3205話
目の前の光景に、ダスカー達は驚く。
レイは今まで何度も……それこそ、ニールセンをお仕置きする光景を見ているので特に驚くようなことはなかったが、魔法やマジックアイテムを使うでもなく、あるいはスキルとして何かを使っている様子もなく、手足を使う延長のような感じで石を持ち上げるという光景はダスカーにとっても驚きだった。
「これは……」
ブロカーズも長のやったことの凄さ、あるいは異質さを理解したのか、驚きの声を上げる。
そんなダスカーやブロカーズ、他の者達の様子を見て、これ以上は必要ないと判断したのか、持ち上げていた拳大の石を地面に下ろす。
「これが私の数多の見えない腕という由来です」
「数多のということは、一度に複数?」
「ええ、詳しいところまでは教えることは出来ませんが、私の見えない腕と言われているのは、一つや二つではありません。……さて、ではいつまでもここにいるのも何ですし、私のいる場所に案内しますね」
「助かります。……ご挨拶が遅れましたが、私はダスカー・ラルクスと申します。こちらは、ブロカーズ・ザラッツォ殿。自己紹介が遅れたこと。申し訳ない」
妖精郷に来たという点で驚くなという方が無理だった。
そんな驚きの中で突然長が姿を現し、なし崩し的に話が始まってしまったので、ダスカーとブロカーズという、この集団を代表する者達が自己紹介をする暇がなかったのだ。
長は二人の自己紹介を聞いて頷く。
「ダスカー殿とブロカーズ殿ですね。よろしくお願いします。もっとも、ダスカー殿とは対のオーブで会っていたので、こうして改めて自己紹介をするのも妙な感じですが」
殿とつけてはいるものの、それはレイを呼ぶ時にレイ殿とするのとは、明らかに温度が違っていた。
もっとも、それは別に殊更にダスカーとブロカーズを軽視しているわけではなく、寧ろレイが特別な存在と長に認識されているというのが正しいのだが。
「では、自己紹介も終わりましたし、行きましょうか。こちらです」
そう言い、長はダスカー達を案内するように移動する。
ダスカーやブロカーズも穢れの件について話し合いをしたいという思いはあったものの、まさか妖精郷の入り口付近でそのような真似をする訳にもいかない。
そのことを分かっていたので、素直に長を追う。
ダスカーとブロカーズが移動を始めれば、護衛達も同様に移動する。
そうすると、当然だが妖精郷の中を堂々と歩くことになり、多くの妖精に興味深そうな視線を向けられた。
もっとも、長が妙なちょっかいを出さないように言っておいたので、この程度ですんでいるのだが。
もし長が何も言っていなければ、多くの妖精達はこれ幸いと悪戯をしたり、一緒に遊ぼうと言ってきたり、何か美味しい食べ物をちょうだいと言ってくるだろう。
そういう意味では、ダスカー達は幸運だったのだろう。
長のお仕置きの強烈さを知っている妖精達は、そう簡単には長の言いつけを破ったりはしない。
……中にはそれでも好奇心に負けて突撃しようとした妖精もいたが、それはお仕置きの巻き添えを恐れた他の妖精によって止められている。
そんな妖精達の様子も、初めて妖精郷に来た者達にしてみれば非常に珍しい光景だ。
レイにとってはそれなりに見慣れた光景ではあるのだが。
「おい、ちょっと……ほら、妖精が手を振ってるぞ。これって手を振り返した方がいいのか?」
護衛の騎士の一人が、隣にいる仲間にそう尋ねる。
普通に考えれば、騎士達は護衛なのだからそのような真似が許される筈もないのだが……
「別にいいんじゃないか? 妖精郷だし、他の場所と一緒に考えるのは間違いだろうし」
そう言い、手を振り返す。
手を振っていた妖精は、手を振り返されたことで嬉しそうな表情を浮かべる。
妖精というのは小さいということもあるのか、全てが愛らしい容姿をしていた。
こうして見ている限りでは、基本的に全員が平均以上の顔立ちをしており、不細工な者はいない。
ある意味、それが妖精の特徴の一つなのだろう。
「あ、てめえっ!」
手を振られた騎士が自分が手を振り返すよりも前に同僚が手を振り返したことに、睨み付ける。
だが、睨まれている方はそんな相手のことを気にした様子もなく、満足そうな様子だった。
そんなやり取りは、他でも幾つか行われている。
普段であれば、騎士達もこのような緩んだ真似はしない。
しかし、この妖精郷の中は安心であるというのは、レイ達の様子を見れば分かる。
それこそもし何かがあっても、レイがいればどうとでもなると思えてしまう。
「コホン」
騎士の一人が咳払いをして、緩んだ空気を少しでも引き締めようとする。
……その騎士の側にいたイスナが一連のやり取りで不機嫌そうになっているのも、その理由かもしれないが。
そんな中……
「ちょっ、あれは……モンスターですか!?」
不意にイスナが、不機嫌そうな様子も忘れて叫ぶ。
モンスターという言葉に、一瞬前まで緩んでいた騎士達も真剣な表情になって周囲を警戒するが……
「安心しろ」
「グルゥ!」
レイが問題ないといった様子で告げ、それに同意するようにセトも喉を鳴らす。
一人と一匹の様子に、騎士達も安堵する。
だが、それでも最初のように気を抜いたりといったことはせず、イスナの見ている方に視線を向けた。
するとそこには、この集団に向かって走ってくる二匹のピクシーウルフの姿があった。
まだ子供とはいえ、明らかに普通の狼ではない。
そもそも体毛が普通の狼とは大きく違っていた。
「あれはピクシーウルフ。狼の子供達が妖精郷の中で育ち、それによってモンスターとなった存在だ。攻撃をしてくることは……こっちから何かをしない限りは問題ないと思う」
「モンスターが妖精郷の中に……? 本当にそれで大丈夫なのですか? セトのようにテイムされている訳でもないのなら、危険なのでは?」
イスナにしてみれば、モンスターが野放しになっているという時点で納得は出来なかったのだろう。
だが、レイはそんなイスナの不安を気にした様子はない。
「ピクシーウルフは妖精やセトに懐いている。さっきも言ったが、こっちから攻撃をしたりしない限り、問題はない」
「……そうなのですか」
イスナは完全に納得した様子ではないものの、それでもレイがそう言うのならと無理矢理自分を納得させる。
イスナにしてみれば、辺境の出来事は知識である程度知っていても、それは知識だけだ。
実情を知っているレイがそう言うのならと、自分に言い聞かせていた。
勿論ピクシーウルフというモンスターが自分や護衛対象のブロカーズに危害を加えるといったようなことをするのなら、レイが何と言おうと対処するつもりではいたが。
そんなイスナの視線の先では、ピクシーウルフ達がセトに向かって吠えている。
遊んで欲しい、あるいは訓練の相手をして欲しいと言ってるのはそれを見ているレイにも十分に理解出来た。
「グルゥ……グルルルゥ?」
レイを見て喉を鳴らすセト。
ピクシーウルフ達の相手をしてもいいのかと、そう尋ねているのはレイにも理解出来る。
理解出来るが、今この場で素直に頷くことも出来ない。
今がこのような時ではなく、自分達だけがいる普通の時なら、レイも素直に頷くことが出来ただろう。
しかし、今は違う。
ダスカーとブロカーズを妖精郷に案内し、穢れについての話をする必要があるのだ。
その時にもし唐突に動く必要が出てきた時、セトがいないのは困る。
「ダスカー様、どうします?」
「構わない、好きにさせてやれ。どうせ話をしている間はセトも暇なんだろう? それにセトのことだ。レイが呼べばすぐに駆けつける」
レイとセトの関係をしっかりと理解しているからこそ出る言葉。
そんなダスカーの言葉を聞き、レイはセトを撫でる。
「ダスカー様から許可が出たぞ。ピクシーウルフ達と遊んでこい。……ただ、何かあったら呼ぶから、その時はすぐに来てくれよ?」
「グルルルルゥ!」
レイの言葉に任せて! と喉を鳴らすセト。
円らな瞳でレイを見ると、ピクシーウルフ達とその場を走り去る。
ただし、セトの走る速度に比べると、ピクシーウルフ達はまだ子供なのでどうしても遅い。
セトもその辺については理解しているので、大分走る速度を抑えていた。
それこそピクシーウルフ達が何とかついてこられる程度に。
ピクシーウルフ達の速度が遅くなったら喉を鳴らす。
もう終わり? といったように。
「うわぁ……何だか二種類のモンスターがこうして一緒に遊んでるのを見ると、不思議な感じがするな」
「セトだけなら、ギルムで見ることもあるけどな。……最近はレイがギルムに戻ってこないから、セトと遊べなくて残念そうな者達も多いけど」
騎士達の会話が聞こえたレイは、これ見よがしに大きく息を吐く。
「俺もセトと一緒に堂々とギルムを歩きたいんだけどな。騎士達がクリスタルドラゴンの件で俺に接触したい連中をどうにかしてくれない限り難しいな。……ああ、なるほど。今度理由を聞かれたら、そう答えるか」
「ちょっと待ていっ!」
レイの呟きを聞いた騎士の一人が反射的に叫ぶ。
ギルムにおいて、セトはマスコットキャラのような存在となっていた。
セト好きの者達の中には、セトが喜ぶのなら金貨や白金貨ですら普通に使ってもいいと考える者もいる。
それも一人や二人ではなく、数十人……場合によっては数百人も。
そんな者達にしてみれば、最近はセトと一緒に遊ぶことが出来ずにいて、ストレスやフラストレーション、不満を溜め込んでいた。
そのような状況で、もしレイが騎士達が助けてくれないからギルムに戻ってこられないと言えばどうなるか。
間違いなく、セト好きの面々に責められるだろう。
妻や子供に責められる者もいれば、恋人に責められる者、好意を寄せている相手に責められる者も出てくる筈だ。
騎士達にしてみれば、そんな真似は絶対に止めてくれと思うのは当然だろう。
レイはそんな騎士に対して、意味ありげな笑みを浮かべている。
レイと話していた騎士は、このままだとどうなるかと考えると背筋が冷たくなる。
「じょ……冗談だよな?」
「さて、どうだろうな。冗談だといいけど」
そう告げるレイの言葉に、騎士が何かを言おうと口を開き掛け……
「あ、ちょっと。ほら、駄目だってば!」
不意にそんな声が周囲に響く。
レイに何かを言おうとした騎士も、護衛という自分の仕事を思い出したのだろう。
唐突にレイとの話を切り上げ、声のした方に視線を向ける。
だが、真剣な様子だった騎士の表情は、数人の妖精を引き連れ……というよりはぶら下げるかのような形で浮かんでいる妖精を見て、表情を緩めた。
この妖精はとてもではないが自分達に……より正確にはダスカーに危害を加えるとは、思えなかったのだろう。
「ねえ、ねえ、貴方達はどこから来たの? やっぱりレイ達と同じ場所?」
何人かの妖精をぶら下げた妖精が、レイと話していた騎士にそう尋ねる。
何故その騎士に妖精が話し掛けたのかは……その騎士がレイと話していたからというのが理由だろう。
つまり、レイと親しい相手だけに自分達にも好意的なのではないか。
そのように思っての行動だった。
その妖精の行動は軽率なものではあったが、今回に限ってはそこまで間違ってはいない。
ダスカーから、くれぐれも妖精達と問題を起こすな、出来るだけ友好的に接しろと言われているのだから。
また、その騎士はこのままレイと話していると少し不味いと思っていたので、これ幸いと妖精に答える。
「はい、そうです。私達が住んでいるのはレイと同じ場所となります」
レイと話す時とは全く違う口調。
騎士としてはこちらの態度が本来のもので、レイとの話をしている時は、それだけ気を許しているので、素の態度が出ているのだろう。
妖精はそんな騎士の様子に気が付かず……もしくは単純に気にしていないだけなのか、レイと同じ場所から来たという言葉に目を輝かせる。
「じゃあ、オーク肉の串焼きとかそういうのも持ってる?」
「……は?」
騎士は一瞬、妖精が何を言ってるのか分からなかった。
オーク肉の串焼きと妖精。
騎士にしてみれば、これ以上似合わない組み合わせはそうそうない。
お伽噺や伝承の存在として扱われている妖精が、オーク肉の串焼きを欲しているのだから。
これが、例えば果実や焼き菓子のようなものであれば、まだイメージ的にもそこまで問題はなかっただろう。
だが、オーク肉の串焼き。
ギギギ、と。まるで人形のような動きで騎士はレイを見る。
お前、一体何をした?
そんな視線が、その騎士だけではなく近くで話を聞いていた他の者達からも向けられる。
だが、レイはそんな相手の言葉を特に気にする様子もなく……
「食うか?」
ミスティリングの中からオーク肉の串焼きを取り出すのだった。