3159話
レイとセトは霧の空間を抜けて、妖精郷に入る。
当然ながら、霧の空間に住んでいる狼達は、レイとセトに攻撃をするような真似はしなかった。
レイ達が仲間……あるいはそこまでいかなくても、敵ではないというのをしっかりと理解しているのだろう。
あるいは単純に明らかに自分達よりも格上の存在であるレイやセトに攻撃するような真似をしたくなかっただけか。
(狼の子供達はセトに懐いているのに、大人になれば……いやまぁ、犬と猫も大きくなってから遭遇すると激しく対立するけど、小さい頃から一緒だったら普通に仲が良いって話を聞くしな。そういう意味では、小さい頃の経験って重要なんだと思うけど)
そんな風に考えながら妖精郷の中を歩いていると、あるいはそれがフラグだったのか、狼の子供達がレイのいる方に向かって走ってきた。
とはいえ、狼の子供達は正確にはレイに向かってやって来ているのではない。
レイの側にいる、セトに向かってやって来ているのだ。
「グルルゥ?」
レイが気が付いた以上、当然ながらセトもまた近付いてくる狼の子供達に気が付いていたのだろう。
一緒に遊んできてもいい? とレイに向かって喉を鳴らす。
レイはそんなセトに素直に頷く。
これからレイは長と会うのだが、その場にセトがいてもあまり意味はない。
勿論、長が穢れの存在を察知した場合は、すぐセトに乗って飛び立つ必要はあるので、全く意味がない訳でもないのだが。
それでもセトはレイが呼べばすぐに来るので、そういう意味では離れていても問題はなかった。
「いいぞ。ただ、もし何かあったらセトを呼ぶから、そうなったらすぐに来てくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、分かった! と短く鳴くと、セトは狼の子供達に向かって走っていく。
それを見ていると、狼の子供達の後ろから少し遅れてボブが姿を現す。
「ボブ? どうしたんだ?」
「レイさんのお迎えですよ。長から迎えに行くように頼まれまして。途中であの子達と会った訳です」
そう言うボブの視線が狼の子供達に向けられる。
猟師のボブにしてみれば、狼というのはある意味でライバルだろう。
もしくは、標的になるという可能性もある。
だというのに、現在狼の子供達を見るボブの目は優しい色をしていた。
ボブにしてみれば、妖精郷で一緒に暮らしている狼の子供達だ。
自分にもそれなりに懐いている以上、殺すといったような気持ちにはなれないのだろう。
「そうか。なら、長のいる場所まで行くか。あまりここで時間を潰していると、それこそ他の妖精達がちょっかいを出してくるかもしれないし」
レイのその言葉に、そっと悪戯をしようとしていた数人の妖精達の動きが止まる。
長のいる場所に行くと言っていた以上、それを邪魔するような真似をした場合、長にお仕置きをされてしまう可能性が高いと判断したのだろう。
実際、その考えは決して間違ってはいない。
妖精郷の恩人のレイに悪戯をしたというのが長に知られれば、ほぼ間違いなく長にお仕置きされてしまう。
ニールセンを含めて、何人かの妖精がお仕置きされている光景を見たことがある妖精達にしてみれば、自分がそんな経験をしたくないと判断してもおかしくはない。
基本的に楽しいことが全てというのが妖精の基本的な性格だったが、その楽しいと思える行為に長のお仕置きは入っていないのだろう。
そんな妖精達の様子を気配で察すると、レイはボブに視線を向ける。
ボブの方も、レイの考え……そして妖精達の様子については何となく理解したのだろう。
特に逆らう様子もなく、長のいる場所までレイを案内する。
レイにしてみれば、今まで何度もこの妖精郷で長に会いに行っているのだ。
そうである以上、本来なら別にボブに案内をして貰う必要もないのだが……折角の心遣いである以上、それを受け入れないという選択肢はなかった。
「そう言えば、穢れの方はどうですか? ここにいると、自分が穢れに……いえ、穢れの関係者でしたが。そのような相手に狙われているという実感がないんですよね」
「まぁ、妖精郷だしな。ただ、妖精郷の外ではそれなりに頻繁に……ああ」
「レイさん?」
話してる途中で急に納得した様子を見せたレイに疑問の視線を向けるボブ。
だが、レイはボブとの会話で何故穢れが基本的には人のいる場所に転移してくるのか、何となくだがその予想が出来てしまう。
元々穢れの関係者はボブを狙っていた。
そしてボブの気配……正確にはボブに憑依――という表現が正しいのかどうか、レイは分からなかったが――していた穢れも、長によって対処されている。
そのような状況で穢れの関係者がどうしてもボブを殺したいと思えば、どうするか。
ボブの消えた場所……妖精郷を含めた周辺。具体的にはトレントの森やその周辺にいる者達に向かって穢れを転移させて襲わせるといった手段しかないだろう。
狙う者達が、どうやって動物やモンスターと人を判断しているのかは、レイにも分からない。
だが、どうしてもボブを殺したいと思い、しかし手段がない以上はそのような方法をとってもおかしくはなかった。
「いや、穢れの関係者達がトレントの森に穢れを送ってくるのは、やっぱりボブを狙ってのことなんだろうと思ってな」
「それは……そうですね。残念ながらそんな風に思えますね」
申し訳なさそうな表情を浮かべるボブだったが、レイとしては別にその件を責めるつもりはない。
それどころか、感謝すらしていた。
もしボブがいなければ、穢れという存在が表に出てくることはなかった。
あるいは出てくるにしても、もっと後……それこそどうしようもなくなってから出てくる可能性が高いのだ。
そして穢れというのは、長から話を聞く限りでは最悪大陸を滅ぼすという。
そのような状況になるよりも前に穢れの存在を察知出来たのは、レイにとって……いや、レイだけではなく、他の者達にとっても幸運だったのは間違いない。
「気に病む必要はない。お前のお陰でこっちも色々と助かってるのは間違いないんだから」
そんなレイの言葉に納得したのか、あるいは態度に出さないだけで納得していないのかは分からなかったが、レイもそれ以上この件について突っ込むような真似はしない。
その後は世間話の類をして妖精郷を進み……やがて長のいる場所に到着する。
ボブはここまでレイを連れてくると、長に会うでもなくその場を立ち去った。
一応、レイも長に会わなくていいのか? と尋ねはしたのだが、ボブは色々とやることがあるのでと言ったのだ。
別にやることがあっても、少し長と話をするくらいはいいのでは?
そう考えたレイだったが、本人がこう言ってる以上は無理を言うことも出来ない。
レイはボブとその場で別れ、長のいる場所に向かう。
「レイ殿、わざわざ申し訳ありません。苦労をお掛けします」
妖精郷の妖精達から畏怖の視線で見られることが多い長だったが、レイに対しては丁寧な態度で接する。
それは妖精郷の恩人であるというのが大きいのだろう。
勿論、レイが持つ力に敬意を抱いているというのも大きいのだろうが。
「いや、ニールセンの件があったし、それはしょうがないだろ。それで、俺はこれから暫く妖精郷で寝泊まりする訳だけど、場所は以前使っていた所で構わないか?」
「はい。その辺りについてはレイ殿が好きな場所で構いません。何かありましたら、妖精を向かわせますので」
この場合の何かというのは、穢れが転移してくることだろう。
あるいはそれ以外にも何かレイでなければ対処出来ないようなことがあった場合、長はレイに協力を要請する可能性は十分にあったが。
「分かった。それでいい。……ただ、ニールセンが戻って来るまでどれくらい掛かるかは分かるか?」
その辺についてはニールセンに聞いてもよかったのだが、ニールセンの性格を考えると寄り道をする為の時間も入れたりしそうだったし、何よりニールセンもその妖精郷のある場所は知っているが、実際に自分が行ったことはないという。
なら、ニールセンに聞くよりも、その辺の情報に詳しい長に聞いた方が手っ取り早いとレイは判断したのだろう。
「そうですね。妖精郷までは、特に何の問題もなければ片道十日……いえ、十三日から十五日といったくらいですね」
「結構遠いんだな」
長の説明からすと、往復して戻って来るにも一ヶ月くらいかかるということになる。
だとすれば、場合によっては年を越す可能性もあった。
もっともギルムの住人ならともかく、妖精達が新年を祝ったりといったようなことをするとは思えなかったが。
「そうですね。それもこれはあくまで最短の場合です。ニールセンが途中で寄り道をしたり、向こうの妖精郷で遊んでいたり、穢れの関係者の拠点を見つけるのに手間取ったりした場合は、更に長くなるでしょう」
「出来れば早く戻ってきて欲しいんだけどな」
レイは妖精郷にいるのは嫌な訳ではないが、それでも妖精郷から出られないというのは窮屈に感じてしまう。
だからといって妖精郷から出るような真似をすれば、長が穢れの存在を察知した時、それをレイに知らせることが出来ない。
「そうですね。私もレイ殿を無理にここに繋ぎ止めるのはどうかと思いますので、可能ならニールセンには早く帰ってきて欲しいと思います。……途中で遊んでいたりした場合は……」
そこで言葉を切る長だったが、もしそのようなことになった場合、どうなるのかはレイにも容易に想像出来た。
間違いなく、長によるお仕置きをされることになるのだろう。
「じゃあ、挨拶もすんだから、俺はそろそろ行くよ。何か用事があるか?」
「いえ、何もありません。レイ殿には出来るだけ不自由を感じさせないようにしたいと思いますので、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる長に頷くと、レイはその場を後にする。
そんなレイの背を見送った長は、ほう、と息を吐く。
その吐息には熱が籠もっており……
「あら」
それを自覚した長は、自分の吐息の意味を知り、薄らと頬を赤く染めるのだった。
「さて、取りあえずここまで来たのはいいけど、特にやるべきことはないんだよな」
レイが以前妖精郷にいた時にマジックテントを設置していた場所にやって来たレイだったが、だからといって特にやるべきことはない。
ここでマジックテントを出すような真似をした場合、妖精達が入り込む可能性がある。
悪戯好きの妖精がマジックテントに入った場合、間違いなく面倒なことになるだろう。
だからこそ、レイはまだマジックテントを出すようなことはしなかった。
セトと遊ぼうにも、セトは狼の子供達と遊んでいる。
勿論、レイが呼べばセトはすぐに来るだろう。
だが、穢れが出たといったような理由でもない限り、折角狼の子供達と遊んでいるセトを邪魔しようとは思わない。
(こういう時、ニールセンでもいれば……妖精を呼ぶのは、それはそれで問題あるかもしれないけど。なら、対のオーブを使うか? あ、でもエレーナもこの時間は……)
そう思ったレイは、ふと気が付く。
「グリムならどうだ?」
穢れについて、グリムが知ってる可能性はある。
しかし、以前から何度かグリムに連絡をしているのだが、グリムは何かで忙しいのか対のオーブに出ることはなかった。
一瞬、本当に一瞬だけ、もしかしたら自分は避けられているのかと考えたレイだったが、すぐにそれを否定する。
レイは自分がグリムに好意を持たれている……それこそ、祖父と孫のような関係にあるというのを、十分に理解している。
だからこそ、レイのカバーストーリーである魔法の師匠についても、グリムにその役目をして貰っているのだ。……アンデッドのグリムが表に出てくるようなことは、まずないだろうが。
最初はグリムが尊敬するゼパイルの後継者だからというのがあったし、今もそれがレイに対する好意の理由であるのは間違いない。
だが、それでもグリムがレイに好意を抱いているというのは、間違いのない事実なのだ。
そんな風に考えつつ、グリムとの通信に使う対のオーブを取り出す。
魔力を流して起動させるも……
「やっぱり反応はない、か。これが実は無視されてるんじゃなくて、何らかの研究とかに集中しすぎていて、対のオーブについて完全に忘れているだけとかならいいんだけど」
グリムはアンデッドではあるが、同時に研究者でもある。
それこそグリムの研究者としての能力は、穢れの研究をしているオイゲンやゴーシュ達と比べても明らかに上だろう。
だが、そのような研究者であるからこそ自分の研究に集中していた場合、そちらに完全に意識を向けており、対のオーブに連絡が来ているというのを知らない可能性は十分にあった。
「取りあえず、これは後回しだな」
呟き、レイは対のオーブをミスティリングに収納するのだった。