3163話
野営地に炎獄が生み出され、その中に複数の穢れが閉じ込められる。
そんな様子を見ながら、レイは呆れたように口を開く。
「それにしても、三十匹近くいるとは思わなかったな。しかもサイコロと円球が一緒になって」
野営地の近くで炎獄を使って捕らえた時も、サイコロと円球が一緒になっていたのに続いて、今回の夜襲でもサイコロと円球が組み合わさっていた。
こうして二種類の穢れが混ざって襲ってくるのが、恐らく今後の標準になるのでは?
そんな風に思いながら、改めて視線の先に存在する炎獄を見る。
「レイ、助かった」
炎獄を見ているレイに、フラットが近付いて来てそう声を掛けてくる。
野営地を纏めているフラットだけに、今回の夜襲には思うところがあったのだろう。
「いや、長から話を聞いてな。それで慌ててこっちに来ただけだ。……それにしても、まさかまた夜襲を行ってくるとは思わなかった。一応聞いておくけど、被害は?」
「問題ない。夜襲が始まった当初こそ危なかったが、そこを乗り切れば対処するのは難しくなかったからな」
レイが予想していたように、夜襲の最初だけが危なかったのだが、その対処がどうにか出来れば問題なかったらしい。
「そうか。俺もそうであって欲しいとは思っていたけど、穢れの数がかなり多かったからな。もしかしたらと心配したんだが、無事なようで何よりだ」
その言葉に、フラットは嬉しそうに笑いつつも、少し呆れた様子を見せる。
フラットにしてみれば、あれだけの数の穢れを一纏めにして炎獄に捕らえるといった真似をしたレイの凄さに圧倒されるだけだ。
その凄さが圧倒されすぎて、何故か呆れといった感情に変わっていたが。
「それより……うん。どうやらあの様子を見ると、今回の件は大成功だったみたいだな」
そう言いながら、レイは炎獄に……いや、正確には炎獄の側に集まっている者達に視線を向ける。
それは、オイゲンを始めとした研究者達だ。
オイゲン達にとって、新しい研究対象というのは多ければ多い程にいいのだろう。
「勘弁してやってくれ。レイが二番目に作った炎獄の中の穢れも、全部死んでしまったらしい」
「あー……やっぱりそうなったのか」
妖精郷に来る前の時点で、そうなるかもしれないとは思っていた。
だが、もしかしたらという思いもあったのだが、どうやらそれは外れてしまったらしい。
穢れの研究をダスカーに任されている以上、オイゲン達は何とかして研究対象の穢れを用意しておく必要があった。
そういう意味では、レイや野営地にいる冒険者達はともかく、オイゲン達研究者にとっては今回の件は最善だったのかもしれない。
だからといってレイもそれを責めるような真似は出来ない。
穢れの研究はレイにとっても重要なことだ。
そうである以上、研究を進める為というのであればレイもそれを後押しする必要があった。
「それにしても、レイ達が妖精郷からやって来るのは思っていたよりも早かったな。てっきりもう少し時間が掛かると思っていたんだが」
オイゲン達についてこれ以上話をしても意味はないと判断したのか、不意にフラットが話題を変える。
フラットのそんな様子にはレイも気が付いていたが、移動速度についてはレイにとってもセトがいるおかげなので、少しだけ自慢げに頷く。
「セトの飛行速度は知ってるだろう? それがあれば、妖精郷から野営地まではそんなに時間が掛からない」
実際には長が穢れの存在を探知してから、レイが妖精郷を出るまでは、妖精がマジックテントで眠っているレイを起こしたり、それで起きたレイがセトと共に長のいる場所に行ってどのような状況なのかを聞き、それから出発するという流れになっている。
それも妖精郷は霧の空間によって包まれているので、妖精郷から直接飛び立つといった訳にはいかない。
妖精郷を出て、霧の空間を出て、それで初めて飛び立つことが出来るのだ。
そう考えると、やはりニールセンがいた時と比べると対応速度はどうしても遅くなる。
そもそもニールセンがいれば妖精郷にいる必要もなく、野営地で普通に寝泊まりしているのだ。
もし穢れの襲撃があっても、レイが野営地にいる以上はもっと素早く対応が出来た。
(今更そういうことを言っても、意味があるとは思えないけどな)
ニールセンがいないのだから、今は自分のやれるべきことをやるしかない。
そして実際にそのやり方で被害らしい被害は出なかったのだ。
「今回はこっちに被害が出なかったけど、やっぱり夜襲されるのが一番厄介だよな」
しみじみと呟くレイに、フラットも同感だといった様子で頷く。
「夜だから、見張りしか起きていない。それだけ周囲を監視する目も少なくなるし、実際に穢れに攻撃された場合は、眠っている者達の対処も起きている時に比べると遅れてしまう。その辺をどうにか出来ればいいんだが……」
「穢れは転移で直接野営地の中に入り込んできたりするし、かと思えば野営地の外からこっちにやって来る可能性もある。そういうのに本気で対処するとしたら、数人増やす程度では意味がない。そして、レイは忘れてるかもしれないが、この野営地にいる冒険者はギルドから優秀だと判断された者達で、そう簡単に増やす訳にもいかないんだよ」
「それは……今なら、何とかならないか?」
レイが今ならと口にしたのは、やはりもう冬になっており、いつ雪が降ってもおかしくないからだろう。
つまり、既に今年の仕事を終えた冒険者もかなりいる筈だ。
ましてや、ギルドから優秀だと認められる冒険者なら、既に冬越えの資金を貯め終わっている者も多いだろう。
そのような者達に依頼し、野営地に来て貰えばどうか。
そうレイは主張しているのだ。
勿論、優秀な冒険者であっても、今年の仕事はもう終わったと解放感を満喫している中で緊急の依頼をしても、それを断る者も多いだろう。
だが、中には様々な理由……それこそランク昇格に向けて、あるいは好みの受付嬢に対してといった具合に、ギルドに好印象を抱かせたい者もいる。
そのような者達なら、ギルドから要請すれば依頼を引き受ける者もいるというのがレイの予想だったり、フラットも長年冒険者をやっているだけあって、レイの言葉は正しいと思う。
思うし、それとなく物資を持ってくる者達に持たせた書類の中にも、そのような意見を書いてはいる。
だが、それでも特にこれといった反応がない以上、ギルドはこれ以上の人手を割けないと判断してるのだろうと判断していた。
「人を増やした方がいいと判断してるのなら、ギルドの方から人を派遣してくるだろう。そうならないということは、つまりそういうことだ」
ギルドと連絡をしているフラットにそう言われると、レイも反論は出来ない。
だが、そうなると何か別の方法がないかと考える。
(ダスカー様に連絡して、騎士とか兵士を送って貰う? いや、ただでさえトレントの森の周囲を警戒して貰ってるんだし、そういう真似をするだけの余裕があるとは思えない。戦力的に余裕はあるかもしれないが、それを全て吐き出すといった真似は無理だろうし)
領主のダスカーとしては、突発的なアクシデント……具体的にはモンスターのスタンピードといったものがあった場合、すぐに戦力を派遣する必要が出てくる。
その時、手元にすぐに動かせる戦力がないということになれば、領主としての務めを果たすことが出来なくなってしまう。
あるいはここが辺境のギルムではなく、もっと安全な場所なら戦力を最低限だけ残して全てを派遣するといった真似も出来るかもしれないが、ここは辺境のギルムなのだ。
それこそ高ランクモンスターや、未知のモンスターと遭遇するのも珍しくはない、そんな場所。
それだけに、何かあった時の為に戦力を残しておくのは必須だった。
勿論、現状でもレイが無理を言えば、あるいは貴族派の象徴であるエレーナからの要請や、出奔したとはいえベスティア帝国の元皇族のヴィヘラ、そしてダスカーの黒歴史を知っているマリーナが要望すれば、大規模ではなく数人程度の人員は派遣出来るかもしれないが、この場合数人程度では意味をなさない。
その数人がランクA……とはいかずとも、ランクB冒険者くらいの実力を持っているなら、ある程度は戦力として有効なのかもしれないが。
しかし、そのような精鋭はダスカーにとってもそう簡単に出せるものではないだろう。
「結局今の状況でどうにかするしかない訳か」
「そうなるな。……夜だけでもレイが野営地にいてくれれば、こっちも助かるんだが」
「無理を言うな、無理を」
「そこまで無理でもないだろう? 基本的に穢れは人のいる場所に出て来る。そしてトレントの森において、今なら夜はこの野営地にしか人はいない。なら、レイがここにいてもおかしくはないと思うんだが」
「絶対にとは言えないだろう? 実際にアブエロの冒険者が侵入してきたこともあったし。同じようにトレントの森に侵入してくる奴がいた場合、そっちに穢れが出たらとんでもないことになる」
レイにしてみれば、穢れというのは出たらすぐに倒さなければ被害が広まるという認識だった
何しろ触れればそれだけで黒い塵となって吸収されるのだ。
そのような者達が好き勝手に動き回るようなことになれば、場合によってはトレントの森の大半が消滅してしまう可能性もあった。
トレントの森は数年前の騒動でいきなり出来た場所だが、それでも資源として非常に大きな意味を持つ。
ダスカーがギルムの増築に踏み切ったのも、トレントの森の存在が大きい。
他にも、今はまだモンスターや動物の縄張りがしっかりと決まってはいないが、上手くいけば非常に価値のあるモンスターや動物がトレントの森に棲み着く可能性も否定は出来なかった。
そして何より、トレントの森の中央には異世界に繋がる空間がある。
そんなトレントの森が崩壊する程の被害を受ければ、それはダスカーにとって非常に大きなダメージとなる。
レイとしても、トレントの森がそのような被害を受けるのは許容出来ることではなかった。
そのようになる危険がある以上、妖精郷で寝泊まりをするという行為を止めることは出来ない。
「無理か」
フラットもレイの言葉を聞けば、それに不満を言うようなことは出来ない。
もしここでフラットが無理を言えば、それはレイとの関係を悪くするだけだと理解しているのだろう。
これで穢れへの対処法が確立していないのなら、あるいはもっと強引にレイに野営地で寝泊まりをして欲しいと言ったかもしれない。
だが、穢れは非常に厄介な相手だが、一度見つけてしまえば対処するのは難しくはなかった。
その辺の事情もあって、フラットも無理を言わないようにしたのだろう。
「じゃあ、取りあえずここの件は終わったし……え?」
フラットと話していたレイは、ふと空を飛んでくる存在に気が付く。
普通なら、夜空を飛んでくる存在、それもかなり小さな存在について把握しろというのは無理な話だったが、レイの身体は特別だ。
空を飛んでいる存在、それも小さな……小鳥と同じくらいの大きさをレイはしっかりと発見することが出来た。
「レイ?」
レイと話していたフラットは、突然レイが夜空に視線を向けたことに自分もそちらに視線を向けるが、レイとは違ってフラットは夜空を見ても何も発見することが出来ない。
「どうやら、妖精郷の方で何かあったらしいな」
空を飛んでいるのがフクロウのように夜に空を飛ぶ鳥でも、あるいはモンスターでもなく、妖精であるというのがレイには理解出来たのだ。
だが、この場合問題なのは一体何故妖精がここにいるのか。
まさかこの状況で野営地にいる者達に悪戯をしに来た訳ではないだろう。
……もっとも、妖精はその時が楽しければいいという考えの者が多い以上、レイがないだろうと判断しているようなことをしてもおかしくはないのだが。
「妖精郷? ちょっと待て。じゃあ、妖精が来たのか? それもニールセンではない、別の妖精が」
焦った様子でフラットが尋ねる。
先程、この野営地で寝泊まりをした方がいいと言った時、ここ以外で何かが起きる可能性があるから無理だとレイが口にしたのだが、その何かがいきなり起きたのかと思ったのだろう。
「ああ。あの様子を見ると、悪戯をしに来たって訳でもないみたいだしな」
もし妖精が悪戯をしに来たのなら、レイに見つからないように行動するだろう。
それでなくても、真っ直ぐレイのいる方に向かって降りてくるといったことはない筈だった。
それはつまり……長からの何らかの伝言を持ってきたとレイが判断しても、おかしくはなかった。