3187話
森の中の木々をへし折り、押し倒し、引き抜きながら進んでいた巨大な鳥のモンスターだったが、不意にその速度が落ちる。
それは木々にぶつかり続けたことによって速度が落ちたのではなく、もっと別の理由によるものだった。
「キシャアアアア!」
うざったいと言いたげに、巨大な鳥のモンスターは足を動かす。
ブチリ、ブチリと足に絡まっていた無数の蔦が千切れる。
しかし、蔦が千切れたと思った次の瞬間にはまた別の蔦が伸びてきて巨大な鳥のモンスターの足に絡まる。
いや、足だけではない。
足の先にある鋭い爪や、巨大な翼に生えている羽毛にも蔦は伸びる。
それこそ身体中を蛇に這いずられるような不快な感触が巨大な鳥のモンスターを苛む。
「キシャアアア!」
苛立ちと共に激しく鳴き、その苛立ちに突き動かされるかのように無理矢理身体を動かす……が、次の瞬間には巨大な鳥のモンスターの口から小さな悲鳴が漏れる。
「キシャア!」
翼に生えている羽毛にも蔦が絡まっている状態で、強引に動いたのだ。
その結果として、蔦が絡まっていた羽毛が巨大な鳥のモンスターの力によって抜かれてしまう。
人間で例えるのなら、体毛を無理矢理抜かれたといったところか。
致命的な痛みという訳ではないが、それでも鋭い痛みが走る以上は悲鳴を上げてもおかしくはない。
巨大な鳥のモンスターにしてみれば、まさかこのような痛みを感じるとは思っていなかった。
また、それによって非常に強い苛立ちを感じてしまう。
(とっととどこかに行きなさいよね!)
離れた場所でイエロと共に木の枝に隠れながら、ニールセンは内心で叫ぶ。
妖精魔法を使ってから、すぐにイエロと共に巨大な鳥のモンスターの姿が見える場所、そして進行方向ではない場所にある木の枝に隠れたのだ。
ニールセンと比べても、巨大な鳥のモンスターは明らかに格上の相手だ。
レイやセトがいるのならまだしも、妖精の自分や防御と隠蔽に長けているイエロでは、この巨大な鳥のモンスターを倒す事は不可能。
そうである以上、ニールセンに出来るのは嫌がらせの攻撃を続け、それによって相手がこの場所にいても不愉快になるだけだと思わせ、さっさとここか飛び去ってくれるのを祈るだけだった。
だが、巨大な鳥のモンスターは未だに森の中で暴れている。
この程度の痛みでここから逃げるつもりはないのか、それとも目の前のことで一杯なのか。
もしくはプライドの問題なのか。
その辺りは生憎とニールセンにも分からなかったが、今の状況でニールセンが出来るのはひたすら妖精魔法を使うだけだ。
しかし、妖精魔法を使うにも魔力は必要となる。
覚醒したことで長に次ぐ実力を持つようになったニールセンだったが、それでも魔力の限界はそう遠くないうちにやってくるだろう。
レイのように、莫大な……それこそどのような真似をしても使い切れない魔力を持つ化け物とは違うのだ。
必死になって妖精魔法を使うニールセンに、小さいながらも幸運が訪れる。
「ギャ……ギャア……」
どのようにしてここにやって来たのかは、ニールセンにも分からなかったが、ドッティが姿を現したのだ。
その身体は無傷という訳ではない。
重傷と呼ぶ程の怪我はしていないものの、それでも身体中に切り傷、擦り傷、打撲といったような怪我をしていた。
それでも巨大な鳥のモンスターから逃げ切ったということを考えれば、この程度は軽いものだろう。
巨大な鳥のモンスターは、明らかにハーピーよりも格上なのだから。
それもちょっとやそっと格上というだけではない。
お互いの間にはどうしようもない程に大きな格の差というものがあった。
そうである以上、こうして逃げ切れたことが幸運なのは間違いない。
「キュウ!」
そんなドッティの姿に、ニールセンの側で待機していたイエロが嬉しそうに喉を鳴らす。
イエロから見ても、こうしてドッティが無事に――多少の怪我はあるが――生き残ってくれているというのは、嬉しいことだったのだろう。
とはいえ、今のこの状況でそのことは嬉しかったが、だからといって今の状況が好転した訳ではない。
いや、ドッティがこうして無事でいるというだ点だけは好転しているのだろうが。
ニールセンはそんなドッティの姿を見て安堵し……
「って、ちょっと、また何かするつもり!?」
不意に異変を感じたニールセンは巨大な鳥のモンスターを見て、そんな声を上げる。
そんなニールセンの視線の先では、巨大な鳥のモンスターが大きく息を吸っていた。
未だにその身体の何ヶ所もニールセンの妖精魔法によって蔦が絡まっているのに、それを無視しての行動。
それは一体何をどうしてそのような真似をしたのか。
このまま森の中から飛び去る為の準備ならいい。
いや、ニールセンにとって、それは寧ろ歓迎すべきことだ。
しかし、巨大な鳥のモンスターのこれまでの行動から考えると、とてもではないがそのようなことを考えているとは思えない。
だとすれば、何かもっと他のことを……それこそ、ニールセン達にとって決して面白くはない何かをしようとしているのではないかとすら思ってしまう。
「どうする? どうすればいい? とにかくもっと集中して……」
巨大な鳥のモンスターが何をしようとしているのかは分からないが、とにかく今は少しでも相手の行動を阻害する必要があると判断し、妖精魔法により一層集中する。
だが、ニールセンのいる場所と巨大な鳥のモンスターのいる場所はかなり離れており、どうしても妖精魔法の効果はそこまで高くない。
それでもこうして巨大な鳥のモンスターに嫌がらせを行えているのは、ニールセンが覚醒した妖精だからだろう。
もっとも、それでも出来ているのはあくまでも嫌がらせ程度で、巨大な鳥のモンスターに与えているダメージということで考えると、ほぼ皆無なのだが。
「あれって……ちょっと、嘘でしょ……」
必死になって妖精魔法を使っていたニールセンだったが、息を吸っていた巨大な鳥のモンスターの口の中が……そして喉までもが一回り程膨らんだのを見て、嫌な予感を覚える。
それもちょっと嫌な予感といったようなものではなく、下手をすればそれだけで致命的な事態になってもおかしくはないような、そんな嫌な予感。
「キュ……キュキュッ、キュウ!」
ニールセンと同様に、イエロもまた何かを感じたのだろう。
動揺した様子で鳴き声を上げる。
それはイエロだけではなく、ドッティもまた同様だった。
寧ろドッティは、巨大な鳥のモンスターから逃げてきたばかりだというのに、その直後にこれだ。
もし一連の状況を見ていた者がいれば、それこそ運が悪いとしみじみと思うだろう。
「ギャア!」
そんなドッティは、危険を察知するとすぐに跳ぶ。
……そう、飛ぶではなく、跳ぶ。
地面から跳んで木の枝にいるイエロとニールセンを抱きしめたのだ。
自分の身体を盾にしてでも、これから起きる何かから守る為の行動なのだろう。
そしてドッティが動いたその瞬間、巨大な鳥のモンスターもまた行動に移る。
身体の何ヶ所もを蔦に絡まれるといったようなことをされながらも、大きく息を吸っていたその行動が止まり……次の瞬間、その口からは風が放たれる。
それは風のブレスと呼ぶに相応しい攻撃。
せめてもの幸運だったのは、そのブレスはあくまでも激しい勢いの風のブレスでしかなかったことだろう。
似たようなブレスには、竜巻のブレスや複数の風の刃を放つブレスといったものもある。
だが、巨大な鳥のモンスターの放ったブレスは、あくまでも強風のブレスでしかなかったのだ。
勿論、強風のブレスだからといって、それで完全に安全なのかと言えばそうでもない。
まともに受ければ間違いなく吹き飛ぶだろうし、そうして吹き飛べば一緒に吹き飛ばされた木々や石、岩……あるいはそれ以外も色々な物にぶつかって、決して小さくないダメージを受けるだろう。
幸いにして、巨大な鳥のモンスターが放った風のブレスは、ニールセン達がいるのとは全く違う方向に放たれていたので、そこまで問題はなかったのだが。
「ありがとう、ドッティ。……うわ……」
庇ってくれたドッティがニールセンの前から移動すると、視線の先……風のブレスが放たれ、木々が吹き飛んだ森の様子に、思わずといった様子でそう呟く。
ブレスが放たれた後に残っていたのは、台風……いや、竜巻が通りすぎたかのようになっている森の光景だ。
木が折れ、土が剥き出しになっている部分も多い。
勿論、全ての木々が折れたり根元から吹き飛ばされたりした訳ではない。
風向きや、盾となった木があったり、もしくは想像以上にしっかりと根付いていたので吹き飛ばされなかったといった木々もある。
あるのだが、それでもやはりブレスが放たれた場所は大半が吹き飛んでいた。
何よりも、森の中でブレスの放たれた場所だけがそのような状況になっているのだ。
ブレスの効果範囲外は……勿論それなりに風はあったものの、それでも吹き飛ぶといったようなことにはなっていない。
そのように見て分かるだけに、余計に巨大な鳥のモンスターの放ったブレスの威力がどれだけのものかを物語っていた。
「何であっちにブレスを撃ったのかは分からないけど」
ニールセンにしてみれば、ブレスの威力は圧倒的というのは理解出来る。
だが同時に、何故そちらに向かって……自分達がいる訳でもない場所に向かってブレスを放ったのか、その理由は全く理解出来なかった。
もっとも、自分達のいる方に向かってブレスを放たれていれば、生き残るのは不可能だったろうが。
「あ」
そんな巨大な鳥のモンスターの様子を見て、ふと思いついたニールセンが妖精魔法を使うのを止める。
離れた場所にいるのでニールセンには分からないものの、巨大な鳥のモンスターの身体を拘束しようとしていた蔦はその動きを止めている筈だった。
(お願い、これで消えてよ)
声には出さず、そう祈るニールセン。
巨大な鳥のモンスターにしてみれば、自分の身体を拘束していた蔓がブレスを使った結果、その動きを止めたのだ。
普通に考えれば、蔦を使っていた相手が自分のブレスによって死んだと、そのように考えてもおかしくはないだろう。
ニールセンはそれを狙って、妖精魔法を使うのを止めたのだ。
巨大な鳥のモンスターを相手にした場合、とてもではないが勝つことは不可能だろう。
だからこそニールセンは何とか逃げようとしたし、ドッティを森の中に入らせて相手を諦めさせようとした。
しかし、ニールセンには理解出来ないことだったが、巨大な鳥のモンスターは何故かドッティに強い執着を見せ、森の中に突入するという選択をする。
更には森の中に突入した巨大な鳥のモンスターに嫌がらせとして妖精魔法で蔦を操って絡ませたりしたものの、それでも諦めるようなことはない。
それどころか、邪魔をされれば余計に諦めなかった。
そのような中で今の状況は、ニールセンにとって決して悪くないものだった。
事実、巨大な鳥のモンスターは風のブレスを放ったことによって苛立ちは消えたのか、満足そうに自分のブレスの痕跡を見ているように思える。
蔦によって羽毛が根元から抜かれるといった痛みも、今はブレスによって忘れているのだろう。
後は、そのまま気分良く帰って欲しい。
そんなニールセンの願いが通じたのか、巨大な鳥のモンスターは軽く身を沈めると、その勢いを利用して軽く跳躍し、翼を羽ばたかせて上空に向かう。
「ふぅ」
まだ完全に安心は出来ないものの、それでも巨大な鳥のモンスターが森の中で暴れるというのを止めてくれたことは、ニールセンにとって非常にありがたいことだった。
一瞬だけ、上空から森に向かって先程のようなブレスを連続して放つといったことを思い浮かべてしまったが、まさかそのような最悪の事態にはならないだろうと、上空にいる巨大な鳥のモンスターに向かい、祈るような視線を向ける。
すると、そんな祈りが通じた訳ではないのだろうが、巨大な鳥のモンスターはそのまま翼を羽ばたかせると森の上空から飛び去った。
「ふぅ」
先程と全く同じように息を吐く。
ただし、その息の深さは先程よりも明らかに上だ。
今回は本当に助かったと、そう思えたからこそ、大きく安堵の息を吐いたのだ。
「キュウ……」
そんなニールセンに、大丈夫? と喉を鳴らすイエロ。
イエロもまた、巨大な鳥のモンスターを見て、自分では勝てないと思っていたのだろう。
だが、それでもイエロの場合は勝てないが、負ける……殺されるといったことはあまり心配していなかったらしく、ニールセンよりも幾らか気が楽だ。
「ギャア……」
そしてこの中で一番疲れた様子だったのは、当然だが巨大な鳥のモンスターに狙われていたドッティだった。