3119話
「レイ、頼む。どうにか説得してくれないか!? レイの言葉なら、向こうも聞くかもしれないだろうし!」
必死になってそう言うのは、野営地で冒険者達の指揮を執っている男だ。
必死……そう、本当に心の底から必死になってレイに頼み込んでいるその様子を見ると、レイとしても穢れの件で目の前の男と協力をする必要がある以上、それを無視するような真似は出来ない。
(とはいえ、オイゲン達も穢れについて研究するように頼まれてここにいるんだ。そうである以上、少しでも長く黒い円球を観察したいと思うのは当然なんだよな)
黒い円球は、いつ何がどうなってどのような行動をとるのか分からない。
だからこそ、オイゲン達は少しでも長く黒い円球を観察し、何かを見つけたいのだろう。
それが分かっているし、レイとしても穢れの件で何らかの進展……具体的には、自分やエレーナ以外でも穢れを倒すことが出来る方法を見つけ出して欲しいので、オイゲン達に期待しているのだ。
だが……そんな自分の思いとは裏腹に、オイゲン達に何かあった場合、野営地にいる冒険者達が色々と不味いことになるというのも、十分に理解はしていた。
「やっぱり、あの研究者達の護衛を新たに呼ぶしかないんじゃないか? 護衛が来るまでの間……それが今日になるのか、明日になるのかは分からないが、そのくらいの間なら護衛は出来るだろう?」
「それは……」
レイの言葉に、男は微妙な表情を浮かべる。
男もそのくらいのことは当然考えていた。
しかし、今のこの状況で他の者達……具体的には研究者達の護衛を呼んでもいいのかどうかと、そんな風に思っていたのも事実。
穢れに対する秘密云々については、既に研究者達に説明されている以上、ここで自分がどうこう言っても意味はない。
しかし、野営地にいる冒険者達とは違い、その質がよく分からない。
勿論護衛の中には相応の腕の立つ者もいるだろう。
だが同時に、縁故採用された者もいるのは間違いない。
とはいえ、男は縁故採用そのものを嫌っている訳ではなかった。
そもそもエルジィンにおける就職というのは、縁故採用が一般的……とまではいかないが、かなり多いのも事実。
問題なのは、縁故採用だからこそ勘違いした者がいるかもしれないということだ。
実家が貴族であったり、大商人であったりといったような者の中には、自分の能力を過信している者が多い。
そのような者達がここに来て、野営地にいる冒険者達と問題を起こさないとは限らない。
ましてや、悪いことに研究者達はダスカーからの依頼を受けて穢れの研究をしている。
その研究者達の護衛の自分達に逆らうということは、どのような意味を持つと理解しているのか……そんな風に言ってきても、おかしくはない。
「お前が心配してることは理解出来る。ただ、そうなったら俺に回してくれればいい。俺の方で何とかする」
レイがこう言うのは、穢れの件については自分が半ば担当者……あるいは責任者とでも呼ぶべき存在であると自覚している為だ。
そして当然だが、この場合レイが何とかするというのは、力で何とかするという意味になる。
最初に一人か二人はレイに突っ掛かってくるかもしれないが、その一人や二人を見せしめにしてしまえば、他の者達は大人しくなるだろう。
それでも大人しくならず突っ掛かってくる者がいれば、見せしめを更に一人、二人、三人……といった具合に増やしていけばいいだけの話だ。
そんなレイの様子を見て、男はレイが何を言いたいのかを理解し……やがて頷く。
「わ、分かった。レイがそう言うのなら任せる。じゃあ、護衛を呼ぶようにといったようなことはレイに言ってきて貰ってもいいか? 俺が言うよりも、レイが言った方が説得力はあるだろうし」
「俺がか? まぁ、それは構わないが」
レイは今のところ特に何かをするつもりはなかったので、それは構わない。
構わないが、それと別にきちんと言っておくこともあった。
「護衛を呼ぶように言うのはいいが、護衛が来るまで研究者達を守るのはそっちに任せるぞ」
現在特に何かをすることがある訳でもないレイだけに、護衛を呼ぶように言うのはいいが、護衛が来るまでの間、自分が研究者達の護衛をするつもりもない。
そもそも、もし他の場所に穢れが現れた場合、レイはそちらに出向く必要があるのだ。
そうなった時、わざわざ野営地まで移動して研究者達の護衛を頼むといったようなことを言ってから、穢れを倒しにいくといったような真似をする訳にもいかない。
男もそれは分かっているのか、レイの言葉に頷く。
「分かっている。向こうの専門の護衛が来るまでの間は、こっちで何とかする」
さすがに男も、向こうの護衛が来るまでレイに護衛をやれといったようなことは口にしない。
そんな男の様子に、これからも悪くない関係を築けそうだと判断したレイは、自分のやるべきことをさっさと終わらせる為、すぐにオイゲン達のいる方……炎獄のある方に向かう。
相変わらず炎獄の周囲には多くの研究者が集まり、少しでも黒い円球について何かを知りたいと観察していた。
ただし、黙って観察しているだけではなく、観察しながら黒い円球がどのような性質を持っているのかといったことを話したりもしている。
遠くから見ていた時も異様な雰囲気があったが、こうして間近で見ると余計にその異様さが理解出来る。
だからといって怖じ気づくレイではなかったが。
レイは炎獄の近く……真っ正面という一番いい場所で穢れを観察しているオイゲンに向けて声を掛ける。
「オイゲン、ちょっといいか?」
「……私は今、穢れの観察で忙しいのだが」
普段はオイゲンも出来るだけレイと友好的に接しようとしているのだが、今は違う。
自分の観察を邪魔されたということで、不機嫌そうにレイに言葉を返す。
ただし、そのようなことをしながらも、視線は全く炎獄の中にいる黒い円球から動かすことはない。
「お前達の護衛についての話だ。炎獄がここから動かせないとはいえ、ここにマジックテントを持ってくるようにと言ったんだろう? 野営地の中にいるのならともかく、外……それも湖の近くにいる状況でここにマジックテントや他の研究者達のテントを用意するのはともかく、護衛は難しい」
「では、どうしろと?」
「これが野営地の中なら、野営地にいる冒険者達が護衛をしてもいい。そこまで手間じゃないしな。だが、湖に近くとなれば話は別だ。野営地の冒険者達も、護衛は出来ないらしい。だから、お前達の選択肢は二つ」
レイとオイゲンの会話が気になるのか、研究者のうちの何人かがレイに向かって視線を向けていた。
研究こそが第一なのは間違いないのだろうが、それでも自分達の護衛が出来ないと言われれば気になるのだろう。
……そのような状況であっても、炎獄から意識を逸らす様子がない者も、オイゲンを含めて何人かいたが。
「まず第一に、野営地からここに移ってくるのを諦める。野営地からここまでは、そんなに距離はない。それなら、寝泊まりするのは野営地でも構わないだろう?」
「却下」
一瞬の躊躇もなくオイゲンがレイの言葉を却下する。
もっとも、その返答はレイにとって驚きという訳ではない。
そもそもの話、オイゲンがそのように言ってくることは最初から予想していたのだから。
研究者や助手の何人かがざわめくものの、レイはそれを無視して言葉を続ける。
「そうか。なら、次だ。ギルムに残してきた護衛をここに呼び寄せて、その連中に護衛をして貰え。ギルムに来てから雇った冒険者を再度雇うのは難しいかもしれないが、ギルムに来る前から雇っていた冒険者なら、ここに連れてくるのは問題ないだろう?」
「分かった、そうしよう」
またもや、オイゲンの口からは一瞬の躊躇もなくそのような返事があった。
そんなオイゲンの言葉を聞いて、レイは安堵する。
恐らく大丈夫だろうとは思っていた。
思っていたのだが、それでもオイゲンが断ってきたら面倒なことになると思っていたのだ。
そんな中で、こうして素直に自分の意見を受け入れてくれたのだ。
それに喜ぶなという方が無理だった。
「じゃあ、どうする? 護衛を呼び寄せるのは、俺の方でやるよりもオイゲンの方でやった方がいいと思うが」
ここにいる中で、具体的にどのくらいの人数が自前の護衛を用意してきた者達なのかは分からない。
分からないが、そのような相手を呼ぶのはレイが行動するよりも、実際にその護衛を雇っている者、あるいは護衛対象達が指示をした方が分かりやすいだろう。
下手にレイが護衛達に指示をした場合、プライドだけが高い者や、融通の利かない者といった相手の場合、レイの指示を受けない可能性が高かった。
そうなる可能性を考えれば、やはりレイよりも研究者達が指示をするのがよかった。
それはオイゲンや他の研究者も理解しているのだろう。
レイの言葉を聞くと、そこでようやくオイゲンを含めた他の研究者達も自分の助手に護衛を呼んでくるように指示を出す。
「これで構わないか?」
「ああ、悪いな。一応、護衛達が来るまでは野営地の冒険者達が護衛をするって話だから、心配はいらない」
「うむ、助かる」
オイゲンにとっても、ここで寝泊まりをすることによって何らかのモンスターに襲撃されるという可能性もある。
実際、湖の調査をしている時にオイゲン達は野営地の冒険者達から湖のモンスターに襲撃されたという話を聞いている。
水狼を始めとして、湖に棲息するモンスターの中には冒険者達と友好的な存在がいるのも事実だが、同時に巨大なスライムのように敵視している者がいるのも、間違いのない事実だった。
その辺りの状況について理解しているからこそ、オイゲンも護衛についてはそれなりに気にしているのだろう。
もっとも、それなら大人しく野営地で寝泊まりをすればいいのだが。
距離的にはそう離れていないのだから、移動距離をそこまで気にする必要はないとレイは思ってしまう。
とはいえ、それはあくまでもレイがそのように思っているだけで、オイゲンを始めとした研究者達にしてみればその時間すらも無駄にしたくないのだろう。
「じゃあ、俺は……」
「レイ!」
オイゲンに何かを言おうとした言葉を遮るように、ニールセンの言葉が周囲に響く。
先程までは炎獄に集中していた研究者の中には、そんなニールセンの声に反応した者もいる。
穢れの研究もそうだが、やはり妖精の研究にも強い興味を持っている者達だろう。
「どこだ?」
レイはそんな研究者達に構わず、ニールセンに尋ねる。
声の調子から、ニールセンが何を言いたいのかは最後まで聞かなくても分かった。
つまり、穢れが姿を現したということだろうと。
「樵達の方よ!」
「セト!」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトが鋭く鳴く。
セトもこの状況で何をするのが最善なのか、しっかりと分かっているのだろう。
そして……レイ達から若干遅れて、オイゲンもまたこれからレイが何をしようとしているのかを理解し、慌てて口を挟む。
「少し待ってくれないか」
「生憎と時間がない。話はまた今度だ」
「待ってくれ! 襲ってきた穢れを全て殺すつもりか!?」
「そうなる。炎獄の特徴を考えれば、当然だろう」
時間がないと言いつつも、レイはオイゲンに対してきちんと言葉を返す。
オイゲンが研究者を纏めている以上、オイゲンの言葉を無視するのは不味いという思いがあるのだろう。
また、樵達の護衛には冒険者達がいる。
その冒険者達は、穢れを相手にした時の対処の仕方は十分に理解している。
そうである以上、急ぐ必要があるのは事実だが、本当に何が何でも急がなければならない……という訳でもないのは事実。
穢れの対処がある程度確立しているものの、それでも何があるのか分からない以上、少しでも早く向こうに移動した方がいいのは間違いなかったが。
オイゲンにしてみれば、穢れが現れた以上、サンプルは一匹でも多い方がいいと思っていた。
樵達のいる方に新たな穢れが出たのは分かるが、それでも今の状況を思えば少しでも早く自分達がそれを確保したいと、そう思ったのだ。
だが、レイはそれを受け入れることが出来ない。
炎獄が動かせず固定されている以上、樵達のいる場所で穢れを捕らえるといった真似をしても、そちらに人を回すのは危険だと思ったからだ。
野営地の近くにあるここで寝泊まりをするという事でも、色々と問題が起きているのだ。
野営地から更に離れた場所で寝泊まりする、あるいは向こうが妥協して毎日のように向こうに通うといった真似をするにしても、ここで引き下がるという訳にはいかない。
そう告げるレイにオイゲンは反論しようとしたものの、自分の不利を悟ってか黙り込むのだった。