3173話
「キュウウウウ!」
「あ、ちょっと、イエロ。そっちに行っちゃ駄目でしょ! ドッティも止めなさい!」
「ギュアアアア!」
ニールセンの言葉に、ドッティと名付けられたハーピーはすぐにイエロの進行方向を変えるように動き出す。
何故か……本当に何故かニールセンやイエロと一緒に行動をしているハーピーのドッティは、何とかイエロの進行方向を変えることに成功する。
「キュウ、キュウキュウキュウ……」
視線の先に存在する、丸い泡……それこそレイが見れば巨大なシャボン玉と評するだろう泡を追えなくなったイエロは、残念そうに喉を鳴らす。
イエロはまだ子供なだけあって、非常に好奇心が強い。
好奇心ということなら妖精も決して負けてはいないのだが……そんな妖精のニールセンから見ても、イエロはかなり好奇心が強いという認識だった。
(とはいえ、イエロと一緒に来なかったら……とか、そんな風には思えないのよね)
時折……いや、頻繁に暴走するイエロだったが、そんなイエロをドッティと一緒に止めるといった真似をしているからこそ、一人で行動している寂しさの類はない。
もしこれが自分だけで他の妖精郷に行くということになれば、一体どうなっていたか。
表には出さないようにしていたものの、それでも心細い思いがあったのは間違いないだろう。
また、ドッティが一体どういう理由で自分達と一緒に行動するつもりになったのかは分からないが、イエロがおらず自分だけだった場合、素直に仲間になっていてくれたかどうかも分からない。
そもそも、何故ドッティが自分達の仲間になってくれたのか……その理由も今はまだ全く分からないのだから。
そうである以上、イエロがいなければドッティが仲間になっていなかった可能性もある。
……いや、イエロがドラゴンの子供であると考えれば、ドッティが仲間になったのはイエロがいるからこそと考えてもおかしなことはないだろう。
「ほら、イエロ。妖精郷に向かうわよ。……出来れば、今日は美味しい料理を食べたいんだけど」
レイと別行動をすることになったニールセンにとって、一番大変だったのは食事だ。
レイと一緒にいれば、レイの持つミスティリングの中に多数の料理が入っているし、何なら途中にある村や街に寄って屋台で食べ物を買ったり、食堂や酒場に入ってもいい。
だが、妖精とドラゴンの子供とハーピーが村や街に入れば、どうなるか。
そうなれば、間違いなく騒動になる。
場合によっては、冒険者が攻撃をしてきてもおかしくはない。
ニールセンとしては、そのようなことにはなるのはごめんだった。
もしそのようなことになれば、冒険者達に追われるだけではなく、長に一体どのようなお仕置きをされるのか、分かったものではないからだ。
長にお仕置きされることを考えれば、食事が貧相なものになっても仕方がない。
……とはいえ、ドッティが獲物を捕らえてくれるので、食料に困るということはない。
火も、一応覚醒したニールセンなら、光を放つことによって何とか焚き火をすることは出来る。
だが、この場合問題なのは肉を焼くことは出来るものの、下処理をする者がいないということだ。
また、このメンバーでは当然だが塩を始めとした調味料の類もない。
結果として鳥の場合は羽毛を、動物の場合は毛をニールセンが必死になって抜くことになる。
イエロやドッティはそこまで細かい作業が出来ないのだ。
あるいはしっかりと教えれば出来るかもしれないが、そのようなことをする意味が分からないというのもあるのだろう。
結果として、料理という概念を持っているはニールセンだけだ。
つまり、ニールセンが料理をしなければ、最悪生肉をそのまま食べるといったことにもなりかねない。
もし季節が冬ではなく、春、夏、秋のいずれかであれば、果実や木の実もあったかもしれない。
だが、今は冬だ。
そうである以上、食料となるそれらはない。
もしかしたらあるのかもしれないが、残念ながらニールセン達が移動してる時にそれらを見つけることは出来ない。
正確には、探すことは出来ないというのが正しいだろう。
ニールセン達はあくまでも妖精郷に向かっているのであって、ピクニックに来ている訳ではない。
そうなると、食料となる何かを探すよりも、移動に時間を掛ける必要があった。
食料を探すのに時間を掛けて、その結果として妖精郷に到着するのが遅くなった場合、最終的にトレントの森に戻った時、遅かったという理由で長によってお仕置きをされるかもしれない。
それどころか、場合によっては今まで経験したことがないようなお仕置きをされるという可能性も十分にあった。
ニールセンとしては、そんなことは絶対に避けたい。
だからこそ食料を探すよりも移動を優先する必要があった。
(これ、ドッティがいなかったら……一体どうなっていたのかしらね)
ドッティがいなければ、食料は自分達で用意しなければならなかった。
だが、妖精の自分とドラゴンとはいえ子供のイエロ。
そんな戦力で、モンスターや動物、あるいは鳥を仕留めることが出来るかと言われれば、正直なところ難しいとニールセンには思える。
そういう意味では、殆ど成り行きというか、飛び入りというか、そんな感じだったが、ドッティが自分達と一緒に来てくれたのは非常に助かる。
「ありがとうね、ドッティ」
「ギャ?」
ドッティが首を傾げる。
それはニールセンの言葉の意味を理解しているから……ではなく、急に自分に声を掛けてきたからだ。
ドッティは、ニールセンの言葉を完全に理解している訳ではない。
あくまでも、大体のニュアンスで理解しているにすぎない。
それでもある程度の意思疎通が出来ている辺り、ドッティはハーピーの中でもかなり頭の良い個体なのだろう。
もしドッティが普通のハーピーと同じくらいの頭しかなかったら、恐らく……いや、ほぼ確実にイエロやニールセンに協力するといったようなことはせず、それこそ最初に遭遇した時に攻撃をしていた。
「何でもないわよ。……本当に、この様子で妖精郷に到着出来るのかしら? イエロとドッティが頼りなんだから、お願いね」
はぁ、と息を吐きながら、ニールセンは自分の乗っているイエロを撫でる。
この辺りは、セトに乗っているレイの様子を見ていてそれを真似したのだろう。
「キュウ!」
首の後ろを撫でられたイエロは、嬉しそうに喉を鳴らす。
先程大きな泡を見て、そちらに向かって進もうとしたのは既に忘れたかのような様子だった。
お気楽な様子のイエロだったが、ニールセンも可愛らしいものは好きだ。
イエロが鳴き声を上げている様子は、かなり可愛らしい。
「はぁ。しょうがないわね。ほら、行くわよ。とにかく、まずは妖精郷に到着しないといけないんだから、後は……」
「ギャギャギャ!」
ニールセンの言葉を遮るように、不意にドッティが鳴き声を上げる。
それが警戒の鳴き声だというのは、一緒に行動しているニールセンには理解出来た。
ドッティの様子に、ニールセンは急いで周囲を警戒する。
すると、自分達の方に向かって飛んで来る一匹のモンスターを発見した。
飛んでいるというのを見れば分かるように、鳥型のモンスターだ。
ただし、翼を二枚ではなく四枚持っており、その大きさはドッティ程ではないが、イエロよりも明らかに大きい。
「ちょっ、ちょっと、嘘でしょ!? 何でこんな場所で……いえ、空を飛ぶモンスターなんだから、仕方がないのかもしれないけど!」
ニールセンがそう叫んだのは、明らかに自分達に向かってくる鳥のモンスターは辺境以外の場所にいるようなモンスターではないと思えたからだ。
だが、辺境というのはあくまでも人間が決めたものであって、そこに住むモンスター達がそれに従う必要はない。
地上に生きるモンスターなら、地上を移動している時に冒険者や、あるいは他のモンスターと遭遇して戦いになり、結局辺境から出ることが出来ないといったようなことになってもおかしくはない。
だが、空を飛ぶモンスターは違う。
モンスター全体の中で見た場合、空を飛べるモンスターというのはそれなりにいる。
だが、それはあくまでもそれなりにの話で、地上で生活しているモンスターと比べると、その比率はかなり少ない。
また、冒険者達も空を飛んでいるモンスターには弓や魔法といったような攻撃方法が一般的となる。
もっとも魔法使いの数は少ないので、一般的という表現が正しいのかどうかは微妙なところだが。
そのような理由から、空を飛ぶモンスターというのは比較的自由に移動が可能だった。
だからこそ、辺境ではない場所でも空を飛ぶ高ランクモンスターというのはそれなりに存在しており、辺境を出たニールセン達がそのようなモンスターと遭遇するのおかしな話ではなかった。
「逃げるわよ!」
ニールセンは真っ先にそう叫ぶ。
鳥のモンスターがどのくらいの強さなのか、生憎とニールセンには分からない。
イエロなら鱗による高い防御力で相手の攻撃を防げるかもしれないが、妖精のニールセンにそこまで高い防御力はない。
小さいのでそう簡単に攻撃が命中しないかもしれないが、それは同時に攻撃が命中した場合は大きなダメージとなることを意味している。
妖精の輪という転移能力はあるものの、それも敵の攻撃を回避する為に咄嗟に使える訳ではない。
長ならそのような真似も出来るのかもしれないが、今のニールセンには無理だ。
妖精特有の魔法を使おうにも、基本的には植物を使う魔法が多いのに、現在ニールセンがいるのはかなりの高度である以上、それも無理。
結果として、ニールセンが出来るのはとにかくここから逃げるということだけだった。
イエロとドッティは、そんなニールセンの指示に素直に従う。
……本来なら、ハーピーのドッティはともかく、イエロはドラゴンである以上、妖精のニールセンよりも格上の存在だ。
それでもイエロがニールセンの指示を聞いているのは、エレーナからこの旅の間はニールセンの指示を聞くようにと言われたからというのが大きい。
勿論、その指示が無茶なもの……具体的にはイエロだけを穢れに突っ込ませるといったような無茶なものであれば、その指示に従うような真似はしないだろう。
だが、今のように敵から逃げるというだけであれば、全く問題はなかった。
「キュウ!」
鳴き声を上げ、その場から離脱するイエロ。
ドッティもそんなイエロとニールセンを、何かあった時にはすぐに守れるようにしながら飛び……
「ニャアアアアアア!」
しかし、そんなイエロ達を見た鳥のモンスターは、まるで猫の鳴き声かと思われるような妙な鳴き声を発しながら、飛ぶ速度を一段と上げる。
翼が四枚もあるのだ。
当然ながら、飛ぶ速度には自信があったのだろう。
それを示すかのように、次第に逃げるイエロ達との距離は縮まっていき……
「ニャアアアアアッ!」
そんな叫びと共に、風による斬撃が放たれる。
いや、それは斬撃というよりは爪による一撃と評した方が相応しいだろう。
ある意味ではレイの飛斬に近い形の一撃は、しかしドッティがイエロを抱えて急速に地上に向かって降下していったことによってあらぬ方向に飛んでいく。
「ニャアッ!」
鳥のモンスターにしてみれば、自分の攻撃が回避されたのが面白くなかったのか、苛立ち混じりに鳴き声を上げる。
四枚の翼を羽ばたかせ、地上に向かうドッティ達を追い掛ける。
だが……それが、鳥のモンスターにとっては致命的だった。
「ニギャア!」
不意に飛んできた光に、悲鳴を上げる鳥のモンスター。
それを放ったのは、イエロの背に乗っているニールセン。
覚醒したことによって新たに得た力だ。
その一撃は、完全に鳥のモンスターの意表を突いたのだ。
ダメージその物はそこまでないものの、目を焼いたことによって視力を完全に失ってしまう。
「今よ! ドッティ、反撃を!」
「ギャア!」
ニールセンの指示に従い、ドッティは翼を激しく羽ばたかせながらイエロから離れる。
鳥のモンスターは視力を失ったことによって、自分がどこを飛んでいるのかも分からないような状態になっていた。
そのような状態である以上、当然ドッティが自分に向かって近付いてくるのにも気が付かない。
一時的に視力を失っても、それで混乱するような真似をせず、冷静ならドッティが羽ばたく音が聞こえたかもしれない。
しかし、そんな音に気が付く様子もなく……
「ギャアアアア!」
鳥のモンスターの上まで移動したドッティは、急降下する。
ドッティの持つ鋭い武器……足の鋭い爪を向けながら。
まるで一筋の流星の如く襲い掛かったドッティは、見事鳥のモンスターを仕留めることに成功し、この日のニールセン達の食事はそれなりにランクの高い……つまり、美味い肉を持つモンスターを食べることになるのだった。