3233話
レイが横転した馬車の側で待っていると、不意にその隣で周囲を警戒していたセトが顔を上げる。
そんなセトの様子に一瞬敵……モンスターでも現れたのかと思ったのだが、やがて姿を現したのはフラットを始めとする冒険者の面々。
そのことに安堵する。
取りあえずこれで貴族と思しき者達のお守りから解放される、と。
外傷に関しては取りあえずポーションを使っておいたが、貴族の男の方は明らかに腕が曲がってはいけない方に曲がっていたし、女の方は足がそのような状況になっていた。
今回レイが使ったポーションでは、そこまでの怪我を治すことは出来ない。
だからといって、高級なポーションを使おうとまでは思わなかった。
(もしかしたら、馬車の中にいざという時のポーションの一つや二つはあったかもしれないけど、勝手に漁るのもちょっとな)
貴族と思しき者達の乗っていた馬車の中を調べる。
そのような真似をすれば、それは後々問題となる可能性もあった。
「レイ!」
近付いて来たフラットが、レイに向かってそう声を掛ける。
そんなフラットに向け、レイは軽く手を振った。
「予想したよりも早かったな」
「ニールセンに連絡を貰ったんだから、それを無視するような真似が出来る筈もないだろう。それで?」
言葉の途中でフラットは地面に寝ている四人を見る。
事情はニールセンから聞いているのだが、一応改めてレイからも話を聞きたいらしい。
フラットの様子を見てそう理解したレイは、特に何か隠すことがある訳でもないので、素直に口を開く。
「この馬車がどうやら穢れと接触して車軸が壊れたらしくてな。それでこうして横転したらしい。ただ、幸いなことに馬車は大きな被害を受けたが乗っていた者達はそれなりに怪我をしているけど、全員生きている。外傷の類は手持ちのポーションで回復しておいた。後はこのままにしておく訳にもいかないから野営地に運ぶ必要があるんだが、俺達だけではちょっと難しいと思うからニールセンにお前達を呼んできて貰った」
レイの説明がニールセンから聞いた説明と違いはないと判断し、フラットは頷く。
そんなフラットの側ではニールセンが若干不満そうな様子で浮かんでいる。
ニールセンにしてみれば、自分の説明を完全に信じて貰えないのが面白くなかったのだろう。
もっとも、レイがフラットの立場でも同じように確認をしただろうが。
何しろ妖精というのは悪戯好きだ。
もしかしたら、説明の中に何らかの嘘が混ざっている可能性も否定は出来ないのだから。
「分かった。じゃあ、この四人を野営地まで連れていけばいいんだな? 馬車と馬はどうする?」
「俺の方で預かっておく。まさか、あのままにしておく訳にもいかないだろう? 明日、誰かがここを通るようになった時、ぶつかるかもしれないし。それに馬の死体はモンスターの餌になるかもしれない。それなら、俺の方で預かっておいた方がいい」
「そうか、分かった。なら頼む」
あっさりとそう言うフラット。
もしこれがレイ以外の者であれば、馬車や馬を預かっておくと言っても、どうやって? と疑問に思うだろう。
しかし、レイの場合は違う。
ミスティリングを持っているレイにしてみれば、馬車や馬の死体を預かるといったことは難しい話ではない。
……これで馬が死んでおらず、まだ生きている場合は、レイも馬を預かることは出来なかったが。
ミスティリングは生きている存在を収納することは出来ないのだから。
「それで、あの貴族と思しき連中は、何で夜中にこんな場所にいたと思う?」
「レイはそれを聞かなかったのか?」
「俺が助けた時は全員気絶していたしな。無理に起こすのもちょっと問題だろうと思って、そのままにしておいた。起きてから聞けばいいと思ったし」
「それなら、別に俺にここで聞くのもどうかと思うが」
フラットの意見はレイにも分かったが、貴族と思しき者達を起こして聞くのはどうかと思うものの、ここにいるフラットに話を聞くのくらいは問題がないと思えたらしい。
「フラットになら別にいいだろ。それで、どう思う?」
「そう言われても……ブロカーズ殿と同じように王都から来た方々とか?」
「ブロカーズは好奇心からトレントの森に来たけど、この連中がブロカーズと同じようにしているとは思えないぞ?」
「そう……だよな。勿論、人は外見では分からないとか言うけど」
フラットの言葉にはレイも同意するものの、だからといって今この場所にいる者達が好奇心からトレントの森にやって来たとは思えない。
そうなると、当然何か別の理由がある訳だが……
そう考えるレイが、日中に保護した赤ん坊を思い出す。
明らかに上質な布に包まれていた赤ん坊は、良い家で生まれたのだろうと予想するのは難しい話ではない。
そして現在レイの視線の先にいるのは、貴族と思しき者達だ。
この二つに関連性があると思えるのは、レイの気のせいという訳でもないだろう。
「赤ん坊の件が関係してるとか?」
「は? ……なるほど。赤ん坊の件はすっかりと忘れていたな。だが、その赤ん坊は補給の馬車でギルムに向かわせただろう? なら今回の件に関係あるとは思えないんだが……ただ、レイが言うとなると、何か関係がある可能性は十分にある、か」
フラットが微妙な表情で貴族と思しき者達を見る。
それなりに冒険者歴の長いフラットにしてみれば、貴族と接する機会もそれなりに多かった。
そうである以上、貴族が時として自分には想像も出来ないようなことをやらかすというのは十分に理解出来たのだ。
本人に悪気はないのかもしれないが、今のこの状況を思えば十分以上に迷惑を掛けられている。
だからこそ、視線の先にいる貴族と思しき者達の存在は厄介以外のなにものでもない。
とはいえ、厄介だからといってこのまま放っておくといった真似をする訳にいかないのも事実。
もしここでそのような真似をしてしまったら、それこそ明日にでも考えたくない未来が待っているだろう。
なら、まずは当初の予定通り気絶している四人を野営地に運ぶ必要がある。
あくまでも赤ん坊と関係があるかもしれないというのは、予想でしかない。
そもそも、既に赤ん坊は野営地にいないのだから、貴族と思しき者達……それこそ赤ん坊の件で来たのなら、恐らくはその両親なのかもしれない者達が何故この時間に野営地にくるのか。
そんな疑問を抱き、すぐに首を横に振る。
今はそのようなことを考えても仕方がないと。
今この状況でやるべきなのは、貴族と思しき者達を一刻も早く野営地まで連れていくことだ。
ここでモンスターが現れたりしたら、対処に苦労する。
レイやセトがいて、他にも腕利きの冒険者が揃っている以上は、それこそ高ランクモンスターでも出て来ない限り、対処は容易だ。
しかし、気絶している四人を守りながらの戦いとなると、どうしても普段通りとはいかない。
そうならないようにする為には、少しでも早く行動に移す必要があった。
「聞け、気絶している四人を運ぶぞ! 一応レイがポーションを使ったが、完全に怪我が治った訳じゃない。出来るだけ衝撃を与えないようにして運ぶ必要がある!」
叫ぶフラットの指示により、持ってきた布を広げてそこに気絶している四人を乗せていく。
一枚の布に一人、それを前後で二人がそれぞれ両手で持つ。
つまり、貴族と思しき者達を運ぶのに、合計で八人もの人数が必要となる。
その他に周囲でモンスターが襲ってこないのか見張りや護衛をする者も必要となる。
もっとも……
「護衛に関しては、俺達に任せてくれ」
レイはセトを撫でながら、フラットにそう告げる。
布を準備したり、そこに貴族と思しき者達を乗せたりしている間に、レイは馬車と馬の死体をミスティリングに収納を終えている。
フラット達の準備が整えば、それこそすぐにでも出発することは出来るのだ。
「分かった。なら、頼む。……いいか、急ぐけど気絶している人達を出来るだけ揺らさないように気を付けろ」
自分でも無理を言ってるのは、フラットにも分かる。
だが、今は少しでも早く野営地に戻るのが先決だった。
そうなれば、後は明日まで待てばいいだけだ。
貴族達の怪我については、野営地にそれなりに性能の高いポーションがあるので、それを使えばいい。
……本来なら、そのポーションはこういう時に使うような物ではなく、リザードマンや生誕の塔を守る時に怪我をした者に使う為に用意されていたのだが。
それでも今のような状況を考えれば、そのポーションを使った方がいいのは間違いなかった。
「この件に関わったお前達には、後で別に報酬をやる。ただし、ドジを踏んだ奴には報酬はないから、そのつもりでいろよ!」
フラットの言葉に、話を聞いていた者達が歓声を上げる。
特に夜中に無理矢理起こされて不満を抱いていた者達は、この件が普段の仕事とは別に報酬があると知り、嬉しく思う。
(上手いな)
フラットの様子を見ていたレイは、しみじみとそう思う。
こうして上手い具合に冒険者達をコントロールしているのは、やはり野営地の纏め役を任されるだけのことはあると、納得出来た。
実際には報酬で釣ってるだけなのだが。
ただ、報酬があると言ってもフラット以外の者……それこそ冒険者達に嫌われているような者の場合は、ここまで見事に意思疎通をすることは出来ないだろう。
レイにしてみれば、それだけで素直に凄いと思った。
自分にとって出来ないことなので、なおさらに。
「よし、じゃあ行くぞ」
歓声がある程度収まったところで、フラットがそう告げる。
そんなフラットの指示に従い、冒険者達は移動する。
「さて、じゃあ俺達も行くか。……セト、もし敵が出たら即座に教えてくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは任せて! と喉を鳴らす。
やる気満々といった様子のセトの頭の上には、ニールセンが着地していた。
「穢れが出て来ないといいんだけどね。……それにしても、皆やる気があるわね。報酬ってのは、ここまでやる気を出させるんだ」
「フラットだから、というのも影響してると思うけどな」
もしフラット以外の者が同じようなことを言っても、今のように皆がやる気に満ちた様子を見せるとはレイには思えなかった。
それどころか、場合によっては嘘を言うなといったように不満な様子を見せる者がいてもおかしくはない。
「フラットが有能なのね。……まぁ、そうだとは思ってたけど」
ニールセンは自分がこの状況について伝える為に野営地に行った時のことを思い出してそう言う。
もしフラットが無能だとすると、今のように眠っていた者達を集めて、ここまでやってくるといった真似は出来なかっただろう。
いや、出来たかもしれないが、今回のように素早く行動するのは無理だった筈だ。
「フラットが野営地にいたのは、俺達にとっても幸運だったな。ギルドに感謝だ」
もしギルドが野営地にいる冒険者にフラットを選んでいなければ……もしくはフラットを冒険者達の纏め役にしていなければ、一体どうなっていたことか。
冒険者の中にはフラットと同じくらい、もしくはそれ以上に優秀な者もいるので、フラットがいないからといって絶対に今のように纏まっていなかったということはないだろう。
それどころか、場合によってはフラット以上に上手く皆を纏めていたという可能性も否定は出来ない。
とはいえ、それはあくまでも仮定の話だ。
今こうしてしっかりとフラットが皆を纏めている以上、レイとしてはそれに不満を抱いたりといったようなことはない。
それどころか、この状況を守る為に協力して欲しいと要請されれば、喜んでそれを引き受けるだろう。
「レイ、どうした? 行くぞ!」
レイがニールセンと話をしていると、その話題となっていたフラットがレイを見てそう声を掛けてくる。
「ああ、悪い。すぐに行く。……それにしても、まさか夜中にこんなことになるとは思わなかった。フラットもそうじゃないか?」
フラットの隣まで移動して尋ねるレイ。
フラットはそんなレイの言葉に首を横に振る。
「ブロカーズ殿の件があったからな。また同じようなことが起きるかもしれないとは思っていた。その辺を抜きにしても、ここは辺境だぞ? いつ何が起きてもおかしくはない」
「例えば……急にドラゴンが襲ってくるとかしてもか?」
「レイが言うと洒落にならないんだが、それ」
嫌そうな、本当に心の底から嫌そうな様子でフラットが言う。
実際に魔の森においてクリスタルドラゴンを倒したレイがそのようなことを言った場合、それが実際に起きてしまうかもしれないと思ったのだろう。
「そうなると、ドラゴンキラーの称号を貰えるかもしれないぞ?」
「倒すのが前提に入ってる時点で間違ってると思うぞ」
呆れたように、レイに向かってフラットはそう言うのだった。




