3176話
「そうですか。穢れが……」
妖精郷に戻ってきたレイは、長に野営地のことを報告していた。
なお、セトは妖精郷に入った時にオークの肉を食べ終わった狼の子供達がやって来たので、そちらの相手をするように言ってある。
わざわざ長に報告に来たのは、数日が経過するのに未だに炎獄の中で生き残っている穢れについて、話しておいた方がいいと判断した為だ。
長は穢れについて色々と知っている。……ただし、それはあくまでも代々の長から伝承として伝わってきている形である以上、穢れについて知らないことも相応にある。
だからこそ、今回の一件については話しておいた方がいいとレイは判断したのだ。
それが正しかったのは、長が微かにだが驚いた様子を見せているのを見れば明らかだ。
「ああ。一体どういう理由でそうなったのかは、分からない。あくまでも予想だけど、持っている生命力とかそういうのが他の穢れよりも大きかったんだろうとは思うけど」
「そうですね。私は直接見てはいませんがレイ殿がそう思うのなら、その可能性も高いでしょう。他には……そう、例えば穢れを送ってきた相手が何らかの方法で力を送っているという可能性もあるかもしれません」
「出来るのか?」
長の言葉は、レイにとってもかなり予想外のものだった。
長はそんなレイの疑問に首を横に振る。
「分かりません。ですが、可能性としては十分にあると思います。そもそも、現時点においては穢れについて分かっていることはまだ少ない以上、穢れがどのような能力を持っていてもおかしくはないかと。とはいえ、まだそのようなことが出来ている穢れが一匹だけである以上、もしそのような真似が出来るとしても、かなりの制限があるかと」
「そういうのはこっちにとっても助かるな。いや、長の言ってることが正解かどうかはまだ分からないから、何とも言えないけど」
レイとしては、出来れば長の思いつきは違っていて欲しいと思っていた。
もし他の場所からエネルギーの類が送られてきて、炎獄に捕らわれても長時間生き延びることが出来るようになった場合、今はいいが錬金術師達が結界のマジックアイテムを作った時にどうなるか分からないからだ。
炎獄の場合は、レイが解除しないとかなり長期間の間残っている。
だが、それはあくまでもレイの魔力を莫大に消費する炎獄だからだ。
錬金術師達が作ったマジックアイテムが、炎獄と同じように数日……いや、もっと長く存在するかどうかは、正直微妙なところだろう。
勿論、そのように出来れば最善なのだが。
しかし、そんな真似が出来るかどうかと言われれば、レイは難しいと思う。
(別に、ギルムの錬金術師の技量が低いって訳じゃないんだけどな)
近年、錬金術の研究が活発に行われるようになったベスティア帝国には、非常に腕のいい錬金術師が多い。
しかし、ギルムの錬金術師のレベルも決して低い訳ではないのだ。
いや、寧ろミレアーナ王国の中で見た場合、トップクラスの技量を持つ錬金術師達が集まってすらいる。
その理由は、やはり辺境特有の素材だろう。
普通の場所では出現しないモンスターや、棲息しない植物、それ以外にも火炎鉱石のような魔法鉱石。
他にも辺境であるが故に多数の素材があり、それを求めて錬金術師が集まってくるのは当然のことだった。
腕の立つ錬金術師ということで、性格的にも色々とまともではない者も多かったが。
具体的には、トレントの森で伐採した木を持っていくと、何か珍しい素材はないのかと言ってくるような。
「現在ダスカー様が錬金術師達に結界の類で穢れを封じ込めるようなマジックアイテムを作って貰ってるんだが、もし長が言うように離れた場所から穢れに魔力なり生命力なりを補給して、その個体を維持するといったような真似をした場合……どうなると思う?」
「いえ、それを私に聞かれても困るのですが」
「マジックアイテムなら、長は専門……って訳じゃないかもしれないけど、詳しいだろう?」
「それなりに詳しい自負はありますが、それはあくまでも私達の……妖精のマジックアイテムだけです。人が作ったマジックアイテムについては、そこまで詳しくありません」
長にしてみれば、自分が……あるいは妖精郷にいる他の妖精が作ったり、あるいは他の妖精郷の誰かが作ったマジックアイテムについてなら、色々と言える。
だが、それはあくまでも妖精が作ったマジックアイテムだからだ。
とはいえ、長も人の作った……中にはエルフやドワーフ、獣人といった者達も含まれているが、そのような者達が作ったマジックアイテムについても、全く知らない訳ではない。
知らない訳ではないが、それでも長が知っている人の作ったマジックアイテムというのは、どうしても数が少ない。
その数少ない例から、錬金術師達の作ったマジックアイテムが穢れを無事に捕獲出来るかと言われれば、素直に答えることは出来なかった。
「絶対に正しい答えが欲しい訳じゃない。あくまでも長の予想でいい。そういうこともあるかもしれないかという、判断材料の一つ程度に考えるから」
「それは……まぁ、そこまで言うのであれば……」
長もレイの要求に渋々といった様子だったが、考え始める。
……もしこれで長に尋ねたのがレイ以外の者であれば、恐らく考える様子すら見せず、即座に断っていただろう。
こうしてレイに向かって考えたのは、レイに対する恩義があるからだ。
それ以外にも心の底にある、本人もまだ完全に自覚していない想いもあったのかもしれないが。
ともあれ、長はレイの言葉について考える。
レイはそんな長の邪魔をするような真似はせず、じっと見つめる。
そうして周囲を沈黙が支配し、どこか遠くから妖精達のはしゃいでいる声が聞こえてくる。
笑っている妖精達は、一体現在の状況をどこまで知っているのか。
ふとそんなことを考えたレイだったが、もし妖精にそんなことを聞いても、返ってくる言葉はなんとなく想像出来てしまう。
少なくても、深刻な表情を浮かべたりといったようなことはないだろうと。
そのまま一体どれくらいの時間が経過したのか。
ミスティリングから懐中時計を出せば、その時間を計ることが出来たかもしれないが、まさかレイも真剣に悩んでいる様子の長の前でそんな真似が出来る筈もない。
結局はレイの感覚で十分くらいが経過し……
「穢れがまだ健在である以上、恐らく結界のマジックアイテムの方の効果が切れるのが先でしょうね。そうなると、再び穢れは自由に行動し始めるでしょう。また……こちらではあくまでもそういう可能性なのですが、一度結界に捕らえられたのを学習し、同じようなマジックアイテムを使っても回避するなり……場合によっては耐性を得て、わざわざ回避をしなくても効果がなくなるかもしれません」
「それは……」
もし最初に結界から生き残った場合、学習して再度同じマジックアイテムは通用しなくなる。
これはレイも予想していたが、穢れそのものが耐性を得て、普通に命中しても効果がなくなるかもしれないというのは、完全に予想外だった。
「そんなことがあるのか?」
「分かりません。私も穢れについて知っているのは、言い伝えくらいですから」
「言い伝えか」
しみじみと、レイは呟く。
その言い伝えによれば、穢れは最悪の場合大陸を壊滅させるとあった。
それが事実なのかどうか、生憎とレイには分からない。
分からないが、ダスカーも……それに王都でも、その報告に真実味があるからこそ、本格的に対処を始めたのだろう。
もっとも、真実味の有無に関わらず、大陸が壊滅するかもしれないと言われれば何も対処しない訳にはいかなかったのかもしれないが。
「その言い伝えのおかげで、今はそれなりに穢れに対応出来ているのも事実だ。そう考えれば、長に伝わるそれは、決して軽く扱うことが出来るようなものじゃないと思うけどな」
レイとしては、自分が思ったことを素直に口にしたつもりだった。
だが、そんなレイの言葉に、何故か長は嬉しそうな笑みを浮かべる。
(いや、別にそこまで嬉しそうな様子を見せる必要はないと思うんだが)
純粋に自分の感じたことを口にしてみたレイだけに、そんな長の反応には少し戸惑う。
レイが戸惑っている数秒で長の顔から笑みは消えた。
「ありがとうございます。レイ殿にそう言って貰えると、私も嬉しいです」
「そうか? 別に俺の言葉をそこまでありがたがる必要はないと思うんだが」
そう言うレイだったが、本人の自覚の有無はともかく、実際にはレイの言葉には相応の影響力がある。
異名持ちのランクA冒険者、
しかもグリフォンを従魔としているような人物だ。
そのような人物の影響力が低い訳がない。
「レイ殿は自分が知らないだけで、かなりの影響力を持ってると思いますけどね」
「まぁ……そう言われると、それを敢えて否定するような真似は出来ないが。取りあえず、俺の用件はそれだけだ。穢れについては、もう少ししっかりと確認する必要があるだろう。生き残ってる個体だけが特別という可能性も否定は出来ないし」
結局のところ、まだ穢れについて殆ど何も分かっていない状況だからこそ、そのような特殊な穢れがいるかもしれないと思ってしまうのだろう。
オイゲンやゴーシュといった面々が行っている穢れの研究がもっと進めば、やがて穢れがどのような存在なのかが判明し、特殊な能力を持った個体がいるかどうか、いた場合はどのような能力を持っているのかといったことがはっきりとするだろう。
「じゃあ、用件もすんだし、俺はこの辺で失礼する。……もっとも、だからといって今の状況でやるべきことがある訳じゃないんだが」
穢れが新たに現れたといったようなことでもない限り、レイは特にやるべきことがない。
そうなると、今までと同じようにゆっくりと休むだけだ。
「あ、レイ殿。戻る前に少しよろしいでしょうか?」
その場から去ろうとしたレイに、長は声を掛ける。
その言葉は特に緊迫感があるようなものではなく、普通に声を掛けてきただけだ。
不意に穢れが転移してきたといったようなことではないのだろう。
「どうした?」
「はい。レイ殿はやることがなくて暇だと仰っていたので、その……もしよろしければでいいのですが、狼の子供達に戦闘訓練をして貰えないでしょうか?」
「……戦闘訓練?」
「勿論、本格的な戦闘訓練といった訳ではありません。基本というか、そんな感じです」
「そう言われてもな。人を相手にするのなら、模擬戦をやったこともあるし、初心者を多少は鍛えたこともあるが」
そう言ったレイが思い浮かべたのは、ギルムに住むとある没落貴族の子供だった。
実際には全くの素人といった訳ではなく、基本の……いや、基本の基本の基本くらいは出来ていたのだが。
(あの依頼を受けてからまだ数年ってところだけど、随分と昔のような気がするな)
トラブルに愛され、あるいは自分からトラブルを起こしたり、トラブルに関わったりすることの多いレイの日常は、濃密な日々が多い。
もっとも、今のように特に何もやるべきことがないと、それはそれで暇を持て余すことになるのだが。
とにかくそんなレイの日常だけに、月日の経つ時間というのは驚く程に早いと思う。
(これは、ある意味で充実している毎日と思ってもいいのか?)
充実している毎日というのは、体感的にはすぐにすぎていくといったことを、レイは以前聞いたことがあった。
それが真実なのかどうかは分からないが、レイの経験からするとそんなに間違っていないようにも思える。
もっとも、それが充実している毎日だからなのか、それとも忙しくて余計なことを考える余裕がない毎日なのかで、色々と変わってくるとは思うが。
「話は分かった。俺も特にやるべきことがなかったし、それはそれで構わないけど……何で急に?」
「急にと言いますか……レイ殿が把握出来ているかどうかは分かりませんが、妖精郷の狼の子供達はそう遠くないうちにモンスターとなるでしょう」
「まぁ、妖精郷だしな」
普通の動物でも、魔力の濃い場所にいることによってモンスターとなるのは珍しい話ではない。
いや、寧ろ一般的だろう。
そしてここは妖精郷。
そのような場所に狼の子供達がいた場合、モンスターとなるのはそう珍しい話ではなかった。
「はい。だからこそ、モンスターになった時の為に今のうちから鍛えておきたいのです。そうすれば、将来的に死ぬ可能性も低いでしょう」
長は慈愛に満ちた表情でそう告げる。
そんな長の言葉に、レイは笑みを浮かべて任せろと快諾するのだった。