0327話
「ここなんてどうだ?」
そう呟くエグレットの視線の先に広がっているのは、春から夏に向かっているこの時期特有の緑の草原だった。
街道から30分程離れた位置にあるということもあり、周囲にレイ達以外の人影はどこにも存在していない。
そんな周囲の様子を見て、エグレットに続いてミロワールも納得したのだろう。頷きながらレイへと視線を向けて尋ねる。
「どうかな? あたしとしても問題は無いと思うけど。街道から離れているから旅人を巻き込む心配は無いし……」
そこまで話ながら、口元に小さく笑みを浮かべて言葉を続ける。
「それにここなら、賞金やら何やらを狙っている冒険者の乱入も心配しなくてもいいでしょ」
「うーん、確かにその心配は少ないでしょうけど、レムレースの大きさがどの程度なのかが全く分からないのが不安ですね。ここに強制転移させたのはいいけど、街道から姿を確認出来る程に巨大なモンスターだったりしたら当然見つかるでしょうし」
「けど、それを言ったらどこでも同じだろ? レムレースの大きさが不明な以上、その程度は許容範囲内として考えるしかないさ」
ここでいいと言うミロワールにヘンデカが言葉を返しているのを聞きながら、エグレットはレイへと視線を向ける。
「そうだな、今回の件の指揮を執っているのはレイなんだから、その肝心のレイの意見はどうなんだ?」
「俺としても特に問題は無いと思う。この後も少し周囲を見て回るつもりだが、今のところはここが最有力候補だろうな」
街道から離れた位置にあり、人目に付きにくい。周囲は草原であるのを考えると、セトやシェンのように上空から攻撃する場合は有利に働くという考えもあり、満足そうにレイは告げる。
「乱入の心配をしなきゃいけないとは思わなかったが、これなら問題無いだろう」
少し前に自分達の後をつけていた集団を思い出し、頷くレイ。
結局その集団はモンスターに襲撃されて自分達をつけてくるどころでは無くなったので、特に心配はしていなかった。だが、それはあくまでも今日に限った話であり、あるいは明日以降も付け狙われるかもしれないと考えれば、乱入の対策をしておくのは間違いではなかった。
「とは言っても、恐らくはアイテムボックス狙いの奴だろうからレムレースとの戦いにちょっかいを掛けてくるかどうかは微妙だがな」
「……なら、わざわざアイテムボックスを街中で使ったりしなきゃいいんじゃないの?」
どこか呆れた風にミロワールが呟くが、レイは肩を竦めてそれに言葉を返す。
「便利なマジックアイテムを人目が怖くて使えませんなんてのは馬鹿らしい以外のなにものでもないだろう。そんなことをするのなら、最初からマジックアイテムを持たなきゃいいだけだ。少なくても使えるマジックアイテムを、人目を気にしてビクビクしながら使うような真似はしたくないな」
「けど、それこそ集団で奪いに来るかもしれないわよ?」
「その時は相応の報いを与えればいいだけだろ」
そこまで口にし、ニヤリと笑みを浮かべる。
(もっとも、さっきの連中のようにモンスターに襲われるとかの不幸に見舞われる可能性は十分あるけどな)
レイが最も求めている物が魔石である為、基本的には依頼を達成する為に出向くのは危険な場所であることが多い。街中で襲撃したりといった真似が出来ない以上、アイテムボックス狙いの者達が襲撃するとすればレイのいる場所に来なければいけない。そうなればどうなるかは自明の理だろう。あるいはそのモンスターを倒しても、レイとセトを相手に手を出せば伊達に異名を持っている訳では無いということを後悔と共に悟ることになる。
そして襲撃以外の手を使おうにも、レイはラルクス辺境伯でもあるダスカーの庇護を受けている形となっているのだ。
それら全てを無視する者がレイに手を出してきた場合は、それこそ最終手段として出奔という手段もある。
そうすれば、最終的にミレアーナ王国は稀少なアイテムボックスを持ち、ランクAモンスターのグリフォンを従え、ランクCにして異名持ちという希有な人材を失うことになるだろう。
「うわ、何かレイが悪どい顔をしてるぞ」
内心の思いが顔に出ていたのか、エグレットがレイの顔を見ながら驚いたように告げる声を聞き、慌てて話題を逸らすべく口を開く。
「とにかく、この場所を強制転移の候補として他にも色々と探してみるか。もっといい場所があれば、そこを戦場にすればいいしな」
話を逸らしているというのにはミロワールもヘンデカも気が付いていたが、特にこれといって口を挟むでもなく次の場所を探すというレイの後を追い、エグレットやセト、あるいはそのセトの背中に掴まっているシェンもまたレイの後を付いていくのだった。
「あー、結局最初の草原以上にいい場所は見つからなかったな」
太陽が夕暮れに変わろうとしている中、エグレットのつまらなさそうな言葉が街道へと響く。
そんなエグレットの後ろを、他の者達も皆同様に頷きながら歩みを進める。
「ま、エモシオンの街の近辺って条件付きだからな。どうしても範囲は狭くなるのはしょうがない。それよりも作戦の件だ。準備にどの程度時間が必要だ?」
レイの声に最初に答えたのはエグレットだった。
「俺はいつでも……それこそ、今日これからでもいいぞ」
「馬鹿ね、幾ら何でも今日これからってことは無いでしょ。あ、あたしの方の準備はポーションとかを買って武器の手入れをするくらいだから明日でも十分よ。ヘンデカは?」
「そ、そのですね。僕の担当はシェン以外だと弓なんですよね? それだと弓や矢を買ったり、あるいは多少でもいいので練習する暇が欲しいんですけど」
押しに弱いヘンデカにしても、やはり弓でいきなり戦闘となると不安なのだろう。練習の時間が欲しいとレイに向かって頼み込む。
そんなヘンデカの様子を見ながら、レイが何かを考えるようにして尋ねる。
「ちなみに、弓を使ったことはあるのか?」
「あ、はい。村にいる時は何度か狩りに連れて行かれたこともあるので、多少は慣れています」
「そうか。……なら勘を取り戻すって意味で明日1日使って、実際にレムレースに仕掛けるのは明後日ということにしたいと思うんだが。他に何か希望や意見はあるか?」
レイの言葉に3人は特に異論が無いのか、無言で頷く。
そんな3人を見たセトとシェンもまた同様に無言で頷いている光景は、恐らく端から見ればどこか暖かいものを感じただろう。
「よし、それならこれで決定だな。各自明日の準備はよろしく頼む。明後日の午前9時の鐘がなったらギルド前に集合ってことで」
「ふっふっふ。ようやくレムレースとの戦いか。どんな強敵なんだろうな。楽しみだ」
「はぁ、何だってこんな奴と一緒に行動をしてるんだか。けど、あたしがいないと暴走してとんでもない騒ぎを起こしそうだしねぇ」
「すぅー……はぁー……落ち着け、落ち着くんだ僕。まずは明日弓の訓練をして少しでも活躍できるようにしなきゃ」
「グルルルゥ?」
「キキ!」
レイ以外の3人はそれぞれ気合いを入れ直し、セトは背中に乗っているシェンの方へと振り向いて何かを話し掛け、シェンはそれに答える。
そんな様子を見ながら、レイは自分が1番肝となる行動を行うのに対して緊張していないのを自覚し……ふと、目に付いたものがあり、足を止める。
「あれは……」
「ん? どうしたんだ?」
エグレットが足を止めたレイに尋ねるが、レイはそれに答えずに1点をじっと見つめていた。街道に大量に散らばっている赤を眺めながら、納得したように頷き、問い掛けてきたエグレットへと視線を向ける。
「いや、この先少し行った場所で大規模な戦闘があったらしい」
「敵か!?」
「このお馬鹿! あったらしいって過去形で言ってるじゃない。っていうか、そもそも喚声とか聞こえてこないんだから戦闘が終わっているのは確実でしょ」
「……おお。確かにそう言われればそうだな。ちっ、何だかんだあって今日は身体を動かしてないから、モンスターがいれば丁度良かったんだけどな」
「うわぁ、さすがランクB冒険者のエグレットさんですね。僕とは全然考え方が違うや」
「まあな。ヘンデカも、もっとランクが上がれば俺みたいに……」
「なる訳ないでしょっ!」
余程にエグレットの言動に腹が立ったのだろう。ミロワールが振るった鞭はエグレットの近くにある地面を叩いて派手に音を鳴らす。
「ヘンデカ、こういう戦闘狂とかいうか脳筋はランクBでも滅多にいないから。こいつが特別なだけよ」
「は、はぁ……そうなんですか」
ミロワールの言葉に、嬉しげに……だが同時に残念そうな表情を浮かべて頷くヘンデカ。
そんな3人のやり取りを見ながらもレイ達は歩みを進め、やがて血の広まっている場所へと辿り着く。
「へぇ、確かにここで大掛かりな戦闘があったっぽいな。この血の量から見て、敵味方合わせて40人近い人数か?」
呟き、周囲を見回すエグレット。ここで戦っていた者達も、倒したモンスターがアンデッドにならないようにと注意はしていたのだろう。魔法の炎か、あるいは単純に自分達で火を起こしたのか、街道から少し離れた場所にはモンスターや人間の死骸を燃やした跡があった。
(まぁ、ここで死体を残していってアンデッド化したりしたら、それをやった奴がどんなペナルティを受けるか分からないしな。特に、俺達の後をつけていたような奴等だ。余程後ろ暗いところがあるんだろうし)
内心で呟きながら、エグレットと共に周囲を見回す。
「どうやら襲ってきたのはゴブリンの集団っぽいな」
「ああ」
倒した後に集め忘れたのだろう、ゴブリンの腕へと視線を向けてエグレットが呟き、レイもまた頷く。
「ゴブリンなら、今この街に集まってきている冒険者ならそう大した脅威でもない……筈、なんだが……」
再び呟くエグレット。次のその視線が向けられているのは、刀身の半ばで折れた剣の残骸だ。
ここで戦闘した冒険者達の残していった物だろう。それを見たエグレットの眉は微かに顰められている。
「錆びの殆ど無いあの剣の状態から見て、恐らくは冒険者の物だ。となると、冒険者にも多少は被害が出てることになる。レムレースを目当てにしてきた腕自慢の冒険者が、ゴブリン如きにダメージを負うか?」
「となると、考えられるのは上位種か希少種がいたとか?」
エグレットの言葉にミロワールが尋ねるが、首を横に振る。
「いや、恐らくは冒険者側に足手纏いの人物がいたんだろうな。街道の周辺を見てみろ。何かを守るかのように1ヶ所に集まっているように戦闘が推移している」
街道の周辺にある足跡や戦闘の痕跡を見てそう判断出来るのは、相棒であるミロワールに脳筋や戦闘狂と呼ばれていてもさすがにランクB冒険者といったところだろう。いや、寧ろ戦闘狂だからこそ判断出来たのか。
「ま、あんたが言うんなら間違いないだろうけどね。どのみち、ここで戦ったのはあたし達の後をつけてた奴だろ? ある意味自業自得さね」
「え? い、いいんでしょうか?」
あっさりと割り切ったミロワールの言葉にヘンデカが恐る恐るといった様子で尋ねるが、ミロワールだけではなくエグレットとレイもまた同様に頷く。
「人を襲おうとした奴等がどんな目に遭ったとしても、それは自業自得だろ。もし俺達を狙っていた冒険者じゃなくて、護衛の依頼を受けた冒険者がゴブリンを相手に戦ったというのなら、それは普通に冒険者の仕事だし」
レイはそれだけ告げ、エモシオンの街へと向かって行く。ヘンデカもそれ以上は特に何も言わずにレイの後へと続くのだった。
エモシオンの街へと戻った一行は、明後日の朝9時にギルド前に集合することを約束してそれぞれが別れる。
尚、別れる時にセトの背中に乗っていたシェンが最後まで抵抗していたが、さすがにヘンデカに置いていかれるのは嫌だったのかセトに対して寂しそうに鳴き声を上げてから離れていったのがレイにとっては印象的だった。
従魔同士で仲良くなったのだろうと、レイ以外にミロワールもほんわかとした笑顔を浮かべてその様子を眺めていたが。
「ま、明後日のレムレース退治が上手く進めば一緒にいられるのは残り数日ってところだし無理も無いのか」
呟きつつ、碧海の珊瑚亭で取ってある部屋のベッドに腰を下ろす。
レイとしては食事も済んでいるのでこのまま眠りたいところなのだが、そういう訳にもいかずにミスティリングから対のオーブを取り出して魔力を流すと、やがて王冠を被った髑髏が水晶に映し出される。
『うん? おお、レイか。こうして連絡してきたということは、レムレースとかいうのを相手にする準備は整ったと思ってもよいのか?』
「そうだな。結構行き当たりばったりではあるが、計画は立てた。それで、レムレースを強制転移させる件についてだが……明後日の午前くらいになりそうだけど、構わないか?」
『ふむ、明後日の午前か。……よかろう。お主が海に出た時に合流するということで構わんか?』
「そうしてくれると助かる。その後、レムレースを強制的に転移して欲しいんだけど……転移させる場所についてはこっちで目処を付けるだけでいいんだよな?」
空間魔法にしろ、空間魔術にしろ、炎の魔法にしか適性の無いレイには全く使えない。それ故に尋ねたのだが、グリムは笑い声を響かせながら頷く。
『うむ。儂が空間魔術を使う時に、お主の頭に浮かんでいる場所に転移させるように術式を組んであるから、心配せずとも構わん』
「へぇ、空間魔術ってのはそういうことも出来るのか」
グリムの話を聞き、空間魔術の便利さに思わず呟くレイだったが、グリムから戻って来たのは笑い声だった。
『フォフォフォ。当然普通の魔術師には出来んわい。儂が最も得意とする死霊魔術程ではないとはいっても、数千年の研鑽を積んでこそじゃよ。ん? おお、済まぬがこちらも今は実験の最中でな。長々と話は出来ん。では、明後日の朝にエモシオンの沖にてまた会おう』
そう告げ、対のオーブに映っていたグリムの姿が消える。
対のオーブをミスティリングの中へと戻し、そのままベッドへと寝転がりながら明後日の戦いに思いを馳せるレイだった。