3232話
ニールセンは空を飛ぶ。
野営地に向かい、全速力で。
ニールセンのような妖精が空を飛んでいると、場合によってはモンスターに目を付けられる可能性もあるのだが、それでもニールセンは必死になって空を飛び、野営地に向かう。
本来なら、ニールセンもそこまで必死になって野営地に急ぐ必要はない。
穢れに襲われた馬車に乗っていた貴族が怪我をしてはいたが、言ってみればその相手はニールセンには関係のない相手だったのだから。
しかし、それでもニールセンがこうして急ぐのは、少しでもレイの側に自分がいない時間を少なくしたい為だ。
もっとも、それはレイに好意を抱いているから……といったような理由ではない。
勿論好きか嫌いかと言われれば好きと答えるが、それはあくまでも友人に対する好きでしかないのだから。
そんな中でこうしてニールセンが急いでいるのは、こうして離れている時に穢れがまた姿を現したと長から連絡があったら大変だからだ。
もし自分がレイと離れているのを長に知られたら、間違いなくお仕置きされることになる。
それだけは絶対にごめんだった。
(こんなことなら、私が行くって言わなきゃよかった。でも、あの状況で自由に動けるのは私だけだったし。……もしくは、私とセトが一緒に野営地に戻ればよかったとか?)
そう考えるニールセン。
実際に今の状況を思えば、それが最善だったと、今更ながらにそう思う。
セトの移動速度はニールセンよりも速いのだから、ニールセンがセトに乗って野営地に向かい、その野営地での説明はニールセンがする。
そのようにするのが、最善の筈だった。
今更……と思いつつもニールセンはトレントの森の中を飛び、やがて野営地に到着する。
野営地に到着したニールセンが真っ先に向かったのは、フラットのテント……ではなく、見張りをしている一人。
フラットのテントに行っても、もし眠っていた場合はニールセンが自分で起こせるかどうか分からなかったからだ。
「あれ? どうしたニールセン」
よし、と。
ニールセンは最初に会った相手が妖精に強い興味を持つようなタイプではなかったことを喜ぶ。
もしこれで妖精好きだった相手であれば、急いでいる状況で色々とちょっかいを掛けられるかもしれなかったのだから。
そのようなことにならなかったのは、ニールセンにとって幸運だった。
「馬車が穢れに襲われて、横転したわ」
「……え?」
端的に口にしたニールセンの言葉だったが、それを聞いた男は最初何を言っているのか分からなかった。
夜……というか、真夜中に馬車が何故やってくるのかといった疑問が大きい。
ブロカーズの件を考えれば馬車が夜にやってくる可能性が皆無という訳ではないのだろうが、それでもそんな例外がこの短い間に続けて起きるとは思わなかったのだろう。
「で、その横転した馬車に乗っていた人と馬車を操っていた人は、怪我はあるけど死んではないわ。ただ、馬車も穢れの攻撃で使い物にならないのよ。レイやセトだと四人をここまで連れてくるのは難しいでしょうし」
あるいは無理をすれば四人をセトに乗せて連れてくるようなことも出来るかもしれない。
だが、怪我人が具体的にどのくらいの怪我をしているのかは、レイにも分からないので、無理は出来なかった。
例えばこれで無理矢理セトに乗せて運ぶといったような真似をした結果、内臓が損傷しており、それが致命傷となる可能性も否定は出来ないのだから。
そんな訳で、きちんと運ぶことが出来るだけの人数を連れていく必要があった。
「分かった。取りあえずフラットを起こしてくるからちょっと待ってくれ。いや、ニールセンも一緒に来た方がいいか?」
「そうするわ。今は少しでも急いだ方がいいでしょうし。……それにしても、こんな時間なのに明るいわね」
早速フラットのテントに向かった男を追ってニールセンも移動するが、野営地の真ん中に存在する炎によって、周囲はそれなりに明るい。
明るいだけではなく、暖かくもある。
それはレイによって生み出された炎だった。
さすがに夜になれば、日中と違ってその炎の周囲には誰も……リザードマンもいない。
(あ、でも生誕の塔の近くにもこれと同じような炎を作ったんだっけ? なら、リザードマンがいなくてもおかしくはないのかしら)
リザードマンが集まっているのを見て驚いたレイが、生誕の塔の近くに同じような炎を作ったと、そうニールセンはレイから聞いている。
であれば、リザードマンがここにいなくてもおかしくはないだろうと思う。
「あの炎か? レイのお陰で、野営地で見張りをしていても寒くも何ともなくなったのは助かる」
移動しながらも、男はニールセンが炎を見ていることに気が付き、そう言う。
「ふふん、そうでしょ。レイのお陰ね」
レイが褒められたのに、何故か偉そうにするニールセン。
そんなニールセンの様子を見ても、男は特に何も言わずに野営地を進み……やがて一つのテントの前に到着する。
「フラット、ちょっといいか? レイが少し面倒なことになってるらしい」
「……何? ……レイだと? ……レイだと!?」
最初は寝惚けていて、男の言葉をはっきりとは理解出来なかったようなフラットだったが、それでもすぐに頭をはっきりとさせる。
慌てた様子でテントから出て来たフラットは、寝起きということもあって防具の類は装備しておらず、普通の服だけを着ていた。
「レイがどうしたって? ニールセン?」
「起こしちゃったかしら。でも、至急人手を集めて欲しいの」
そう言い、ニールセンは先程男にも説明したように馬車の横転と怪我人の運搬について説明する。
「こんな夜中に馬車が……? もしかして、その馬車も王都からやって来た追加の人員とかじゃないだろうな?」
「分からないわよ。私達が見つけた時は、もう気絶してたから。怪我をしてるのは間違いないし、出来るだけ早くここに運んで事情を聞いた方がいいんじゃない?」
「分かった。すぐに人を集めるから、炎の場所で待っていてくれ」
そう言いながら、フラットはニールセンの前から走り去る。
それを見送ったニールセンは、念の為といった様子で男に尋ねる。
「炎の場所って、さっき話題にしていた炎で間違いないわよね?」
「ああ、そうだ。あそこで待っていれば、フラットの様子からしてすぐに人を集めてくると思う。……悪いけど、俺は見張りに戻らせて貰うな」
男はニールセンと軽く言葉を交わすと立ち去る。
これが妖精好きの相手なら、しつこくニールセンと話をしようとするだろう。
そのような相手に比べると、自分の用件が終わるとすぐに立ち去るというのはニールセンから見ても好意的に思える。
「じゃあ、私も向こうで待ってようかしら」
そう言い、ニールセンはレイの作った炎に向かうのだった。
「待たせたな、ニールセン。人を集めてきたぞ!」
炎でニールセンが待機してから、数分。
フラットが十人程の冒険者達を引き連れて姿を現す。
「あら、早かったわね。もう少し時間が掛かると思ったんだけど」
「急いでいるって話だったからな。気絶している者達を運ぶ道具も用意した」
その言葉と共にフラットが見せたのは、厚手の布だ。
もしレイがそれを見ていれば、恐らく担架のように使うのだろうと想像出来ただろうが、ニールセンはそれを見てもどう使うのかは分からない。
ただ、フラットがこのように言うのなら問題はないと判断して口を開く。
「じゃあ、行きましょう。大丈夫だとは思うけど、夜だからモンスターが現れるかもしれないから、気を付けてね。……まぁ、私が言うまでもないと思うけど」
この野営地にいる冒険者は、ギルドでも優秀な冒険者と認められた者達だ。
当然ながら、戦闘力という点でも高く評価されている。
トレントの森は辺境なので、そこに出るモンスターも強力なモンスターとなるのも珍しくはない。
そうである以上、トレントの森で襲ってくるモンスターがいても、対処出来る可能性は高い。
……ただし、それはあくまでも可能性は高いということだ。
何しろここは辺境である以上、不意に高ランクモンスターが襲撃してくる可能性が高いのだから。
ましてや、今は夜だ。
多くのモンスターが活発に動いており、それによって襲撃してくる敵が増える可能性もあった。
セトがいれば、その強さを本能的に察知して、セトに近付かないといった風にも出来るのだが、今ここにセトはいない。
いるのはニールセンと冒険者達だけだ。
「いいか? 慎重に、そして素早く移動するぞ。一体何だって夜に馬車が来たのかは分からないが、とにかく可能な限り早く確保する必要がある」
フラットの指示に集まった冒険者達が頷く。
ここにいる冒険者である以上、現在の野営地の状況はしっかりと理解していた。
フラットが言うように、何故夜に馬車がいたのかは分からない。
分からないが、それでも今は少しでも早く行動することが必要だった。
「よし。……ニールセン、案内してくれ」
「分かったわ。じゃあ、遅れないでついてきてね。少し速く飛ぶから」
そう告げ、ニールセンは羽根を羽ばたかせながら飛び始めた。
集まった冒険者の中には、妖精好きの者もいる。
だが、今のこの状況で妖精好きというのを表に出すような真似はしない。
もしそのような真似をすれば、ニールセンに一体どのように思われるのか、考えるまでもない。
そうである以上、今は真面目に行動する必要があった。
「行くぞ! ニールセンに遅れるな!」
叫んで走り出すフラット。
集まった冒険者達も、率先して走るフラットの後を追う。
「一体何が起きたんだろうな。夜中に馬車が横転するとか……普通じゃないぞ?」
「それには同感。そもそも野営地に来るのなら、別に夜じゃなくてもいいのにね。……そもそも、トレントの森に近付く許可を貰ってるのかしら?」
「無断で来たとなると……うわ、面倒な事になりそうだな」
冒険者達にしてみれば、それなりの速度で走っているものの、それでも会話をするのにそこまで支障はない。
疲れよりも、一体誰がこのような真夜中に馬車で野営地に向かっているのかといったことを疑問に思う方が多い。
それだけではなく、中には不機嫌そうな者もそれなりにいる。
熟睡しているところで急に起こされたのだから、機嫌が良くなれという方が無理だった。
これがあるいは、野営地の見張りの交代ということで起きるのなら仕方がない。
しかし今こうして起こされたのは、見張りといったものは関係がない状態での出来事だったのだ。
その原因となった相手に不満を抱くのは仕方がないだろう。
(ったく、ただでさえ昼間は赤ん坊の件でゆっくり出来なかったってのに)
リザードマンが空から落ちてきた赤ん坊を受け止めた結果、補給の為にやって来た馬車に預けるまで野営地には赤ん坊がいた。
赤ん坊は泣くのが仕事と言われることもある。
その通り、日中に野営地にいた赤ん坊は、これでもかと言わんばかりに泣き続けていた。
結果として、男のように日中にゆっくりと出来ない者も出てしまうことになる。
それでも男は赤ん坊の泣き声をうるさいと思いつつも、それは心の中だけで思っているだけで、実際にうるさいと叫んだりするようなことはなかった。
……もっとも、もしそのような真似をすれば、赤ん坊の面倒を見ていた者達から盛大な顰蹙を買うと分かりきっていたから、というのも大きいが。
「見えてきたぞ。予想よりも近かったな」
先頭を走るフラットは、前方に見えてきた光景を見て叫ぶ。
その言葉にフラットの後ろを走っている者達が前方に視線を向ける。
するとそこには、報告にあったように馬車が横転しているのが見えた。
まだ夜で光源が月明かりしかないので、まだ遠くからでは恐らくそうだろうという様子にしか見えないが、それでも馬車が横転したのは間違いないように思える。
「いいか、大丈夫だとは思うが、モンスターがいる可能性もある。怪我人がいるって話だし、そっちを守るのを最優先にするんだ」
フラットの指示に、一緒に行動している冒険者達がそれぞれ頷く。
中には夜中に起こされたことで不機嫌になっている者もいたが、今の状況ではその不満を表に出すことも出来ないので、フラットの言葉には素直に頷いていた。
「レイとセトがいるんだから、モンスターの心配はしなくてもいいんじゃない?」
フラットの横からそう言ったのは、ニールセンだ。
この状況でフラット達が警戒しているようなことにはならない。
そのように思っての言葉だったのだろう。
フラットはそれを聞いて頷く。
「そうかもしれないが、今は夜だ。どんなモンスターが出てくるか分からない以上、警戒するに越したことはない」
そう言いながら、より一層足を速めるのだった。




