3228話
「調子はどんな具合だ?」
ミスリルの結界のある場所にやって来たレイがそう声を掛けると、半透明の結界の向こう側にいる黒い円球を見ていた研究者達がレイの存在に気が付く。
「あ、レイ。今のところレイの炎獄と違いはないように思えるんだけど……そうなると、何で炎獄よりも早く死ぬのかが分からないんだよな」
研究者の一人が、大きく息を吐きながらレイに向かってそう言う。
他の研究者も言葉には出さないものの、レイに話し掛けた研究者と同じように思っているのは間違いなかった。
「炎獄とミスリルの違いじゃないのか?」
「それは分かってる。けど、問題なのはそれが具体的にどのようになって、穢れが死ぬのが早くなるのかが分からないということなんだよ」
炎獄の時よりも餓死するのが早いのは、ミスリルによるもの。
そのくらいのことは、レイが言わなくても研究者なら想像するのは難しいことではない。
だが、問題なのはミスリルが具体的にどのような効果によってそのようになるのかが分からないことなのだ。
「その辺は……まぁ、ミスリルだからとしか俺には言えないけど。その辺りも調べるのは大変そうだな」
「そうだ。大変なんだよ。……レイは何か思いつくことはないか?」
「本職のお前達が分からないのに、それを俺にどうしろと?」
「冒険者ならではの意見で何か思いついたりしないか?」
研究者達はレイに希望の視線を向ける。
研究者達にしてみれば、冒険者というのは自分達が思いも寄らない方法で色々な行動をする者という認識なのだろう。
その認識は決して間違っている訳ではない。
冒険者は、それこそ実際に使えるとなれば本来想定されていない用途で道具やマジックアイテムを使ったりするのだから。
「レイはマジックアイテムを集めるのが趣味なんだろう? なら、その辺からこう、知識をだな」
「そう言われても……少し試してみたいと思うことはあるけど、まさかそれをやる訳にもいかないだろ? ミスリルの釘がもっとあれば別だけど」
ダスカーから量産するようにと指示が出ていた時、レイもその場にいた。
だからといって、今はまだミスリルの釘は量産されていない。
今はまだ一つしかないのに、それに影響を与えるような何かをする訳にはいかなかった。
「むぅ……ちなみにレイは何をしようとしたんだ?」
「ミスリルってのは魔力を通しやすい魔法金属だ。つまり、魔力に影響する。なら……」
そう言い、レイが取りだしたのは流水の短剣。
相応の魔力がある者なら、水の短剣を作ったり、水の鞭として使ったりといった真似が出来るマジックアイテムだったが、炎の属性に特化しているレイが使った場合は少し水が出て来るくらいだ。
もっとも、その水は飲料水として使うと天上の甘露と呼ぶべき美味さを持つのだが。
ただ、今回の場合はその味は関係ない。
レイの魔力によって生み出された水をミスリルの結界に掛けた場合、どのような反応をするのかというのが、レイが少し気になったところだ。
魔法銀とも呼ばれるミスリルと、莫大なレイの魔力。
その二つが組み合わさることで、一体どうなるのか。
レイにしてみれば、かなり気になるところだ。
とはいえ、ミスリルの釘が一つしかない以上はそれをやる訳にもいかないのだが。
「興味深い。……レイ、確かミスリルの釘を使うことに決まったんだったよな? ダスカー様からの指示で他の錬金術師達が作ってるとか」
「そうなるな。もっとも、ミスリルの釘を作った錬金術師ならともかく、作り方を教えて貰った錬金術師達はすぐに同じような物を作れるようになるとは思えないけど」
設計図の類があったり、他の錬金術師の前でミスリルの釘を作ったりといったようなことをしても、それですぐに同じ物が作れるようになる訳ではない。
錬金術師によっては、それなりにすぐに作れるようになるだけの才能を持つ者もいるだろうし、もしくは向いてないということでミスリルの釘を作るのに普通よりも多くの時間が掛かるかもしれない。
その辺りは、個人によって違ってくるのだろう。
「そうか。……なら、ミスリルの釘が量産されたら、レイの魔力で作った水を使ってみてもいいか? もしかしたら、ミスリルの結界によって穢れの死ぬ時間が更に短くなるかもしれない。……もっとも、予想とは逆に餓死しなくなる可能性も否定は出来ないが」
実際に試してみなければ、その辺は分からない。
だからこそ研究者も興味を持ったのだろう。
(この辺、研究者も錬金術師達とあまり変わらないよな)
研究者も錬金術師も、自分の興味のあることが最優先。
そのようにレイには思えた。
全員がそのような者達ではないのは、レイも理解しているが。
「そうだな。試せる機会があったら是非試してみたいと思う。それによって、一体どうなるのか。……俺も興味はあるし」
レイの言葉に、話をしていた研究者は……いや、それ以外にもミスリルの結界の周辺にいた研究者達のうちの何人かが興味深そうな様子を見せる。
「そうか。ならミスリルの結界が量産されたら是非頼む」
「それがいつになるのかは分からないけどな。……取りあえず、ミスリルの結界に特に異変がないのは確認出来たし、俺は野営地に戻る。寒くなってきてモンスターとかも少なくなってるだろうけど、一応気をつけろよ」
そう言い、レイは野営地に戻るのだった。
「さて、次はこっちだな」
ミスリルの結界の様子を見に行く途中で見た光景。
野営地の真ん中辺りにある、レイが生み出した暖房用の炎。
その炎の周辺には、野営地の冒険者もいるが、それ以上にリザードマン達が集まっていた。
(考えてみれば、無理もないのか? リザードマンはトカゲ系統のモンスターだ。なら、当然寒さとかには弱いんだし。一応、生誕の塔の周辺でも焚き火とかはしてるし、生誕の塔の中は相応に暖かい。けど、それよりも俺の作った炎の方が快適だといったところか)
自分の中でそう予想しながら、レイは炎に近付いていく。
そうしてリザードマンに声を掛けようとし……
「うーん……」
快適な、それこそ温泉にでも浸かって目を閉じているようなそんな姿を想像出来るリザードマンを見て、レイはあれは自分が声を掛けてもいいのか? と疑問に思う。
勿論、実際には声を掛けては駄目ということはないのだろう。
だがこうして自分の言葉でこの幸せそうな状況を邪魔してもいいのかと思うと、少し困る。
レイも、自分が眠っているような時に話し掛けられると、面白くないと思えるのだから。
声を掛ける理由が、何か緊急の連絡であったりするのなら、まだレイも我慢は出来る。
しかし、そういうのは全く関係なく、ただ声を掛けたいだけといったようなことになると……思い切り不機嫌になってもおかしくはなかった。
そうして声を掛けるかどうか迷っていると、不意にリザードマンの一人がレイの存在に気が付く。
「レイ、どうしたんだ? 俺達に何か用か?」
流暢な言葉遣いで聞いてくるそのリザードマンに、レイは悪いと思いつつ口を開く。
「用があるというか……この炎の周りに結構な数のリザードマンがいたから、ちょっと気になっただけだ」
「む、もしかして邪魔だったか?」
レイの様子から、もしかしたら自分達が邪魔だったので声を掛けてきたのではないかと思ったのだろう。
少し困った様子で尋ねるリザードマンに対し、レイは首を横に振る。
「別に邪魔とかそういうことはないから、安心してくれ。ただ……この炎、生誕の塔の近くにも作った方がいいか? もし必要なら作るけど」
この炎を作るには、普通の魔法使いなら十数人が魔力を限界まで消耗する必要がある。
だが、レイの場合は一人で……そこまで魔力の消耗もなく炎を生み出すことが出来るのだ。
リザードマン達のことを思えば、もし野営地に作った炎と同じような炎が必要だというのなら、それを作るのはレイにとって特に問題がなかった。
「それは、ガガ様に聞いて欲しい。俺としてはあった方がいいが、ガガ様がどう判断するのか分からない」
「そうか。……で、そのガガは?」
「狩りに出かけている」
リザードマンの口から出て来たのは、レイにとって予想は出来るものの、本当にそれでいいのか? と思うような内容だった
勿論、食料を確保するという意味で、狩りは必須だ。
だが、他のリザードマンよりも大きなガガは、寒い中で活動するのも大変なのは間違いない。
そのような状況でガガが狩りに出かけて、まともに身体が動かずに大きなダメージを受けたらどうなるのか。
モンスターが集まってきて、それによりガガが死ぬ……という、最悪の可能性すら想像する必要がある。
「ガガだけなのか? 護衛は?」
「護衛? ガガ様にそんなのは必要ないだろう。……もっとも、ガガ様と共に狩りに行ってる者が何人かいるから、心配はいらないだろう」
ガガなら護衛がいなくても大丈夫だ。
リザードマンがそう思っているのは、レイにも十分に理解出来た。
その上で護衛という訳ではないが、一緒に行動している者がいるというのなら、そこまで心配する必要もないか? と考える。
実際のところ、レイもガガが本当にモンスターによって殺されるという心配はあまりしていない。
だが、それはあくまでも一般的なモンスターを相手にした場合のことだ。
このトレントの森でも、高ランクモンスターが不意に姿を現すことがある。
そのような時、ガガは上手く対処出来るのかどうか。
それがレイには心配だった。
「ガガは強い。それは間違いないが、このトレントの森ではそんなガガよりも強いモンスターが姿を現す可能性がある」
レイの言葉に、リザードマンは少しだけ不満そうな様子を見せる。
この世界に転移してきたリザードマン達にとって、ガガというのは自分達の中で最強の存在なのだ。
そのガガでも勝てないモンスターが出てくると言われては、それを素直に受け入れろという方が難しい。
もっとも、それを言ったのがガガに勝ったレイなので、この程度の不満しか表していないのだが。
リザードマンにとって、強者は尊敬すべき存在。
そしてレイは間違いなく強者だ。
そうである以上、リザードマンにとってもレイは敬うべき存在なのは間違いなかった。
ただし、リザードマン達にとってガガは強者であると同時に英雄であり、異世界に来てしまった今となっては心の底から頼りになる存在だ。
だからこそ、そんな相手を強者ではあってもレイに否定されるようなことを言われると、複雑な気分となる。
そんなリザードマンの様子に気が付かず、レイは話を切り上げる。
「ガガが狩りから戻ってきたら、その辺について聞いておいてくれ。もし必要なら、明日……いや、今日のうちにでも生誕の塔の近くにこれと同じ炎を出すから」
「分かった。ガガ様が戻ってきたらすぐに言う。ここで断言は出来ないが、恐らくガガ様も問題はないと言うだろう」
「この様子を見る限りだと、そうだろうな」
レイと喋っているリザードマン以外にも、炎の周囲には複数のリザードマンがいる。
勿論リザードマン以外にも冒険者であったり、休憩をしている研究者の護衛だったりもいたりするのだが、それでも割合としてはリザードマンが多かった。
「……あれ? おいおい、いいのか?」
周囲の様子を見たレイがみたのは、赤いスライム。
見覚えのあるその赤いスライムは、野営地の側にある湖の主の生まれ変わった姿、もしくは子供だ。
湖の主だった時はレイ達に敵対的な存在であったが、今の赤いスライムは水狼のように友好的な存在となっていた。
なってはいたのだが、それでも湖から離れてここまでこうしてやって来るというのはレイにとって驚きだった。
湖のモンスターが湖から離れるというのはそれなりに珍しいが、それでもない訳ではない。
事実、水狼は仲良くなった冒険者と共にトレントの森で一緒に狩りをするといったような真似もしてるのだから。
だが、それはあくまでも水狼が成人……という表現はおかしいが、とにかく子供ではないからというのが大きい。
そんな水狼と比べると、赤いスライムは正真正銘、生まれてからまだそんなに時間が経っていないのだ。
だというのに、こうして自分だけで湖から離れて野営地までやって来ているのだから、レイがそれを見て驚くなという方が無理だった。
(というか、他の連中は赤いスライムに気が付いてないのか? ……リザードマンはともかく?)
赤いスライムがここにいるのを見て驚いたレイだが、次にそんな疑問を抱く。
リザードマンはともかく、冒険者や研究者の護衛といった者達は赤いスライムに気が付いてもおかしくはないのだが、特に驚く様子もない。
気が付いているのに気にしていないのかとも思ったレイだったが、それは違うとすぐに分かり……ならば、何故? と疑問を抱くのだった。