3144話
「これは……凄い……」
鞘から抜かれたその刀身は、緑色だった。
普通に考えて、緑色の刀身というだけで驚きなのだが、その緑はただの緑ではない。
どこか深い森を思わせるような、そんな深い緑の刀身だったのだ。
今までレイは美しい物は色々と見てきた。
それこそエレーナ、マリーナ、ヴィヘラといったように、歴史上稀に見る美人達。
あるいは全てを包み込むかのような大海原。
どこまでも広がっているのではないかと思えるような森。
他にも宝石の類も美しい物にはいるだろう。
芸術品の類はあまりそちらに興味がなかったが、日本にいる時に学校の行事で美術館に行ったこともある。
だが……そんなレイから見ても、現在その手にある刃は美しいと断言出来るだけの存在感を持っていた。
「どうやら気に入って貰えたようだな」
レイの様子を見て、満足そうに笑うダスカー。
口にはしないものの、このマジックアイテムを購入するのに掛かった費用は実は結構なものだった。
それこそ辺境にあるギルムの領主として、高額な金額を動かすのが普通になっているダスカーですら、一瞬目を剥くような、そんな金額。
とはいえ、ダスカーにしてみればレイのおかげでどれだけの利益になったのかを思えば、そのくらいの金額は出してもいいだろうと思ったが。
レイがマジックアイテムを集めているのを知っていたので、今の状況で渡すマジックアイテムとしてはこれ以上の物がないのも事実だった。
「そうですね、この刀身の色は驚きです。ただ……まさかこれは芸術品の類のマジックアイテムではないですよね? 刀身の美しさはともかく、柄や鞘は余分な飾りとかはなく、実用性を重視しているみたいですし」
レイが集めているのは、あくまでも飾る為のマジックアイテムではなく実際に使う為のマジックアイテムだ。
そういう意味では、レイが言うように柄や鞘に装飾がないのでこのマジックアイテムは飾りには向いていないだろう。
ましてや、レイと親しいダスカーだ。
レイがどのようなマジックアイテムを集めているのかは、十分に理解している筈だった。
そんなレイの予想を裏付けるように、ダスカーは頷く。
「そうだ。そのマジックアイテムはドワイトナイフ。名称は……まぁ、ドワイトという錬金術師が作ったからそういう名前になったらしい」
「それは、また……」
あまりと言えばあまりの内容に、レイは何と言えばいいのか分からなくなる。
(これがドワイトナイフなら、そのドワイトって奴がもう一本ナイフのマジックアイテムを作ったら、それはどうなるんだ? それもドワイトナイフなのか? それともドワイトナイフ改とか、そんな風になるのか? ……まぁ、錬金術師だしな)
ギルムにいる錬金術師を知っているだけに、レイはそのドワイトという錬金術師がどのような変人であっても納得出来てしまう。
レイにとって重要なのは、その錬金術師が変人かどうかではない。
その錬金術師が作ったマジックアイテムが、きちんと使えるかどうかだ。
性格的にまともでも凡庸なマジックアイテムしか作れない錬金術師よりは、変人であっても優秀なマジックアイテムを作れる錬金術師の方にレイは好意を抱く。
だからといって、自分に素材が欲しいと言い寄ってくる錬金術師達に好意を抱くというのは難しいが。
「それで、このドワイトナイフというのは、どういう性能を持つマジックアイテムなんですか?」
マジックアイテムの名称について聞きたい思いはあったが、今のレイにとって重要なのはその性能だ。
こうしてダスカーが自分に渡した以上、ただ斬れ味が鋭いだけといったナイフでないのは明らかだ。
そんなレイの期待に応えるように、ダスカーは頷く。
「このドワイトナイフは、簡単に言えば解体用のマジックアイテムだ。ああ、勘違いするな。レイが思っている以上の性能を持つ」
解体用のマジックアイテムと聞かされたレイが微妙な表情を浮かべたのに気が付いたのだろう。
ダスカーは慌ててそう告げる。
解体用ということであれば、レイはミスリルナイフを持っている。
魔力によって斬れ味が上がるミスリルナイフは、ある意味でマジックアイテムと認識してもいいだろう。
そんなミスリルナイフよりも凄い解体用のマジックアイテムがあるのか?
そんな疑問を抱くレイに、ダスカーが自信に満ちた様子で口を開く。
「このドワイトナイフは、倒したモンスターに突き刺して魔力を流すと、それだけで自動的に素材となる」
「……えっと……?」
ダスカーの言ってる意味が分からなかったのか、少し迷うレイ。
だが、少し考えることによって何となくその効果を理解出来た。
そして同時に、このマジックアイテムは自分にとって非常に大きな意味を持つことに気が付く。
レイがこのエルジィンにやって来てから、既に数年が経っている。
最初は解体の技量が拙く、素材を無駄にしたこともあった。
それでも何度も解体を繰り返すことによって、その技量は上がっていく。
今となっては、解体は得意という程ではないが、苦手でもない……言ってみれば普通と言えるくらいには出来るようになった
だが、それでもレイにとって解体というのは時間が掛かる作業だ。
特に小さなモンスターならともかく、大きなモンスターの解体ともなれば、自分だけでやる場合、どれだけの時間が掛かるか。
その時間をスキップ出来るような、そんなマジックアイテムがこのドワイトナイフだとしたら。
そう考えると、本当にこのマジックアイテムを自分が貰ってもいいのかと、そんな風に疑問を抱いてしまう。
「これ、本当に俺が貰ってもいいんですか?」
「勿論だ。レイがギルムの為にどれくらい協力してきたのかを思えば、このくらいのことは問題ない。それに……これを言うのは忘れていたが、このマジックアイテムを万全の状態で使うにはレイでなければ駄目だろう」
「具体的にはどういうことですか?」
「簡単に言えば、このドワイトナイフの性能を完全に発揮させるには、かなりの魔力が必要となる」
「つまり魔力がない、もしくは魔力が低ければドワイトナイフは使えないのですか?」
その問いに、ダスカーは首を横に振る。
「いや、使えない訳ではない。だが、ドワイトナイフは込められた魔力によって解体の精密さが違う。例えば……そうだな。魔力が低い者がドワイトナイフを使った場合、解体は皮と肉だけ、あるいは皮と肉と骨だけということになってもおかしくはない」
「それは……ちょっと面倒ですね。勿論、その場合でもそれなりに便利なのは間違いないですが」
解体の場合、皮を剥ぐというのはかなり面倒な作業だ。
それをマジックアイテムで行えるというだけで、解体をする者にしてみればかなり便利だろう。
「面倒かもしれないが、多くの魔力を持つレイにしてみれば、悪くない話だと思うぞ」
ダスカーのその言葉は事実だろう。
こと魔力量において、レイは他の追随を許さない。
その魔力を使えば、ドワイトナイフも十分に……あるいは十分以上にその性能を発揮出来るだろう。
「そうですね。俺もそう思います。ただ……解体って話ですけど、例えば使いものにならない部位はどうなるんですか?」
「消滅するらしいな」
「……え? それって、具体的にどう判断してるんです?」
「残念ながら、それは俺にも分からん。ただ、ドワイトは自信満々にその辺は問題ないと言っていた」
「それで信用しろってのは、難しいんじゃない?」
ニールセンが会話に割り込んでそう告げる。
レイも言葉には出さなかったが、その思いはニールセンと同じだ。
あるいはこれがオークを始めとして、それなりにメジャーなモンスターならそのような機能があってもおかしくはない。
だが、ここは辺境だ。
未知のモンスターが現れるのは珍しいことではないし、未知ではなくても今まで数度しか討伐報告のないモンスターが現れることもある。
そのような相手に対して、ドワイトナイフを使った場合どうなるのか。
「その辺はこちらでも聞いておいた。使用者の魔力によってモンスターの素材となる部分を判断して、キョクロプ曲線によって相似形を把握し、ミーミルの定理によって……とにかく、その辺は問題ないらしい。どうしても詳しい話を聞きたいのなら、詳細を説明するがどうする?」
「いえ、いいです」
即座に返答するレイ。
今の話を聞いたレイはその話を聞いても自分では理解出来ないというのを理解したのだろう。
実際に小難しい話を聞いても、レイにとってはそういうものだとしか認識出来ない。
レイが研究者なら、ダスカーの話を興味深く聞いていたかもしれない。
しかし、そうではない以上、レイにとって必要なのはあくまでもドワイトナイフがどのような結果をもたらすかだけだ。
「理由はともかく、素材だけを解体してくれて、それ以外の役に立たない部位を消滅させてくれる。もしこれが本当なら……いえ、ダスカー様が用意してくれた以上本当なのは分かってるんですが、とにかく非常にありがたいです。ミスティリングの中身も大分処理出来ますし」
レイのミスティリングの中には、結構な数……いや、正確には結構どころではなく、かなりの数のモンスターの死体がそのまま入っている。
解体されているモンスターも多いが、解体されていないモンスターもまた多いのだ。
それらもいつかは解体しないといけないとは思っていたものの、それでも自分でやるのは面倒だったり、ギルドや解体屋に頼むにも量が多かったりすることもあって、収納されたままとなっていた。
いつかやればいいと、そんな風に思いながら。
これでミスティリングの中に収納しても時間の流れが止まらないのなら、腐らせてはいけないとレイもどうにか処理をしようとしただろう。
そもそも腐ってしまうのなら、自分が食べる分だけ収納しておくといった形になっただろうが。
そのような理由から、ミスティリングの中にある大量のモンスターの死体を解体するのにちょうどいいのは間違いなかった。
「ふむ。なら、そうだな。一度実際にドワイトナイフを使ってみないか?」
「……え?」
いきなり何を?
ダスカーの言葉に、そんな表情を浮かべるレイ。
まさかそのようなことを言われるとは、思ってもいなかったのだろう。
だが……とレイは驚きから復帰すると、すぐに考える。
ダスカーの前で実際にドワイトナイフを使ってみるのは、悪い話ではないのではないかと。
レイもそうだが、ダスカーも恐らくドワイトナイフを実際に使ったところを見たことがないのだろうことは、レイにも予想出来た。
あるいは実際には試してみたものの、レイ程の魔力を持つ者がドワイトナイフを使った時にどうなるのかを見てみたいと思ったのか。
「いいんですか?」
「構わん。もしレイがドワイトナイフを使ってみて、それで問題があるようなら……相応の行動が必要になる」
相応の行動? と疑問に思ったレイだったが、すぐに納得する。
このドワイトナイフは、ギルムの領主であるダスカーにとっても結構な出費だったのだろうと。
そんな高額なマジックアイテムが、実は予定通りの能力を発揮出来ませんでしたなどということになれば、ダスカーにとっても許せることではないのだろう。
「分かりました。じゃあ……まさかここでやる訳にはいきませんよね?」
「そうだな。出来れば止めて欲しい」
「えー、面倒だからここでいいじゃない」
レイの言葉にダスカーが同意し、ニールセンは話の流れからこの執務室から出る必要があるのだと理解し、不満そうな様子を見せる。
具体的には、またドラゴンローブの中に入らなければならないのが嫌だったのだろうが。
とはいえ、だからといってまさかこの執務室でドワイトナイフを使う訳にもいかない以上、どこかに移動する必要はあった。
「なら、俺とダスカー様はドワイトナイフを試してみるから、ニールセンはここに残るか?」
「それは……」
レイの言葉に少し迷う様子を見せるニールセン。
この執務室に残された場合、最初はテーブルに用意された焼き菓子を食べることで時間を潰せるだろう。
しかし、その焼き菓子を全て食べてしまえば特にやるべき事はなくなってしまうのだ。
そうなると、ただこの執務室で暇潰しをしているしかない。
「それはちょっと困るな。ここは執務室である以上、色々と見せられないような物もある。ニールセンにそれを見せる訳にもいかない以上、ニールセンには一緒に来て貰わなければ困る」
「えー……しょうがないわね。そこまで言うなら、一緒に行ってもいいわよ」
不満そうに見せつつ、それでいて満更でもない様子でニールセンはそう告げるのだった。