3201話
「ほら、これが長から預かってきた手紙だ。確かに渡したぞ」
「おお……まさか本当にその場で返事を貰えるなんて思ってもいなかった」
レイに渡された手紙を見て、兵士の男は驚きと嬉しそうな表情を浮かべる。
兵士の男にしてみれば、もしここで手紙が貰えなかった場合、改めて自分達がここまで来なければならなかったのだ。
いつどこから高ランクモンスターが襲撃してくるのか分からない場所は、出来るだけ来たくはないと思ってもおかしくはない。
(もしかしたら長もそれが分かっていたから、すぐに返事を書いたのか?)
穢れの件は少しでも早く解決する必要があると長が考えているのは、レイも知っている。
だからこそ、明日にでもダスカーやブロカーズといった者達と妖精郷で会ってもいいと、そう手紙に書いたのだから。
だが、そんな長の考えの中に、多少ではあっても兵士達が大変な目に遭わないようにするという思いがあったのかもしれない。
そうレイは思う。
それが当たっているかどうか、確かなところはレイにも分からなかったが。
「じゃあ、出来るだけ早くこの手紙を届ける必要があるから、戻らせて貰う」
「ああ。気をつけろよ……あ、そう言えば最初に俺が来た時、一緒にいた妖精はどうした? 見た感じこの辺にはいないみたいだけど」
そう言うレイだったが、別に兵士達が妖精を捕らえたとか、そんな風には思っていない。
そもそもの話、妖精は捕らえられても妖精の輪ですぐに逃げ出せるのだから。
捕らえるのが不可能とは言わないが、何らかの手段で妖精の輪を妨害する必要がある。
目の前の兵士達には、とてもではないがそんなことが出来るとはレイには思えなかった。
「妖精? 最初は俺達と話していたけど、途中でどこかに飛んでいったな。追った方がよかったか?」
「いや、妖精を追うのは普通は難しいからな」
妖精は飛べるという最大の利点がある。
それを追うとなると、兵士達の場合は地面を移動するしかない。
だが、ここはトレントの森の中、それも中央に近い場所だ。
街道や踏み固められた道がある訳でもなく、それどころか木の根が地面に盛り上がっていたり、無造作に石の類が地面に落ちていたりもする。
そのようなのを全く関係なく空を飛べる妖精を追うのは、ただの兵士には難しい。
こうして妖精郷に来る任務を任されているということは、ただの兵士ではなく、ダスカーの部下の中でも優秀な兵士なのだろうが……それでも、妖精を追うというのは難しいだろう。
兵士の中でも最精鋭といったような能力があったり、もしくは元冒険者で森の中の移動に慣れているのなら、話は別だろうが。
「そう言って貰えると助かる。……じゃあ、俺達は行くから」
そう言い、兵士達はレイの前から立ち去る。
そんな兵士達を見送ったレイは、これからどうするべきかを考える。
どこかに出掛けた妖精を追えばいいのか、それとも妖精郷に戻るのか。
数秒考え、すぐ妖精郷に戻ることに決める。
いなくなった妖精を追うのもいいのだが、そのような真似をした場合、もし穢れが転移してきた場合、長がレイに連絡出来なくなってしまう。
妖精を探す短時間で穢れが転移してくる可能性は、そんなに高くはない。
高くはないものの、絶対にないとも言い切れないのだ。
そうである以上、やはりレイはここで妖精郷から長時間離れるといった真似をする訳にもいかない。
(そもそも、このトレントの森でいなくなった妖精を捜すのはかなり難しいだろうし。セトでもいれば、その嗅覚でどうにかなったんだろうけど)
セトの嗅覚は非常に高い。
もしここにいれば、セトの嗅覚によって妖精を追うといったことも出来ただろう。
ただし、そのような真似をする場合にもレイが妖精郷から出ていることになってしまうので、結局穢れが転移してきた時の対処に幾らか遅れが出ることは間違いなかったが。
「まぁ、そのくらいは大丈夫だろ。元々妖精はそれなりに好き勝手に妖精郷から出ていたんだし」
妖精郷から出るのに、長の許可が必要……あるいは、何らかの試練を乗り越えなければならない。
そのようなことはなく、出ようと思えば誰でも出られるのだ。
実際、レイがニールセンと遭遇したのも、ニールセンが勝手に妖精郷から出て野営地で悪戯をしていた時だったのだから。
そんな訳で妖精を捜すのを止めたレイは、そのまま妖精郷に戻るのだった。
「そうですか。ありがとうございます、レイ殿」
長は無事に手紙を渡してきたと話すレイに、そう言って頭を下げる。
本来ならそこまで丁寧に頭を下げたりする必要はないのだが。
それでも長にしてみれば、十分に頭を下げる理由にはなったのだろう。
……これで相手がボブなら、このようなことはしなかっただろうが。
「気にするな。穢れの件は妖精だけの話じゃない。それに……俺もこれ以上ない程に巻き込まれているし」
今のところ穢れを倒したり捕らえたりすることが出来るのは、レイだけだ。
エレーナもいるが、まさかエレーナをこのような場所に連れてくる訳にもいかない。
そんな訳で、レイが穢れの件に自分から関与するのはおかしな話ではない。
「そう言って貰えると、本当に助かります。……レイ殿にはどのくらい感謝しても足りませんね」
「いや、だから……本当にそこまで気にする必要はないんだがな。まぁ、感謝をするのなら受け取っておくよ。じゃあ、他に何か用件はあるか?」
「いえ、特には」
「なら、俺はそろそろ戻るとするよ。穢れが転移してきたら教えてくれ。……転移してこないのが最善なのは間違いないんだが」
「はい。分かりました」
会話が終わると、レイはその場から立ち去る。
とはいえ、今の妖精郷で特に何かやるべきことがある訳でもなく……
(モンスターの解体でもするか? まだモンスターの死体は結構残ってるし)
ミスティリングに視線を向け、そんな風に考える。
ミスティリングに入っている死体は既に結構な数をドワイトナイフによって解体したものの、収納されているモンスターの死体の数は膨大だ。
何しろレイがこの世界に来てから数年。
その間、レイが倒したモンスターの死体が結構な数、ミスティリングに収納されているのだから。
勿論、倒してすぐに解体したり、他の冒険者に頼んで解体したり、ギルドや専門業者に解体を頼んだりということもしている。
しているが、それでもレイが倒したモンスターの数は膨大なものとなるのだ。
そうである以上、解体出来なかったモンスターの死体はミスティリングに収納するのは当然だろう。
あるいは最初のうちにレイがミスティリングをもっていなければ、モンスターの死体をどうするのかといったことを考えたりしてもおかしくはなかったが、レイはこの世界にやって来た時、すぐにミスティリングを入手している。
その結果として、倒したモンスターで解体出来ない死体はミスティリングに入れておけばいいという癖がついてしまう。
ゴブリンの死体のように、解体してもあまり使い道のないものはそんなに数はないのだが。
あるいはゴブリンの死体であっても多少はミスティリングに収納しているのがおかしいとかんがえるべきか。
そのような理由から、ミスティリングの中にはまだ大量にモンスターの死体が入っている。
今までもドワイトナイフを使ってそれなりに解体はしていたのだが、それでもまだ全然減ってるとは思えない
実際には解体をしている以上、しっかりと数は減ってるのだが、ミスティリングに収納されている死体の量が圧倒的なので、どうしても減っているようには思えないのだ。
(とはいえ、本当に無限にある訳じゃない以上、解体すればそれだけ数が減るのは間違いない。なら、少しずつでもやっていくしかない、か。……こういうのって何て言うんだったか。積ん読? 積みゲー? そんな感じだよな)
日本にいた時のことを思い出しながら歩いていると、視線の先でピクシーウルフ達がセトと遊んでいる光景を目にする。
もっとも、見ようによってはそれは遊んでいるのではなく、セトがピクシーウルフ達を訓練しているといった様子でもあったが。
そんなセトとピクシーウルフ達から少し離れた場所には、ボブと妖精の姿がある。
「ああ、そう言えば……ボブに言っておいた方がいいか」
妖精達はともかく、ボブは人間だ。
そうである以上、明日にでもダスカーやブロカーズといった面々が来ることを教えておいた方がいい。……暇潰しも兼ねて。
そう考えたレイは、そちらに向かう。
「レイさん? どうしたんですか?」
近付いてくるレイに気が付き、ボブがそう声を掛ける。
実際にはボブが最初にレイに気が付いた訳ではなく、セトの方が先に気が付いていた。
しかしセトはピクシーウルフ達と一緒に走り回っている為に、レイに向かって鳴き声を上げることはなかったのだろう。
「一応、ボブにも伝えておいた方がいいと思ってな。恐らくだが、明日にでもダスカー様……ギルムの領主と、王都から穢れの件でやってきた責任者のブロカーズという奴がやって来ると思う」
そう言った瞬間、ボブは最初の数秒理解出来ないといった表情を浮かべる。
だが、すぐにレイの言葉の意味を理解し……
「えっと、その、どうすればいいんですか?」
焦った様子でレイにそう尋ねる。
ダスカーと普通に会うことが出来るようなレイとボブは違う。
腕利きの猟師で、旅をしながら猟をして生活するといった真似をしていたり、偶然から妖精や穢れについて関わってしまったが、結局のところただの一般人でしかない。
貴族と接する機会は……ない訳ではなかったが、それだって爵位の中では一番低い男爵に声を掛けて貰ったくらいだ。
なお、その理由はボブが狩った獲物を男爵のパーティで使われたことで評判がよくなり、それによって男爵から感謝されたというのが理由だったりする。
当然だが、それは一方的に感謝の言葉を口にされただけで、しっかりと会話を交わした訳でもない。
そんなボブが、男爵よりも圧倒的に地位の高いダスカーやブロカーズといった面々と会って、どのように対応をすればいいのか。
救いを求めるようにレイに視線を向けるボブだったが、だからといってレイはボブの期待に応えることは出来ない。
「ボブがダスカー様やブロカーズと話さないという選択肢は存在しないと思う」
「な……何でですか?」
最悪、ボブはダスカー達が来ている間は会わないようにどこかに隠れていようかと思っていただけに、まさかレイからそのようなことを言われるとは思っていなかったらしい。
焦った様子でそう言ってくるボブに、レイは同情しながらも口を開く。
「忘れたのか? 俺やニールセンが穢れに関わるようになったのは、ボブが穢れの関係者に襲われたのを助けたからだ。もっと言えば、ボブが狙われる原因になったのは穢れの関係者の行った何らかの儀式にボブが乱入したからだな。ダスカー様やブロカーズはそのことを知ってるだろうが、それでも実際にその件に関わったボブから話を聞きたいと思うのはおかしな話ではないだろう?」
「それは……」
レイの説明に、ボブも何とか反論をしようとしたものの、結局それを口に出すようなことはしない。
客観的に自分の状態を見た場合、この状況で話を聞かないという選択肢はないと理解しているからだろう。
だがボブも自分ではどうしようもないと、ダスカーやブロカーズと話すのは避けられないと判断したのだろう。
深刻な表情を浮かべる。
「レイさん、どうしたらいいんでしょう?」
一縷の希望に縋るかのようにレイに尋ねるボブ。
ボブから見れば、レイは貴族と顔を合わせることも多い相手だ。
実際にダスカーやブロカーズという、妖精郷に来る相手とも顔見知りの様子だったのは間違いない。
だからこそ、ボブの立場ではレイにどうすればいいのか聞くのは当然だった。
そんなボブに対し、レイはあっけらかんとした様子で口を開く。
「ダスカー様もブロカーズも、そこまで礼儀作法とかを気にするような性格じゃないから、普通にしてれば大丈夫だと思うぞ」
「いや、でも……貴族ですよ?」
「そうだな。貴族だな。けど、考えてもみろ。俺が普通に会話をしてる相手だぞ?」
「それは……でも、レイさんも貴族を相手にすれば、きちんとした態度を取るのでは?」
「俺がそういう器用な真似を出来ると思うか? 自慢じゃないが、俺の実力は以前からランクA冒険者に相応しいものはあった。だが、ランクA冒険者ともなれば貴族から直接依頼されたりすことも多いんだが、俺はそういうのに向いてない。最終的には、俺の代理として貴族と交渉出来る人物がパーティにいるからという理由で、ようやくランクA冒険者になったんだぞ?」
その言葉に、ボブは納得すると同時に呆れるのだった。