3223話
レイがそう判断したのなら、ミスリルの釘を使っても問題ないだろうということで話は決まる。
「おーい、話が決まったらそろそろマジックアイテムを使ってくれないか?」
穢れに追われている冒険者が、レイに向かってそう叫ぶ。
もっとも、穢れの移動速度はそこまで速くはないので、その声にはまだ結構な余裕がある。
もしレイがもう少し待っていて欲しいと言えば、特に問題もなく分かったと頷くだろう。
……もっとも、ミスリルの結界の実験は出来るだけ早くした方がいいので、レイは無意味に実験を始める時間を引き延ばすといった真似は考えていなかったが。
「分かった、じゃあ、行くぞ。もう分かってると思うが、俺がミスリルの釘を地面に突き刺して、いつでもミスリルの結界を展開出来る準備をする。そうしたら黒いサイコロをミスリルの結界の範囲内に連れてきてくれ」
レイの指示に、穢れを引き付けている冒険者の男は分かったと黒いサイコロに追われている男が軽く手を振る。
「さて、どうなると思う? 私の予想では、黒い円球の時とそう違いはないと思うのだが」
オイゲンがそう助手に向かって尋ねる。
助手も上司に対するゴマすりではなく、仮にもオイゲンの助手として行動してきた経験から、その言葉に頷く。
「そうなると思います。黒い円球と黒いサイコロは外見こそ違いますが、能力そのものはそう違いはないと思えるので。そうである以上、ミスリルの結界は同じように効果があると考えるのが普通でしょう」
「やはりそう思うか。では、何故穢れはこのように二種類……いや、最初にレイが見たのは不定形の存在だったらしいから、三種類もいるのか。形状が変わったことによって能力に差別化があるのならまだしも、そうでないのなら形状を変える必要があるとは思えない」
「だとすれば、穢れの関係者の意思で穢れの形態を変えているのではなく、何らかの理由で円球とサイコロといった形になっているだけなのでは? もしかしたら、本当にもしかしたらの話ですが、穢れの関係者も自分達が送り込んでいる穢れが円球やサイコロになってるのは知らないかもしれません」
その助手の言葉は意外だったのか、オイゲンは頷く。
いや、それはオイゲンだけではなく、オイゲンの周囲にいる他の研究者達や、ゴーシュ達までもが驚いていた。
「なるほど、そもそも穢れがトレントの森に転移してきている時点で普通ではない。なら、その普通ではない条件というか代償として、穢れの関係者達がこちらで具体的に何がおきているのか分からないというのがあるのか」
「少し待って欲しい」
オイゲンにそう声を掛けたのは、ゴーシュ。
少し戸惑った様子で言葉を続ける。
「元々穢れの関係者が穢れをここに送り込んできているのは、ボブだったか。穢れの関係者が行っていた儀式を見てしまった人物を殺す為の筈。なら、ボブを殺したというのを向こうで認識出来る、何らかの能力は最低限あってもおかしくないのでは?」
ゴーシュの言葉には強い説得力があった。
ボブを殺す為に穢れを送り込んでいるのに、そのボブを殺したかどうか分からないというのでは意味がない。
「その辺は別に何らかの……」
「議論はその辺にしておいてくれ。黒いサイコロが向かってきたから、実験を始めるぞ!」
ミスリルの釘を地面に突き刺して叫ぶレイに、オイゲンとゴーシュは議論を止める。
お互いに色々と主張したいことはあったが、今ここでそのような真似をしていればミスリルの結界の実験を見逃すようなことになりかねない。
それを知っているからこそ議論を打ち切り、レイの方を見たのだ。
「グルルゥ!」
そんなレイから少し離れた場所では、セトがレイに向かって頑張れと鳴き声を上げていた。
レイはそんなセトの鳴き声に笑みを浮かべつつ、自分の方に向かって走ってくる冒険者の男を確認する。
冒険者の男も、そこにレイがいるのは見えているので、走っていてレイにぶつかるなどといった真似をするつもりはない。
「レイ」
レイの側を走り抜けながらレイの名前を呼ぶ。
それを聞いたレイは、穢れが自分の側を通っているのを見つつ、緊張しながら、それこそいつ何があっても対処出来るようにしながら、ミスリルの結界を発動する。
穢れは基本的にプログラムで動くロボットのような存在だとレイは認識していた。
だからこそ、穢れが一度攻撃対象と認識した相手を追い続けている以上、自分の側を通っても穢れが自分に反応することはないだろうと。
もっとも、穢れの方からレイに攻撃をするといったことはしないが、レイが穢れの進行方向にいた場合は、穢れがそれを回避するといった真似はしない。
つまり、穢れはそのままレイに触れるといったことになる。
そうなると穢れに触れた以上はその場所が黒い塵となって穢れに吸収されてしまう。
そのような状況である以上、穢れが自分を狙っていなくても、それは決して油断出来るような相手ではなかった。
しかし、そこはレイだ。
穢れの進行方向に自分がいないように位置を調整してからミスリルの釘を発動させた。
ちょうどミスリルの釘の真上を通った穢れは、その身体をミスリルの結界によって捕獲される。
「よし! 成功だ」
このような状況でミスリルの結界の発動が失敗するとは、レイも全く思っていなかった。
思っていなかったが、それでも万が一のことを考えると念には念を入れる必要があるのは間違いない。
それが功を奏したのか、レイは特に危険な状況になることもなく、穢れをミスリルの結界に捕縛することに成功する。
冒険者の男を追っていた穢れは、何とかミスリルの結界を破壊しようと体当たりするものの、ミスリルの結界が壊れるようなことはない。
黒い塵となって吸収されるようなことも、今のところはなかった。
「よくやってくれた。……後は、この黒いサイコロが明日に死ぬのかどうか。それを確認したいところだ」
オイゲンは早速ミスリルの結界とその中にいる黒いサイコロを観察しながら、そう言う。
いや、新たな観察対象……それも今までとは違うミスリルの結界によって捕獲された黒いサイコロの異変を決して見逃すような真似はしないといった様子で、ミスリルの結界の周囲には多数の研究者達が集まっていた。
半透明の結界の内部をじっくりと見て、そこで動き、何とかミスリルの結界から脱出しようとしている黒いサイコロを観察している。
「取りあえず、俺の役目はこれで終わりだ。……一応言っておくが、ここは野営地の外だ。モンスターが姿を現すかもしれないから、その辺は注意しろよ」
自分の役目は終えたと、そうレイが告げる。
その言葉に、研究者の護衛をしている者達のうちの何人か……野営地の外であるということの意味をしっかりと理解していなかった者達が頬を引き攣らせる。
ただし、そのような者は少数だ。
それこそ実力ではなく、縁故採用された者達がその少数となる。
そんな中でしっかりと実力を持つ者達は、レイの言葉を聞いてもそこまで驚いている様子ではない。
勿論、縁故採用をされる者の全員が駄目な訳ではない。
中には縁故採用であっても優秀な者はいる。
「お、おい。ちょっと待てよ。そんな場所に俺達を置いていくのか?」
レイの言葉に動揺した者の一人が、レイに向かってそう言う。
その言葉は、レイに守って貰いたいと思っているのは間違いない。
それでいながら、自分を守って欲しいとレイに頼むようなことは出来ずにいる。
護衛の男に呆れた様子を見せつつ、レイは口を開く。
「お前達は護衛だろう? なら、しっかりその仕事をこなせばいい。何かあったら野営地まで来れば守って貰えるのだ。そういう意味では、決して悪い話じゃないと思うが?」
「それは……」
「それとも、何だ? 研究者の護衛として雇われているお前達を俺が守れとでも言うのか?」
「そんなことは言ってない!」
叫ぶのは図星を突かれたからか。
反射的に叫んでしまった自分に気が付いたのか、男は反射的に自分の口を塞ぐ。
だが、レイはそんな男の様子を気にせず、改めて口を開く。
「なら、問題はないだろう? じゃあ、せいぜい頑張ってくれ。俺は俺でやるべきことがあるし」
そう言い、レイはセトと共にその場から立ち去る。
(やるべきことがある、か。……一体何をやるんだろうな)
移動しつつ、レイは自分が口にした言葉を思い出しながら自分で自分に呆れるようにそう思う。
「グルルゥ?」
「やるべきことがあるって、何をやるのよ?」
レイの隣を進むセトと、そのセトの毛に隠れていたニールセンがそれぞれそうレイに声を掛ける。
レイはそんなニールセンに、少し困った様子で視線を逸らす。
面倒に巻き込まれないようにする為に先程のようなことを口にしたのだと、見抜かれているのは間違いなかったからだ。
「そうだな。取りあえず……何か美味い料理でも食べるとか」
「え?」
チョロい。
美味い料理という言葉に反応したニールセンに、レイは内心でそう思う。
もっとも、そんな風に思っているとニールセンに知られれば間違いなく不機嫌になるので、それを悟られるような真似はしなかったが。
「ねぇ、何? どんな料理を食べるの?」
「……俺が言うのも何だけど、前よりも料理に興味が出て来てないか?」
「しょうがないじゃない。向こうの妖精郷に行って戻ってくる時は、ろくな料理を食べられなかったんだから」
ニールセンとイエロ、そして途中でドッティが加わったものの、その中に人間や獣人、エルフ、ドワーフといった者達は誰もいない。
当然ながら、途中で村や街に寄って何らかの料理を買ったりするような真似は出来ない。
結局、モンスターを倒してそれを焼いて食べるといったことしか出来なかったのだ。
調味料の類もないので、味もない素焼きで。
これが今のような冬ではなく、春から秋に掛けてなら、山菜やキノコ、果実といった食材もあっただろうが、冬ではそれを入手することも出来ない。
実際にはそれなりに知識があれば、地面に埋まっている野生のイモ……いわゆる自然薯とかを手に入れることも出来たのだが、生憎とニールセンにその辺の知識はなかった。
今まで人のいる場所に近付かなかった妖精として、その辺の知識は持っていてもおかしくはないのだが。
ともあれ、そのような状況だっただけに、ニールセンは出来るだけ多くの料理を食べたいと思うのはおかしな話ではない。
「取りあえず、穢れの関係者の拠点に行く前にニールセンが好きだった、これでも食べてろ」
ニールセンをこのまま放っておくと、それこそ何か料理を食べたいとうるさいだろう。
そう判断したレイは、ミスティリングの中から取りだしたオーク肉の串焼きを渡す。
「わ、美味しそう! ありがとう、レイ!」
自分よりも大きな串焼きだったが、ニールセンはそんなのは関係ないといった様子で串焼きを食べ始める。
オークの肉は、ニールセンも大好きな食材だ。
適当に焼いても、その肉の美味さは十分に味わうことが出来る。
その上で、レイのミスティリングに収納されているオーク肉の串焼きだ。
適当に焼いた肉ではなく、腕の良い料理人がその熟練の腕を使って焼いた串焼きだ。
同じ串焼きという料理であっても、素人が作る串焼きとはまるで違う料理がそこにはあった。
「グルルゥ」
そんなニールセンの様子を見ていたセトが、自分も食べたいといったようにレイに向かって円らな瞳を向けてくる。
焼きたてのオーク肉の串焼きは、その外見と……そして香りもまた十分以上に食欲を刺激してくるのだ。
そんなオーク肉の串焼きを食べているニールセンを見て、セトが自分も食べたいと主張するのはおかしなことではないだろう。
レイはセトの様子を見ればそのようなことをすぐに理解し、ミスティリングからもう一本同じ串焼きを取り出す。
「ほら、セト、お前も食べろ」
「グルゥ!」
渡されたオーク肉の串焼きに、嬉しそうな様子を見せるセト。
そんなセトとニールセンを見ていたレイは、自分もオーク肉の串焼きを食べたくなり、ミスティリングから追加で取り出す。
熱々のオーク肉に齧りつくと、最初に口の中に広がるのは香辛料の鮮烈な香り。
どのような香辛料を使っているのか、あるいは混ぜているのかは分からないが、その香辛料が口の中に広がる新鮮な味。
次にオーク肉の肉汁が広がって、香辛料を覆い隠す。
肉の旨みが口一杯に広がり、焼いたことにより煮たのとは違うしっかりとした噛み応えのあるオーク肉。
咀嚼するごとに口の中に広がるその味は、香辛料と混ざり合ってそれだけで十分満足出来る味を楽しめた。
そうしてオーク肉の串焼きを食べながら、レイ達はマジックテントのある場所に向かうのだった。