3172話
「そうですか。言われてみれば、地上を移動するのならきちんと妖精郷の場所を前もって知っておく必要がありますね。そういう意味なら納得出来ます。ありがとうございました、レイ殿」
レイから誰が何の為に妖精郷の近くまでやって来たのか、その理由を聞いた長は安堵した様子を見せる。
……以前、妖精郷を自分の利益の為に利用しようとした男がいて、実際に妖精郷の近くまでやって来たことがあった。
その時は結局レイが倒したので問題はなかったのだが、その時のことを思い出して、長は少し不安に思ったのだろう。
そう考えるレイだったが、同時に長の力なら妖精郷に近付く相手がいても、大抵の相手ならどうとでもなるのでは? という思いがあるのも事実。
それを口にした場合、面倒なことになりそうだったので実際に口にするようなことはなかったが。
「ブロカーズがやって来たから、それが理由だろうな。……そう遠くないうちにダスカー様を始めとした他の面々が来ると思うけど、その時の対応は大丈夫か?」
「はい。霧の中の狼達にも、その時は誰も襲わないように言っておきます。それなら恐らく問題はないかと」
「だといいんだが」
霧の中に棲息している狼達は、妖精達に強い恩義を感じている。
だからこそ、もしセトと戦わなければならなくなった場合、自分達に勝ち目がないというのを知っていても戦いを挑むだろう。
勿論、セトと戦わなくてもいいのなら、戦おうとは思わないだろうが。
「その辺はお任せ下さい。……レイ殿に手を煩わせるようなことはさせませんので。ただ、妖精郷にやって来た相手が何か妙な真似をしたら、相応の対応をさせて貰おうと思いますが」
「その辺は長の思うようにしたらいいと思うぞ。……ただ、ダスカー様が連れてくる者達である以上、妙な真似をするとは思っていないけど。まぁ、ブロカーズと一緒に来た奴は分からないが」
ブロカーズの護衛のイスナは、頭が固い。
そのイスナが妖精郷にやって来て、妖精がブロカーズに悪戯をしたらどうなるか。
レイとしては、それこそ最悪の結果になる可能性も否定は出来なかった。
「とにかく、朝早く……という訳ではないですが、起きてからそう時間が経っていないのに、レイ殿に動いて貰って助かりました。ありがとうございます」
「別にその辺は気にしなくてもいいけどな。妖精郷で世話になってるんだし」
「レイ殿がいないと、穢れに対処出来ないのです。そういう意味では、その件でお礼を言うのは私の方だと思いますが」
長の言葉に、そうか? と疑問を抱くレイ。
とはいえ、ここでどちらが感謝の言葉を口にするのかといったことで言い争っても意味はないので、それ以上突っ込むような真似はしない。
代わりに……という訳ではないが、そう言えばとレイは思い出したことがあった。
「長、そう言えば以前マジックアイテムを作って欲しいって話をしたよな?」
「え? あ、はい。離れた場所で話が出来る物と、モンスター解体する物ですよね? 申し訳ありませんが、色々と忙しくて……」
そう言い、頭を下げる長。
長にしてみれば、レイに頼まれたマジックアイテムを作りたいという思いはある。
だが、今はまず穢れの対処を最優先にしなければいけないのも、事実。
そしてトレントの森とその周辺を常に索敵しているのだ。
長として、妖精の中でも突出した魔力を持っていても、索敵をしたままマジックアイテムを作るといった真似は到底出来ない。
結果として、マジックアイテムの製造は亀の如き歩みとでも呼ぶべき、ゆっくりとした速度でしか進んでいなかった。
……探知をしつつ、それでも少しずつであっても進んでいるのは、長の意地とでも呼ぶべきものだろう。
そんな長に対し、レイは首を横に振る。
「いや、そうじゃなくてな。……つまり……」
どう説明したらいいのか分からず、実際にミスティリングの中からドワイトナイフを取り出す。
「これを見てくれ。ドワイトナイフというマジックアイテムだ。その性能は、切っ先をモンスターの死体に突き刺すだけで、使用者の魔力を消費して自動的に解体するというものだ。また、小難しくて俺には分からない理屈によって、素材とならない部分……普段なら燃やしている部分は自動的に消滅する」
「それは……」
レイの説明を聞いた長は、素直に驚きの表情を浮かべる。
もしその説明が正しいのであれば、解体用のマジックアイテムとしては非常に効果が高いからだ。
長もレイに解体用のマジックアイテムを作って欲しいと言われはしたが、だからといってこのドワイトナイフのような物を作れるかどうか。
基本的に妖精の作るマジックアイテムというのは、錬金術師が作るマジックアイテムよりも効果が上だ。
だというのに、ドワイトナイフは長の目から見ても一流の……あるいはそれ以上の性能を持っていると分かるのだ。
ある意味、それは長に対する挑戦ですらあった。
レイにその気はないものの、ドワイトナイフを見せられた長はそのように思ってしまったのだ。
「その、このマジックアイテムはどこで入手したのでしょう?」
「ダスカー様からの報酬として貰った。自分で言うのもなんだが、俺はここ最近ギルムの為にかなり働いていたからな。その報酬として」
自分で言うのもと口にしたレイだったが、実際にここ最近レイがギルムの為に行ってきた仕事量を思えば、ドワイトナイフくらいの報酬を貰ってもおかしくはない。
いや、人によってはその程度の報酬では足りないと言う者すらいるだろう。
もっとも、マジックアイテムを集めるレイにしてみれば、報酬はこれだけで十分と思えたが。
そもそも金に困っている訳でもないので、報酬として金を渡されてもレイとしては困る。
いや、金というのはあればあっただけいいので、困るという訳でもないのだが、レイの場合は金を稼ごうと思えばモンスターを狩って売るなり、ここ最近はあまり出来ていないが趣味の盗賊狩りをやって稼ぐなりといった方法がある。
そういう意味では、やはりマジックアイテムを貰えるというのはレイにとって非常に嬉しいのだ。
「そう……ですか」
マジックアイテムを見る長の表情には複雑な色がある。
今の自分の状況はかなり忙しく、レイに言ったようにマジックアイテムを作っている暇がないのは事実。
だが同時に、だからといってレイが自分に頼んだのと同じような能力を持つマジックアイテムを持っているということに思うところはあった。
長は、自分のマジックアイテムを作る技術については、相応の自信を持っていたのだ。
それだけに、レイが貰ったというドワイトナイフがどれだけの性能の持っているのかというのは十分に理解出来た。
本来なら、自分がレイの為に作る筈だったマジックアイテム。
それを横取りされたということに、半ば嫉妬に近い感情を抱く、
あるいはそれは後悔か。
「素晴らしいマジックアイテムですね」
それでも嫉妬や後悔といった感情を表に出さないのは、長のプライドからくるものか。
もしくは、ここで自分が何かを言ったところで負け惜しみにしかならないと思っているからか。
長がそのように思っているのに気が付かないレイは、ドワイトナイフを褒められたことで笑みを浮かべる。
「長にそう言って貰えると、俺としても嬉しいな」
「いえ、素直な感想ですから。……ただ、通信用のマジックアイテムの方は私が作るということでいいんですよね?」
唐突に話が変わった――マジックアイテムについてという意味では変わってないのだが――ことに疑問を抱きつつ、長の言葉に素直に頷く。
「ああ、それでも問題ない。ただ、長が難しいというのなら、無理にとは言わないけど」
そうレイが言ったのは、長がトレントの森とその周囲を探索し続けているということを知っているからだ。
実際にそれが理由で今までマジックアイテムを作れなかったと、長自身が言っていた。
だからこそ、そこまで無理をしなくてもいいと思っての言葉だったのだが……
「問題ありません、さすがに二つのマジックアイテムを作るのは大変ですが、一つなら何とかなります」
そう、長が言い切る。
実際には妖精の作るマジックアイテムだけあって、そう簡単に作れる物ではない。
相応に時間が必要となるのだが、もしそれを実際に口に出そうものなら、レイはもしかしたらマジックアイテムを作らなくてもいいと言うかもしれない。
長はそれが認められず、今のように言い切ったのだ。
レイはそんな長の様子に疑問を抱いたものの、その内心までは理解出来ないので、取りあえず問題はないのかとだけ認識する。
「グルルルゥ?」
長とレイのやり取りを黙って聞いていたセトが、不意に鳴き声を上げる。
セトにしてみれば、今のやり取りに何か感じることがあったのだろう。
具体的にそれが何なのかは分からなかった様子だったが。
「セト?」
「グルゥ」
レイの呼び掛けに返事をするセトだったが、一体何故喉を鳴らしたのか、レイには分からない。
ただ、特に何か用事があるようには思えなかったので、特に意味はなかったのだろうと判断し、改めて長に視線を向ける。
「じゃあ、通信用のマジックアイテムについては任せる。長が作るマジックアイテムだから、すぐに出来るということはないんだろうし、ゆっくりと待ってるよ」
「はい。レイ殿を満足させる性能を持つ、それこそドワイトナイフよりも高性能なマジックアイテムを作ってみせますので」
「いや、解体用のドワイトナイフと通信用のマジックアイテムだと、一緒に出来ないと思うんだが。……まぁ、いい。とにかく任せる。じゃあ、俺はそろそろ戻るよ」
「分かりました、色々とありがとうございます」
そう言い、頭を下げる長に気にする必要はないと手を振り、レイはセトと共に長の前から立ち去る。
そんなレイを見送っていた長は、レイとセトの姿が見えなくなったタイミングで顔を上げる。
頭を下げている状態でどうやってレイとセトが見えなくなったタイミングが分かったのかと、そのような突っ込みをする者はここにはいない。
そうして大きく息を吐く。
「ゆっくりとしすぎましたか」
長の口から出たのは、反省の言葉。
レイからマジックアイテムを作って欲しいと頼まれてはいたのだが、穢れの索敵があるので後回しにしていた。
その結果として、レイは長が作るのとは別のマジックアイテムを入手してしまった。
ドワイトナイフが劣悪な性能なら、もっと良い物を自分が作りますと言えただろう。
だが、ドワイトナイフは性能は勿論のこと、外見も非常に美しく、長の目から見ても文句は言えなかった。
それこそ普通のマジックアイテムよりも一段階上と言われている妖精のマジックアイテムと比べても、決して見劣りはしない。
それどころか、上手く出来なかった妖精のマジックアイテムよりも、高性能だった。
「人間があのようなマジックアイテムを作れるとは……予想外でしたね。いえ、もしかして人ではなくエルフでしょうか? あの深緑の刃も、どことなくエルフっぽい感じがしましたし」
長はドワイトナイフの外見を思いだしながら、考えを纏めていく。
もしあのドワイトナイフを作ったのがエルフであるのなら、あれだけの物を作れるのにも納得出来る。
ただし、納得出来るからといって、それに負けん気を感じないという訳ではないのだが。
「取りあえず、解体用のマジックアイテムは諦めましょう。レイ殿も同じようなマジックアイテムが複数あっても困るでしょうし。かといって、ドワイトナイフよりも高性能なマジックアイテムは……作るのは難しいでしょう」
ここで自分なら作れると言い出さないところが、長の冷静さを物語っていた。
実際、長の目から見ても……そしてレイから詳細な効果についての説明を聞いても、完成度の高さに驚かされるだけだ。
長も、もし自分が解体用のマジックアイテムを作るのなら、恐らくドワイトナイフと似たような能力になるだろうと思えるくらいには。
そうである以上、長は改めて解体用のマジックアイテムを作る必要はない。
そして長は、解体用のマジックアイテム以外にもう一つ、通信用のマジックアイテムを頼まれていた。
無意味な方に力を振るうのは意味がない。
どうせなら今の自分が感じているその不満は、通信用のマジックアイテムに振り分けた方が健全だろう。
「とはいえ、まずは基礎の部分から作る必要がありますね。レイ殿が持っていた対のオーブのような形にするべきか、それとも文字だけでやり取りを出来るような物にするべきか、はたまた……」
純粋に自分の意思を伝えるという意味では、色々と手段がある。
それについてどうするべきか迷いながら、長は穢れが転移してこないのかを警戒するのだった。