の肉を斬り裂くかどうにかしなければ鏃を引き抜くのは難しいだろう。
そんな鏃が、オーロラの右肩に突き刺さったのだから、オーロラにとっては堪ったものではないだろう。
普段は冷静なオーロラであろうと、痛みを感じない訳ではない。
多少の痛みなら顔に出ないように我慢することも出来るが、レイの放った鏃は多少という程度ですむ痛みではなかった。
そうして一度悲鳴を上げて集中力が崩れると、後はあっという間に坂を転げ落ちていく。
「ぎゃっ、ぎゃあ!」
女らしい悲鳴とは言えない……だからこそ、レイの投擲する鏃が次々とその身体に突き刺さる際の痛みがどれほどのものなのか、容易に想像出来るような悲鳴。
五発、六発、七発……それだけの鏃を投擲したところで、ようやくレイも動きを止めた。
既にオーロラは地面に倒れ、動くことも出来なくなっている。
(今の俺の状態って、客観的に見た場合かなり酷いんだろうな)
そんな風に思いつつも、レイは決して油断をしない。
傍から見た場合、レイは鎧を装備している訳でもない、一見して普通の女に……いや、顔立ちの整った美女に対し、鏃を幾つも投擲したのだ。
場合によっては、問答無用でレイが悪いと言われてもおかしくはなかった。
とはいえ、この世界においては美人だからという理由で全てが許される訳でもない。
客観的に見た場合は色々と酷い状況なのは事実なのだが、オーロラは穢れの関係者の中でもかなり高位の地位にいる人物なのだから。
実際、莫大な魔力を持つレイだったからこそ、今回はレイに有利な戦いとなったのだ。
もしレイ以外の者がオーロラと戦った場合、同じ結果になったかと言われれば……正直、微妙だろう。
オーロラと戦って負けるとは限らないが。
「さて……そっちは一体何があったんだ? お陰で助かったけど」
気絶したオーロラを一瞥すると、先程の悲鳴が聞こえてきた方に視線を向ける。
そこではその悲鳴を上げた者が、ヴィヘラの浸魔掌によって既に地面に倒れていた。
また、悲鳴を上げた者がオーロラと共にやって来た穢れの関係者の最後の一人だったのか、既に他の者達で意識のある者はいない。
気絶か死亡かはともかくとして、全員が地面に倒れていた。
「ごめんなさい、レイ。もしかしたらさっきので戦いの邪魔をしたかしら?」
レイの視線に気が付いたヴィヘラが、そう謝る。
ヴィヘラにしてみれば、レイの戦いの邪魔をしてしまったという思いがあったのだろう。
だが、レイはそんなヴィヘラに対して首を横に振る。
「気にするな。ヴィヘラの行動のお陰で、オーロラを倒すのに予想よりも時間が掛からなかった」
先程の慟哭がなければ、オーロラを倒せなかったとは言わない。
あのまま時間が経過しても、いずれオーロラを倒すことが出来ただろうとレイも思っている。
実際、オーロラは時間が経つに連れて冷静な表情が追い込まれていったのを、レイも確認している。
そうである以上、レイはやがて倒すことが出来ると思っていた。
だが、それでも先程の慟哭によって予定よりも素早く倒すことが出来たので、レイはヴィヘラに不満はない。
「そう? ありがとう。それで……取りあえずここに来た人達は全員倒したけど、どうするの?」
「オーロラからは情報を聞き出したいな。だが問題なのは、素直に情報を喋ってくれるとは思えないことか」
冷静沈着といった様子のオーロラだ。
とてもではないが、自分達の情報について何かを言うとは思えない。
それ以前に、尋問をしようにもオーロラの操る穢れをどうするのかという問題がある。
尋問をしようと手足を縛っても、オーロラの操る穢れによってロープがあっさりと破壊される可能性が高い。
そうである以上、迂闊に尋問をするのが難しいのは間違いなかった。
「その件だけど……」
レイとヴィヘラの会話に、不意にマリーナが割って入る。
二人の視線を向けられたマリーナは、ヴィヘラによって倒され、地面に倒れている者達に視線を向ける。
「オーロラが意識を逸らしたのは、ヴィヘラが最後に倒した相手の叫び声を聞いたからでしょう? そしてそれは、穢れを倒すという方法だった。なら同じことをすればいいんじゃい?」
「ああ、なるほど。ヴィヘラならあっさりと穢れを倒せるか」
「……言っておくけど、結構疲れるのよ?」
外から見ている者にしてみれば、ヴィヘラがあっさりと穢れを倒しているように思える。
だが実際には本来使う浸魔掌の数倍……場合によっては十倍を超える魔力を込めて穢れを倒しているのだ。
そうである以上、ヴィヘラも気軽に穢れを倒すことが出来る浸魔掌を使える訳ではない。
「分かってるわ。けど、穢れを倒すのにレイの魔法を使う訳にはいかないでしょう? 威力はともかく、大袈裟すぎるし」
マリーナの言葉に、ヴィヘラはレイを見てなるほどと頷くのだった。