3202話
長にダスカーから手紙が来て、それに返事を書いた翌日……
前日の夜も結局夜に一度野営地の付近に穢れが出たということでそちらに向かったが、一度だけですんだのは幸運だったのだろう。
いつものように炎獄で捕らえることに成功していた。
「レイ殿、どうやらお客さんがトレントの森に到着したようです」
微妙に落ち着かない様子のボブを何とかなだめていたレイだったが、そんなレイを長からの使いである妖精が呼びに来て、レイが長に会いに行くとそう言われる。
「お客さんって、ダスカー様達か? ……分かるのか?」
穢れが転移してくれば長が察知出来るのはレイも知っていた。
だが穢れ以外の相手に対しても同様に察知出来るというのは、レイにとっても驚きだった。
そんなレイに対し、長は頷く。
「やろうと思えば出来ます。ただ、当然ですが穢れを探知するのに使っている以上の魔力を使うので、いつでも出来るという訳ではありません。今日は特別なので」
長の言葉はレイを納得させるのに十分な説得力があった。
今回、ダスカーやブロカーズがやって来るのは穢れにどう対処するのかというのを話し合う為だ。
長にとって非常に重要なことなのは間違いない。
だからこそ、無理をしてでもダスカー達がやって来るのを察知したのだろう。
(トレントの森の中には、高ランクモンスターとかもいるしな。護衛がいるだろうから心配はないかもしれないが、万が一というのはあるか)
穢れが転移してやって来たということになっても、それはそれで面倒なのは間違いない。
穢れに対処する方法は知っているものの、だからといって絶対に安全という訳でもないのだから。
「なら、俺が迎えに行った方がいいか?」
「お願い出来ますか?」
長としては、最初からレイに迎えに行って貰うのを頼みたかったのだろう。
だが、レイには色々と無理を頼んでいる自覚があるので、どう言おうか迷っていた。
そこにレイが自分から行くと言ってくれたのだから、長は笑みを浮かべる。
「けど、俺が行くと穢れが転移してきた時に対処出来る奴がいないぞ?」
「短時間ならそこまで問題はないでしょう。また、もしレイ殿がいない時に穢れが出たら、妖精を向かわせます」
今までにも同じようなことが何度かあったので、長の言葉はレイにも異論はない。
レイが妖精郷で寝泊まりするようになってから少しして、長が穢れの存在を察知し、レイがセトに乗ってそれを倒しに行く。
だが穢れを倒した後で妖精郷に戻る前に、再び穢れが転移し、飛ぶ速度の速い妖精がやってきてそのまま他の穢れを倒す為に向かうということがあった。
そういうことが何度かあったので、長の言葉を聞いてもレイが驚く様子はない。
「分かった。じゃあ、ちょっと行ってくる。……一応聞くけど、妖精達にはきちんと言って聞かせてあるんだよな?」
昨夜、長が妖精達を集めて何かを話していたのはレイも知っている。
その時にしっかりと言い聞かせたのだろうなと尋ねると、長は頷く。
「はい、妙な悪戯をしないように言っておきました。もし何かをしたらお仕置きをすると言っておいたので、恐らく問題はないでしょう」
長のお仕置きがどれだけ強烈なのかは、ニールセンが悪戯をしてお仕置きをされたことで妖精達も十分に理解している。
そうである以上、自分がお仕置きをされたくないと考えて、悪戯をするようなことはないだろう。……普通なら。
妖精の場合、その場その場で面白ければいいという性格の者が多く、だからこそ場合によっては長にお仕置きをされると知っても、悪戯をする可能性は十分にあった。
レイやボブではなく、ダスカーやブロカーズ……それ以外にもイスナを始めとした護衛の面々、また文官の類も多少なりとも連れてくる筈である以上、初めて見る相手ということでテンションが上がり、妖精達が長のお仕置きの件を忘れて悪戯をするという可能性は十分にあった。
(そういう意味では、来るのがダスカー様やブロカーズだったのは幸いだよな)
もしやって来たのが礼儀にうるさい相手であれば、妖精達の態度にどう反応したのか。
特にレイの嫌っている、プライドだけは高く能力は無能という貴族が来た場合、妖精との間で問題が起きていた可能性が高いだろう。
もっとも、王都でも穢れについての重要性は理解している以上、ここでそのような人物を送り込んでくる可能性はまずないとレイは思っていたが。
「ダスカー様達は妖精が多少の悪戯をしても、そこまで気にしたりはしないと思うから、あまり気にする必要もない。……勿論、悪戯がなければそれがいいと思うが」
「そうなるように祈っています」
そうして会話を終えると、レイはダスカー達を迎えにいくべくセトを呼ぶ。
ピクシーウルフと遊び兼訓練を行っていたセトだったが、レイの呼ぶ声が聞こえるとすぐにやってくる。
「グルゥ?」
「ダスカー様達がトレントの森に入ってきたらしい。迎えに行くぞ」
「グルルゥ!」
レイの言葉に分かったと喉を鳴らし、軽く屈むセト。
レイはそんなセトの背に乗り、妖精郷を飛び出すのだった。
「ダスカー様、襲ってきたゴブリンは倒しました」
「そうか。しかし、この戦力差では勝てないと分からないのか? ……ゴブリンだから分からないか」
面倒な、とそう呟くダスカー。
実際に戦ってみなければ、ゴブリンは相手の強さを把握出来ない。
そうして自分達が弱いと思うと一気に逃げ出すのだが、ダスカーとブロカーズの護衛達はそのゴブリンを殲滅することを選んだ。
元々がモンスターの中でも最弱とされることも多いゴブリンだ。
ダスカーやブロカーズの護衛としてやって来ている者達にとっては、倒すのは全く問題ない。
「それにしても、わざわざゴブリンを全滅させる必要があったのですか? ゴブリンの繁殖力を思えば、ここで全滅させてもあまり意味がないと思うのですが」
「そうだろうな。だが、俺の領地内にゴブリンがいるというのは面白くない。……ゴブリンは少しでも少ない方がいいだろう?」
「それは……まぁ、そうですが」
ダスカーの副官は完全には納得していないものの、ダスカーがそう言うのならと自分を無理矢理納得させる。
「ゴブリンは何気にずる賢いですからね。ここで逃がした場合、こっちを尾行してきて隙を狙って攻撃をしてくるといったことも有り得るんですよ」
二人の会話を聞いていた冒険者の一人が、そう声を掛ける。
トレントの森の中にある妖精郷までの道は、兵士達が何度か行き来して理解している。
しかし、それでもトレントの森の中で一体どのような事態が起こるのか分からない。
そのような時の対処の為に、冒険者が雇われていた。
臨機応変に対応をするということになると、どうしても兵士や騎士よりも冒険者の方が上なのだ。
ましてや、この冒険者は樵の護衛として雇われていた者の一人だ。
それだけトレントの森に慣れている。
「尾行してくると?」
「そうなります。もっともゴブリンは弱いモンスターなので、こっちを尾行している間に他のモンスターに喰い殺されるといったことにもなると思いますがね」
数だけは多いゴブリンは、モンスター達にとっていい餌でもある。
ただ、そんなゴブリンの肉を食べるのは、あくまでもゴブリンよりも若干上のモンスターだけだ。
もっとランクの高い……それこそランクD以上のモンスターになれば、好んでゴブリンの肉を食わないだろう。
邪魔だと、あるいは憂さ晴らしにゴブリンを殺すようなことはするが、食べても不味いゴブリンの肉を食おうとは思わないのだろう。
「そういうものか。……取りあえずゴブリンは片付いた。先に向かうぞ。ブロカーズ殿、構いませんか?」
「ああ、構わない。それにしても、以前来た時とは大分違う印象を受けるね」
ダスカーはブロカーズの言葉に、頭が痛いといった様子を見せる。
以前来たというのは、ブロカーズと護衛のイスナ、それと馬車の御者だけで夜にトレントの森にやって来た時のことだと理解したからだ。
ブロカーズ達と一緒に来た者達はアブエロに置いていかれ、それに気が付いたアブエロでは大きな騒ぎになったという。
結局いなくなった翌朝には野営地の冒険者達が護衛をしてギルムに届けたのだが、そこでもまた色々と騒動があった。
ダスカーはそれを思い出しているのだろう。
「ブロカーズ様、いい加減にして下さい。またこのトレントの森の中を私達だけで行動するのは絶対にごめんですよ。スラム街での二の舞はごめんです」
ブロカーズの護衛のイスナは、責めるような視線を向けながらそう言う。
イスナはブロカーズに散々振り回されている。
それこそギルムに入ってからも、幾つかの騒動に巻き込まれているのだ。
……スラム街での騒動は、腕利きの女騎士イスナとしても、死を覚悟する出来事だった。
普通ならスラム街にいる程度の相手にイスナがそのような危険を感じることはないのだが、ギルムはただの街ではなく、辺境にある唯一の街だ。
腕利きの冒険者が集まってきて、その中でドロップアウトした者がスラム街で暮らすというのもあれば、そのような者達が多数いる中で生まれ育ち、自然と相応の強さを身に付けた者もいる。
そのような者達の中には、突然変異とでも呼ばれるような力を持つ者もおり……イスナは危うくそのような相手と戦いになるところだった。
結果的に戦いにはならなかったのだが、それでもイスナの肝を冷やすには十分な出来事だったのだろう。
もしレイやセトが一緒にいれば、スラム街でも極めて安全なのだが。
スラム街には一般常識では考えられない腕利きがいるが、そのような腕利きにとってもレイやセトは圧倒的に格上の存在なのだ。
レイやセトは何度かスラム街の者達とトラブルになりはしたが、幸いにも無事に解決している。
その結果として、ギルムのスラム街にはレイやセトに喧嘩を売るなという風潮が出来上がっていた。
中にはレイが冬にスラム街の者達を優先的に雇って仕事を与えて、餓死や凍死をしないようにしていることに感謝してそのようにしている者もいるのだが。
とはいえ、スラム街だ。
そのような風潮など関係ないと、レイに喧嘩を売る者も普通にいたりするのだが。
勿論、そのような相手がどのような結末になろうとも、他の者達が構うようなことはない。
「いや、あれは少し焦ったな。……まさか、イスナがあそこまで苦戦するとは思わなかった」
「ここはギルムという辺境です。迂闊に手を出すような真似はしない方がいいのは明らかかと」
そのような会話を交わす二人に、ダスカーは微妙な表情を浮かべる。
トレントの森の件ならまだしも、ギルムのスラム街となると、本来ならダスカーの管理下にある場所なのだから。
勿論、ある程度の管理は行っている。
具体的には、スラム街で強い影響力を持ってる組織と密かな繋がりがあるといった具合に。
だが結局スラム街はスラム街だ。
ダスカーがスラム街で持っている影響力も、そこまで大きなものではない。
……ただ、それでもダスカーは一般的に考えると、かなり上手くやってる方なのは間違いない。
貴族の中には自分の領地にあるスラム街については全く興味を持たない……どころか、スラム街があるということすら知らない者もいる。
下の者が途中で情報を止めているのが原因だ。
そういう意味では、ギルムは決して悪くはない……どころか、寧ろ全体で見れば上手くやっている方なのは間違いないだろう。
「あ、その……申し訳ありません」
イスナはダスカーの様子に気が付き、謝罪の言葉を口にする。
ダスカーの前で話すことでないと判断したのだろう。
「いや、気にするな。だが……一応言っておくが、ギルムのスラム街はまだいい方だ。中には本当にどうしようもない場所もあるからな。もっとも、スラム街というのはない方がいいのは間違いないんだが。そうもいかない」
「それは……分かります」
若干苦い思いと共に言うダスカーに、イスナも同意する。
この世界において、日本にあるような生活保護制度といったようなものはない。
そういう意味では、スラム街は一種のセーフティネットに近い役割を持っている。
そんなスラム街をなくしてしまえば、どうなるか。
表世界でドロップアウトした者達の多くは野垂れ死にすることになるだろう。
……もっとも、もし今のスラム街を無理矢理なくしたとしても、結局どこか別の場所にスラム街が出来ることになるだろうとダスカーは思っていたが。
「分かって貰えて嬉しいよ。……さて、じゃあゴブリンも片付いたことだし、妖精郷に向かうぞ」
ダスカーは今日、かなり無理をしてここにいる。
だからこそ、出来るだけ早く用件を終えて領主の館に戻る必要があった。
他の者達もそんなダスカーの様子は理解しており、素直に頷き……
「あ、ダスカー様、空を見て下さい! レイです! レイとセトがやって来ました!」
案内役の冒険者が、空を見ながら叫ぶ声が響くのだった。