3053話
『おおおおおおお』
水狼の食べたオーク肉が、身体の中を通ってどういう風に変わっていくのが分かる。
水狼という名前通り、その身体は水で出来ているので水狼の食べた肉が外からでも見えるのだ。
……水狼という名前は、レイが取りあえずということでつけたものなのだが、水狼も特に嫌がっている様子がないし、他の者達も非常に分かりやすいということで普通に受け入れられていた。
「これは……不思議ですね」
水狼がオーク肉を食べているのを見て驚いているのは、冒険者達だけではない。
巨大スライムと黒いサイコロの一件を解決する為にここまでやって来た長もまた同じだった。
外見とは違って長い時間生きており、それだけに穢れについても含めて色々と知っている長。
そんな長だったが、それでも異世界から来た水狼という存在は初めて見たのだろう。
あるいは水狼と同じような身体構造をしているモンスターは、エルジィンにもいる可能性があるのだが。
異世界から転移してきた湖に棲息しているモンスターと、エルジィンにいるモンスター。
外見は同じであっても、魔石がないという決定的な違いがあった。
(似てるようで違う……いわゆる、パラレルワールド的な世界からやって来たとか、そういう感じだったりするのか? それなら何となく納得出来てもおかしくはないけど)
魔石を持っていないというのに驚きつつ、改めてレイは水狼を見る。
「ワウ……ワオオン」
もっと肉が欲しいと言ってる……のかどうかはレイにも分からなかったが、それでももっとオーク肉を食べたがっているのは間違いないように思える。
「ほら、存在感がましたらもっと肉を食べたくなったみたいだな」
水狼に向かい、再びオーク肉を渡すレイ。
水狼がそれを食べているのを眺めながら、レイは改めて現在の状況を考える。
巨大なスライムが死んだ……という訳ではないが、それでも明らかに弱ってきていた。
巨大なスライムの存在は何だかんだと厄介な存在だったが、その一つが解決するのはレイにとっても悪い話ではない。
そういう意味では今回の一件はそう悪い出来事ではなかった。
しかし、穢れの一件については特に進展がないというのも、また事実。
巨大なスライムを攻撃――穢れにそのような自我があるのかはレイにも分からなかったが――していたので、その穢れを倒すことは出来たものの、それで穢れの件に何か進展があった訳ではない。
穢れを殺すことが出来たという点では進展があったのかもしれないが、それでも倒した穢れの数は少なかった。
(そもそも、エレーナ達が倒したのも黒いサイコロ型だったし、今回のも同様だった。俺が最初に戦ったのは不定形の黒い塊だったことを考えると、少しおかしくないか?)
黒い塊の後で黒いサイコロが姿を現した。
それは分かる。
分かるのだが、黒いサイコロを倒した後でも再度黒いサイコロが送り込まれてくるのは、レイにとって疑問でしかない。
そう考えたレイは、ふと嫌な考えが思い浮かぶ。
樵やその冒険者達を襲っていた、黒いサイコロ。
レイはそれを魔法で一掃したが、その時の戦いで敵を逃がしていたのではないかと。
具体的には、転移の出入り口となっている個体。
その個体を倒していないので、こうして何度も続けて黒いサイコロが姿を現すのではないか。
「長」
「はい? 何でしょう?」
水狼の身体の中をオーク肉が通る光景を珍しそうに見ていた長だったが、レイに声を掛けられて我に返る。
レイの声が真剣な様子だったのも、この場合は影響しているのだろう。
「長はトレントの森にいる穢れの気配を察知出来るんだよな?」
「そうなりますね。ただ、これも絶対ということではありませんが」
「……樵やその冒険者達を襲っていた、黒いサイコロ。俺が戦った時に逃げ延びた奴はいないか? もしくは、俺が到着する前に群れと別れて独自に行動してるような奴」
「え?」
長は最初レイが何を言っているのか分からなかったのだろう。
意表を突かれたような声を上げる。
だが。すぐに今の状況……エレーナの倒した黒いサイコロや、巨大なスライムに襲い掛かっていた黒いサイコロの件についてレイが言っているのだと理解すると、すぐに首を横に振る。
「今も言いましたが、私の能力も絶対ではありません。レイ殿の言う二度の黒いサイコロの件が樵達の一件の生き残りだとすれば……私にそれを察知する能力はありません」
「長……」
話を聞いていたニールセンは、複雑な表情で長を見る。
ニールセンにとって、長というのは完全に自分よりも上位の存在という認識だった。
それこそ、長にとって分からないことは何もないのではないかと、そんな風に思えてしまう程に。
だが、その長であっても黒いサイコロの一件で把握出来ていない可能性があると言われると、何とも言えなくなる。
「でも、長。もしかしたらこれは敵が黒いサイコロを使うと便利だということで、新たに送り込んでくるのは黒いサイコロにしているという可能性もありますよ」
「でしょうね。ニールセンの言いたいことは分かります。正直なところ、私もそうだと思っていますから。ですが……そうであったらいいと希望するのと、絶対にそうでないとならないと思うのは違います」
妖精というのは楽観的な性格をしている個体が多いが、それと今回の件は違う。
そう長が言いたいのは明らかだった。
話を聞いていた冒険者やリザードマン達も、そんな長の言葉に納得する様子の者がそれなりにいる。
冒険者として、そしてリザードマンの戦士として行動する上で頷けるところがあったのだろう。
「話は分かった。……とにかく、黒いサイコロがどういう存在なのか分からないというのが痛いよな。俺達が倒して、その後でまた向こうから転移してきているのか、それとも転移の出入り口となっている能力を持つ個体がまだ生き残っているのか」
「私は黒いサイコロの前に出て来た黒い塊というのは見ていないのだが、その流れから考えると、黒い塊でも黒いサイコロでもない、全く別の穢れが姿を現すとレイとしては助かるのか?」
「……それで敵がより強力になるのは、ちょっと困るけどな。ただ、それが一番分かりやすいのは間違いない」
エレーナの疑問に、レイはそう返す。
レイにしてみれば、敵が強くなるのは厄介だが、延々と黒いサイコロが姿を現し続けるのもまた厄介なのだ。
最善なのは穢れがもう出て来ないことだが、それを望むような真似は出来ないし、そうなって貰っても困る。
(ん? あれ、別に困ることはないのか。もし本当に穢れがもう出て来ないのなら、それは寧ろ望むところなんだから)
レイは現在の自分の状況を考えつつ、長に向かって口を開く。
「それで結局のところ、長としてはどう思う?」
「どう……とは、巨大なスライムを倒した黒いサイコロが新しくここに送られてきた敵かどうかといったことですか?」
「ああ、そうなる。俺はそこまで察知能力が高くないし、セトも……普通のモンスターならある程度判断出来るが、穢れとなると話は違う。そういう風に考えると、やっぱりこの辺については長に聞いた方がいいと思ってな。で、どうだ?」
「何度も言いますが、私の能力も完全ではありません。なので、これは確証があってのことではなく、あくまでも私の印象でということになますが……恐らく新しく転移してきている相手かと」
何故そう思った?
そうレイは長に聞きたかったが、長の口から最初に何の確証もないと言われている以上は、そのようなことを聞いても意味はないと判断する。
「分かった。なら、取りあえずそういう風に認識しておく。とはいえ、敵の反応が分からない以上、こっちとしても色々と困るのは間違いない。出来ればその辺をどうにかしたいんだけどな」
「そう言われても、今の状況ではどうしようもないというのが正直なところですね」
「そうだとは思ったんだけどな」
レイも長がかなり頑張っているのは知っている。
そもそもの話、トレントの森はかなりの広さを持つ。
さすがにレイがランク昇格試験で行った魔の森には及ばないものの、普通なら入るのに躊躇してもおかしくはない広さを持っているのだ。
そんな場所の全て……とまではいかずとも、大部分を探索して察知出来るようにしているのだ。
普通に考えて、それだけのことをするのに一体どれだけの労力が必要なのか……考えるまでもないだろう。
少なくてもレイはそんな真似は出来ないし、レイよりも探知能力に優れているセトであっても無理だろう。
そうである以上、長が無理だと言うのならこれ以上頑張ってくれとは言えない。
言えないが……ふと、レイはニールセンに視線を向ける。
「え? ちょっと、レイ? 何でこの話の流れで私を見るの? ちょっと……いえ、もの凄く嫌な予感がするんだけど?」
不意に自分のいる方を見られたニールセンが、何か嫌な予感でもしたのか、慌ててレイの視線から逃げるようにエレーナの方に向かう。
何故この場でエレーナの方に行ったのかは、生憎とレイにも分からなかったが。
恐らくはこの中で自分のことを知っているのがレイとセト、長以外ではエレーナ達だけだったからだろう。
アーラではなくエレーナを選んだのは、エレーナの方がアーラよりも立場が上だと理解しているからか。
もっとも、そのエレーナは自分の方に向かって飛んできたニールセンを呆れた様子で見ていたが。
そして、何の躊躇もなく手を伸ばすと、エレーナはニールセンを捕まえる。
「え? ちょ……エレーナ!? 何をしてるのよ!」
まさかエレーナにこうして捕らえられるとは思っていなかったのか、ニールセンが驚きと不満から叫ぶ。
しかしエレーナはそんなニールセンの言葉を無視し、ニールセンを握った手をレイに向かって差し出す。
「ニールセンがいれば、この状況はどうにかなると思っていいのか?」
「どうだろうな。ただ、ニールセンが長に次ぐ力を持ってるのは間違いない。なら、長を助けるようなことも出来るんじゃないか?」
「無理無理無理無理無理無理、無理だってばー!」
ニールセンは全力で否定する。
ニールセンにしてみれば、自分が長に次ぐ実力を持っているというのは否定出来ない事実だ。
だが同時に、長に次ぐ実力を持っているからとはいえ、このトレントの森に出て来た穢れを察知するといった真似が出来る筈もなかった。
そのようなことをやれと言われれば、ニールセンは本気か? と尋ねるだろう。
ニールセンにしてみれば、今のこの状況で自分がどう動いても穢れを察知するような真似は出来ないと判断していたのだ。
「ニールセンだけにやれとは言わない。例えば……そうだな、妖精郷にいる他の妖精達に助けて貰っても駄目か?」
妖精郷にいる他の妖精達という言葉に真っ先に反応したのは、妖精という存在に興味を持っていた冒険者達の何人かだ。
とはいえ、現在の話が重要なことなのは分かっているので、今この状況でレイに向かって妖精郷にいる他の妖精について話を聞くような真似はしない。
もしそのような真似をすれば、それこそ長と呼ばれる存在に自分の妖精郷に何をするのかと突っ込まれる可能性が高かった為だ。
他にも穢れという存在についてどれだけ物騒なのかを知っているからこそ、少しでも早くこの状況をどうにかする必要があるのだろうというのは理解出来る。
「それは……うーん、でも他の妖精達がそう簡単に手伝ってくれると思う? 多分、難しいと思うけど」
ニールセンは少し迷う。
純粋に力だけで考えれば、もしかしたら長やレイが考えているようなことも出来るかもしれない。
しかし、この場合問題となるのは妖精の性格だ。
好奇心旺盛だったり、面白ければそれでいいと考えるような妖精達にとって、ニールセンに協力してずっと同じような作業が出来るかと言われれば、その答えは否だ。
ニールセンも妖精だからこそ、そのようなことはまず出来ないと理解出来てしまう。
もし自分が何の関係もなく、他の妖精の手伝いをしろと言われて長時間集中しなければならないとしたら……まず出来ない。
それこそ即座にその場から逃げ出してもおかしくはないだろうと、そう思ってしまうのだから。
(それでも無理矢理やらせるとすれば、長がどうにかするしかないけど)
妖精郷の中で長の権力は絶対だ。
単純に実力という意味でも長に敵う者はいない。
つまり、長が強引にでもそうするようにと命令すれば、妖精達も従う……可能性が高い。
ただし、そのようなことになっても妖精達が飽きっぽいのは変わらない。
結局は妖精達が途中で飽きて、それぞれ好き勝手に行動する未来がニールセンには予想出来てしまうのだった。