0309話
港街エモシオン。それは、ミレアーナ王国の海に面している中でも最大級の大きさを持つ街の名前だ。海を使った貿易の中心地として名高く、少し前に行われたベスティア帝国との戦争もこのエモシオンを手に入れんとする為のものだった。
毎日大量の船がやってくる為にその人口は日々変動するが、それでも50万とも60万とも言われている。
他の国からの船や、果てには別の大陸からやってくる船も入港しており、このエモシオンという街がミレアーナ王国へともたらす利益は数多い。
そうなると当然その富を狙う存在もおり、街の周辺には盗賊や海賊の姿も多く存在する。
マリーナからエモシオンの説明を受けたレイは、その説明に頷きつつも口を開く。
「で、何で俺がわざわざそのエモシオンに行かないといけないんだ?」
「勘違いしないで欲しいんだけど、行けと命令している訳じゃ無いのよ。どちらかと言えば行ってみない? といった感じね」
少なくてもギルドからの指示というよりは要請といった形であると告げるマリーナだが、レイにしてみればそれはどちらでも構わなかった。
「その理由は?」
「ふぅ……実は、ここ半月程くらいでエモシオンの沖に巨大なモンスターが姿を現しているのよ。で、港に入ろうとする船を沈めているの。勿論全ての船を沈めている訳じゃ無いし、あるいは高名な冒険者が偶然船に乗っていて撃退したこともあるわ。けど、かなりの被害を受けているのも事実なのよ。それこそ、このままそのモンスターが倒されなければエモシオンという港街の立ち位置が危なくなる程度にはね」
それ程深刻そうな口調で話してはいないマリーナだが、その話の内容そのものは酷く重い。エモシオンの街がミレアーナ王国にもたらしている利益を考えると、正確には出来るだけ早くそのモンスターを倒して欲しいというのがエモシオンの上層部の気持ちなのだろう。
その話を聞いていて、ふと以前エルクから聞いた話を思い出す。
「そう言えば、エルクがどこぞの港街で何日も徹夜でモンスターと戦ったことがあるとか言ってたけど……それもエモシオンか?」
「そうね、確かに以前は雷神の斧を派遣したわ。ただ、あの時と違うのは今回姿を現したモンスターは港には直接攻撃を仕掛けてきていないってことなのよ。だからこそ以前と比べると被害が少ないというのもあるけど、逆に海から出てこないから一時的な撃退はともかく、倒すことが出来ないの」
「……なるほど」
マリーナの言葉に、厄介さを理解するレイ。
港を襲うのなら、何らかの遠距離攻撃手段を持っていない限りは海から出なければならず、陸上からの攻撃も有効だろう。だが、港に一切近付かず、海中に居座っているとなると港からは攻撃そのものが出来ないと理解したのだ。
あるいは、無理に攻撃をしたとしても海水そのものが防壁となって効果が無いのか。
「水系統の魔法はどうなんだ?」
「残念ながら無理らしいわ。エモシオンが港街という関係上、水魔法の使い手はそれなりの数がいたし、ランクBパーティにいた魔法使いも試したらしいけど……そのモンスターそのものが水魔法を使うらしくて効果が殆ど無かったそうよ」
「殆ど? なら多少はあったのか?」
「ええ。多少は……ね」
意味ありげに言葉を濁すマリーナ。
「何か問題でもあるのか?」
「水魔法というのは回復魔法が比較的得意なのよ。つまり……」
そこまで言われれば、レイにもマリーナが何を言いたのかが分かったのだろう。嫌そうな顔をしつつ答えを告げる。
「そのモンスターも回復魔法を使うのか」
「惜しいわね。より正確に言えば回復魔法というよりも再生能力と言った方がいいかしら」
「……そんな奴を相手に、俺にどうしろと?」
ただでさえ海の中にいる為に、海水の盾という防御手段を持っているのだ。そこに再生能力を持っていると聞けばレイに取ってこれ程相性の悪い相手はいないだろう。何より……
「俺が最も得意としているのは、知っての通り炎の魔法だ。ただでさえ海中にいる相手に対しては効果が薄いのに、そこに再生能力まであるとなると、手の打ちようがないぞ」
溜息と共に吐き出されたその言葉だが、マリーナは笑みを浮かべつつ首を振る。
「確かに炎の魔法は効かないけど、レイの攻撃手段は他にもあるでしょう? マジックアイテムの大鎌に、炎以外にも風の魔法も使えると聞いてるわよ? それに何よりも、レイにはエモシオンにいる冒険者達には無い絶対的に有利な要素があるでしょ」
「絶対的に有利な要素?」
「そう。レイはグリフォンを従魔にしているのよ? そして実際、グリフォンの背に乗って飛んでいる姿を目撃もされている。空を飛べると、それだけで、今回の件では圧倒的に他の人たちよりも有利よ」
「……まぁ、それは確かに」
空を飛べるというのがどれ程のアドバンテージなのかは、セレムース平原で嫌と言う程に体験している。だが、逆に言うと空を飛べれば有利になるのなら、それは別にレイで無くてもいいのだ。
「なら、竜騎士を派遣すればいいんじゃないのか?」
「竜騎士というのは酷くお金が掛かるのよ。そうなると、当然派遣して貰うにしてもそれなりに支払う必要が出て来るわ」
「そうは言っても、エモシオンってのはミレアーナ王国でも最大規模の港街なんだろ? なら、そこで港を使えなくしているモンスターを倒すのが遅くなれば、それだけ国に入る金も減るんじゃないのか?」
「そうね。それは事実だけど、だからと言って竜騎士を無料で派遣しますなんて真似をしたら、それこそ国中から派遣してくれって要請が集まるでしょうし、そうなれば冒険者も仕事を奪われてしまうわ。何しろ竜騎士を無料で派遣して貰えるのなら、報酬を出して冒険者を雇う必要が無いんだから」
「なるほど」
マリーナの言葉はストン、とレイの中に落ちてくる。
確かに金が掛からずにモンスターを駆除出来るのなら。更に言えば、その駆除してくれる戦力が軍のエリートである竜騎士なら、どこの領主もこぞって派遣を希望するだろう。
「それに、竜騎士というのは育てるのに掛かる費用の関係でどうしても少数精鋭。そんな竜騎士を休む暇も無く働かせていたら消耗が激し過ぎるわ」
「……なるほど」
再び呟き、頷くレイ。
「ま、それもあってエモシオンのギルドからミレアーナ王国を含めて周辺国家のギルドに連絡があったのよ」
「海にいるモンスターを討伐して欲しいとかか?」
当然そうだろうと思ってレイの口から出された言葉だったが、マリーナは黙って首を横に振る。
「ちょっと違うわ。戦力の要請という意味では同じだけど、正確に言えばそのモンスターに賞金を懸けたと連絡があったのよ。それもかなりの額のね。恐らく今頃はミレアーナ王国中……下手をすれば、近隣諸国の冒険者ギルドからも向かってるでしょうね」
「……で、俺もそれに行けと?」
確認するようなレイの問い掛けに、笑みを浮かべて頷くマリーナ。
「そうよ。折角今回の戦争で有名になったんだから、ここでもう1度派手に名前を売ってくれるとギルムの街のギルドマスターとしては助かるわ。それに、ギルムの街からも数人程向かうって言ってる冒険者がいるけど、ランクDやCじゃまず死にに行くだけでしょうし」
「いや、俺もランクCなんだが」
「知ってるわよ? でも、レイはレイでしょ。普通のランクCと比べられる程度の実力じゃないのは、それこそ今回の戦争ではっきりしてるし。聞いたわよ? 炎の竜巻を作ってベスティア帝国の先陣部隊を壊滅させたそうじゃない」
「いや、それは大袈裟だ。噂に尾びれどころか背びれや鰓や足や手も生えてるぞ」
「ふふっ、それだと半魚人ね」
全てお見通しだとでも言いたげに笑みを浮かべるマリーナ。
そんな相手に勝ち目は無いと判断したのだろう。レイは溜息を吐きながら話を元に戻す。
「実際、賞金があると言われても現状で金には困ってない。それに名声とかにもあまり興味は無いし」
レイにしてみれば、金はその日暮らせるだけあれば困らない。あるいは店頭でマジックアイテムを始めとした高価な品を欲しいと思っても、それに関しては依頼を受けるなり、あるいはセトと共にモンスターを狩って素材や既に吸収した分であれば魔石を売れば十分に暮らしていけるだけの金は入手出来るのだ。……もっとも、セトの分やレイ自身の常識外れの食欲を考えれば普通の人が暮らす数倍の食費が必要になるのは事実なのだが。
だが、レイがそんな風に金に興味は無いと言い張るのはマリーナにしても予想済みである。それ故に、次の言葉を口に出す。
「レイは魔石を集めていると聞いたんだけど? それなら海中の巨大モンスターの魔石は欲しくないのかしら? それに、前回の戦争と今回のエモシオンの街の件の功績があればランクBに上がる為のランクアップ試験に挑戦出来るわよ。本来ならランクCになってから相当長い経験を積む必要があるんだけど、さすがにこれだけの大手柄が2つもあれば他の冒険者やギルドからも文句は出ないでしょうし」
ピクリ。今までどうマリーナの提案を断ろうかと迷っていたレイの動きが止まる。
魔石。それは確かに魔獣術で生み出されたセトやデスサイズの存在を考えれば、レイに取っては必要不可欠な物だった。更に言えば魔石を吸収した時にスキルを得られる確率が高いのは、高ランクモンスターの魔石だというのも経験的に理解している。
そして海中に潜んでいるとは言っても、これまでに幾つもの船を沈めている程の強さを持つモンスターなら、まず間違い無くスキルを得られる筈なのだ。
(……なるほど。そう考えれば、確かに行く価値は十分にあるな。しかも港街となると、その巨大モンスター以外にも海のモンスターは数多くいる訳だから、新たなスキルも期待出来る。ランクアップに関して挑戦出来るのなら挑戦しておきたいしな)
頭の中で素早く考えを纏めると、すぐに態度を翻して頷く。
「そうだな、確かに魔石のことを考えるとそんな稀少な魔石は見逃したくないのは事実だ」
「あら? ランクアップ試験に関してはいいのかしら。……まぁ、それはともかくとして行ってくれるかしら?」
既にレイの意志は固まっていると理解したのだろう。行くかどうかを聞くのではなく、確認するような口調で尋ねるマリーナ。
そして当然、レイは頷く。
「ああ」
「そう、良かったわ。……けど、注意してね。今回目標を倒すのは基本的に早い者勝ちとなっているわ。勿論向こうで誰かと協力してモンスターを倒しても構わないけど……」
そう言いつつも、それが無理だというのはマリーナも半ば理解していた。人付き合いがそれ程得意ではないレイの性格を考えれば、余程幸運に恵まれなければ手を組む相手はいないだろうと。
「なるほど。ただ、そうなると賞金や素材、魔石の分配で揉めそうな気がするな。それを考えると、やっぱり俺とセトで倒すのがいいんだろうが……その辺は、向こうに着いてからだろうな。最低限1回はそのモンスターとぶつかって情報を得て、ソロで難しいようなら……」
「確かにレイとセトなら戦闘に入ってもすぐに脱出は出来るでしょうけど……気を付けてね? そうそう、ちょっと待ってて。渡す物があるから」
ソファから立ち上がり、執務机の引き出しの中から封筒と紙を取り出してレイの方へと手渡してくる。
「これは?」
「封筒は私の紹介状よ。今回のモンスター討伐依頼を受けるのは冒険者なら誰でも出来るけど、それでもギルドマスターの紹介状を持っていれば煩わしい手続きとかは少なくなると思うわ」
「そうか、それはありがたいな。で、こっちの紙は……」
「エモシオンまでの簡単な地図よ。以前渡したような詳細な地図は渡せないけど、この地図があればある程度の道順は分かるでしょ」
受け取った地図へと目をやると、確かに以前魔熱病の件でバールの街に向かった時に借りた地図とは違い、大雑把に街の位置関係のみを表記してある簡易……というよりは、手抜きの地図だった。
だが、地図という存在の重要性を考えると、今レイの手元にあるような地図でもそれなりに貴重品ではある。勿論以前のように無くしたら最悪死刑となる程の物ではないが、それでも一定以上の地位を持つ者しか入手出来ないような代物ではあった。例えば行商人程度が入手するのはまず無理な程度の品だ。
「一旦サブルスタの街まで出て……いや、違うな。どうせ俺はセトに乗って空を移動するんだからわざわざ街道に沿って移動する必要は無いのか。アブエロの街からそのまま南に移動すれば、この辺の森の上を移動してそのまま移動距離を短縮できるな。その後も空を飛んで移動すれば……その途中にある街を目安として考えると、時間はそれ程掛からないかもしれないか」
本来、ギルムの街から港街エモシオンまでは、急いでも1月程度は掛かる。だが、セトという相棒がいるレイにしてみれば、街道を通らずに空中を移動出来る為、その移動距離は驚く程に短縮されるのは明らかだった。
(危険地域を避けて敷かれている街道をショートカット出来るってのはやっぱり大きいよな)
「どう? 何か問題はあるかしら?」
「いや、問題無い」
マリーナの言葉に頷き、地図をミスティリングの中へと収納する。
「そう。じゃあ、一応最終確認よ。エモシオンに行くのよね?」
「ああ」
「今回の件は依頼という扱いじゃないから、標的を倒すことが出来なければ報酬とかも無いわよ?」
「問題無い」
「……分かったわ。じゃあ、お願いね。幸い戦争で忙しかった依頼も一段落ついたし、レイ程とは言わないけど腕利きは他にも何人かいるから、暫くゆっくりとしてくるといいわ」
「……ゆっくり?」
「あ、いえ。ちょっと戦争で疲れただろうから、港街に行くんだし骨休めでもしてきたらってことよ」
マリーナの態度に若干疑問は感じたものの、レイは頷き港街へと行くことを決定するのだった。