3264話
「レイ、ちょっとレイ」
「……ニールセン?」
時間は既に夜。
明日には穢れの関係者の拠点に向かうので、少し早いがそろそろ寝ようかと思っていたレイだったが、自分の方に向かってやって来た……いや、突撃してきたという表現の方が相応しい様子でやって来たニールセンの姿に驚く。
昼食を食べ終えた後でニールセンは他の妖精達と妖精郷の外に向かった。
穢れの関係者の一件によって多くの者が降り注ぐ春風が長をしている妖精郷が存在する森に集まってきているので、出来れば止めた方がいいとレイは思っていたものの、それでも問題ないと言い張ってニールセンは出掛けたのだ。
それでも結局最後までレイがニールセンを止めなかったのは、ニールセンの妖精魔法があれば、何があってもどうとでも対処出来るからと思っていたのが大きい。
そして実際、夜になっても特に何かそれらしい騒動が起きるということはなかった。
……夜になっても戻ってこなかったので少し心配にはなったものの、降り注ぐ春風から問題はないと言われれば、レイとしてはそれを信じるしかないし、実際にこうして戻ってきたのを見れば大丈夫だったのは間違いない。
ただし、かなり焦った様子だったのが気になったが。
「どうしたんだ? 明日も早いんだし、そろそろ寝ようと思ってたんだけどな」
「その前に一仕事してってば!」
「……何があった?」
普段も色々と騒がしいニールセンだが、今の様子を見る限りでは明らかに普通とは違う何かがあったようにしか思えない。
具体的にそれが何なのかというのは分からないが、それでも今の状況を思えば何かあるのは明らかだった。
「穢れの関係者よ、穢れの関係者がまた森に来たの!」
「……何だと?」
ニールセンの口から出たのは、レイにとっても完全に予想外の言葉。
以前穢れの関係者が何か大事な物を持ち出す為、山小屋に偽装した建物にやって来たのは知っていたが、言ってみればそれで用事は済んだ筈なのだ。
だというのに、何故またこうして森に穢れの関係者がやって来たのか。
レイには全く理解出来ない。
とはいえ、その報告は悪くない報告なのも事実。
もしその穢れの関係者を無事に捕らえることが出来れば、情報を色々と入手出来るのは間違いないのだから。
明日にでも穢れの関係者の拠点に向かおうとしていただけに、ここで情報収集を上手くやれば、それはレイにとって喜ぶべきことなのは間違いなかった。
「分かった、すぐに行く。マリーナとヴィヘラにも連絡を……待て、そう言えば森にいた連中はどうなった? もう夜だし、近くにある村なり街なりに戻ったのか?」
日中の森の中には、穢れの関係者についての情報を集める為、あるいは巨大な鳥のモンスターについての情報を集める為に多くの者達がやって来ていた。
そのような者達がもういなくなっていればいいのだが、生憎とまだいた森の中にいた場合、レイ達にとっては面倒なことになる。
……面倒なことになるからとはいえ、見捨てるような真似は後味が悪くて出来ないのだが。
これで出て来たのが盗賊か何かであれば、森の中にいた人数から結構な戦力になるので心配する必要もないだろう。
だが、それが穢れの関係者となれば話は違う。
穢れの関係者本人なら、倒そうと思えば倒せるだろう。
だが、穢れの関係者が操る穢れは、それこそレイやエレーナの魔法、もしくはミスリルの釘のようなマジックアイテムでもなければ対処は出来ない。
事実、以前ニールセンがこの森で穢れの関係者と騎士達が戦うのを見た時、騎士達に出来たのはただ逃げることだけだったという。
そうである以上、もし穢れの関係者と森にいる者達が戦いになった場合、森にいる者達が全滅するか、あるいは逃げ散るといった結果に終わるだろう。
もしこれで、レイが何の後ろ盾もなければ面倒なことを避ける意味でも見殺しにした可能性がある。
だが幸いにも穢れについては既に王都に知らされている。
そうである以上、もしここでレイが森にいる者達を助けても、最終的にはダスカーであったり、ブロカーズであったり、あるいは王都にいる何者かにどうにか対処して貰えるというのが今回手助けをするつもりになった理由でもあった。
「森で寝泊まりしてるらしくて、穢れの関係者と戦ってる……というか、もう何人も殺されてるわ。マリーナとヴィヘラは、私と一緒に外にいった妖精達が呼びに行ってるからすぐに来ると思う」
「そうか、分かった。なら行くか。……セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に、側にいたセトが喉を鳴らして立ち上がる。
そんなセトと共に、レイは妖精郷から出ようとすると、ちょうどそのタイミングでマリーナとヴィヘラが妖精達と共に姿を現す。
(多分、あの妖精達がマリーナ達を呼びに行った妖精なんだろうな)
そう思いつつ、レイはマリーナとヴィヘラに声を掛ける。
「こうして急いで来たってことは、事情は分かってるな?」
「勿論よ。けど、この状況で何でわざわざ穢れの関係者がまた森にやって来たのかしら?」
マリーナの口から出た疑問は、ヴィヘラも同様に思っていたのだろう。
不思議そうな様子でレイに視線を向けてくる。
だが、そのように聞かれたり視線を向けられたりしても、それをレイが分かる筈もない。
「それを俺に聞かれても、分かる訳がないだろ。向こうが一体何を思ってそんな真似をしたのかは、それこそ本人に聞かないと。……それでも無理矢理予想をするとしたら、消滅した山小屋の様子を見に来たとか、もしくはこの前ニールセン達が見た奴が何か忘れ物をしていったとかか?」
「消滅してるのに、忘れ物を探しに来たというのは、ちょっと無理があると思うけど」
マリーナの疑問にはレイも困った顔で同意する。
「俺もそう思う。だからあくまでも無理矢理予想をするとすれば、と言ったんだ。とにかく、いつまでもここにいる訳にはいかないし、助けに行くのなら早いうちに行くぞ」
そう言いレイはセトの背に乗る。
そんなセトの後ろに、マリーナとヴィヘラもそれぞれに乗った。
普通ならそのような真似をするのは難しいのだが、セトは体長三mオーバーと、かなり巨大だ。
レイ、マリーナ、ヴィヘラと三人が乗るくらいは全く問題ない。
「あら、マリーナったら素早いわね」
「ヴィヘラが本気だったら、この場所は奪われていたわよ」
セトの背に乗ると、マリーナとヴィヘラがそんな会話をする。
レイの後ろに乗る……つまり、公然とレイに抱きつけるという意味で、マリーナは狙っていた場所を取ったのは間違いない。
だが、もしヴィヘラが本気でレイの後ろを取ろうとしていたのなら、純粋に身体能力の差でマリーナはヴィヘラに負けていた可能性が高い。
それでもマリーナがレイの後ろを取れたのは、純粋にヴィヘラが譲ったからだ。
ヴィヘラにしてみれば、レイにくっつくというのも捨てがたいものの、同時に戦闘狂として穢れの関係者との戦いも楽しみなのだろう。
特にヴィヘラの場合、穢れを相手にする方法を思いついていない。
少しでもそれを思い浮かべるという意味で、ここは是非とも自分が穢れの関係者と戦いたいと思うのは不思議ではなかった。
マリーナとヴィヘラは、お互いにそのことを分かっていたので、こうして素直に座る場所があっさりと決まったのだろう。
そんな女同士のやりとりは、レイには理解出来ていなかったようだったが。
「マリーナ、ヴィヘラ?」
「いえ、何でもないわ。それよりもそろそろ行きましょう? 今の森の状況を考えると、ここでゆっくりとはしていられないでしょう?」
そうマリーナに言われたレイはその言葉に素直に頷き、セトの首を軽く叩く。
「セト、行ってくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に従い、セトは走り出す。
急速に流れていく視界の中に、穏やかな笑みを浮かべて手を振っている降り注ぐ春風の姿を見つけたレイだったが、それに手を振り返すような余裕はない。
手を振り返したら振り返したで、また追加で何か降り注ぐ春風がちょっかいを出してくるかもしれないと、そのように思ったのだ。
そうして妖精郷を出ると、森の中を進む。
「あっちだよ、あっち!」
いつの間にかレイの右肩に立っていたニールセンが、戦いの起こっている方を指さす。
レイの右肩にいるニールセンの言葉をセトがどうやって理解したのか、セトはしっかりとニールセンの指さす方に向かって進む。
そんな中、レイは背中の柔らかい感触に微妙に落ち着かない気分になりつつも、無理矢理気分を切り替える。
セトは森の中に生えている木々の間を縫うように移動していく。
するとそう時間も経たないうちに、レイの耳に悲鳴や怒声といった声が聞こえてきた。
「くそっ、逃げろ、逃げろ、逃げろ! 今は逃げるんだよ!」
「畜生、弓だ! 弓を使え! あの黒い塊は無視して、後ろにいる奴を狙うんだ!」
「駄目だ、あの黒いのが矢を防ぐ!」
そんなやり取りを聞きつつ、レイはミスティリングの中からデスサイズを取り出す。
マリーナやヴィヘラも、何があってもすぐ対処出来るように準備をしながら……
「グルルルルルゥ!」
茂みを突き破り、セトは周囲に響き渡るような鳴き声を発する。
そんなセトの鳴き声……いや、雄叫びに、その場にいた者達は何人もが動きを止めた。
茂みを突き破った中で、レイはセトの背の上から周囲の様子を確認する。
(少ないな)
一瞬にして周囲の状況を見たレイが思ったのは、それだ。
少ないと思ったのは、穢れの数。
ニールセンから話を聞いた限り、以前ここで騎士達と戦った穢れの関係者は、かなり多数の穢れを使っていたと聞いてる。
だが、現在地上で行われている戦いにおいて確認出来る穢れの数は、三匹だけ。
しかもそのうちの一匹は穢れの関係者と思しきひょろりと背の高い中年の男の側に浮かんでおり、実際にその場にいる者達を攻撃している穢れは二匹だけだ。
これがトレントの森にある野営地であれば、二匹の穢れへの対処は幾らでも方法がある。
ただし、それはあくまでも野営地にいる冒険者達が穢れについての性質を知っているからだ。
未知というのは恐ろしい。
攻撃をしても全く相手にダメージを負わせることが出来ず、それどころか武器で攻撃した場合はその触れた場所が黒い塵となって吸収されてしまうのだ。
何も知らない中でそのような光景を見れば、それを恐れるなという方が無理だった。
事実、この森の中で野営をしている者達はたった二匹の穢れを相手に完全に混乱していたのだから。
だが……セトの雄叫びはそんな者達の思考を吹き飛ばす。
それによって頭の中が一旦リセットされたことにより、混乱していた者達は大分落ち着いた。
しかし、頭の中が一旦リセットされたということは動きが止まっているということでもある。
穢れ……黒いサイコロは、セトの鳴き声を聞いても特に動揺する様子はなく、動きを止めたりはしていなかった。
この辺はプログラムか何かで動いているような、そんな性質を持つ為だろう。
つまり、黒いサイコロは動きを止めた相手……最後に自分に攻撃してきた相手に向かって近付いていったのだが……
「させるか!」
腰に装備しているネブラの瞳で素早く鏃を二つ取り出すと投擲する。
同時に二つの鏃を放ったのだが、その鏃はどちらも外れることなく二匹の黒いサイコロに向かい、命中する。
同時にセトが茂みから出て来た勢いのまま、地面に着地する。
するり、とセトの背の上から降りたヴィヘラが、真っ先に向かうのは穢れの関係者。
レイは黒いサイコロをその場にいた者達……兵士や騎士、冒険者といった者達から引き離すように移動し、セトもそんなレイに続く。
唯一その場に残ったマリーナは、ようやくセトの鳴き声から我に返った者達に対し、自分達は冒険者で味方だと、そう説明していた。
「セト、黒いサイコロを引き付けてくれ! 魔法で一気に殺す!」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトは素早く鳴き声を上げると、氷の矢を生み出してレイを追う穢れに向かって放つ。
穢れには全くダメージを与えることが出来ない一撃だったものの、それはセトにとっても想定内の出来事だ。
セトにしてみれば、攻撃をするのはあくまでも自分に相手の意識を向ける為でしかない。
……勿論、自分の攻撃で黒いサイコロを倒せるのなら、それで問題はないのだが。
だが、予想通り……もしくは予定調和のように、黒いサイコロ達は自分に攻撃をしてきたセトに反撃するべく標的をレイから変更する。
「グルルルルゥ!」
セトは穢れが自分達を追っているのを確認するとレイに向かって喉を鳴らし、レイはそれを聞くとデスサイズを手に呪文を唱え始めるのだった。