3211話
妖精郷で行われている会談の中で、穢れについての部分は終わった。
しかし、会談そのものはまだそれで終わりではない。
「妖精郷をどうするか、ですか。……やはり妖精郷に来たいと思う者は多いのですか?」
長の言葉に、ダスカーとブロカーズがそれぞれ頷く。
躊躇すらないままに頷くその様子は、それだけ妖精郷に興味を持っている者が多いということを意味していた。
「わ、じゃあ屋台とかを出して貰ってもいいんじゃないですか? きっと皆も喜びますよ」
まだ会談の場にいたニールセンが、そんな風に言う。
ニールセンにしてみれば、ギルムで冒険者として活動するのは駄目だと言われたのだ。
なら、妖精郷に屋台があれば、美味い料理を思う存分食べられると思ったのだろう。
「ニールセン、人の世界では何かを手に入れるには金が必要なのですよ」
「それは……」
長の言葉にニールセンは反論出来ない。
実際、レイのドラゴンローブの中にいて、あれが食べたい、これが食べたいと言ってレイに買って貰った時も、レイが料理の代金を支払って購入していたのだ。
もし妖精郷の中で屋台を出すようなことになっても、代金を貰わずに料理だけを妖精達に渡すといった真似をすれば、赤字になってしまうのは確実だった。
(もっとも、損して得取れって言葉もあるけど)
長とニールセンのやり取りを見ながら、レイはそんな風に思う。
実際、妖精郷において人気だった屋台ということになれば、そのネームバリューはもの凄いことになる。
同じような屋台や店が多数出て来れば話は別だが、最初のうちは大繁盛間違いなしだろう。
そうなると妖精郷で赤字になった以上の利益を手にすることも不可能ではない。
(……と、思う。妖精達の食欲を考えると、もしかしたらもしかするかもと思うけど)
妖精達の食欲を知っているレイにしてみれば、総合的に見ても赤字になるのでは? と思ってしまうのも事実。
それでも妖精郷で人気だったというのは、非常に大きなネームバリューになるのは間違いない。
「そんな……じゃあ、屋台とかを妖精郷で開くのは無理なんですか?」
「代金を支払うのなら問題はないでしょう。ただ、妙なことを考えない相手というのが大前提ですが」
長の言葉は、レイも含めて聞いていた者達を悩ましい思いにさせる。
妖精という存在を前にして、妙なことを考える者が一体どれだけいるのか、それが分からなかったからだ。
もし妖精郷の存在を公にしても、ダスカーはそのような者達を妖精郷の中に入れるつもりはない。
しかしそれは、相手が妙なことを考えているかどうか見抜けたらの話だ。
世の中には自分の本心を押し殺し、決して相手に知られないようにする……といったことが出来る者もいる。
「妖精郷の存在を公にすれば、悪辣な考えを持つ者の侵入を完全に防ぐことは不可能、か」
ダスカーの言葉は、その場にいる多くの者を納得させるには十分な説得力を持つ。
話を聞いていたレイも、ダスカーのその言葉に否とは言えない。
「その辺りのことを考えると、妖精郷を公にするのは止めた方がいいのでは?」
「長が言いたいことも分かりますが、穢れの件を考えると妖精郷の存在を隠し通すことは難しいのですよ」
「……なるほど」
ダスカーの言葉に、長が眉間に皺を寄せつつ、そう答える。
長にしてみれば、妖精郷でこれ以上の妙な騒動は起こらないで欲しい、あるいは起こさないで欲しいと思う。
だが同時に、穢れの一件を解決する為にはそのくらいのことは受け入れる必要があるのかもしれないという思いもあった。
そうして悩んでいると、ブロカーズが口を開く。
「妖精郷の重要さを考えると、誰でも希望する相手を入れるという訳にもいかないでしょう。では、ダスカー殿が許可を出した人物だけを入れるということにすれば、問題はないので?」
「いや、それだとこっちの負担が……」
ブロカーズの提案に、ダスカーがそう言う。
実際、その言葉は決して間違っていない。
ギルムの増築工事が冬になったことで、基本的には春まで休みになっている。
……それでも重要な場所であったり、一段落する場所まで工事をしたり、冬の間にモンスターが侵入してこないようにしたりと、まだ色々とやることがあるのは間違いない。
しかし、春から秋に掛けての仕事量と比べると大分減るのは間違いなく、それに比例するようにダスカーの仕事も減る。
そのような状況であったからこそ、昨日の今日でこうして妖精郷にやってくることが出来たのだろう。
しかし、それでもこの会談が終わって領主の館に戻ればそれなりに仕事が残っているし、増築工事以外の仕事は冬になったからといってそう簡単に減るようなことはない。
そこに妖精郷で屋台や店を出したい者を募集し、それを許可するかどうかをダスカーが判断するとなると、仕事はとんでもないことになる。
妖精郷とのやり取りは、場合によってはギルムに……いや、ミレアーナ王国全体の問題になってもおかしくはない。
それだけに、ダスカーも屋台や店を出したいという者を許可するかどうかの判断を部下に任せる訳にはいかず、自分でやるしかないだろう。
「なら、いっそ……希望者を募るんじゃなくて、ダスカー様が信頼出来る相手に直接話を持っていくのはどうですか?」
これが日本であれば、権力者がそのような真似をすれば色々と問題になるだろう。
だが、ここは日本ではなくギルムだ。
ダスカーの判断によって、独断で妖精郷に屋台や店を出す者を決めるというのは、悪い話ではなかった。
「ふむ、それは悪くない考えかもしれないな。だが、妖精達がどうやって金を稼ぐかという問題もある」
「使っていないマジックアイテムを売るとか!」
ニールセンが真っ先に提案したのはそれだ。
ダスカーが妖精郷と取引をする上で考えていたのが、マジックアイテムを買い取るというものだったので、ダスカーとしてはニールセンの意見に反対はしない。
しないが……
「ニールセン?」
ビクリ、と。
長の口から出た言葉に、ニールセンは動きを止める。
もし今の言葉を無視して何かを言っていれば、それこそこの場で何らかのお仕置きをされていたかもしれないと、そのように思ったのだろう。
そんなニールセンの言葉は、決して間違ってはいない。
長の言葉を聞いて途中で言葉を止めなければ、ニールセンが予想していた状況になっていたのだろうから。
「その話については、もう少し相談が必要でしょう。穢れの件で妖精郷の件を隠し通すことが無理だとしても、すぐに公開しないといけない訳でもないでしょうし。……レイ殿の活躍によっては、もしかしたらそこまで大きな騒動にならないかもしれませんし」
そう言う長だったが、もしレイがこのニールセンの見つけた場所に行き、そこで穢れの関係者を全員殺すなり捕らえるなりすれば、穢れの件についてそこまで大きな騒動にならないかもしれない。
しかし、もしレイが穢れについての騒動を鎮圧させることが出来たとしても、既に妖精郷については国王派や貴族派にも知られているのだ。
そうである以上、穢れの件を鎮圧しても妖精郷について知っている者は増えている。
結果として、妖精郷についても今までのようなままということには出来ないだろう。
「最悪の結果を考える必要もあるかもしれませんね」
「少し待って欲しい、長」
長の呟きを聞いたダスカーは、一瞬の躊躇もなく声を掛ける。
長が口にした、最悪の結果というのが何を意味しているのか理解出来てしまったからだ。
それはつまり、妖精郷を他の場所に移すというものだと理解したからだろう。
ダスカーにしてみれば、ここで妖精郷にいなくなられるのは困る。
妖精郷というのは、ギルムが他の勢力……それこそ国王派や貴族派に対して非常に大きなアドバンテージになるのだから。
ダスカーにしてみれば、そのような妖精郷がいなくなるのは絶対に止めて欲しいと思う。
ダスカー以外の者にとっても、妖精郷がこのまま消えてしまうというのは決して許容出来ることではない。
「無理に人を入れる訳にもいかない……か」
ブロカーズが小さく呟く。
ブロカーズにとっても、妖精郷というのはここからいなくなってしまうのは困るだろう。
「長、それは私もちょっと……」
ニールセンもまた、妖精郷を移すという可能性を口にする長に反対する。
そのように色々な相手から反対された長は、特に表情を変えたりせず口を開く。
「勿論、絶対にそのような真似をすると言ってる訳ではありません。ですが、妖精郷があることで問題が起きるのなら、妖精郷はここから消えた方がいい。そのように思っただけですよ」
長もまた、本心では妖精郷を移したいとは思わない。
もし妖精郷を移すとなれば、当然だがこの近くということにはならないだろう。
それこそ辺境から出るといったことになる可能性が高かった。
そうなると、当然だが長がレイと会うのも難しくなる。
それは長にとっても嬉しくない出来事なのは間違いない。
……だが、妖精郷の長である以上、個人の感情だけで妖精郷を危険に晒す訳にもいかないのも事実。
「取りあえず、その辺りについては急に考えても後で後悔するかもしれませんし、今日はこの辺りにしては? 明日の件を錬金術師達に知らせる為に、いつまでもここにいる訳にもいきませんし」
「そうですか。……いえ、そうですね。ダスカー殿の言葉は正しい。今ここで急にその辺りについて決めても後で悔やむことになるでしょう。では、その件については今は棚上げするということで」
長の口から出た言葉に、安堵した様子を見せる一行。
「では、今日はこの辺りで……」
「あ、ダスカー様。このまま帰るのなら、俺がセト籠で領主の館まで送りましょうか? そうすれば移動時間はかなり短縮されると思いますし」
領主の館に直接セトに乗って降りるのを許可されているレイは、そうダスカーに尋ねる。
ダスカーが少しでも早く仕事をしたり、あるいは錬金術師達に明日の件を話すのなら、そうした方がいいと思ったからだ。
するとそんなレイの言葉に、ダスカーが笑みを浮かべる。
「そうしてくれるか? なら、頼む。……ブロカーズ殿はどうする?」
「セト籠というのは一体? 話の流れからすると、セトが持つ籠か何かのように思うのですが」
セト籠とだけ言われても、ブロカーズはすぐ理解することが出来なかった為だろう。
ダスカーにそんな疑問をぶつける。
「ええ。セト籠というのマジックアイテムの一つです。セトが掴んで運ぶという意味ではその通りですが、風とかは邪魔になりません。空を飛ぶという経験は滅多に出来ることではないですし、どうでしょう?」
「ふむ……では、お願いしましょう」
「ブロカーズ様!?」
あっさりと受け入れたブロカーズに、護衛のイスナは慌てて叫ぶ。
話の流れからすると、てっきりブロカーズは断るのだとばかり思っていたのだ。
だが、実際には嬉々として受け入れたのを、イスナの立場としては咎めない訳にはいかなかったのだろう。
「イスナ、折角のダスカー殿の厚意だ。それを意味もなく断る訳にもいかないだろう」
「それは……ですが、空を飛ぶんですよ? もし落ちたら……」
「ダスカー殿が乗るのだ。そのような危ないことはないと思うが」
ブロカーズの言葉に、ダスカーも当然といった様子で頷く。
「危ない物をレイに渡すような真似はしない。それに……レイ、実際に使って見た感じはどうなのだ? 今までそれなりに使ったのだろう?」
「そうですね。今まで結構使ってますけど、何か不具合があったとか、そういうことはありませんでしたね」
レイがセトを従魔としている以上、仲間達と一緒に行動するとなると、どうしてもセト籠を使うことが多くなる。
そうした経験から考えると、セト籠に乗っていて特に何か問題が起きたということはない。
「そんな訳で、特に問題はないと思う」
「……分かりました。ですが、全員で一緒に移動するという訳にはいかないのでは?」
イスナが周囲の者達を見ながら言う。
実際、それは間違っていない。
何だかんだと、護衛や文官を含めてダスカー達は全部で二十人以上もいる。
そんな全員をセト籠に乗せられるかと言われれば、レイも素直に頷くことは出来ないだろう。
あるいは無理矢理詰め込めば乗せることも出来るかもしれないが、そうなったらそうなったで問題なのは事実。
ダスカーやブロカーズのようなお偉いさんを、言ってみれば寿司詰めの満員電車に無理矢理詰め込むようなものだろう。
もっとも、東北の田舎に住んでいたレイはそういうのは、それこそTVや漫画といったものでしか知らないのだが。
駅はあるが、基本的に自転車や両親の車で移動するのが普通なのだから。
一家に一台ではなく、一人に一台。
それが田舎に住む者の車を持つ感覚だった。