3037話
長が敵を見つけ、それをニールセンに知らせて、それを知ったレイが樵達のいる場所に向かう。
それは正直なところ、かなり面倒なことだろう。
しかし、今のレイにとってダスカーからの要望を叶えるためには、それしか方法はなかった。
ダスカーにとっても、本来ならレイにそこまで無理は言いたくないのだろうが。
あるいはこれがダスカー個人にとって何か重要なことなら、ダスカーもここまで無理は言わないだろう。
しかし、今回の件はダスカー個人のことではなく、ギルム全体についてのことになってくる。
ましてや、現状で穢れに対抗出来るのがレイだけである以上、ダスカーの立場としてはレイに無理を言うしかないのは間違いなかった。
「生誕の塔と樵はいいとして……そう言えば、トレントの森の中央の地下にいる二人はどうします?」
「……そう言えばそっちもあったな」
現在トレントの森の中央にある地下には、異世界に繋がる穴が開いている。
また、それを行ったウィスプも未だに存在しているはずであり、そこに穢れがやって来るという可能性は十分にあった。
「さすがにそっちまではレイに頼むことは出来ないな」
「それはそうですよ。場所が違いすぎます。それに……こう言っては何ですが、生誕の塔の護衛や樵達は地上で行動しているので黒いサイコロとかが現れても長が認識しやすいでしょうが、地下……それも結構な地中深くとなると、どうなるか分かりません」
あるいは長のことなので、地中深くであっても穢れが出て来たのなら分かると言われても、レイなら納得出来るのだが。
しかし、それでもその辺については実際に長に聞いてみなければ何とも言えないのは事実。
「むぅ……」
レイの言葉に唸るダスカー。
ダスカーにとって、地中には自分の恩人のアナスタシアと、その護衛のファナがいる。
そうである以上、アナスタシアやファナを見捨てるような真似が出来るはずもない。
(もっとも、地下にはグリムもいる。恐らく何かあったら最低限アナスタシアを守ってくれるとは思うけど)
アンデッドのグリムは、レイにとっては祖父のような存在となっている。
グリムにとってもレイは孫のような存在だろう。
そしてレイと親しい仲間に対しては、それなりに友好的だ。
だが……それはあくまでもレイを中心とした者達に限定してのものだ。
それ以外の者に対して、グリムはそこまで親しい感情を抱いていない。
アナスタシアとファナの場合は、レイとそれなりに関わりがあり、またアナスタシア達は自覚してないとはいえ、グリムと同じ空間にいる時間が長い。
そう考えると、もし黒いサイコロが出てもアナスタシア達を守ってくれるとはレイも思うのだが……それはあくまでもレイの予想であって、実際にそう約束されてた訳ではない。
それ以外にも、グリムに黒いサイコロを倒せるのかという問題があるのだが、こちらに関しては恐らく問題ないだろうとレイは判断していた。
グリムはゼパイル達が生きている時から今までずっと生きてきた――アンデッドなので生きてきたという表現は矛盾しているが――存在なのだから。
(けど、問題なのはグリムについてダスカー様に言うことは出来ないってことなんだよな)
グリムの存在は一応レイの師匠という扱いにしており、そのような存在がいるとダスカーに話はしている。
だが、それはあくまでも師匠という存在であって、アンデッドであるというのは知らない。
……何気に今までにも何度かグリムの手を借りて面倒な事態を解決して貰っている以上、ダスカーがグリムに好意を持っているのは間違いないだろう。
だが、グリムの正体がアンデッドであると知ればどうなるか。
レイはそれが全く想像出来なかった。
本当にグリムの正体を知っているのは、それこそエレーナ達くらいだ。
それだけに、アナスタシア達のいる場所にグリムがいて、異世界との間で何らかの研究をしているといったような話は出来ない。
「いっそ、アナスタシア達には穢れの件が解決するまで、地下空間を出てギルムに避難して貰ったらどうです? 樵達は建築資材の確保、生誕の塔の護衛はそこを守る必要があるのに対して、地下空間は必ずしも誰かがいなくてもいい訳ですし」
「だが……それで話を聞くと思うか?」
そう尋ねられると、レイとしても素直に頷く訳にはいかない。
アナスタシアの好奇心の強さを知ってるだけに、もしアナスタシア達に戻ってくるように言っても、それを素直に聞くとは思えなかったのだ。
「それに、地下空間にいるウィスプが殺されたり、異世界に続いている穴が破壊されたりといったことになったら、損失が大きい。今はまだ何人か使者を送った程度だが、それでもこれからに向けて話はしているしな」
「……え? そうなんですか?」
向こうの世界に人を送っているというのは、レイにとっても初めて聞く話だった。
勿論向こうの世界と何らかの取引を行うのなら、誰かしら人を派遣して話を詰める必要があるだろう。
あるいはまだそこまでいっておらず、お互いがどんな存在なのかを話しているだけかもしれないが。
それでも人を向こうの世界に送っているというのは、レイを驚かせるのに十分な事実だった。
「うむ。とはいえ、そちらの速度はゆっくりだからな。こういう時に急いで事態を進めようとしても、それは結果的によくない」
ダスカーの言葉にそういうものなのか? と思いつつ、レイも納得する。
納得はするが、だからといって地下空間に穢れの黒いサイコロが姿を現した時に自分にどうにかしろと言われても難しいだろうとは思う。
また、先程も考えたようにグリムがいるから恐らく大丈夫なのでは? という思いがあるのも事実だった。
「話は分かりました。ただ、繰り返すようですが俺が向こうに行くというのは、まず不可能ですよ? その場合、それこそ樵達や生誕の塔を見捨てる必要があるでしょうし。……それは出来ないでしょう?」
そう尋ねれば、ダスカーは当然といった様子で頷く。
樵の護衛を止めれば木の伐採が止まり、増築工事に遅れが出る。
……最悪、レイが木の伐採をして木材を錬金術師達に運ぶという方法もあるのだが、そうなると樵達の仕事がなくなってしまう。
「あ、そう言えば……」
「どうした?」
不意にレイの様子が変わったのに気が付いたのだろう。
ダスカーは一体どうした? と視線を向けてくる。
そんなダスカーに、レイは少し困った様子を見せつつも口を開く。
「その、ですね。実は樵達が襲撃されたので、それまでに伐採された分の木は俺が預かってるんですが。これを後で出していきますので、錬金術師達の所に持っていってもらえませんか?」
「何? ……いや、そうか。避難してきたのを考えると、いつものように伐採した木を持ってくるような余裕はなかった訳か」
「はい。で、俺が一時的に預かったんですが……その、俺が錬金術師達のいる場所に行くと……」
「クリスタルドラゴンの件で錬金術師達が集まってくるのか」
レイが最後まで言わずとも、ダスカーは何を言いたいのか理解したらしい。
黙った言葉の先を口に出す。
「そうなるんですよね。なので、ダスカー様の方で持っていく手配をして貰えると助かります」
「分かった。そっちについてはこっちで手配をしておこう。話が終わったら、どこか適当な場所に伐採した木を置いていってくれ」
「ありがとうございます」
本来なら、ダスカーの部下もそれなりに忙しい。
それこそ伐採した木を運ぶといったような真似をする余裕はないはずだった。
しかし、それでもレイに行かせた場合に起きる騒動を考えると、多少の無理をしてでも部下に運ばせた方がいいのも事実。
伐採したままの木なので、それを運ぶのはそれはそれで重労働なのは間違いないだろう。
それでも現在の状況を思えば、それが最善の選択だと判断したのだ。
「この件はそれでいいとして……トレントの森の地下をどうするかだな」
「楽観的なことを言わせて貰うのなら、今のところ穢れがやって来るのはあくまでも地上です。地下空間に穢れがやって来る可能性は、かなり低いでしょう」
レイは自分でも口にしているように、それが楽観的なことだというのを理解していた。
ダスカーに言ったように、今のところは穢れが姿を現したのは地上だけだ。
しかし、考えようによっては穢れが姿を現したのは、まだ二回でしかない。
……穢れの関係者の件を入れれば三回となるが、そちらは今回の場合意味が違うだろう。
そんな訳で、今のこの状況ではレイの言ってることは決して嘘ではない。
嘘ではないのだが、それでもやはり極論に等しいのは事実。
「そう、か? なるほど」
ダスカーはレイの言葉に完全に納得した訳ではないのだろうが、それでもレイが真剣な表情で言ってくるのを考えれば、もしかしたら……とも思ってしまう。
実際には何の根拠もない……訳ではないが、それでもその根拠はかなり小さいものだったのだが。
「俺がそう思っているだけなので、もしかしたら違うかもしれません。……どうしても心配なら、避難するように言ってみては?」
「避難するように言って、聞くと思うか?」
そう聞いてくるダスカーに、レイは黙って首を横に振る。
まだ常識的な性格をしているファナはともかく、アナスタシアは強い好奇心を持っている。
すぐ近くに異世界に繋がる穴があるというのに、危ないから避難をして欲しいと言っても、まずそれを聞くことはないだろう。
絶対にそこに黒いサイコロが出現すると言っても、アナスタシアならそれでも残ると言うのは間違いない。
そんなアナスタシアに、もしかしたら黒いサイコロが出るかもしれないから避難をしろと言って、それを聞くかどうか……それは考えるまでもないだろう。
「いいえ。アナスタシアなら、まず無理でしょうね」
きっぱりと断言する。
レイはダスカー程にアナスタシアと親しい訳でもない。
しかし、異世界に行った件でそれなりに付き合いがある以上、その性格はそれなりに理解していた。
そんなレイから見ても、アナスタシアが避難するように言っても聞くとは思えなかった。
「だろう? そうなると、最悪強引にでも……ということになるんだが……」
「それはそれで難しいでしょうね」
アナスタシアは、マリーナ程ではないにしろそれなり以上の実力を持つ精霊魔法使いだ。
そうである以上、もし無理に連れ出そうとした場合、どのようなことがおきるのかは考えるまでもないだろう。
それだけではなく、アナスタシア達がいる場所は地下だ。
もしアナスタシアが暴れた場合、地下空間が崩落する可能性もあり、その場合は異世界に続く穴がどうなるのかも分からない。
「けど、アナスタシア達の場合は、もし黒いサイコロが出たら穴を通って向こうの世界に逃げるという選択肢もありますし。……黒いサイコロが世界の狭間を越えたとき、どうなるのかは正直分かりませんけど」
普通なら向こうの世界に渡っても特に問題はない。
しかし、黒いサイコロは穢れという、とてもではないが普通ではない存在だ。
そのような存在が異世界にいった場合、手が付けられない怪物になる可能性も十分にあった。
「他にも、その穴を作った……そして湖やリザードマン、緑人、生誕の塔をこの世界に転移させるといった真似をしたウィスプが黒いサイコロによって死ぬ可能性もある」
「それは……」
緑人の力を使って育てられた香辛料は、ギルムに大きな富をもたらし始めていた。
それを抜きにしても、魔石が存在しないモンスターの棲息する湖や、文明を持ち、建国すらしたリザードマン達が転移してきたのは、ギルムにとって非常に大きな意味を持つ。
しかし、それを行っていたウィスプが黒いサイコロによって死んだ場合どうなるか。
これ以上の何らかの転移がないのはともかくとして、恐らく異世界に通じる穴は閉じるだろう。
場合によっては、湖や緑人、リザードマン、生誕の塔といった諸々が元の世界に戻る可能性すらあった。
「ちょっと困りますね。ただ、だからといってどうしようもないですが。……アナスタシア達だけじゃなくて、ウィスプも避難させることが出来ればいいんですが」
「無理を言うな。……いや、レイならテイム出来るんじゃないのか?」
「それはちょっと難しいでしょうね。テイム出来るモンスターというのは、大体傾向が同じですし。俺の場合はテイムをしてるのがセトなので……動物系のモンスターなら、もしかしたらかもしれません」
実際には、セトは魔獣術によって生み出された存在でテイムをしたのではないのだが。
それでも魔獣術について喋ることが出来ない以上、そのように誤魔化すしかなかった。