3020話
レイの放った十個の火球は、大きな黒い塊を通って向こう側に行き……次の瞬間、不意に大きな黒い塊はその姿を消す。
「お?」
レイの口から驚きの声が上がる。
それを聞いていたセトや長、ニールセンといった面々もそれぞれに驚きを表す。
レイの放った魔法や槍、セトの放ったウィンドアロー、長の不可視の攻撃。
それらが具体的にどのような効果があったのかは、生憎とレイにも分からない。
外から見ている限りでは、爆発や炎を確認することは出来なかったし、大きな黒い塊の向こうにいた可能性の高い者の悲鳴や怒声は全く聞こえてきたりもしていない。
実は大きな黒い塊の向こう側には実に誰もいなかったのか、あるいは向こう側からの声は全く聞こえてこないようになっていたのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、それでも大きな黒い塊が消えたのは間違いない。
「燃えて焼滅するといったような感じではなく、何の前兆もないままに消えたな」
「そうですね。ただ……他の黒い塊はまだ残ってますが」
嫌悪感を込めて呟かれた長の言葉は、空中を浮かんでいる黒い塊に向けられた。
見ているだけで本能的に嫌悪感を抱くような、そんな存在。
だからこそレイもまたそんな長の言葉に素直に頷く。
「ああ、あっちも出来るだけ早く倒した方がいいのは間違いないな。ただ、こうもそれぞれで適当に行動をしているとなると、対抗するのは厄介だけど」
黒い塊は自我の類があるのかどうかは、レイにも分からない。
ただ、自分達がやってきた場所に繋がっている大きな黒い塊が既に消えたというのに、全く動揺した様子を見せてはいない。
そのことから、恐らく黒い塊に自我の類はないのではないか。
そうレイには思える。
勿論、それはあくまでもレイがそう思っているだけで、何か決定的な証拠の類がある訳ではない。
もしかしたら……本当にもしかしたらだが、自我がないように見えていながらも、実は自我があるという可能性も否定は出来ない。
自分が危険だというのを認識していれば、普通なら逃げるなり、レイ達に反撃をするなりしてくるだろうとレイは思う。
しかし、それはあくまでもレイの認識だ。
相手がモンスターのような存在であれば、そのような真似をしてもおかしくはないが、相手は穢れだ。
それこそ具体的にどのようなことを考えているのかといったようなことは、全く分からない存在だった。
「どうにかして、一ヶ所に集める必要があるわね。そうすればレイの魔法で一気に倒せるんでしょう?」
ニールセンのその言葉は、レイにも理解出来る。
理解は出来るのだが、どうやって黒い塊を一ヶ所に集めるのかというのがそもそも分からない。
下手に触れば、黒い塵になって黒い塊に吸収されてしまうのだ。
そうである以上、迂闊に黒い塊に触れる訳にはいかない。
「グルルゥ?」
どうやって黒い塊を一ヶ所に集めるかというのを考えていると、不意にセトが喉を鳴らす。
それは自分が黒い塊を一ヶ所に集めるように試してみてもいい? と、そう言ってるように思える。
「セトがやるのか? 多分大丈夫だとは思うけど、触れたりはするなよ?」
「グルゥ!」
任せて、と喉を鳴らすセト。
レイ達がいた場所から、黒い塊のいる方に向かい……
「グルルルルルゥ!」
水球のスキルを発動させる。
空中に浮かんだのは、直径一m程の水球が四つ。
スキルが強化されるレベル五に到達しているその水球は、一つだけでも岩を破壊するだけの威力を持ってる。
そんな水球が四つも浮かんでいるのだから、攻撃力という時点では十分なのは間違いない。
そうして放たれた水球のうちの一つは、真っ直ぐ黒い塊に飛んでいく。
(何か水球の速度が速いような気がするな)
水球は元からそこまで素早い攻撃ではない。
それでもレイが見たところ、セトの放った今まで見たよりも速度が上がっているように思えた。
何故そのようになったのかは、レイにも幾つか想像出来る。
そんな中でもっとも可能性が高いのは……やはり黒い塊に対する嫌悪感だろう。
レイや長、ニールセンは黒い塊に対して強い嫌悪感を覚えていた。
そうである以上、当然だがセトも黒い塊に嫌悪感を覚えていてもおかしくはない。
そんな嫌悪感により、少しでも早く黒い塊をどうにかしようと思って速度が上がったとしてもおかしくはない。
レイにとっては寧ろ納得出来る一面もある。
「どうなる?」
放たれた水球は、黒い塊に触れ……次の瞬間、水球が破裂する。
本来なら、その水球の破裂によって岩を破壊出来るだけの威力を持っているのだが……黒い塊は特に何でもないかのように、そこに浮かんでいた。
「駄目か」
「いえ、レイ殿。あれを」
もしかしたら水球で黒い塊を倒せるかもしれないと思ったレイだったが、それは無理だった。
残念そうな様子のレイだったが、長の言葉に黒い塊に視線を向ける。
するとそこには、黒い塊が空を飛んでいるという光景がある。
ただし、黒い塊は進んでいた方向を変え、セトのいる方に向かって移動していた。
それが先程のセトの水球による効果なのか、あるいは単純に黒い塊が何となく進行方向を変えたのか。
生憎とレイはその辺については分からなかったが、それでもセトの方に移動してきたのは間違いない。
「セト、他の奴にも試してくれ!」
レイの言葉を聞いたセトは、即座に残っていた水球のうちの一つを先程とは違う黒い塊に向かって放つ。
最初に水球を使った相手に追われながらの行動ではあるのだが、そのような状況でもセトは十分に水球のコントロールを上手く行い……狙って黒い塊に水球は命中する。
しかし、当然のように最初に水球を使って攻撃してきた時のように、相手に何らかのダメージを与えられた様子はない。
それはレイも分かっていたので、特に気にした様子がなかったが……問題なのは、次。
水球をぶつけられた黒い塊は、レイの予想通りセトに向かって移動を始めた。
「よし!」
「攻撃をすれば、それを行った者に向かうのでしょうか」
長にとってもこの光景は予想外のものだったのだろう。少し戸惑った様子を見せる。
そんな長の側では、ニールセンも一体何がどうなってそうなったのか、全く理解出来ていない様子を見せていた。
「どうだろうな。あの黒い塊が一体どういう存在なのかは、正直なところ俺も分からない。だが、それでも色々と試せば敵がどういう風に行動するのかは分かる筈だ」
まさにトライ&エラーといったところだが、幸いなことにセトが試してすぐに結果が出た。
「では、何か他の攻撃手段でも試してみますか? あの黒い塊が一体どのような存在なのかは、生憎と私にも分かりません。ですが穢れと関係している以上、その情報を集めておいた方がいいと思います」
そう言う長だったが、本心では一刻も早く不快な存在である黒い塊を焼滅させたいのだろう。
自分では表情を殺しているつもりだったのだろうが、時折崩れていた。
「情報を集めるか。……そうだな。それはやった方がいい。ただし、それは黒い塊を一匹……数え方は分からないから取りあえず匹ということにしておくが、とにかく残り一匹にしてからだ。一番大きな、転移の出入り口となってる奴は片付けたからこれ以上増えることはないと思うが」
それでも何かあった時の為、念の為に……そう告げるレイに長も頷く。
これで黒い塊がそこまで危険な存在でなければ、ここまで神経質になる必要もなかったのだろう。
だが、黒い塊は触れた場所を黒い塵にして吸収するという能力を持っている。
具体的にそれがどういう効果を持つのか、レイは分からない。
触れれば危険だというのは分かるが、例えばあの黒い塵を吸収し続けることで黒い塊はどうなるのか。
大きくなって、転移の出入り口になるのか。
それとも全く大きくなるようなことはなく、ただ吸収しているだけなのか。
黒い塊が穢れと関係がある以上、穢れの一件を解決する為にレイが動いた場合、いずれまた遭遇する可能性がある。
その時にどうやって攻撃をすればいいのか分からなければ、倒す時に手間取るだろう。
今回のように大量に出て来た時も困るが、それでも一ヶ所で大量に出て来たのならセトがやってるように一ヶ所に纏めてレイの魔法で焼滅させるという手段も使える。
しかし、転移先となる大きな黒い塊が複数の場所に同時に出た場合、どうなるか。
とてもではないが、レイだけで手は回らない。
そうなった時に、黒い塊の情報があればそれに対処出来る人材を派遣して貰うといったことも出来る。
幸いなことに、ギルムには元から強い冒険者が多かった。
その上、今は増築工事の仕事を求めて多くの者が集まっている。
……残念なことに集まっている者の大半は戦力として期待出来ない者達だが、中には実力者もいる。
まさに玉石混淆というのが今のギルムの状況だった。
(まぁ、玉はかなり少なくて、大半が石だけどな)
ギルムに集まっている者達のことを思い浮かべつつ、レイはセトに向かって声を掛ける。
「セト、一匹以外の黒い塊を一ヶ所に集めてくれ! そこを俺が魔法で一網打尽にする!」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らして残っている水球を自分を追ってきていない黒い塊に向ける。
それだけではなく、氷の矢や風の矢といったスキルも使う。
幸いなことに、この周辺は黒い塊によって多くの木の幹が黒い塵となって吸収されていることもあり、倒れている。
結果として、セトが自由に動ける空間的な余裕が生まれていた。
「レイ、言っておくけどセトを魔法に巻き込むのは駄目よ」
「俺がそんなことをすると思うのか?」
ニールセンの言葉に憮然として言い返すレイ。
相棒のセトを巻き込んで攻撃をするなどといったことをやる筈もない。
「分かってるけど、レイの魔法の威力を考えると言っておきたかったのよ。強力な魔法なんだから、万が一にもセトを巻き込むようなことになったら……そう思ってもおかしくはないと思うけど」
いつものようにからかうように言ってきたのではなく、本気で心配しての言葉と理解したのだろう。
何か反論をしようとしたレイだったが、ニールセンの様子を見て黙り込む。
「グルルルゥ!」
レイとニールセンの会話が聞こえたのか、セトの高く鳴く声が周囲に響く。
それはレイなら大丈夫と言ってるようにも思える。
セトの鳴き声を聞きながら、レイは安堵した様子を見せた。
セトがしっかりと自分を信じているのは、その鳴き声を聞けば明らかだったのだから。
「あら、面倒ですね」
不意に響く長の声。
その声に長の視線を追うと、そこではセトから離れようとしている黒い塊にウィンドアローを放つセトの姿があった。
長が面倒だと口にしたのは、セトを追っていた黒い塊の一匹がセトを追うのを止めようとしたところで、セトがウィンドアローを放ったことだろう。
それによって黒い塊は再びセトを追い始める。
「あれは、黒い塊がセトを追うのを諦めたのか? もしかして、一定の時間標的を追うと諦めるようになってるのか?」
「どうでしょう? それも個体差によると思いますけど。ほら、今セトの少し後ろにいる黒い塊は、最初にセトを追い始めた個体ですし」
嫌悪感を抑えながら告げる長の言葉に、そうなのか? と改めてレイは黒い塊を見る。
生憎とレイには黒い塊の違いは分からない。
そもそも移動中も頻繁にその姿を変えているのだから、見分けろという方が無理だろう。
レイとしては、一体どうやって長がセトを追っている黒い塊が最初に攻撃された個体と見分けることが出来たのかと、そんな風にすら思ってしまう。
今のこの状況からすると、実際にはそこまで考えなくてもいいだろう。
今はまず敵を纏めて攻撃することを考えればいいのだから。
それでも何となく長のその能力が羨ましいと思えるのは事実。
「レイ殿、そろそろいいのではないですか?」
「ん? ……そうだな。大体黒い塊は集まったか」
セトはしっかりとレイが言ったように一匹だけは黒い塊を残してある。
この辺りの調整能力はさすがと言ってもいいのだろう。
(自我がないってことは、多分仲間同士での意思疎通とかもないんだろうな)
仲間が攻撃して一ヶ所に集められているという状況なのに、そんな中で一匹だけ攻撃をされることもないまま、放っておかれている。
これがその個体の見えない場所で行われているのならともかく、すぐ側で行われているのだ。
そうである以上、何らかの意思疎通が出来るなら動きは変わるだろう。
しかし、そのようなことは一切ないままなのだ。
これはレイにとっては、大きな情報だった。
そのことを嬉しく思いながら……レイはデスサイズを手に呪文を唱え始めるのだった。