3101話
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レイがニールセンと色々と話をしている頃……研究者達は急いでトレントの森からギルムに戻ると、真っ直ぐ領主の館に向かっていた。
「オイゲンさん、本当にダスカー様に話を聞くことが出来るのですか?」
街中を進む馬車の中で、オイゲンと呼ばれた研究者の助手がそう尋ねる。
オイゲンと呼ばれた男……レイと交渉をした、湖の側で黒い円球やニールセンを見た者の中で一番高い影響力を持っている男は、助手の言葉に頷く。
「恐らくは問題ないだろう。レイのあの様子から考えて、妖精についての情報はダスカー様も知ってると思うべきだ。そうである以上、私達が妖精を見たと直接言えば、その件について情報を口にしないということはないと思う」
「ですが、本当のことを言ってるとは思えません。それに、ダスカー様は現在かなり忙しいと聞いています。この状況で話を聞きたいと領主の館に行っても、素直にこちらの要望を聞いて貰えるとは思えません」
「そうかもしれない。しかし、それでも可能性があるのならそれを試すのが研究者だ。それに……」
そこまで言い、更に何かを続けようとしたオイゲンだったが、不意にその言葉を止める。
「オイゲンさん?」
助手は訝しげにオイゲンの名前を呼ぶ。
オイゲンの助手として十年近い付き合いだ。
そんな助手であっても、オイゲンが今のように何かを言おうとしながら、それでも実際に言葉を途中で止めるというのは数える程しか見たことがない。
それだけに、一体何があったのかと気になってしまう。
「……いや、もしダスカー様と会えなくても、あのままレイに話を聞こうとするよりはいいだろうと思っただけだ」
あれ以上レイから無理に話を聞こうとしても、恐らく……いや、間違いなく事情を話すといったことはなかっただろう。
オイゲンは自分の持つ権力を好んで使いたいとは思わないが、必要とあれば使うのに躊躇しない判断力も持つ。
しかし、その権力を使ってもレイをどうにか出来るとは思わなかった。
それどころか、下手にレイを相手にしてそのような真似をしようものなら、完全に敵対視されるだろう。
そしてレイはその力を振るうのに躊躇するようなことはない。
そうなると、やはり無理に話をしようとしてどうしようもなかったのは間違いない。
(せめてもの救いは、愚か者のおかげでこちらは話が通じる相手といったように思われたことか)
レイの言葉を信じられないと判断して叫んだ男。
だが、オイゲンは知っている。
実際にはあの男は本当にレイの言葉を信じられないと思ってあのように叫んだのではなく、レイの態度が気にくわなかったからこその行動だと。
前々から問題を起こす人物だと噂は聞いていたのだが、そういう意味ではあの暴走はオイゲンにとって悪くない行動だった。
おかげで、若干ではあったがあの場での自分の利益はプラスとなったのだから。
「オイゲンさん、そろそろ領主の館に到着します」
「分かった。では、私が先頭に立とう。そうでなければ、また愚か者が妙な行動をしないとも限らないからな」
そう言うオイゲンだったが、実際にはその言葉通りのことだけを考えての発言ではない。
自分が先頭に立つことによって、ダスカーに自分こそがこの場の代表であると認識させ、この場で必要な情報を是非とも自分に優先的に回して欲しいという思いがあった。
自分が優先して情報を入手すれば、必要な情報は他の研究者達に流しつつも、本当の意味で重要な情報は全て独占出来る。
そうなれば、最終的には妖精と黒い円球の謎に真っ先に迫るのは自分になる可能性が高かった。
そんなことを考えているうちに、馬車は領主の館の前で停止する。
オイゲンは窓から顔を出すと、門番の二人に声を掛ける。
「私はオイゲンという。すまないが、ダスカー様にお会いしたい」
「それは……後ろの方々もでしょうか?」
研究者というのは、大別して研究室にいる者とフィールドワークをする者に分けられる。
そんな中で研究室をしている者は当然だが体力はあまりないので、移動も馬車を使う。
もっとも、フィールドワークをする研究者もギルムにおいてはモンスターの襲撃の危険性がある為に、馬車に乗って移動していたが。
結果として、馬車は十台を超えていた。
これが普段なら、ここまで纏まって研究者達が移動するようなことはなかったのだが、巨大なスライムが消滅したという情報があったので、それを知った多くの者が湖に向かい、その結果としてこのような馬車の多さになっていた。
「うむ、そうなる。ただし、代表は私と考えて貰いたい。……湖の側に深紅のレイがいる件について話を聞きたいと言えば、分かって貰える筈だ」
本来なら、妖精や黒い円球についてここで名前を出してもよかったのだが、レイが自分は何も言えない。情報についてはダスカーから聞いて欲しいと言ってきたのを思えば、それらの件は秘密にされている可能性が高い。
実際、湖の研究をする為に集められたにも関わらず、自分はその情報について何も教えられていなかったのだから。
だからこそ、門番に妖精についてといったようなことを言っても、恐らく何を言ってるのかといった視線を向けられると考えた。
実際、その判断は間違っていない。
オイゲンも自分の目で直接見た訳ではなければ、妖精を見たと言われてもそれを素直に信じるようなことは出来なかっただろうから。
「分かりました。少々お待ち下さい」
門番の一人はそう言うとすぐにその場を離れて領主の館に入っていき……
「え?」
一分もしないうちに戻ってきた相棒の姿を見て、この場に残っていた門番は思わず声を上げる。
まさかこうも早く戻ってくるとは、思ってもいなかったのだ。
普段なら、この状況で十分前後は待つことになる筈なのだが……と。
「中に入って貰って構わないということです。既に面会の準備は出来ているから、と」
「……何?」
門番が戻ってきたのが早いというのは、オイゲンも少し驚くが、自分達の仕事を考えればおかしくないと思えた。
だが、既に面会の準備が出来ているというのは……それこそ、まるで自分達が来ると知っていたかのようではないか。
一体何故?
(レイか?)
オイゲンが思い浮かべたのは、レイ。
正確には、レイの従魔のセトだ。
オイゲンが知ってる限り、レイはセトに乗って空を飛んで移動するという移動手段を持っている。
そうである以上、自分達にダスカーから話を聞いて欲しいと言ったレイが先回りしてダスカーと会い、事情を説明するといった真似をしていてもおかしくはないと思えた。
実際には、レイは穢れがいつ出てもいいように、最近ではトレントの森から可能な限り出ないようにしているのだが、オイゲンはその辺りの情報については知らない。
一瞬……本当に一瞬だったが、このままダスカーに会いに行っていいのかという考えが思い浮かぶ。
だが、オイゲンはすぐにその考えを消す。
自分がここまで来たのは、ダスカーから色々な事情を説明して貰う為なのだから、と。
「分かった。では行こう。……研究者は全員でいいのだな?」
「はい。ただし、多数となると場所が狭いので、研究者の皆様と助手はそれぞれ一人ずつ、護衛の皆さんは遠慮して欲しいとのことです」
「分かった。ではそうしよう」
その提案自体は、特に問題はない。
護衛が一緒ではないというのは、ここが領主の館であれば理解出来る。
また、護衛の中には雇い主の地位を使って好き勝手する者もいる。
相手が領主であれば馬鹿な真似はしないと思うが、それでも万が一があった。
そうして馬車は領主の館の敷地内に入っていく。
……当然ながら、寒くなってきた今でも何とかダスカーと面会が出来ないのかと、領主の屋敷の前に並んでいた者達にしてみれば、今のように多くの馬車が入っていくのを見て、羨ましそうな、恨めしそうな視線を向ける。
とはいえ、これだけの馬車でやって来たということは、当然ながらその多くは何らかのお偉いさんがやって来たと予想するのは難しい話ではない。
そうである以上、ここで自分達が待っていても意味はないと判断する者が多く、今日はもう帰るという判断をした者達は領主の館の前から立ち去るのだった。
「エレーナ様!?」
メイドに案内されたオイゲン達は、一つの部屋に通される。
普段ダスカーが執務を行っているような執務室ではなく、レイがよく通されるような客室の類でもない、会議室とでも呼ぶべき部屋。
領主の館にある会議室らしく、椅子や机はかなりの品質の物が揃っていた。
そんな部屋の中に入ってきたオイゲン達だったが、そんな中で不意に研究者の一人が部屋の中にいるエレーナを見て、反射的に叫ぶ。
その叫びを聞いた者達は男の視線を追い、そこに絶世の美女と呼ぶべきエレーナと、そのエレーナの付き人のアーラ、そして領主の館の主人であるダスカーの姿を見つける。
叫んだ以外の研究者も、エレーナという名前や様付けで理解はしていたものの、それでも自分達の前に存在する相手を見て、それがエレーナであると、そう認識するには十分だった。
勿論、叫んだ男以外にも貴族派と繋がりのある研究者はそれなりにいる。
声には出さずとも、目の前にいる相手を見てそれが誰なのかというのは十分に理解出来る。
とはいえ、エレーナの美貌に目を奪われていた者達は我に返ると疑問を抱く。
何故この場にエレーナがいるのか、と。
勿論、研究者達は……特に貴族派と繋がりのある研究者は、エレーナがギルムにいるのは知っている。
その理由も、ギルムの増築工事を貴族派が邪魔をしないようにという風に理解していた。
だが……そのエレーナが何故ダスカーと一緒にいるのかが分からない。
百歩譲って、エレーナが何らかの理由でダスカーに会いに来たとしても、それはエレーナとダスカーの間だけの話で、この会議室で自分達を待っている理由にはならないのだから。
「久しいな、エッジ」
エレーナの名前を呼んだ男……エッジにそう声を掛けるエレーナ。
その相手の顔に見覚えがあった為だろう。
いや、それだけではない。
「他にも何人か見知った顔があるようだが……貴族派と関わりのない者には自己紹介をしておいた方がいいか。私はエレーナ・ケレベル。自分で言うのも何だが、姫将軍の異名を持ち……貴族派の象徴的な存在になっていると言えば分かりやすいだろう」
勿論、そのような自己紹介をしなくてもこの場にいる者達はエレーナについては知っている。
持っている情報の違いはあれど、姫将軍のエレーナについて知らない者はいないのだ。
それだけエレーナは有名だった。
ここ数年では深紅の異名を持つレイの名前も広く知れ渡るようになってはいたが、それでも深紅と姫将軍のどちらが広く知られているのかと言われれば、多くの者が姫将軍と答えるだろう。
そんなエレーナがこうしてわざわざ自己紹介をしたのは、今回の件には自分も関わっていると、そう言外に示したかったのだろう。
オイゲンにしてみれば、完全に機先を制された形だ。
先制攻撃を食らったと言ってもいい。
オイゲンは内心で色々と思うところはあったものの、この状況で何か反論出来る筈もない。
オイゲンはこの場にいる研究者の中では最も強い影響力を持っているが、だからといってそれはエレーナに勝るものではない。
ここで話の主導権を取られたのは、オイゲンにとって痛いのは間違いなかった。
とはいえ、今のこの状況でもう対処のしようがないかと言われれば、そういう訳ででもない。
オイゲンは自分の中にある焦りや苛立ちを表に出さず、口を開く。
「よろしくお願いします、エレーナ様。まさかエレーナ様のような方とお会い出来るとは、思ってもいませんでした。ただ……エレーナ様がここにいるということは、私達が何を聞く為にここに来たのか、全てを承知の上。そう考えてもよろしいでしょうか?」
「うむ」
短く一言だけの言葉を口にし、頷くエレーナ。
そんな少しの行動だけで、オイゲンはそれ以上何も言えなくなる。
もしここで無理に何かを言おうとしても、それは色々と自分にとってダメージになるのでは? と、そう思ったのだ。
これ以上エレーナと話しても、それは自分にとって利益どころか不利益しかないと判断したオイゲンは、話す対象をダスカーに変える。
……もっとも、本来なら最初にダスカーに話をするのが筋なのだが。
とはいえ、ダスカーもエレーナの影響力の強さは分かっているので、今のこの状況を責めようなどとは思わなかったが。
「ダスカー様、妖精の件と黒い円球の件……お話を聞かせて貰えますか?」
そう、オイゲンはダスカーに尋ねるのだった。