3088話
黒いサイコロを倒したレイは、自分の魔法について色々と話をしていたものの、いつまでもここにいるという訳にはいかない。
レイがいるから大丈夫だろうと向こう……樵達や冒険者達が思っているとはいえ、それでもやはり無事な姿をきちんと見せないと安心は出来ないのだから。
今のこの状況において、穢れというのはそれだけ厄介な存在と思われているということだ。
実際に穢れはある程度の対処法を知っている者が多いとはいえ、決して安心出来るような存在ではない。
移動速度は遅いし、思考ルーチンも非常に単純であるのは間違いないが、触れるとそれだけで致命傷になるという厄介な能力を持っているのだから。
少しでも油断をした場合、それが死に直結してもおかしくはない。
あるいは腕の一本や二本を奪われる覚悟か。
そのようなことにならない為には、慎重に行動する必要がある。
「つまり、あの黒いサイコロと新しい黒い円球は、外見こそ違うものの、能力的な違いは基本的にはないと考えてもいい。……もっとも、実は俺が知らないだけという可能性もあるけど」
レイは黒いサイコロを倒した後、冒険者達と一緒にトレントの森を移動しながら、説明を行っていた。
一応先程も黒い円球についての説明はしたのだが、あの時は途中でレイの魔法に話が移った。
そんな訳で、改めて黒い円球についての話をしていたのだが……
「レイが相手に何もさせないで倒してるのなら、相手が具体的にどういう能力を持ってるのか、全く分からないということになる。それだと、新しい形の奴が出て来ても、能力を確認するのは難しいんじゃないか?」
「……まぁ、それは否定しない」
冒険者の一人が何気なく呟いたその言葉に、レイはそう返す。
穢れの危険性を考えれば、敵が妙な行動をするのを確認してから倒すといったようなことをしていた場合、周囲に大きな被害を与える可能性は十分にあった。
そうならないようにする為には、向こうが何かをするよりも前に倒してしまうのが一番手っ取り早く、そして安全なのだ。
「でも、レイがそうやって素早く穢れを倒してるから、トレントの森には被害が少ないのよ?」
空中を飛んでいたニールセンがレイの側まで降りてきてそう言う。
レイと冒険者の話が聞こえたのだろう。
ここにいるのは妖精好きという訳ではなかったが、それでもこうして間近で妖精を見ると反応してしまう。
「そ、それは分かる。分かるけど、それでも出来るだけ穢れの性質というか、能力を知っておいた方がいいとは思うだろう?」
その言葉は現在のレイの行動を否定しているものではあるが、同時に真実でもある。
今のところ穢れを倒すことが出来るのは、レイとエレーナの二人だけだ。
しかし、穢れの行動をしっかりと観察すれば、相手がどのように動くのか……もしくは何かやって欲しくないようなことがあるのではないかと判明してもおかしくはない。
そうすれば、何らかの手段で穢れを倒すことが出来るようになる……かもしれないのは、事実。
とはいえ、レイとしてはトレントの森の危険を考えると、そう簡単にそのような真似をすることが出来ないのも事実。
「トレントの森に被害が出ないような場所に出てくれればいいんだけどな。具体的には樵達が伐採して周囲に何もないような場所とか」
「なら、次に出て来たら、俺達がそこまで引っ張っていくか? 穢れは考えが単純だ。どこかに引っ張って行くようなことは、そう難しくないと思う」
「待った。それなら別に伐採された場所じゃなくて、トレントの森の外に連れていく方がいいんじゃないか? 伐採された場所にはまだ木の幹が膝くらいの場所まで残ってるし。逃げ回っている時にそういう場所に引っ掛かると……」
「駄目だ」
冒険者の言葉を真っ先に否定したのは、レイ。
鋭いその声に、冒険者達は驚きの視線を向ける。
まさか、レイがそこまで鋭く言うとは思っていなかったのだ。
冒険者達が視線でそれぞれ牽制しあい……やがて負けた一人が、口を開く。
「何でだ? 足元が安全な場所なら、穢れから逃げ回っても心配はいらないだろう?」
「そうかもしれないな。そういう意味ではトレントの森の外に連れていくというのは理解出来る。理解は出来るが、そうなるとトレントの森に穢れを送ってきている連中がトレントの森の外を認識してしまう可能性がある」
「外を認識? どういうことだ? トレントの森の外があるのは向こうも当然知ってると思うんだが」
レイが何を言ってるのか理解出来ない。
そう告げる冒険者に、レイは小さく息を吐いてから口を開く。
「あくまでも俺が知ってる限りだが、現在穢れをこっちに送ってきている連中は自分達の力をしっかりと理解していないような気がする。そもそも穢れが転移能力の出入り口的な能力を持ってるって時点で色々とおかしいんだし」
「それは……そうかもしれないな。生憎と俺達は穢れが転移能力を持っているというのは、見たことがないけど」
「俺も見たのは最初に出て来た黒い塊の奴だけだしな。その時に転移の出入り口になってる場所に思い切り攻撃をしたから、それで向こうも懲りたんだと思う」
具体的にどのくらいの被害を向こうに与えたのかは、レイも分からない。
しかし、レイの魔法やセトのスキル、長の攻撃……それらによって向こうが受けた被害は間違いなく大きい筈だった。
穢れの種類を変えてきたのは、その辺が理由だろうというのがレイの予想だ。
また、トレントの森にしか姿を現さないのも、その辺の理由の可能性があった。
つまり、現在はその時の経験から穢れを転移させることが出来るのはトレントの森だけの可能性が高い。
そんな中で、もし穢れをトレントの森の外に運び出したら……場合によっては、次からはトレントの森の外に穢れが転移してくるかもしれなかった。
勿論、これはレイの予想でしかない。
もしかしたら、トレントの森にしか穢れが転移してこないのは、もっと別の理由があるかもしれない。
それはレイも理解していたが、だからといって敵に有利な状況になるかもしれない危険を自分からやろうとは思わない。
(とはいえ、穢れ云々ってだけなら……穢れによって自殺した連中の件もあるんだけど)
レイ達を襲ったものの、結果として返り討ちにあった者達。
その者達は情報を聞き出されるのを怖れたのか、それとも何とかしてレイに一矢報いたかったのか、はたまたそれ以外に何か理由があったのかはともかく、穢れを飲んで自殺した。
その結果として、死体は穢れによってモンスター的な存在となったのだ。
つまり、穢れをこちらに送ってきている穢れの関係者達は、もしかしたらその場所……ギルムから結構離れた場所だったが、その辺りについての情報を持っていてもおかしくはない。
その割には、トレントの森の外に穢れが出たという話は聞かないが。
(あ、けど考えてみれば、巨大なスライムのいた湖も正確にはトレントの森の外なんだよな。考えられる可能性としては、出て来たのはトレントの森の中だったが、移動しつづけてトレントの森から出て、巨大なスライムと遭遇したとか?)
ありそうで、なさそうな……そんな不思議な感覚をレイは抱く。
もっとも、ありそうでもなさそうでも、実際にそのような状況になっている以上は、結局レイの考えがどうであろうと現実は変わらないのだが。
「レイ? どうした?」
「いや、トレントの森の外に出すのは危険だと、改めて思っていた。今の状況ではトレントの森にしか出て来ないものの、向こうがトレントの森の外に穢れを転移させることが出来るようになったら、最悪ギルムの中にいきなり穢れが出てくるかもしれないだろう?」
「それは……」
考えるのも嫌だといった様子で、冒険者の男が呟く。
街中で穢れが出て来た場合、一体どんな被害になるのかを想像したのだろう。
普通に考えた場合、それは間違いなくギルムにとって大きなダメージとなるだろう。
それこそ、場合によってはギルムという街がこれ以上やっていけないようなことになってもおかしくはなかった。
冒険者達の表情が深刻な……それもちょっとやそっとの深刻さではなく、本当に心の底からの深刻な表情を浮かべたのを見て、レイは焦る。
レイが口にしたのは、あくまでも最悪の場合の話だ。
実際には穢れをトレントの森の外に連れ出しても、そういうことにはならないと思う。
思うのだが、それはレイがあくまでもそう思っているだけで、もしかしたらという疑念があるのも事実。
「落ち着け。あくまでも俺が口にしたのは最悪の可能性だ。絶対にそうなると決まった訳ではない」
レイの言葉に、話を聞いていた冒険者達は安堵しながら表情を緩める。
もしかしたらということを考えてしまい、今の状況では本当に一体どうなるのかと、そう疑問に思ったのだ。
「何だよ、驚かせないでくれ。全く……」
「そうそう。ギルムにもし穢れが出たらって、驚いたよな」
「もしそんなことになったりしたら、本当に考えるのが嫌になるくらいに被害が出るだろうよ」
そう言ってくる面々。
自分達は穢れに対処する方法を知ってるので、もし穢れに襲われても……それこそ相手から不意打ちをされたりしない限りは、対処出来る自信があった。
しかし、ギルムの中に突然穢れが現れれば、対処の方法を知らないだけに多数の者達が黒い塵となって吸収されるだろう。
そして誰か一人がその光景を見て騒いだ場合、周囲は混乱に包まれる。
自分だけが助かりたいと思う者、恋人や家族、友人を助けようと思う者。
見ず知らずの相手であっても、何とかして助けようとする者。
自分が攻撃されないように、適当な相手を転ばせて囮にしようとする者。
それ以外にも、本当に様々な者達が出てくるのは間違いない。
その場合、穢れに殺されるよりも混乱の中で死んでしまう者が多くなってもおかしくはなかった。
「言っておくが、ギルムに穢れが現れるというのは、あくまでも最悪の場合だが、その最悪が絶対に起きないという訳でもない」
今の話は、穢れをトレントの森の外に出した場合の最悪の予想だったが、穢れを転移させている穢れの関係者達にしてみれば、転移先をトレントの森に限定する必要はない。
今のところはどのような理由かは不明なものの、転移先はトレントの森だけだ。
この先、向こう側の何らかの理由で、トレントの森の外に穢れを転移させるといったことが出来るようになっても、おかしなことではない。
「それは……けど、それならトレントの森の外に連れ出しても結果は変わらないんじゃないか?」
「馬鹿。そんな真似をしたら、向こうに色々と選択肢を与えることになるだろ。いずれトレントの森の外に穢れを転移させるような真似が出来るようになるにしろ、それは遅ければ遅い程にいいんだ」
仲間にそう言われ、トレントの森の外に穢れを連れ出してもいいと口にしていた男は納得したように頷く。
「そうか、向こうには出来るだけ情報を渡さないようにした方がいいのは間違いないか。けど、向こうはこっちの情報を入手出来てるのか?」
聞いた相手はレイ。
この中で穢れに一番詳しいのはレイである以上、それは当然だった。
実際にはニールセンもレイと同じくらい穢れと関わりがあるのだが、妖精のニールセンにどう接していいのか分からなかったのだろう。
その選択肢は決して間違っていない。
もしここでニールセンに尋ねた場合、ニールセンがそれに素直に答えたかどうかは微妙なのだから。
もっとも、穢れに関することで相手をおちょくるような真似をしているのを長に知られると、間違いなくお仕置きをされるだろうが。
ニールセンもそのことはこれまでの経験から骨身に染みて理解しているので、そこまで酷いことをしたりはしない。
……ただし、それはあくまでもニールセンが酷いと思っていることはしないというだけで、ニールセンが酷いと思っていない場合は、妙なちょっかいを出してくる可能性もあるということなのだが。
そんなニールセンの様子を一瞥したレイは、質問をしてきた男に向かって首を横に振る。
「残念ながら、その辺は俺にも正確には理解出来ていない。そもそも穢れについてもまだ分かっていないことの方が多いしな。けど、分からないからって適当に対応すれば、それによって相手にとって最善の、そして俺達にとっては最悪の結果を招きかねない」
レイの口から出た言葉は、冒険者だからこそ十分に理解出来たことだ。
ましてや、ここにいるのはギルドから優秀と認められた冒険者達なのだ。
その言葉の意味が、理解出来ない筈がなかった。