3102話
研究者を代表して尋ねるオイゲンに対し、ダスカーは隣にいるエレーナから聞かされた話を思い出す。
レイから対のオーブを使って連絡を貰ったエレーナは、レイからの要請通りすぐダスカーに会いに来た。
その時に話を聞いた時は、正直なところどうしようかと思った。
一人や二人ならともかく、これだけの数の研究者に穢れや妖精を見られてしまっては、誤魔化すようなことは出来ない。
誤魔化すことが出来ない以上、話をするしかないのも事実。
そしてレイからの提案にあった、穢れの研究。
それに関しては、ダスカーも非常に興味深いのは間違いなかった。
今は穢れを倒すことが出来るのは、レイとエレーナしかいない。
しかし、それはあくまでも穢れについて知っている者が少ないからこそ、他に倒せる手段があっても判明していないだけかもしれない。
つまり、穢れについてもっと詳細に研究すれば、何らかの穢れをどうにかする手段が発見されるかもしれないのだ。
本来なら、ダスカーとしては穢れに関してはもっと信頼の出来る人物……例えば、現在のトレントの森の中央の地下で研究をしている顔見知りの某エルフに頼みたいと思っていた。
しかし、もしそちらに頼むとなると異世界についての研究が止まってしまう。
あるいは、目の前の研究者達に異世界について研究して貰うかと一瞬考えるも、すぐにそれは却下した。
異世界の存在は、それこそ穢れや妖精以上に知られてはいけないことなのだから。
そうである以上、やはり穢れについては目の前の研究者達に任せるというのが最善だろう。
「妖精については、簡単なことだ。現在、トレントの森には妖精郷が存在する」
ざわり、と。
ダスカーの口から出たその言葉に、話を聞いていた者達……研究者も助手も含めてざわめく。
レイと一緒に妖精がいたのはその目で見ている。
だが、それも偶然レイが何らかの手段でその妖精と知り合い、結果としてレイが妖精と一緒に行動しているのだろうと、そう思っていたのだ。
だというのに、まさかここで妖精郷という言葉が出て来るとは思わなかった。
「それは……本当なのですか?」
オイゲンが恐る恐るといった様子でダスカーに尋ねる。
研究者としては相当な地位にあるオイゲンですら、妖精郷と聞けばこのような反応をしてしまう。
これこそが、妖精郷がどれだけ人に知られていなかったかということの証だろう。
「うむ、事実だ。だが、妖精郷は強力な力で守られているから手出しは無用だ」
その言葉にオイゲンは何かを言い掛けるも、すんでのところで我慢する。
ここでもし自分が言わなくても……と。
そして事実、次の瞬間には研究者の一人が口を開く。
「そんな、それはあまりに……」
「あまりに? 何だ?」
ダスカーがその言葉を遮るように尋ねる。
その言葉は短い。短いが、それでも男を黙らせるだけの迫力はあった。
「い、いえ。その……何でも……」
「お許し下さい、ダスカー様。この者も含めて、私達は妖精に強い興味を持っている者が多いのです。ダスカー様も知っての通り、既に妖精は絶滅したと……あるいは人では絶対に辿り着けない場所に旅立ったという話すらもありました。そんな妖精がいたというのですから、気が逸るのも仕方がないかと」
迂闊に口を滑らせた研究者を庇うようにしながら自分の意見を口にするオイゲン。
自分の思い通りに動いてくれたことを嬉しく思いながらも、ダスカーの返事を待つ。
そのダスカーは、オイゲンの考えを理解しているのか、いないのか。
特に動揺したといったようなこともなく、口を開く。
「妖精については、今のところはこれ以上こちらから譲歩することは出来ん。だが……現在、王都からギルムに来る予定の者がいる。その者達が来たら、妖精郷についても多少は譲れるところがあるかもしれんな」
ピクリ、と。
ダスカーのその言葉に反応したのは、オイゲンだけではない。
この場にいる研究者のうちの何人もがその言葉に反応していた。
「それはやはり妖精郷の一件で来るのでしょうか?」
尋ねるオイゲンだったが、話の流れと、何よりもダスカーやエレーナの様子から、恐らく違うと予想出来た。
勿論、本当に妖精郷がトレントの森に存在するのなら、王都に連絡を取るといったことはおかしくはない。
妖精の作るマジックアイテムがどれだけ強力なのかは、それこそ研究者でなくても普通に知られているのだから。
妖精郷と接触するということは、それらのマジックアイテムを入手出来るかもしれない。
あるいはマジックアイテムを抜きにしても、多くの者にとって妖精という存在だけで大きな意味を持つ。
そのような妖精郷の件でなら、王都から人が来てもおかしくはない。
いや、間違いなく来るだろうと認識出来た。
出来たのだが、それは違うとオイゲンは本能的に理解した。
とはいえ、ならば何故……そう考え、思いつくのは一つだけ。
「あの黒い円球ですか?」
「ほう」
オイゲンの口から出た言葉に、ダスカーが感心した様子を見せる。
そんなダスカーの横のエレーナや、その後ろに立つアーラも同じく感心した様子を見せていた。
三人の様子を見て、自分の予想は当たったと満足するオイゲン。
だが、妖精の件よりも重要視されているかのような、あの黒い円球は一体何だったのか。
そう考えると、改めて自分達が見た時の光景に疑問を覚える。
黒い円球を攻撃した……いや、倒したのはレイの魔法だけだ。
何故野営地にいる者達では黒い円球を倒すことが出来なかったのか。
「理由は分かりませんが、私達があの黒い円球と遭遇した時に何故かレイだけが黒い円球を倒していました」
「続けろ」
ダスカーの一言でオイゲンは自分の予想が間違っていなかったことを知る。
「つまり、王都から人がやって来るのは妖精郷ではなく、あの黒い円球が理由。……それも妖精郷よりも重要視する何かがあるのでは?」
「ほぼ正解と言っておこう。こちらからの要望……いや、その前にお前達が見た黒い円球について説明した方がいいか。あれは妖精達からは穢れと呼ばれている存在だ」
「穢れ、ですか。また不吉な名前ですね」
穢れ。
そう言われたオイゲンは、その名前の持つ不気味さ、不吉さに微かに眉を顰める。
そのように感じたのは、オイゲンだけではない。
この場にいる他の研究者や助手も含めて不気味だと思う者が多かった。
多くの者から視線を向けられながらも、ダスカーは気にした様子もなく頷く。
「実際、非常に危険な存在だ。あくまでも妖精に伝わる言い伝えなのだが、穢れというのは最悪の場合、この大陸を滅ぼすかもしれないという」
「まさか……そんな……」
冗談でしょう?
そう続けたかったオイゲンだったが、実際にそのように言うことは出来なかった。
ダスカーの表情は真剣で決して冗談を言ってるようには思えなかったからだ。
「事実だ。少なくても妖精郷を治める長はそのように言っている。また、お前達も感じたと思うが、穢れというのは見ただけで本能的な嫌悪感を抱かせるという、妙な能力を持っている。他にも触れた存在を黒い塵にして吸収するといったようにな」
「それでは、その……倒すことは出来ないのでは? いえ、だからレイ殿が魔法で?」
オイゲンのその言葉にダスカーは頷く。
だが、ただ頷くのではない。
今の自分の行動によって、オイゲンを含めた研究者達が勘違いをしては困るので、言葉を続ける。
「ただし、魔法ならどのような魔法であっても効果がある訳ではない。中途半端な……穢れの許容範囲内に収まるような魔法であれば、その魔法であっても穢れは吸収することが判明している。つまり穢れを倒すことが出来るのは、具体的な線引きはまだされていないが、一定以上の威力を持つ魔法が必要となる」
「それは、かなり難しいですね。実際にどのくらいの魔法でならその穢れでしたか、それを殺すことが出来るのかといった実験はしていないのですか?」
「していない。いや、出来ていないというのが正直なところだ。何しろ最悪大陸を破滅させると言われている穢れだ。そう簡単に人に話すような真似をする訳にはいかん」
そう説明されれば、オイゲンも納得するしかない。
ダスカーから聞かされた情報によって考えると、穢れについて迂闊に人に漏らすといったようなことをすると、場合によってはそれが致命的なミスとなる可能性も否定は出来ないのだから。
「その穢れというのは、他にどのような特徴があるのでしょうか?」
尋ねるオイゲンの中では、ある意味で妖精よりも穢れについての好奇心の方が強くなっていた。
勿論、妖精を捨て置いていいものではない。
だが、言ってみれば妖精というのは過去に既に存在しており、研究者の間では多少なりとも知られている存在だ。
それに対して、穢れというのはオイゲンも初めて知った存在だった。
どちらにより好奇心を動かされるかと言えば、考えるまでもないだろう。
オイゲンはダスカーの口から出て来る穢れの特徴について真剣に、そして興味深く聞いていく。
部屋の中に集まっている研究者の中にもオイゲンと同じように思っている者がいるのだろう。
ダスカーの話を真面目に聞いていた。
……ただ、それが全員という訳ではない。
中には穢れよりも妖精の方に強い興味を抱いている者も多く、そのような研究者達にしてみれば、穢れよりも妖精について詳しい話を聞きたかった。
特にトレントの森には妖精郷があるという。
妖精に強い興味を持っている者にしてみれば、そこに行ってみたいと思うのは研究者として当然の話だろう。
だが、今のこの状況でそのようなことを口に出したりするのは難しい。
この場で最大の権力を持つダスカーは穢れについての説明に集中しており、エレーナやオイゲンといった者達も穢れの方に意識を集中しているのだから。
(一体何を考えている。穢れ? そちらも重要だろうが、妖精……いや、妖精郷はもっと重要だろう! まずはそちらをどうにかする方が先の筈だ。妖精の作ったマジックアイテムが一体どのような意味を持つのか、知らない訳ではあるまいに。それこそ、穢れというのも妖精のマジックアイテムがあればどうにかなるだろうし、それが無理でも現状で対応出来ているのだから問題はない)
妖精に強い興味を持つ研究者は、ダスカーやオイゲン、それ以外にも穢れについて強い興味を抱いている者達に向かって苛立ちを覚える。
しかし、それでも自分がここにいる者達の中ではそこまで強い権力や影響力を持っている訳ではない以上、今は黙ってその様子を見守るしかなかった。
そうして苛立ちを隠しながら周囲の様子を見ていると、自分と同じような思いを抱いている研究者が他にも何人かいるのに気が付く。
ほぼ同時に、向こうの方でも同じように気が付いたのだろう。
目と目でお互いにうんざりしているといった様子で意思疎通を行う。
とはいえ、今のところ出来るのはそれだけしかない。
まさかここで無理にダスカーやオイゲンの会話に割って入るような真似が出来る筈もないのだから。
いや、その割って入る内容が穢れに関することであれば、受け入れられるだろう。
だが、その内容が妖精であれば、それこそ後にしろと言われてもおかしくはない。
……寧ろ、邪魔をするのなら出ていけといったように言われてもおかしくはなかった。
「それで、穢れについてだが……調べることは可能か?」
「難しいですね。何より、触れただけで黒い塵となって吸収されてしまうというのが致命的です。触れることが出来ない以上、調べるにもかなり手段が限定されるかと」
オイゲンにしてみれば、何とか調べる方法があって欲しいとは思う。
思うのだが、だからといって現状でそれをどうこう出来るかと言われると……それもまた、難しいのだ。
いっそ犯罪奴隷辺りに試させるか?
そんな考えも思い浮かんだが、試してもそれで得られる情報など幾らもないだろう。
無駄に犯罪奴隷を死なせるだけである以上、オイゲンもその方法についてはすぐに諦める。
「そうすると、どうなる? 直接触れないで研究をするか?」
「その方法が最善でしょう。その方法でどうにか穢れに触れるなりなんなりする手段を確立し、それからより詳細な研究をすすめていくといったように」
「それしかないか。……ああ、ちなみに。この穢れの研究でしっかりと結果を出した者は、妖精郷に連れていってもいい。特に王都から人が来たら妖精郷に行くから、その時とかな」
不意にダスカーの口から出た言葉に、それを聞いていた研究者達は全員がピクリと反応するのだった。