3027話
串焼き以外にも簡単な朝食を食べ終えたレイは、早速妖精達と遊ぶと言って出掛けたボブを見送ると、これからどうするべきかをセトに寄り掛かりながら考える。
「なぁ、セト。今日は一体何をすればいいと思う?」
「グルルゥ?」
レイと一緒にのんびりする時間を楽しみながら、セトはそう喉を鳴らす。
レイとしては、出来れば穢れの関係をどうにかしたい。
あるいはエグジニスに一旦戻り、ゴーレムの件がどうなっているのかを見に行くべきかとも思う。
ネクロゴーレムの件でレイが色々と有名になってしまったのは間違いないが、それでもここで何もせずにしているよりはいいし、あるいはギルムでクリスタルドラゴンの件で多くの者に面会するといったことよりもマシなのは事実のように思えた。
ただし、問題なのは妖精郷を長期間空けておくのはどうかと思うことだろう。
今のところ、穢れに対するもっとも有効な攻撃手段はあくまでもレイの魔法だ。
勿論、長がいればレイの魔法程ではないにしろ、対処は出来るだろう。
(とはいえ、穢れを封じることが出来る花の形をした宝石の数はかなり少ないって話だったし。そう簡単に使う訳にもいかないか)
花の形をした宝石は、それこそ純粋に宝石……いや、芸術品として見ても相応の価値があるように思えた。
ましてや妖精が加工した宝石となると、それこそ売りに出した場合はどのくらいの値段がつくのかも分からない。
いや、寧ろ希少すぎて値段が付かないといったようなことになってもおかしくはなかった。
もっともレイはもし花の形をした宝石を入手しても売るといったようなことは考えていなかったが。
まだ起きてからそこまで時間が経っていないのに、レイはセトに寄り掛かっていると微妙に眠くなってくる。
別に寝不足といった訳ではないのだが、それでもこうしてゆっくりとしていると眠くなる。
焚き火の暖かさ……というのは、ドラゴンローブを着ているのでそこまで気にならない。
ただし、視線の先に焚き火があるというシチュエーションだけで、眠くなってしまう。
そうして少しずつ眠りに落ちようとしていると……
「レイ! ちょっと、レイ! レイってば!」
不意にそんな声が聞こえてくる。
聞き覚えのある声に視線を向けると、そこにはやはりニールセンの姿があった。
レイが寄り掛かっていたセトも、当然ニールセンの姿には気が付いていたのだろう。
片目を開けてニールセンを見ると、そのまま再び睡眠に戻ってしまう。
「どうしたんだ? まだ朝早い……ってくらいに早い訳でもないけど、そんなに慌てるってのは。まさか、また穢れが出たとか言わないよな?」
「出たのよ!」
「……何?」
昨日の今日でまた穢れが出た。
そう言うニールセンの言葉に、もう少しで眠りそうになっていたレイの意識は急速に覚醒していく。
「本当か?」
「ええ。長が言ってたんだから本当よ。それに……問題なのは、レイの仲間達がいる場所に出たみたいなのよ」
「ギルムに!?」
仲間のいる場所と言われたレイは、当然のようにギルム……より正確には、貴族街にあるマリーナの家を想像する。
しかしニールセンはそんなレイの言葉に慌てて首を横に振った。
「違うわよ。ギルムじゃなくて、トレントの森! 樵達がいる場所の近くに出たみたい」
その説明に、レイは納得すると同時に安堵した。
勿論、今こうしている時も樵やそれを守っている冒険者達に被害が出ているのは間違いない。
しかし、それでもレイにとって親しい知り合いのエレーナ達に被害が出たと聞かされるよりは、こちらの方がまだいいと思う。
「そっちか。けど……厄介だな。昨日と同じ奴か?」
「そこまでは分からないわ。実際に確認してみないと。……長から助けて欲しいって言われてるんだけど、どう?」
「勿論こっちとしては問題ない。寧ろこれは俺がやるべきことだろう。……にしても、厄介な真似をしてくれる」
今のところ、穢れの存在については秘密にするようにレイはダスカーから言われていた。
そういう意味では、エレーナ達がいるギルムに姿を現すよりは、まだ人数の少ないトレントの森に姿を現してくれたのは悪くない結果ではあったが……それでも、やはり穢れについて知らない者達が穢れと遭遇したというのは都合が悪い。
ただし、もう遭遇してしまっている以上、その辺はどうしようもないのだが。
「じゃあ?」
期待を込めた視線を向けてくるニールセンに、レイは立ち上がりながら頷く。
「早速行こう。セト、準備はいいか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、勿論! と喉を鳴らすセト。
そんなセトに跨がると、レイはニールセンに視線を向ける。
「それで俺は行くがニールセンはどうするんだ?」
「私も行くわ。昨日と同じように、長は私の目を通してこっちの状況を確認してるし。もし穢れが昨日と同じような種類の奴なら長がやって来ることはないと思う。けど、昨日とはまた違う奴だったら長が来ると思うわ」
「そうか。長に穢れの情報を知らせるには、ニールセンが俺と一緒に来る必要があるのか」
「……何だかその言葉だと、私が一緒に来るのはあまり嬉しくなさそうなんだけど?」
「そうなるな。急いでいたからすっかり忘れてるのかもしれないが、穢れの件もそうだけどニールセン達妖精の件についても、情報を漏らさないようにと言われてるんだぞ?」
「あ……」
レイの言葉でニールセンもその件について思い出したのだろう。
驚きの声を上げる。
とはいえ、ニールセンにとっても長から言われた以上はレイと一緒に行かないという選択肢はない。
「その、私は離れた場所にいるから。他の人には見つからないようにするから、それでいいでしょ? ね?」
「分かった。ならそれで」
本来なら、妖精のニールセンが一緒に来るのは不味い。
不味いのだが、だからといって今の状況でニールセンを説得したり、言い争いをしたりとしているような余裕はない。
今こうしてレイとニールセンが話している間にも、穢れによる何かが樵やその護衛をしている冒険者達を襲っているのだ。
せめてもの救いとなるのは、もし襲っているのが昨日と同じ黒い塊であった場合、自我や知性といったものがないので、自分達にちょっかいを掛けられない限りは自分達から攻撃はしないということだろう。
あるいはもし攻撃をしても、黒い塊の移動速度は決して速くはない。
普通に動けるのなら黒い塊に触れるといったようなことはないだろう。
……それで黒い塊に油断し、接近してきたところをギリギリで回避するといったような馬鹿な真似をしていなければだが。
未知の存在に対してそんな馬鹿な真似をする者はいないと思うが、それでも絶対ではない。
動きが鈍いからということで、侮るといった真似をしてもおかしくはないのだ。
だからこそ、今ここでニールセンと色々と話をしている暇はない。
今はとにかく出来るだけ早く樵達のいる場所に到着するのが先決だったのだから。
「ありがと」
ニールセンもレイが急いでいるので自分の件について不満はあっても呑み込んでくれたというのは理解したのだろう。
感謝の言葉を口にし、セトの背に乗ったレイの右肩に立つ。
「セト」
「グルゥ!」
ニールセンが自分の右肩に立ったのを確認すると、レイはセトの名前を呼ぶ。
それだけでセトはレイが何をして欲しいのか理解して走り出す。
妖精郷の景色が見る間に通りすぎていく。
途中で遭遇した何人かの妖精が全速力で走るセトを見て驚いた様子を見せていたし、ちょうどセトと遊ぼうと思っていた狼の子供達もそんなセトの様子に驚き、足を止めていた。
セトはそんな妖精や狼の子供達の様子に気が付きつつも、今はとにかく妖精郷を出て樵のいる場所に行くのが先決と判断し、周囲の様子は構わず走り抜ける。
妖精郷を出ると霧の空間に入るも、そこも全速力で駆け抜けていく。
霧の空間の中で生活している狼達も驚きを露わにしていたが、こちらもまた当然のように無視をし……そして霧の空間から抜けると、セトは翼を羽ばたかせて上空に飛び立つ。
そんなセトの姿を、地上にいる狼達は霧の空間から出て一体何があったのかと眺めていた。
「やっぱりセトって凄いわよね。私たちも空を飛ぶことは出来るけど、こんなに早く飛ぶことは出来ないわね」
「セトは凄いからな」
自慢げにニールセンに返しつつも、レイは地上を見る。
セトの高度が上がって行くにつれ、当然ながら地上の様子も遠くを見ることが出来るようになってきた。
(ボブか)
そんな中、レイの鋭い視線が地上にいるボブの姿を確認するが、今はそちらに関わっている余裕はない。
実際には樵のいる方に穢れに関係する何かが姿を現した以上、ボブに注意をした方がいいのは事実。
だが生憎と、今は少しでも早く樵やその護衛達のいる場所に向かう必要があった。
「いた!」
セトがかなりの高度まで上がると、地上の様子がよく見える。
そんな中で樵やその護衛達がいる場所を見つけるのは、そう難しくはない。
何しろ樵は木を切るのが仕事だ。
それだけに、トレントの森の外縁部が歪に歪んでいる場所を探せばいいだけなのだから。
「セト、向こうだ!」
「グルゥ!」
レイの声にセトは即座に反応して、目的の場所に向かって降下していく。
「わきゃあああああああっ!」
レイの右肩に掴まったニールセンは、そんな身も蓋もない悲鳴を口にする。
空を飛ぶという点では、ニールセンも妖精だけに普通に出来る。
それどころか、妖精郷の中でもニールセンの飛行技術はトップクラスだ。
そんなニールセンだったが、セトが地上に向かって降下していく速度は予想外だったのだろう。
……それもただ地上に向かって落ちていくのではなく、少しでも速度が出るように翼を羽ばたかせながら加速しつつ地上に向かっているのだから、ニールセンにしてみればこれで悲鳴を出すなという方が無理だった。
(もしかして、今頃長も同じように悲鳴を上げていたりしないよな?)
地上に到着するまでの数秒でそんなことを考えるレイだったが、今はそれよりも樵達を助ける必要があると判断して頭を切り替える。
最後にセトが大きく翼を羽ばたかせて落下速度を殺したところで、レイは素早くその背から降りつつ……さりげなく、未だに自分の右肩に掴まったままだったニールセンを近くの木の枝に向かって放り投げる。
「わきゃあっ!」
再びそんな悲鳴が聞こえてきたが、今はそんなニールセンの声に気を取られるよりも周囲の状況を確認する方が先だった。
しかし、樵達のいる場所に向かって降下した筈だったのに、周囲に人の姿はない。
昨夜遭遇した、黒い塊の姿もそこにはない。
降りる場所を間違ったか?
そう考えた瞬間、不意に気配を感じ……
「レイか!?」
不意に聞こえたきた、悲鳴のような声。
それでいながら、レイという存在を見つけたことによる歓喜もその声には混ざっていた。
その相手の顔はレイにも見覚えがあった。
樵達の護衛をしている冒険者の一人。
そしてこの状況においてレイが見つけたいと思っていた者の一人だ。
「樵達は無事か!」
「ああ……って、知ってるのか!?」
冒険者にしてみれば、まさか自分が助けを求める前に無事かと言われるとは思わなかったのだろう。
ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出しながら尋ねるレイに反射的に頷きつつも疑問を口にする。
しかし、今は悠長に説明している時間の余裕がない以上、全員の救出が先だった。
「話は後だ。それで樵達は? それと敵の情報を!」
「敵は、黒い……なんというか、サイコロみたいな奴だ! 樵達は現在集められる奴は集めて、纏まって貰っている!」
「はぁ? いや、分かった」
もしレイが昨夜遭遇した敵なら、黒い塊だった筈だ。
不定形で、空中を移動している間もその形を変えることが多かった。
どのような敵が姿を現したのかは、生憎とレイにもまだ理解出来ていなかったのだが、昨日の今日だけに恐らく同じ敵だと思っていたのだ。
しかし、生憎とそれは違った。
その黒いサイコロが昨夜の敵と同じ性質を持っているのかどうか。
生憎とレイには分からなかったが、それでも今はまず行動すべき時だ。
「まずは樵達がいる場所まで案内してくれ。そこに行けば、その黒いサイコロを相手にどうにか出来るかどうか、分かる」
「分かった! 俺達だと逃げるしか出来なかったんだ。それをどうにか出来るのなら、こっちも出来る限りのことはする!」
こっちだ! そう言ってレイの前を走る男を追い、レイとセトは森の中を走り出す。
そう言えばニールセンは……とレイは一瞬頭の中で考えたものの、今は取りあえず放っておくことにするのだった。