3225話
「は? いや……それを俺にどうしろと?」
フラットはレイが連れてきた赤ん坊を見て、戸惑ったように言う。
フラットにしてみれば、まさかこのような場所で赤ん坊が出てくるとは思ってもいなかったのだろう。
もっとも、これはフラットが悪い訳ではない。
普通に考えて、トレントの森にある野営地のような場所で人間の赤ん坊が出てくるというのは、有り得ないのだから。
生誕の塔が近くにあるので、リザードマンの子供がいるのは普通なのだが。
「どうしろと言われても、どうしたらいいと思う?」
「……さっきのリザードマンがレイを呼びに来たのはこれが理由なのか?」
「グルゥ!」
何故かレイの代わりにセトが喉を鳴らして返事をする。
レイもセトの行動を否定したりはしない。
実際にリザードマンがレイを呼びに来たのは、それが理由だったのは間違いないのだから。
「セトの様子を見ると当たりか」
フラットもそれなりにレイやセトとの付き合いは長い。
だからこそ、セトの様子を見て自分の言葉が正しかったと理解したのだろう。
「そういうことになる。この赤ん坊はどうやら鳥のモンスターか、もしくはモンスターでも何でもない鳥によって連れ去られたか何かしたらしい。……もっとも、鳥というのもあくまでリザードマンから聞いた情報からの話だから、もしかしたら俺にとっても全くの予想外の何かによって連れてこられたのかもしれないが」
「それは……よく無事だったな」
「空から落ちてきたところで、丁度そこにいたリザードマンが助けたらしい。運のいい子供だと俺も思う」
「だろうな。もしリザードマンがいなければ……」
そこまで口にしたフラットは、それ以上は何も言わない。
言わなくてもどのようなことになるのかは、レイにも分かったのでそれに対してはレイも何も言わなかったが。
「それで、この子供だけど……」
「だから俺に言われてもな。見た感じだと運だけじゃなくて血筋とかも悪くないようだし、そういう子供ならもしかしたら親が権力や財力を使って捜すかもしれないな」
「けど、冬だぞ? この赤ん坊の両親がギルムにいるのならいいけど、もしいなかった場合……春まで待つ必要がある。持っている権力や財力によっては、雪が降っていてもギルムまでやって来る可能性もあるが」
雪が降ってる中、馬車で移動するのは不可能ではないものの、非常に厳しいのは事実。
冬だけ出てくるモンスターは基本的に強力なモンスターだし、雪によって馬車がスリップする危険もある。
そうなると、ギルムに来るまでが非常に大変になるのは間違いなかった。
「ギルムに両親がいるのなら一番いいんだけどな。……今日の物資を運んで来る馬車に預けようと思うけど、レイはそれでいいか?」
「物資の馬車に預けるのはいいとして、ギルムに戻ってからはどうするんだ? 警備兵に渡すのか?」
「一応、ダスカー様に話を通す必要がある。……偶然というか悪運というか、とにかくそんな感じだとは思うが、それでもこうしてトレントの森に落ちてきた赤ん坊だ。話は通しておいた方がいい」
「ダスカー様に? そうした方がいいのは分かるけど」
そこまでする必要があるのか?
言葉にはしないものの、レイはそのように思っていた。
フラットもレイとの会話からそんな様子を理解するも、繰り返すように頷く。
「後で問題とならないようにするのは必要だ。それに……もしかしたら、ダスカー様がこの赤ん坊について何か知ってる可能性もあるし」
「ああ、なるほど」
赤ん坊の肌着から、相応に裕福な家の子供なのは間違いない。
であれば、自分の子供が連れ去られた、あるいは消えたということで、その家がギルムにあるのなら、ダスカーに子供を捜して貰えるように要望を出してもおかしくはない。
勿論普通ならそのようなことは警備兵に任せるダスカーだが、もし相手が有力者であった場合は話が違ってくる。
自分が出る必要があるかもしれないと、そんな風に思ってもおかしくはなかった。
「だろう? それに話を通すだけなら、そこまで面倒でもない。それでダスカー様が問題ないと判断すれば、それこそ警備兵なり、孤児院なりに預ければいい」
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!」
「うおっ!」
まるでフラットの言葉に反応したかのように、今までレイの腕の中で眠っていた赤ん坊が泣き始める。
それは、リザードマンから受け取った時と同じくらい派手に泣いている。
「おい、レイ。静かにさせてくれ」
「俺に何を求めてるんだよ!?」
これが敵を倒せといったようなことなら、レイも問題なく行動に移せるだろう。
だが、ことはレイにとっても慣れていない赤ん坊だ。
一体何が原因で泣き始めたのか、レイにも分からない。
これが子供であっても、赤ん坊ではなくもっと大きな……それこそ五歳くらいの年齢であれば、干した果実や焼き菓子を渡して泣き止ませるといった真似も出来るだろう。
だが、まだ言葉も喋ることが出来ないような赤ん坊を相手に、そのような真似は出来ない。
「取りあえず、おしめとかそっちじゃない。だとすれば……腹が減ったのか? けど、どうすればいい?」
レイのミスティリングの中には色々な物が入っているが、それでもさすがに母乳の類はない。
そうなると、どうにかして母乳を入手する必要があるのだが……生憎と野営地には母乳を出せる女はいない。
何人か女の冒険者や研究者、助手といった者達はいるものの、子供のいない者だけだ。
そもそもの話、子供がいれば自分がこのような危険な場所で仕事をしたり、寝泊まりをしたりといった真似は出来ない。
「おいっ、うるせえぞ!」
赤ん坊が泣き止まないことに困っていたレイだったが、不意にそんな風に怒鳴られる。
その声に視線を向けると、そこには苛立たしげ……ではなく、優越感に満ちた笑みを浮かべている数人の男達の姿があった。
その男達が誰なのか、レイはすぐに理解する。
研究者の護衛達だ。
しかも、以前からレイの存在を疎ましく思っていた者達。
そのような者達にしてみれば、レイを攻撃出来る絶好のタイミングだと思ったのだろう。
以前レイに絡もうとした時は、他の護衛の者達……レイの実力をきちんと理解している者達によって、押さえ込まれた。
だが、今ならどうか。
騒いでいるのはレイ達……正確にはレイの連れている赤ん坊である以上、自分がそれを責めても問題はないだろう。
そのように考えての行動だった。
あるいは、他の護衛……特に以前の一件で男達を取り押さえた者達がいれば、男達を止めようとしただろう。
しかしここには男達しかいない。
……実際には、男達は問題を起こしそうな者達であるということで、他の護衛達からも疎まれており、だからこそここに男達だけがいたのだろう。
「フラット、あの連中はどうすればいいと思う?」
「こうすればいいのよ!」
赤ん坊を何とか泣き止ませようとしながらフラットに尋ねるが、それに声を返したのはフラットではなくセトの毛に埋もれるようにしていたニールセンだった。
それと同時に、地面の下から伸びた木の根が護衛の男達の身体に巻き付く。
「おわっ! くそっ、一体なんだ!? 離せ!」
「畜生、俺達にこんな事をしてもいいと思っているのか!」
「くそっ、離せ! 離せよ!」
叫ぶ男達。
だが、そんな男達の前に、ニールセンが移動し、不満そうな様子で口を開く。
「あのね、赤ん坊ってのは泣いたり寝たりするのが仕事なのよ。なのに、あんた達は一体何でそんな風に言うのよ!」
「ニールセン!? ……ふん、妖精に人間の考えは分からないんだろ」
レイを庇うような……いや、正確にはレイが抱いている赤ん坊を庇うような言葉を口にするニールセンが面白くないと思っての言葉だろう。
木の根によって身動きが出来なくなっているのに、それでも口は止まらない。
男達にしてみれば、ニールセンに出来るのはこうして自分達の動きを封じるだけで、これ以上の……それこそ木の根で身体を貫いたりといった真似をするとは思っていないのだろう。
実際にここでもしニールセンがそのような攻撃をすれば、妖精という存在は危険だと言い触らし、それによってレイやニールセンにダメージを与えてやろうと、そう思っていた。
もしそのようなことをした場合、一時的には気分がいいかもしれないが、それが終わった後で妖精郷とギルム、もしくはミレアーナ王国との関係を妨害したということになり、厳しい罰が待っているのだが、男達はそこまで考えてはいなかった。
護衛を辞めさせられるという意味で首が飛ぶのではなく、物理的な意味で首が飛ぶかもしれないのだが。
「ふーん、ならニールセンじゃなくて私達が何かをするのはいいのよね?」
不意に周囲に響く声。
その声に男達は、そしてレイやニールセン達も視線を向ける。
そこにいたのは数人の冒険者の女だった。
赤ん坊が元気よく泣いているのだ。
その泣き声はかなり響いていたし、野営地にいた者達の耳にも聞こえてきた。
それだけなら特に何も問題はなかっただろう。
だが、レイを嫌っている男達がこれ幸いと騒ぎ始めた。
いや、それでもまだ本来ならここまで女達が気にするようなことはなかったかもしれないが、レイを攻撃する理由として赤ん坊を使ったのが、男達にとっての不運となる。
偶然にも、現在野営地にいた女達は、その多くが子供好きだった。
そんな中で子供を責めるような真似をすれば、どうなるか。
あるいは男達が圧倒的な強さを持っており、力で全員を黙らせるようなことが出来るなら、もう少し話は違ったかもしれない。
だが、男達はそれなりの実力はあっても、結局はそこまで強い訳ではない。
レイには勿論のこと、この野営地にいる冒険者達の多くにも勝てないだろう。
これが縁故採用されたのではなく、実力で護衛に選ばれた者なら話は違ったのだろうが。
もしくは縁故採用であっても、きちんと実力のある者であれば。
しかし、男達はそのどちらでもない。
そうである以上、こうして何人もの女に敵対されるとレイに向けていた敵意も自然と小さくなる。
「あ、いや。別に……」
最初にレイに向かって赤ん坊の泣き声の件で不満を言った男は、女の冒険者達に何も言えなくなる。
何とか言い繕おうとはしているのだが、それでも冒険者の女達の視線を考えると、何も言えなくなってしまう。
「何よ? 何か言いたいことがあるのなら、きちんと言いなさいよ。聞いてあげるから。そして何も言えないのなら、さっさと消えなさい」
そう言い、ニールセンは軽く手を振り木の根から解放する。
「ちっ、行くぞ!」
自由を取り戻した男は、せめてもの抵抗とばかりに舌打ちをし、仲間にそう言って立ち去る。
だが……そんな男の態度に何人かの冒険者の女が強く地面を蹴ると、男達はこれ以上ここにいるのは不味いと判断したのだろう。
急いでその場から走り去るのだった。
「全く……それで、レイ。その赤ん坊はどうしたの?」
男達を追い返した冒険者の女は、レイが抱いている赤ん坊を見てそう尋ねる。
女にしてみれば、何故この場に赤ん坊がいるのかが全く理解出来なかったのだろう。
それに対してレイが口を開こうとすると……
「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ」
赤ん坊の泣き声が周囲に響く。
「えっと……どうしたんだ? 腹が減ったのか? それとも……」
「ちょっと、レイ。その子を貸してちょうだい」
レイの様子を見てられなかったのか、話していた女はそう言って赤ん坊を寄越すようにと手を差し出す。
「え、ああ」
レイは自分の腕の中で泣いている赤ん坊をどうしたらいいのか分からず困っていたので、それをどうにかしてくれるというのなら、喜んで頼る。
怪我をさせないように、ましてや地面に落としたりしないよう、慎重に女に渡す。
女は赤ん坊を受け取ると、その身体をゆっくりと揺らす。
同時に背中を撫でてやり、落ち着かせるように口を開く。
「ほら、心配ないわ。ここは安全だから、ゆっくりとしてなさい」
「おぎゃあ、おぎゃあ……あう……」
最初こそ女に抱かれても泣いていた赤ん坊だったが、そのままゆっくりと身体を揺らし、その背中を撫でていると、やがて赤ん坊は泣き止む。
『おおおおお』
レイだけではなく、周囲にいた他の女の冒険者も、その手並みに感心したように声を上げる。
まさかここまであっさりと泣き止ませることが出来るとは、思ってもいなかったのだろう。
「静かにして。大声を出すと、また泣くから」
注意する女の言葉に、レイを含めた他の者達が黙り込む。
そうして静かになった中で、女は赤ん坊をあやし続ける。
するとやがて泣き止んだ赤ん坊は、揺れが気持ちよかったのか眠り始めた。
そんな様子を見て、レイは安堵するのだった。