3104話
「なるほど、分かった。悪いな、そっちに色々と手間を取らせて」
『レイの為なのだから、そのくらいは構わんよ。それに……穢れについては、少しでも情報があった方がいい。そういう意味では、レイが言った通り今回の件は悪くない』
対のオーブに映し出されたエレーナが、レイに向かってそう笑みを浮かべて言う。
領主の館でダスカーと共に研究者達との話し合いを終え、その後はマリーナの家に戻ってきたエレーナ、早速今回の一件について知らせるべくレイに対のオーブで報告をしていたのだ。
レイにしてみれば、ある意味で自分の思いつきを実現して貰ったのだ。
それに感謝をしないといった選択肢は存在しない。
「そうは言っても、エレーナがダスカー様に話を通してくれないと、穢れの研究ってのは勿論……妖精や穢れについての説明もかなり面倒なことになっていたのは間違いないだろう?」
『レイにそう言って貰えるだけで、私は十分だ。……それより、研究者達がレイのいる野営地に行くのだから、話を通しておいた方がいいのではないか?』
「そうしておいた方がいいのは間違いないだろうな。研究者達の性質を考えれば、すぐにでも来そうだし」
具体的にいつくらいに来るのかというのは、生憎とレイにも分からない。
分からないが、それでも何となく今の状況を思えばそう遠くないうちに……それこそ今日中どころか数時間も経たないうちにやってきてもおかしくはなかった。
この野営地は基本的に生誕の塔の護衛を任されている者達が使っている場所で、そうである以上はレイが見たような研究者達が全員やって来るようなことになれば、非常に狭苦しくなってしまう。
現在野営地にあるテントは、ある程度離れて建てられている。
これはプライバシーの問題が大きな理由だったが、それ以外にも寝言がうるさくて眠りにくいといったことへの対処でもあった。
勿論、冒険者ともあろうものが……ましてや、ギルドから優秀な冒険者と認識されているような者達が寝言がうるさくて眠れないなどということはないが、それでも眠りの邪魔になるのは間違いのない事実。
他にも色々と理由があるが、とにかくプライバシーを始めとした理由でテントの距離がある程度離れているのは間違いなかったというのに、そこに大量に研究者達――助手や護衛も含む――がやって来たら、どうなるか。
野営地で眠れないといった者はいないかもしれないが、テントとテントの距離が近すぎて、それによって色々と問題が起きるのは間違いないようにレイには思えた。
『では、頑張って欲しい。穢れなどという相手のおかげで今の生活が壊れるのは、私はごめんなのでな』
そう言うとエレーナは綺麗な笑みを……レイなら穢れを相手にしてもどうにでもなるだろうという信頼の笑みを浮かべて、通信を切る。
そうした強い信頼を向けられたレイとしては、やるべきことをやらないという選択肢は存在しない。
「ニールセン、いるか?」
「グルゥ?」
ニールセンを呼んだのに、何故かセトが返事をする。
そのことに疑問を感じてセトに視線を向けたレイが見たのは、自分の頭の上で眠っているニールセンを起こさないようにしているセトの姿だった。
「ああ、悪い。眠っていたのか。……大人しいと思っていたら」
レイがエレーナと対のオーブで話をしていたのは、マジックテントの中という訳ではない。
外での会話であった以上、ニールセンにもその話は聞こえていた筈だ。
しかし、ニールセンはそんな話に全く入ってこなかったので疑問に思っていたのだが……眠ってしまっていたらしい。
「グルルゥ?」
どうするの? と喉を鳴らすセト。
そんなセトの様子を見ていたレイだったが、ぐっすりと眠っている中で起こすのは悪いような気がしたが、今の状況を思えばニールセンを起こさないという選択肢はない。
これからここで冒険者の指揮を執っている男に会いに行くのだから、その話についてはニールセンも聞いておいた方がいいだろうと、そう思った為だ。
これからやって来る研究者達は穢れを調べに来るのだ。
そして穢れに対処するのに、妖精の力は絶対に必要となる。
具体的には、穢れがどこに出たのかを理解するという長の力が。
(あ、そう言えば聞くのをすっかり忘れてたんだが、長の探知範囲の件はどうなったんだろうな?)
今回の一件の原因となった、湖の側にいきなり現れた穢れの群れ。
長はトレントの森については、穢れが出たらすぐにでも察知することが出来るが、今回はそのトレントの森の外だった。
探知範囲の外に出たということは、次からも同じようなことになってもおかしくはない。
もっとも、穢れの関係者側の方で転移した穢れが察知出来なかったと認識されればだが。
(今回、穢れが出てすぐに俺が倒した。これを穢れの関係者がどう判断したかだが)
もし向こうが意図的に探知範囲の外に転移をさせるという真似が出来たとして、それでもすぐにレイに穢れが倒されたのを知れば、穢れを無駄に消耗しただけで意味がないと判断してもおかしくはない。
「いや、どうするにしても、まずはニールセンを起こしてからだな。……ニールセン、起きろ。ニールセン」
セトの頭の上で寝転がっているニールセンを何度も呼ぶレイ。
しかし、何度声を掛けてもニールセンが起きる様子はない。
「仕方ない」
声を掛けただけで起きる様子がないニールセンを持ち上げる。
「うひゃあっ! ちょっ、何!? いきなり何!?」
さすがに寝続けていたニールセンも、その身体を持ち上げられるといった真似をすれば起きない訳にはいかなかったのだろう。
慌てた様子で周囲を見回す。
そして自分が先程まで眠っていたセトの頭の上ではなく、レイの手の上にいるのに気が付く。
「って、レイじゃない。もう話は終わったの?」
「ああ、それで研究者達がこの野営地に来る事になったから、その話をしに行く。ニールセンも来てくれ」
「えー……私も? 私は出来ればあの人達にはあまり関わり合いになりたくないんだけど」
ニールセンは自分を見る研究者達の視線を思い浮かべ、そう告げる。
この野営地にいる妖精好きな冒険者達が自分を見る視線とはまた違った意味で好ましくない視線。
ニールセンにしてみれば、妖精好きの冒険者が自分に向けてくる視線は苦手な視線という認識だったが、研究者達が自分に向けてくる視線は嫌悪感があった。
苦手と嫌悪感。この二つは似ているようで大きく違う。
それだけに、出来ればニールセンは研究者達に関わり合いたくないというのが正直なところだ。
しかし、レイはそんなニールセンの言葉に首を横に振る。
「駄目だ。穢れの関係なんだから、ニールセンにも話を聞いて貰う必要がある。それに……ここでしっかりと話を聞いておけば、その情報を使って研究者と遭遇しないように出来たりするかもしれないぞ?」
「それは……」
レイの口から出た言葉は、ニールセンにとってもかなり魅力的だったのだろう。
最初は何かを言い返そうとしたものの、やがてレイの言葉に素直に頷く。
「分かった。仕方がないからレイと一緒に行ってあげるわ」
「はいはい。じゃあ、そういうことでいいから。……ほら、行くぞ」
そう言うと、レイはニールセンを手に、そしてセトと共に目的の人物に会いにいく。
幸い、同じ野営地の中……何より、レイ達がいるのを見て、向こうの方から自分に用事があると判断したのか、近付いて来てくれた。
「レイ、どうした? 俺に何か用事か?」
「ああ。さっきの湖で研究者達がいただろう? あの連中にダスカー様が穢れの件について研究するように頼んだらしい。それで、恐らくだが結構な人数がこの野営地で寝泊まりするようになる」
「……本当か?」
出来れば嘘であって欲しい。
そんな風に思いながら尋ねる男に、しかしレイは頷く。
「本当だ」
あっさりと頷いたレイの姿に、男は何も言えなくなる。
本当なら、これ以上野営地に受け入れたくはない。
そう考えているのは、男の表情を見れば明らかだ。
しかし、今回の一件はダスカーが決めたのだ。
そうである以上、ここで男が断るような真似は出来ない。
そもそもの話、今回の一件はあくまでもギルムの領主のダスカーが決めたのだ。
幾ら男がここで冒険者達の指揮を任されているとはいえ、その権限は当然ながらダスカーと比べても弱い。
また、それを抜きにしても男もまた、穢れについてどうにかしないといけないというのは理解していた。
何しろ今のこの状況において、穢れを倒せるのがレイとエレーナだけというのは、色々と不味い。
その上、エレーナはトレントの森にはおらず、実質的に現在穢れを倒すことが出来るのはレイだけなのだ。
そうである以上、もし二ヶ所以上で同時に穢れが出た場合、どちらかは後回しにしなくてはならない。
……幸い、穢れはひどく単純な行動しかしないので、今のところはそれが致命的になるかどうかは微妙なところだろう。
しかし、それがこの先にも同じかどうかと言われれば……正直なところ、微妙だと言わざるをえない。
塊、サイコロ、円球。
穢れというのは次々と進化している。
今のところは、穢れが進化してもそこまで能力に変化は見られないものの、この先も同じかと言われれば、正直微妙なところだろう。
だからこそ、穢れについて研究をするという研究者達は受け入れるしかないと、男は理解していた。
「話は分かった。最終的には受け入れるしかないだろうな。だが……もうすぐ冬だぞ? いや、季節的にはもう冬で、いつ雪が降ってもおかしくはないといった頃だ。もし雪が降って冬も本番になれば俺達は生誕の塔で寝泊まりするが、その研究者達はどうするんだ? それにリザードマン達の件もあるし」
男にしてみれば、同じ野営地で寝泊まりする以上は、何かあったら自分達が守らないといけないという思いがあった。
また、レイに尋ねたように、冬になったらどうするのかといった疑問もある。
野営地にいる冒険者達は、冬になったらリザードマン達の生誕の塔で暮らすことが決まっている。
しかし、生誕の塔はそれなりに広いが、それはあくまでもそれなりでしかない。
研究者達の人数によっては、どうなるか分からない。
それ以外にも、研究者達がリザードマンに妙なちょっかいを出さないかというのも心配になる。
今のところ、研究者達はリザードマンを見てもそこまで興味は持ってない。
勿論、攻撃をしてこない友好的なモンスターということで興味を持っている者もいるが、言葉を話せるというのは今のところ研究者達に知られていなかった。
これはダスカーからの指示で、研究者達にリザードマンが喋れることは可能な限り知らせないように言われていたのが大きい。
友好的なモンスターというだけなら、それこそ従魔や召喚獣といった方法で不可能ではないし、圧倒的な力を持つ者がいれば支配下に入ることもある。
……実際、一応だがゾゾはレイの従魔という扱いになっているのだから。
そんなリザードマン達だが、生誕の塔で一緒に暮らすとなれば、言葉を話せるというのを隠すことは出来ないだろう。
この野営地にもそれなりにリザードマンは顔を出す以上、その時点で言葉を話すのを隠すのは難しいかもしれないが。
「冬になったらどうするのかは、それこそ研究者達が決めるだろ。リザードマン達の対応は……どうだろうな。ダスカー様からその辺については妙な真似をしないように言っておけばどうにかなると思うが」
エレーナからレイが聞いた、研究者達の代表とも呼ぶべきオイゲンという人物。
その人物が、湖でレイと交渉をした人物だというのはすぐに理解出来た。
それだけに、オイゲンと話したことのあるレイにしてみれば、オイゲンがここで何か妙な真似をするとは思えなかった。
そうである以上、研究者達はオイゲンに任せればいいと思う。
思うのだが、研究者の中にはレイに食って掛かってきたような者もいる。
そのような相手が妙な真似をしたりすれば、それこそリザードマン達に何か妙な被害が出ないとも限らないだろう。
(そっちについては、オイゲンが合流したら念を押した方がいいか。……とはいえ、あの研究者達が全員ここに来るかどうかは微妙だけど)
冒険者は野営に慣れていることもあり、何より毎日ギルムから馬車で食料や生活物資を持ってきてくれるので、そこまで野営地での生活に不都合は感じていない。
しかし、それはあくまでも野営に慣れている冒険者達だからだ。
その辺についての経験がない者にしてみれば、それこそ野営は厳しいだろう。
それを知った上で、どれくらいの研究者がくるのか。
取りあえず、レイは湖で遭遇した研究者達が全員来るとは思えなかった。