3278話
ニールセンは無事にレイを説得することに成功し、自分だけで洞窟の通路の先……レイ曰く、色々な生活音が聞こえてくる場所に向かう。
この洞窟の中が、自分にとって非常に危険だというのはニールセンも理解していた。
だがそれでも、ニールセンの中にある好奇心は止められない。
あるいは、以前この洞窟の前に来た時に岩の幻影を見て、危険かもしれないと中に入れなかったことが関係してるのかもしれなかった。
あの時は何か罠があるかもしれないと思ったのだが、今日入ってみたところ、実際には罠はなかった。
もっとも洞窟の中に誰かが入れば、何らかの手段で見張りに伝わるようになっていたのを考えると、罠はなくても何の仕掛けもなかった……といった訳ではないのだが。
それでも最初にレイが心配していたような、致命的な罠の類はそこには存在しない。
ニールセンはそう思ったからこそ、自分が偵察に行くと主張したのだ。
穢れの関係者が妖精の心臓を欲しているのは理解してるのでくれぐれも慎重に行動はしていたが。
人間というのは、基本的に上が死角になっている。
気配を察知出来る能力があれば話は別だが、普通の人間が空を飛んで自分達の上にいるニールセンの姿に気が付くことは……絶対にないとは言い切れないが、それでも気が付く可能性はかなり低い。
その上で、洞窟の天井には鍾乳石と思しき存在が大量にあり、人の掌程度の大きさしかないニールセンにとっては、幾らでも隠れる場所はある。
そうして鍾乳石から鍾乳石に隠れながら移動を続け……
(聞こえてきた)
レイが言っていた生活音をニールセンの耳も聞き取ることに成功する。
(けど、私でもここまで近付いてようやく聞こえてくるような音を、レイはなんであんなに離れた場所で聞こえたのかしら? やっぱりレイは普通じゃないわよね。レイだから仕方ないけど)
レイの身体がゼパイル一門によって作られた特殊な身体だと知らないニールセンは、レイの凄さに驚きつつも、最終的にはレイだからで納得する。
誰から聞いたのかは忘れたが、ある意味で不思議な……本当に不思議な言葉が、『レイだから』というものだ。
普通に考えれば、そんなことで納得してどうすると思わないでもなかったが、レイの場合は色々と特殊な存在なので、それこそレイだからで大体のことに納得してしまう。
ニールセンもそれは同様で、レイだからで納得しつつ生活音の聞こえてきた方に向かい……
(嘘でしょ?)
やがて見えてきた光景に、ニールセンは咄嗟に叫びそうになりつつ、それでも何とか黙り込む。
何故なら、そこに広がっている光景はとてもではないが洞窟だとは思えなかったのだ。
洞窟の中とは思えないような、かなり広大な空間がそこには広がっていた。
世の中にはとてもではないが信じられない大きさの洞窟があるというのは、ニールセンも知っている。
目の前に広がっている洞窟もあるいはその類のものではないかと最初は思ったのだが、妖精としての感覚がどこか違うと、そう思えたのだ。
何かの決定的な証拠がある訳ではないが、それでもニールセンには疑問だった。
そんな空間の中には、決して少なくない人数の者達が生活をしている。
何人かの子供が走り回ってもいるし、大人達もそれぞれ自分の仕事をしてる。
また、驚くべきことに洞窟の中には店すらあって商品を売っていた。
(これ、もう普通の街じゃない。いえ、規模で考えると村なのかしら?)
ニールセンが見たところ、降り注ぐ春風の妖精郷に来る途中で寄った村よりは人の数が多いように思える。
もっともニールセンは、あの村では殆どドラゴンローブの中にいるなり、部屋の中にいるなりしていて、しっかりと村人達の数を確認した訳ではないのだが。
とにかく、洞窟の中に結構な人数が住んでいるのは間違いない。
洞窟の中というのを抜きにすれば、それこそここにいるのは普通の人達が街や村で生活しているようにしか思えなかった。
具体的に何がどうなって今のような状況になっているのか、ニールセンには分からない。
ただ、分かるのは……
(この洞窟が重要な場所なのは間違いないでしょうけど、もしかしてただ重要な場所だけじゃなくて、もっと……)
もしかしてここは自分達が予想していたよりも更に重要な場所……それどころか、こここそが穢れの関係者の本拠地なのではないかとすら考えてしまう。
実際にそれが正しいのかどうかは分からない。
だが、ただ重要な場所だからというだけで、これだけの人数が隠れ住むとは思えないのも事実。
(早くレイ達に知らせないと)
好奇心の強さから自分が偵察に出向いたものの、それが正解だったと思いながら、ニールセンはその場から飛ぼうとし……
「キキキ!」
「っ!?」
そんなニールセンに対し、不意にどこからともなく現れた蝙蝠が……あるいは蝙蝠のモンスターが襲い掛かる。
本当にどこにこの蝙蝠がいたのか理解出来なかったニールセンだったが、今はとにかく素早くこの場を離れる必要があると判断すると、妖精の輪を使って転移する。
もっとも妖精の輪は転移能力を持っているものの、そんなに離れた場所には転移出来ない。
ましてや、転移した場所に何かがあった場合は非常に危険で、ここは洞窟だ。
転移出来る距離や場所は限られており、ニールセンが転移したのは元々自分のいた場所から数m離れた場所だった。
とはいえ、それでも転移という能力は非常に強力で、蝙蝠は自分が狙っていた標的がいきなり消えたことに混乱し……
「嘘でしょ」
最初に襲ってきた蝙蝠の側に別の蝙蝠がいて、その側にはまた別の蝙蝠がいる。
それこそ一体どこにこれだけの蝙蝠がいたのかと疑問に思う程、大量の蝙蝠の姿がそこにはあった。
「やっちゃった!?」
小さく叫ぶという器用な真似をしつつ、ニールセンはレイ達のいる方に向かって飛ぶ。
ここが洞窟である以上、この状況で逃げるのは穢れの関係者達が生活をしている空間か、レイ達のいる方向しかない。
もしくは自分だけで蝙蝠の群れを倒すか。
そんな中でニールセンが選んだのは、レイ達のいる場所に逃げるというもの。
自分が妖精である以上、穢れの関係者が多数いる場所に向かいたいとは思わない。
蝙蝠の群れと戦うのも、相手の能力が分からない以上は勝てるかどうか不明だ。
だとすれば、やはりここはレイに頼った方がいいと判断したのだ。
(それに……レイも喜ぶかもしれないし)
相手の能力が分からないと判断したニールセンだったが、いきなり周囲に大量の蝙蝠が出て来たことから、幾つかその理由は想像出来た。
一つが、妖精の輪のような転移能力を持っているというもの。
だがこれは恐らくないだろうと判断する。
妖精の輪を使っているニールセンだが、この手の転移能力が非常に珍しいというのは理解していた。
蝙蝠が同じような転移能力を持っている可能性は、限りなくゼロに近いだろうと。
そうなると、次に思いつくのが二つ目。……つまり、蝙蝠達は元々そこにいたのに、単純にニールセンが気が付かなかっただけではないかというものだ。
勿論、それは蝙蝠がそこにいたのにニールセンが気が付かなかった訳ではなく、周囲の景色に溶け込むような擬態をしていたから気が付かなかった可能性もある。
周囲の景色に溶け込むような擬態をするのは、そう珍しいものではない。
例えば地球にはハナカマキリというカマキリがいるが、このハナカマキリはその名の通り黙っていると花にしか見えない。
この蝙蝠達も似たような能力を持つ蝙蝠……あるいは蝙蝠のモンスターである可能性は高かった。
そしてレイがモンスターの魔石を集める趣味を持っているのは、ニールセンも知っている。
それだけに、ニールセンはこの蝙蝠を連れていけばレイに感謝される……そして偵察の失敗を多少は誤魔化せるかもしれないと考えていた。
逃げるのに集中せず、そういったことを考えたのが油断となったのだろう。
飛んでいたニールセンは足に何らかの痒みを感じ……次の瞬間、ふくらはぎの辺りが斬り裂かれる。
「きゃあっ! え? ちょっ、何!?」
追ってくる無数の蝙蝠達に攻撃されたのは分かる。
だが、具体的にどのような攻撃をされたのかは全く分からない。
これが例えば、何らかの刃物を飛ばしたり、風の刃を放ったりといった攻撃なら、ニールセンがそれらの飛ぶ音を聞き逃すようなことはない。
だが、その手の攻撃の音が全く聞こえず、不意にふくらはぎが斬り裂かれたのだ。
せめてもの救いは、斬り裂かれたのはあくまでも皮一枚程度の浅い傷で、そのダメージは肉に達していないことだろう。
(助かったけど、威力そのものは高くないのかしら? あの痒みが攻撃の前兆? 一体どういう攻撃をしてるのか……もっとも、血が流れているのは不味いけど)
蝙蝠の群れに襲われ、皮一枚とはいえ足に怪我をしているにも関わらず、ニールセンは不思議な程に冷静だった。
ニールセンも自分が何故ここまで冷静なのかは分からないが、このような逃げている状況で混乱しても自分にとって不利益なだけだというのは理解出来ていた。
実際には危機に陥ったことでニールセンの中に眠っていた素質……長の後継者となるべき存在と見なされた者の能力が発揮されているのだが、本人はそこまでは全く理解していない。
真っ直ぐ飛んでいるだけでは、何らかの手段によって斬り刻まれる可能性が高いと判断したニールセンは、全速力で飛びながらも、何度も方向転換する。
それが正しかったのは、何度目かの方向転換の時に一瞬前までニールセンの飛んでいた場所の進行方向にあった洞窟の壁に薄らと傷が出来たことが証明していた。
(攻撃そのものが遅い? やっぱり単純に風の刃を飛ばしてるとか、そういうのじゃないのかしら)
ふくらはぎの傷から血が流れているのは理解しつつ、ニールセンはひたすらに飛び……やがて目的の場所が見えてきた。
「レイ! 助けて! 後ろ!」
端的な言葉だったが、その言葉だけでレイは自分の方に向かって飛んでくるニールセンが追われていることを理解した。
「やっぱりニールセンを行かせたのは失敗だったか!」
ニールセンが聞けば抗議しそうなことを口にしつつ、ミスティリングの中から取り出したデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
幸い、ここはそれなりの広さがあるので、長柄の武器も自由に使える。
……乱戦になると、それはかなり難しいだろうが。
ニールセンの後ろから大量の蝙蝠が飛んでいるのを見たレイは、素早く叫ぶ。
「ニールセン、高度を下げろ!」
レイの声に本能的に危険を察知したニールセンは、不満も何も言わず高度を下げる。
それも極端に地面に近くなるところまで。
ニールセンの高度が下がったことを確認すると、レイはデスサイズを振るう。
「飛斬!」
放たれたのは、飛ぶ斬撃。
その斬撃はニールセンの上を通り、ニールセンの後ろにいた蝙蝠を十匹以上切断し、またそれ以上の数に傷を負わせることに成功する。
「続けて、こっちもだ!」
飛斬を受けて数が減った蝙蝠だったが、まだ蝙蝠が多数いる場所に向かって黄昏の槍を投擲する。
真っ直ぐに飛んでいった黄昏の槍は、密集していた蝙蝠の身体の多くを貫き、それでも勢いが衰えることなく飛んでいき……次の瞬間その姿を消し、レイの手の中に姿を現す。
「後は私に任せて」
レイの一撃によって大きく数を減らした蝙蝠に向かい、マリーナは風の精霊魔法を放つ。
空を飛んでいる蝙蝠にとって、風の精霊魔法は圧倒的な威力を発揮する。
強制的に一ヶ所に集められ、やがて風によって締め上げられ……やがて蝙蝠は纏めて押し潰される。
「うわ……」
その光景を見ていたヴィヘラの口から、そんな声が漏れる。
戦闘狂のヴィヘラだが、蝙蝠はそこまで強い存在とは思えなかったのか、自分が戦うつもりはないらしい。
実際、マリーナの精霊魔法によって一掃されたのを見れば、蝙蝠がそこまで強い相手ではないのは間違いなかった。
「モンスターか?」
「多分モンスターだと思うわ! 姿を消して私の側にいたみたいだし」
レイの呟きにそう答えたのは、実際に蝙蝠に追われていたニールセン。
普通の蝙蝠が姿を消したり、あるいは自分には理解出来ない攻撃方法でふくらはぎを斬り裂くとは思わなかった。
ニールセンの事情は分からないものの、それでもモンスターだと断言した言葉を信じたレイは、飛斬によって切断された蝙蝠の死体を数匹ミスティリングに収納し……こちらに向かってやって来る複数の者達の足音に気が付くのだった。