3054話
ニールセンにトレントの森の警戒を手伝わせようとしたレイだったが、結局それは妖精の性質を考えれば難しいということになった。
そんな中でもレイが驚いたのは、長がそこまで残念がっていなかったことだろう。
レイは長の性格を知っている。
レイに対しては色々と助けて貰ったということもあって、丁寧な扱いとなっている。
……実際にはレイを敵に回すのが自殺行為であると認識しているのも大きいのだろうが。
しかし、それはあくまでもレイに対してだ。
妖精達……特にその実力もあって関わることが多いニールセンは、妖精らしい性格もあって色々と悪戯をしたり、好奇心を優先させて動いたりといったことをするので、それによって長からお仕置きをされることが多い。
レイが見たことのあるお仕置きはそこまで多い訳ではないが、そんなお仕置きでも十分に厳しいお仕置きだと納得出来るようなものだった。
そんなお仕置きを嬉々として――長にその気があるのかどうかは分からなかったが――行っているのを見れば、ある意味サディスティックな趣味を持っているのでは? と少し疑うこともあったのだが。
そんな長が、ニールセンに手伝いをさせなくてもいいと判断したのだから、レイが驚くのは当然だった。
もっとも、長はニールセンに探索の手伝いはしなくてもいいと言ったが、穢れの対処の件で手伝わなくてもいいとは全く言っていない。
「それじゃあ、トレントの森……いや、今はそこから外れているけど、湖もある。その辺りの見張りをどうする?」
「そうですね。……出来れば湖のモンスター達の力を借りることが出来ればいいのですが」
「いや、それは無理だろ」
長の言葉に即座にそう返すレイ。
オーク肉を食べて満足したのか、セトの側で横になっている水狼を見る。
水狼はレイに対して友好的だ。
それは間違いないし、モンスターとしてはかなり頭がいい。
何しろこの湖も異世界からやって来たのだ。
リザードマン達がそうだったように、この世界の言葉は全く分からない筈だ。
そんなリザードマン達がこの世界の言葉を理解し、喋ることが出来るようになるには結構な時間がかかった。
しかし水狼は自分で喋ることこそ出来ないものの、それでもレイの言葉を理解することは出来ていた。
それはリザードマン達には出来なかったことだ。
もっとも、ボディランゲージである程度は何とかなったのは事実だが。
とにかくそういう意味で、水狼はリザードマン達よりも賢い。
だが、賢いからといってそれが探索出来るということにはならない。
そもそも水狼は外見通り水で構成されているモンスターだ。
大きさそのものは以前……というよりも最初にレイが遭遇した時のことから自在に変えられるのは分かっているが、だからといって湖から遠くまで離れるといったようなことは出来ないのでは? というのがレイの予想だった。
「長、水狼は湖の周辺の偵察なら出来るだろうけど、トレントの森の偵察となると、正直難しいと思うぞ?」
「そうですね。私もそう思います。ですが、トレントの森全体は無理でも、生誕の塔でしたか。あれがある周辺まではどうでしょう?」
「……なるほど」
長の言葉を聞けば、レイもそれが何を意味しているのかは理解出来た。
長にしてみれば、トレントの森全体を調べるといったようなことは無理でも、生誕の塔の周辺を除外してもいいのならそれなりに助かるのだろう。
「けど、元々は俺が生誕の塔……というか、その近くにある野営地で護衛することになってるんだが。長の提案で考えると、俺はもっと別の場所に移動する必要がないか?」
長の中では、レイとセトの探知能力は相応に期待されていた筈だ。
しかし、新たに期待出来る水狼と探索場所が被っているとなると、それは意味がなくなってしまう。
「やっぱり水狼とかに探知を頼むのは止めておいた方がいいんじゃないか? 湖の主である巨大なスライムも……結局あの通りだし」
そう告げるレイの視線が向けられたのは、未だに燃え続けている巨大なスライム。
ただし、巨大なスライムが万全の状態で何とか自分を燃やし続けるレイの魔法に抵抗していたのが、黒いサイコロによって大きなダメージを受けてしまい、レイの魔法に抵抗することが出来なくなってしまった。
結果として、自分を燃やし続けていた魔法に加え、更に追加で放たれた黒いサイコロを殺す為の魔法によって巨大なスライムの身体は加速度的に燃やされていった。
レイが黒いサイコロを倒してからまだそこまで時間が経っている訳ではないが、既に丘と見間違う程の大きさを持っていた巨大なスライムは一回り程小さくなっている。
この様子では、数日……いや、早ければ今日明日中にも巨大なスライムが燃やしつくされても不思議ではない。
ここまで巨大なスライムにダメージを与えたのは、黒いサイコロ……ではなくレイの魔法だが、それが黒いサイコロのおかげというのも間違いない事実。
(何だったか……二虎競食の計だったか? そういうのがあったと思うけど、これがそれなのかもしれないな。どちらも虎と呼ぶにはちょっと疑問があるけど)
黒いサイコロは通常の攻撃が通じない厄介な相手だが、レイの魔法でなら倒せる。
巨大なスライムはレイの魔法で即座に殺すことは出来なかったが、それでも燃やし続けていればいつかは死んでいただろう。
そういう意味では、双方とも厄介な存在であっても虎と評することが出来るかと言えば、レイ的には否だ。
「そうですか。もし湖のモンスターでこの辺りの見張りが出来れば大きいと思ったのですが」
長はレイの言葉を聞いて残念そうにする。
そんな長の様子に何かを感じたのだろう。
セトの側で眠っていた水狼は顔を上げ……不意に立ち上がる。
「水狼? どうした?」
「ワフ……」
何かを言ったのはレイにも分かる。
分かるのだが、問題なのはそれが具体的にどういう意味なのかまでは分からないということだろう。
ただ、水狼はそんなレイの存在を特に気にした様子もなく湖に帰っていく。
「じゃあ、またな」
レイとしては水狼に色々と言いたいことや頼みたいことはあったのだが、水狼にその気がないのなら仕方がない。
「ワオオオオン!」
オーク肉をくれた感謝の気持ちなのか、水狼は大きく吠えると湖の中に入っていった。
そんな水狼を、何人かが残念そうな視線で見送る。
この場にいる中には、水狼やセトを愛でたいと思っていた者もいるのだろう。
レイにしてみれば、セトはともかく水狼は自分以外が触れると妙な反応をしてもおかしくはないと、そんな風に思うのだが。
「それで……レイ。戻ってきて色々と……本当に色々とあったけど、妖精についてとか説明して貰えるんだろうな?」
水狼がいなくなった中で、冒険者の一人がそう言う。
対のオーブでダスカーからの説明を受けた時、レイが握っていたニールセンを凝視していた者の一人だ。
妖精に興味を持っているのは明らかで、だからこそレイが妖精について隠していたのを不満に思っていたのだろう。
「その辺は長に……あれ?」
対のオーブで妖精の説明をダスカーに任せようとしたように、どうせなら長に妖精のことを説明させようと考えるレイ。
自分達のことなのだから、長が説明するのが分かりやすいだろうという考えだったのだが……長のいた場所に視線を向けるが、そこに長の姿はない。
それこそ数秒前まではそこに長の姿があったのは間違いないのだが、それがレイの勘違いだったのではないかと思えるくらい自然に長の姿はそこから消えていた。
「ニールセン、長はどこに?」
「え? ……あ、いない!? 長ってば自分だけ逃げたのね! ずるい!」
同じ妖精ニールセンも、いつの間にか長がいなくなっていることに気が付いたのだろう。
自分を置いていった長にずるいと叫ぶ。
「ニールセンも気が付いていなかったのか。長のこの能力は凄いよな。……で、妖精だったか?」
レイに妖精がどうといったことを口にした冒険者や同様に妖精に興味を持っていた者達は、そんなレイの言葉に頷く。
妖精に興味を持っていた者達にとっても、いつの間にか長がいなくなっていたのは驚きだったのだろうが、長の代わりにニールセンがいるから、そこまでショックは受けていないのだろう。
これでニールセンもいなくなったら、それこそ冒険者達は不満を露わにしていたかもしれないが。
「そうだ。妖精について教えてくれ。レイは一体どうやって妖精と知り合ったんだ? しかも見た感じだと、かなり妖精と親しいように見えるし」
羨ましいといった感情を隠すことなく尋ねる冒険者。
ここにいる冒険者達は、ギルムのギルドでも実力と性格が優良だと認められた者達の筈なんだが……と、そうレイは思うも、趣味というのは人によって大きく違っていてもおかしくはない。
そういう意味では、この状況もそうおかしなことではないのだろう。
「どうって言われても……何となくこいつを見つけて、それから成り行きで?」
レイの言葉は嘘ではない。
ただし、妖精と初めて関わったのがこの生誕の塔の野営地であるというのは口にしなかったが。
もしここでそのようなことを口にした場合、それこそどんな騒動になるのか分からない。
「それで妖精と仲良くなれるのなら、俺だってそういう風に出来てもいいじゃないか!」
叫ぶ冒険者。
その近くにいる他の冒険者達は、その言葉に同意していた。
そんな冒険者達を眺めつつ、レイが思ったのは……
(面倒臭ぇ)
それだけだった。
本当にこの連中がギルドに選ばれた精鋭なのかと、しみじみ思ってしまう。
今の自分の状況を考えると、そのことを疑ってしまってもおかしくはない。
「そうだな、ニールセン……お前の友達を紹介してやったらどうだ? この連中なら妖精達に悪戯されても、寧ろ喜んでそれを受け入れると思うぞ」
「えー……」
レイの言葉に微妙に嫌そうな声を上げるニールセン。
妖精郷にいる妖精達をここに連れてくれば、喜んで悪戯をするのは間違いないだろう。
しかし、もしニールセンがここに連れて来た場合、それらの妖精の面倒見る纏め役を自分がすることになるのは間違いない。
その上でレイが以前口にしていたように、冒険者の中には妖精を連れ去ろうと考える者もいるかもしれない。
ニールセンが見たところ、悪意……例えば誰かに売るという目的でそのようなことをするような相手がいるとは思えない。
思えないが、しかしそれはあくまでもニールセンが見たところでしかなかった。
ニールセンに自分の本性を隠して接している者がいる可能性は否定出来ないのだ。
もっとも、もし連れ去られても妖精の輪という転移能力があるので脱出するのは難しくないのだが。
「ねぇ、ちょっといいかしら? 妖精について色々と聞かせて欲しいんだけど」
ニールセンがレイに対してどう言い返そうかと考えていると、女の冒険者が近付いてきてそう尋ねる。
そんな女に、ニールセンは何と答えるべきか迷ってしまう。
妖精について何かを知りたいと言われても、自分がそれに対して何をどう言えばいいのか、分からない。
もしここで下手なことを口にした場合、それこそ長から一体どういうお仕置きが待っているのかと、そう思ってしまうのだ。
ニールセンにしてみれば、自分をこんな場所においてさっさと逃げ出した長にいらないことを口にしたからとお仕置きされるのはどうかと思わないでもなかったが。
ただ、そう思っても長に何か言い返せる訳でもない。
もし言い返しても、より多くの言葉となって自分に戻ってくるのは間違いない。
そうならないようにするには、もっと何か別の手段を考える必要があった。
かといって、今の自分の状況ではそのような手段や方法を思いつくようなことはなかったが。
「えっと、その……あ、そうだ。妖精は甘いお菓子とか果実とかが好きよ! 他にも美味しい料理とかは大好き!」
冒険者の女に言い寄られ、咄嗟にニールセンが口にした言葉はそれだった。
そんなニールセンの言葉にレイは思わず突っ込みたくなる。
甘いお菓子や果実が好きなのは間違いない。
だが、美味い料理が好きだというのは、レイが知ってる限りそこまで多くはない。
ガメリオンの肉やオークの肉を食べている妖精もいたので、決して嫌いではないのだろう。
それでも全体的に見た場合、その割合はどう頑張っても三割といったところで、四割には届かない程度だった。
(でも、三割とか四割なら十分そういうのもいると言ってもいいのかもしれないな。これでニールセンだけならどうかと思うけど)
早速冒険者達が干した果実を用意するのを見ながら、レイはそんな風に思うのだった。