3167話
「レイ?」
野営地に戻ってきたレイに近付いて来たのは、野営地を纏めているフラットだった。
フラットにしてみれば、先程他にも穢れが出たということでそちらに向かった筈が、一体何故野営地に戻ってきたのか、それが疑問だったのだろう。
「客人を案内してきた」
「客人……? あの馬車か? この時間に?」
穢れの夜襲があったので、まだ野営地にいる者の大半が起きている。
だが、それはあくまでも夜襲があったからこその話で、本来なら今は多くの者が眠っているような時間だ。
そんな真夜中に客人が来ると言われれば、フラットがそれに驚くなという方が無理だろう。
「ああ、この時間にだ。……一応言っておくが、重要な人物だ。失礼がないようにしろよ」
そんなレイの言葉が聞こえたのか、馬車の御者をしているイスナは、どの口でそんなことを言ってるんだといった視線を向けていた。
レイのブロカーズに対する口調や態度に思うところがあるのだろう。
ただし、そのような態度をブロカーズ本人が構わないと言ってる以上、イスナとしては何も言えないのだが。
「一体誰を連れて来た?」
レイが重要な人物と言うような相手だ。
一体誰を連れて来たのかと、そんな疑問をフラットが抱くのも当然だろう。
「ブロカーズだ」
名前を口にしても、フラットは不思議そうな表情を浮かべる。
名前を聞いただけでは、それが誰なのか分からないのだろう。
(あれ? もしかしてそこまで有名な人物じゃなかったりするのか?)
レイは自分が知らなかったのは、お偉いさんの名前にはそこまで興味を持っていないので、分からないといったことがあってもおかしくはないだろうと思っていたが、ギルドから優秀な冒険者と認められているフラットですら分からないというのは、一体どういうことなのかと疑問に思う。
「まぁ、俺の役目はここまでだ。またいつ穢れがどこかに出て来ないとも限らないから、妖精郷に戻らせて貰うよ。詳しい話はイスナ……あの御者をやってる女に聞いてくれ」
「女って……騎士? 何故女騎士が御者を?」
普通に考えて、女騎士が御者をやるというのは考えられない。
考えられないものの、それでも目の前の状況はこれ以上ない程に女騎士が御者をしていた。
「じゃあな」
戸惑うフラットに対し、レイは説明をするのも面倒だと離れた場所にいるセトに向かう。
フラットはそんなレイに恨めしげな視線を向けたものの、女騎士から事情を聞く方が先だろうと判断し、そちらに向かって駆け寄る。
「グルルルゥ」
馬車から……正確には馬車を牽く馬から離れた場所で待っていたセトは、近付いてくるレイを見ると嬉しそうに喉を鳴らす。
セトにとって馬から怖がられるというのは珍しいことではない。
それなりに慣れてはいるものの、それでもやはり残念に思ってしまう一面がそこにはあった。
そうして残念に思っているセトだけに、自分のいる方にやって来たレイを見て嬉しくなるのは当然だった。
「悪かったな、少し遅くなった。……じゃあ、妖精郷に戻るか。それでいいんだよな?」
レイは自分の右肩にいるミレリアに尋ねる。
ミレリアが特に用事がないのなら、レイはこのまま真っ直ぐ妖精郷に戻るつもりだった。
夜襲の件からそれなりに時間が経っている。
今こうしている間も、もしかしたら何か起きる可能性は十分にあったのだ。
それこそ、こうして時間差で穢れの襲撃があったことを考えると、再び時間差で新たに穢れの襲撃がある可能性は十分にあった。
(新しい妖精が来てないから、実際にはそういうことはないんだろうけど)
もし長が新たな穢れを発見していれば、ミレリアと同じように誰かに伝言を運ぶように頼むだろう。
それが来ていないということは、今は取りあえず穢れがいないと思ってもいい筈だった。
単純に、現在妖精がレイのいる場所に向かって飛んでいるだけかもしれないが。
そうなったらそうなったで、妖精郷で長に謝ろうと思う。
「じゃあ、いつまでもここにいると面倒なことになりそうだし、さっさと行くぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが喉を鳴らす。
そんなセトの背に跨がったレイは、馬車の近くにいるフラットがイスナと話して困った様子なのを確認するが、ここで自分が口を出せば面倒なことになるだけだと判断し、そのままスルーを決め込む。
そうしてセトは数歩の助走の後に、翼を羽ばたかせて空に駆け上がっていくのだった。
「きゃあああああああっ!」
ミレリアの叫び声を周囲に響かせながら。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
ミレリアはそう言うと、どこかに飛んでいく。
妖精郷の中に入った瞬間にミレリアが離れたのを見たレイは、長に報告しなくてもいいのか? と疑問に思う。
だが、ミレリアは内気な性格をしているものの、頭ではニールセンに勝っているだろうとレイは予想していた。
そうである以上、その辺については十分に考えた上でこのような行動をしている以上、相応の理由があるのだろう。
……これで、実はレイに掴まって空を飛んだのが怖かったからという理由だけで長に会いに行かなかったりした場合、ニールセンがされていたようなお仕置きをされるのはほぼ確実だろう。
だからこそ、レイとしてはミレリアもそれを分かった上での行動だろうから、特に何も突っ込むような真似はしない。
「じゃあ、セト。俺達も長に会いに……いや、セトを迎えに来た奴がいたか」
「ワオオオオン!」
夜中だというのに、何故か元気な狼の子供達。
普通なら眠っているだろう時間なのに、何故狼の子供達が起きているのか。
レイにはそれが分からなかったが、狼の子供だからこそ、そういうこともあるのだろうと思っておく。
これが一般的な狼の子供ならおかしくはないことなのか、それとも妖精郷にいる狼の子供だからこそ、普通の狼と違うようになったのか。
恐らく後者なのだろうと思いつつ、長に色々と報告をするのにセトがいなくてもいいので、セトの身体を軽く叩く。
「遊んできてやれ。狼の子供達も、セトが来るのを待っていたんだろうし」
「グルゥ……?」
レイの言葉に、いいの? と首を傾げて喉を鳴らすセト。
レイにしてみれば、狼の子供達を残念がらせるよりはいいだろうと頷く。
「こっちは問題ない。長に報告するだけだし。……ただ、もしかしたら長からまた緊急にどこかに向かって欲しいといったように言われたら、その時はセトを呼ぶから来てくれ」
長から再び緊急に何かを言われるかどうかは、レイにも分からない。
分からないが、レイが野営地に向かってからそれなりに時間が経っている以上、もしかしたらということもあるのだ。
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らしてから狼の子供達に向かっていく。
なお、狼の子供達はある程度までは近付いて来たのだが、途中で止まってセトが来るのを待っていた。
セトの躾けが行われたのか、それとも狼の子供達にとって何か思うところがあったのか。
その辺はレイにも分からなかったが、それでも無意味に突っ込んでいくという真似をしなくなったのは、一種の成長なのだろう。
(もしかしたら、今だけ……夜中だけなのかもしれないけど)
そんな風に思いつつ、レイは狼の子供達に近付いてくセトを見送り、自分は長のいる方に向かって歩き出す。
マジックテントで寝ているのを起こされた時は、起こしに来た妖精から少しでも早くといったように急かされたので、セトに乗って妖精郷の中を走った。
だが、今はそこまで急ぐ必要もないだろうと、レイは特に走るでもなく、普通に歩いて長のいる場所に向かっていた。
(こうして見ると、やっぱり妖精は殆どいないな)
マジックテントで起こされた時もそうだったが、その時はまだ何人か空を飛ぶ妖精がいた。
だが、今となっては、本当に妖精の姿はない。
……もっとも、そうした妖精がいないおかげで、レイは何か食べ物を欲した妖精に絡まれたりしなかったのだが。
そうして下手に妖精に絡まれたりといったようなことがないまま移動し……やがて本当に何もトラブルがないまま、レイは長のいる場所に到着する。
(ここまで順調だと、寧ろ何か嫌な予感がするような……気のせいか?)
レイは自分がトラブルに巻き込まれやすいと知っている。
実際にはトラブルに巻き込まれるというより、自分からトラブルを起こしたりすることも多いのだが。
また何か妙なトラブルでもあるのかと思いつつ、レイは視線の先にいる長に声を掛ける。
「野営地の件と、ミレリアから聞いた件は無事に片付いた。他に何かあったか?」
「いえ、今のところ穢れの存在を探知出来たのはその二つだけです。……レイ殿には、夜中にこうして出向いて貰い、申し訳なく思ってます」
そう言い、頭を下げる長。
もしここに妖精郷に住む妖精がいたら、驚きを見せるだろう。
まさか、あの長がこうして頭を下げるとは、と。
そんな長に、レイは首を横に振ってから口を開く。
「気にするな。穢れの件は俺達にも関係あることだし……何より、野営地に現れた穢れが研究者達の研究の役に立つ筈だ。それに後から穢れに襲われた方の場所には、重要人物が乗っていたし」
レイにしてみれば、ブロカーズやイスナが穢れに襲われたのを助けることが出来たのだから、長には感謝の気持ちの方が強い。
もしミレリアが長からの伝言を持ってきていなければ、どうなっていたか。
ブロカーズ達は馬車に乗っていたので、穢れに追いつかれるといった心配はなかっただろう。
だが、馬車はあくまでも馬が牽いているのだ。
そして馬も生物である以上、いつまでも走り続けるといった真似は出来ない。
穢れが敵を追うのを、いつになったら諦めるのか。
それが分からない以上、レイが助けに入ることが出来たのは幸運だった。
レイの認識では、基本的に穢れというのはロボットか何かのように、プログラムされた行動を疑うことなく延々と続けるといったものだ。
つまり、一度敵として認識されれば、基本的には諦めることはないまま延々と追い掛けてくるのだ。
実際に試してみた訳ではないが、レイとしては恐らく間違いないだろうと思っている。
そのような状況でブロカーズやイスナをそのままにしておいた場合、穢れを引き連れて野営地まで行っていただろう。
ようやく夜襲による混乱が収まったところで、再び穢れがやって来るのだ。
それも、ただ穢れがやってくるのではなく、王都からやって来たお偉いさんのブロカーズもいる。
そうなったら一体どうなるか。
具体的にどのようになるのかは、レイにも分からない。
分からないが、それでも決して面白いことにはならないだろうというのがレイの予想だった。
「ミレリアが来てくれなければ、色々と面倒なことになっていたのは間違いない。そういう意味で、この件は俺達にとっても十分に利益があることだったんだよ」
「そこまでレイ殿が言うということは、余程の何かがあった……ということでしょうか?」
その問いに、レイはブロカーズについて説明する。
妖精郷の長に王都からやって来た重要人物といった風に言っても、どこまで事態を把握出来るのかは分からなかったが、幸いなことに長は十分にレイの言葉を理解していた。
「なるほど。では、そのブロカーズという人物はいずれ妖精郷にやってくるのですか?」
「そうなるな。穢れの情報は長からもたらされたものだし」
そんなレイの表情に、長は困った表情を浮かべる。
長にしてみれば、穢れの件を知らせたことでこのようになるだろうというのは予想していた。
予想はしていたが、だからといって実際にそのようなことになるのは遠慮したいという思いがあったのも事実。
単純に、妖精郷にあまり人を入れたくないという思いもある。
「ただ、問題なのはどうやってブロカーズや……恐らくは他にも来るだろう者達を連れてくるかなんだよな」
レイが遭遇したのはブロカーズだけ――イスナや御者もいたが――だったものの、王都から命令を受けてやって来たのだから、さすがにブロカーズだけということはないだろう。
ブロカーズはトレントの森にやって来たが、それ以外の面々はアブエロにいるか、あるいはギルムに向かっている筈だった。
そのような諸々を妖精郷に連れてくるのは、当然ながらレイの役目となるだろう。
だが、問題なのはレイは現在基本的には妖精郷から離れられないことになる。
(タイミングが悪いんだよな)
ニールセンとイエロがいつここに戻ってくるのかは分からない。
だが、ニールセンがいれば長とテレパシーによって連絡が出来るので、多少は妖精郷から離れていても問題はない。
勿論それでも限度はあるが。
しかし、そのニールセンが現在はいない以上、どうやってブロカーズ達を妖精郷まで連れてくるべきか、レイは頭を悩ませるのだった。