0301話
夜。月が真上を通り過ぎ、沈もうとしている時間。ふと、レイはテントの中で目を覚ます。
エレーナとの逢瀬とも言える時間を過ごして興奮や緊張しているというのもあるだろう。だが、目を覚ました理由はそれだけではなかった。
「すいません、レイさん。起きていますか?」
そう。こうして自分の寝ているテントへと近づいて来た存在に気が付いたからだ。
当然、常にレイの側へと付き従っているセトもそんな相手に気が付かない筈もなく、レイのテントへと周囲に迷惑を掛けないように小声で呼びかけている存在には気が付いていた。
しかしレイに対して直接の危害を加えるようにも見えなかった為、テントの側で寝そべったまま薄く目を開けるだけであり、それ以上の行動には移さず様子を伺う。
「レイさん、レイさん。……困ったな、もう寝てしまったのかな?」
誰にともなく呟き、再びテントへと向かって声を掛けようとしたところで……
「こんな夜中に何の用件だ?」
いつものように、ドラゴンローブとスレイプニルの靴といった服装をしたレイがテントの中から姿を現す。
まるで気配を感じさせないで姿を現したレイに一瞬驚きの表情を浮かべた男だったが、すぐに我に返って口を開く。
「すいません、実はとあるお人からレイさんを呼んできて欲しいと頼まれまして」
「……俺を?」
言葉を返しながら、目の前にいる男へと視線を向けるレイ。
レザーアーマーを身につけ、腰には長剣の収まった鞘がぶら下がっている。年齢は20代後半から30代前半程で、典型的な冒険者風の格好をした男だ。
「とあるお人、というのは?」
「申し訳ありませんが、容易く口に出せるようなお相手ではないんで。よろしければ一緒に来て貰えないでしょうか?」
男の言葉に微かに眉を顰めるレイ。
(この様子だと断るといってもしつこく居座りそうだな。なら、とっとと話を済ませた方がゆっくり眠れる、か。幸いにして撤収するのは明日で移動は馬車だから睡眠不足は問題無いしな)
頭の中で素早く考えを纏め、仕方ないとばかりに溜息を吐きながらテントの側で寝そべっているセトへと声を掛ける。
「セト、行くぞ」
「グルゥ」
のそり、と寝そべっている状態から起き上がったセトを見て、冒険者と思われる男は大慌てで首を振る。
「も、申し訳ありませんが、来るのはレイさんだけでお願いします」
「……セトは駄目だと?」
「はい、その。呼んでいる人がモンスターを苦手としていまして。なので、レイさん1人で来るようにと」
男の言葉に一瞬訝しそうな顔をしたレイだったが、再び溜息を吐いて視線をセトへと向ける。
「そういうことらしい。取りあえず俺はこの男と一緒に行ってくるから、セトは寝てていいぞ」
「グルゥ?」
大丈夫? とばかりに小首を傾げるセトの頭を撫でるレイ。
「大丈夫だよ。もう戦争も終わったんだし、それ程危険なことはないだろうさ」
セトにそう声を掛けつつも、レイの口元にはニヤリとした笑みが浮かぶ。
その様子を見て、問題はないと判断したのだろう。撫でられていた頭を再び下ろして目を閉じるセト。
「さ、行くか。案内してくれ」
「はい、こちらです。お手間を取らせて申し訳ありませんね」
冒険者の男にとってもグリフォンをこれ程に近くで見たのは初めてだったのか、セトが大人しくレイの言葉を聞いた様子を見て安堵の息を吐く。
その後、レイを先導するように闇の中を進む。
戦闘終了後は貴族達から勝利の宴として酒を配られて宴会を開いたりもしていた――当然ラルクス領軍の分の酒はミスティリングの中に収納されていた物だ――のだが、既に少なくない貴族達はセレムース平原を後にしており、さすがに既に宴会を開いているような者はいない。残りの貴族や、軍隊、冒険者達に関してもそう遠くないうちにここを発つという理由や、夜も更けている時間だということもあって、ミレアーナ王国軍の陣地は殆どの者が寝静まって静寂に包まれていた。
当然、アンデッドが姿を現すという可能性がある以上は見張りの類も存在しているのだが、その見張り達にしても戦争が終わったとあって気が緩んでいるのは否定出来ない事実だった。
そんな陣地の中を、レイと冒険者の男は進んで行く。ただし向かうのは貴族達の天幕がある一画ではなく、人の少ない陣地の外れの方角だ。
「……俺を呼んでいるのは貴族じゃないのか?」
冒険者の男の背中へと声を掛ける。だが、戻って来たのはどこか申し訳なさそうな言葉だった。
「その、申し訳ないんですがあっしも依頼されただけですので」
返ってきた言葉に、小さく眉を顰めるレイ。
(十中八九罠か何かってのは間違い無い。けど、この男からは何かを隠している様子は感じないとなると、恐らくこいつも騙された口か? となると、証人的な意味でもこの男は守った方がいいか。……いや、それ以前に冒険者でこの戦場にいる以上はそれなりに腕は立つんだろうから、いらない心配かもしれないな)
そもそもこの戦争に参加出来るのは、ランクD以上の冒険者のみである。更には怪我の1つもしていないところを見ると、無傷か、あるいは軽傷で戦争を潜り抜けたことになるのだから、レイを先導するように歩いている男も相応の実力を持っているのは確実だった。
そんな風に思っていると、やがて目的地に辿り着いたのだろう。人気の無い場所……というよりも見回りの兵士達が近寄らない、いつアンデッドが現れてもおかしくない陣地の外で冒険者の男はレイの方へと振り向く。
「申し訳ありませんが、これから会うのは貴族である以上武器の類を渡して貰えますか?」
「……この状況でか? ここは既に陣地の外なんだから、いつアンデッドに襲われてもおかしくは無いぞ?」
そう言いつつ、レイ達の先に20人程の気配を感じる。予想通りの展開に内心で溜息を吐きつつ、ドラゴンローブの中でミスティリングから解体に使っている短剣を取り出してミスリルナイフと入れ替え、そっと差し出す。
「すいませんね、こうしろと言われてるんで。場の安全は確保してますし。何より深紅とまで言われるレイさんなら、武器が無くても問題無いでしょう?」
男の言葉に、ピクリと反応する。
ある意味当然のことではあったが、目の前の男は自分がどれ程の力を持っているのか知っているのだ。それを知っていながら、このあからさまな罠の中に自分を引き込んだということになるのを考えれば、敵と判断して間違いは無いのだろう。しかし……目の前の男が何を企んでいるのかが明らかになる前に、目的の場所へと到着するのだった。
そこで待っていたのは……
「待っていたぞ。貴様如き下賤の者が、この私を待たせるとは無礼にも程があるだろう。いや、己の分際を理解出来ないからこそこのような状況になっているんだろうがな」
そう言っているのは、レイに取っても見覚えのある顔だった。他人を見下すことを当然だと思い、その目に浮かんでいるのは嘲りの色。貴族派の貴族で、レイと揉めたこともあるルノジス・イマーヘンだ。そして、その周囲には剣を持っている者、槍を持っている者、弓を持っている者。武器を持っている者達が15人程。先程レイが感じ取った気配の正体だった。そして他にも周囲に隠れるようにして存在している気配の数が5。
隠れている者はともかくとして、ルノジスの周囲で武器を構えている者には共通点があった。全員が全員、同じ鎧を着ているのだ。
それは、この場にいる者達が全員何らかの集団に所属していることを意味している。そしてその集団が何の集団なのかと言えば、予想するのはレイに取ってもそう難しくは無い。
(奴の率いる騎士団、か)
戦いが始まる前にエレーナから聞いた、目の前の男に対しての話を思い出す。
侯爵家の次期当主であり、直属の騎士団を率いて戦争に参加していると。だが……
「その割には、随分と綺麗な鎧の騎士達だな。まるで戦闘に参加してすらいないような。……あぁ、なるほど。活躍の場を俺に取られた訳か。いや、その後で先陣部隊に奇襲を掛けたと思うが、それにも参加していなかったのか?」
殊更に挑発するような言葉を口にするレイ。他人を馬鹿にするのは平気でも、馬鹿にされるのは慣れていないルノジスは当然そんなレイに対して怒気で顔を真っ赤に染めて睨みつける。
「貴様、誰に向かって口を利いている! そもそも貴様が私に対して無礼な態度を取るからこそ、戦功を挙げることが出来ない配置にされたのだろうが!」
その言葉を聞き、口元に嘲笑を浮かべながらルノジスを見据えるレイだが、内心では首を捻る。
(俺のせいで戦功を挙げることが出来ない配置に? となると……エレーナ辺りが動いた結果か?)
そう考えるレイだったが、真実としては貴族派の指揮を任されたフィルマがルノジスのような存在が好きに動くと暴走するだろうと判断して配置換えをしたのだ。だが、当然ルノジスがそれを知る訳も無く――あるいは知ったとしても納得出来る筈も無く――、自分が配置換えされたのはレイとの決闘で負けたからと判断していた。
「確かにあの時の決闘では私が負けた。それは認めよう。だが、それにしてもお前の持っていたマジックアイテムの武器があってこそだ。その武器を奪った以上、しかもこの人数差である以上はお前に勝ち目は無い。そうだろう? ほら、奴から取り上げた武器を寄こせ」
視線を向けられたのは、レイをここまで案内してきた冒険者の男。ルノジスの言葉を哀れみすら浮かべて聞いていたが、やがてレイによって渡された武器をそっと差し出す。……そう、モンスターを解体する為の何の変哲もない普通のナイフを。
「……おい、何だこれは? 私は奴の武器を奪っておけと命じたのだぞ? それが、何故このようなゴミ同然の武器しか持っていない?」
「残念ながら、あの人の持っていた武器はこれだけでした。……では、あっしはこの辺で失礼します。ここで何が起こってもこれ以上の関係は……何のおつもりで?」
ルノジスの側で槍を構えていた騎士の1人が、その穂先を自分へと向けたのを見て尋ねる冒険者の男。
だが、ルノジスは路傍の石でも見るような視線を向け、口を開く。
「この程度の仕事も出来ないような役立たずは処分するに限るからな。自分の無能さを呪いながら死ぬがいい」
「……あっしは言われた通りにレイさんの持っていた武器はきちんと受け取りましたが?」
「ふざけるな! 奴の象徴とも言えるあの巨大な鎌を取り上げずに、何が武器を取り上げただ! こんな武器を取り上げて偉そうにするな!」
忌々しげに叫び、地面へとナイフを叩きつけるルノジス。
「おい、それは一応俺の愛用品なんだ。あまり粗末に扱ってくれるなよ」
どこか余裕のある表情で口を開くレイに、ルノジスの怒りは頂点に達し……
「やれ、殺せ! 深紅だ何だと言われても、所詮はマジックアイテムがあってのこと! 私に勝ったのだとてマジックアイ……」
癇癪を起こし、叫んだその瞬間。自分のすぐ横で槍を構えていた騎士が、鎧で覆われていない顔面へと素早く何かが飛んできて命中。そのまま何かが顔面を砕き、10m近くも吹き飛ばす。
ルノジスには……否、騎士達にも何が起きたのか分からなかっただろう。だが、続けて幾筋もの流星の如き一撃は連続して放たれ、その度に騎士達がまるで冗談か何かのように吹き飛ばされては命を失っていく。
そのまま数秒。騎士達の半分以上が命を散らし、ようやく我に返ったルノジスが叫ぶ。
「殺せ、奴を殺せぇっ!」
叫んだ瞬間再び投擲されるナニカ。その時になって、ようやくルノジスを含めた周囲の騎士達は先程からどのような攻撃をされているのかに気が付く。そう、いつの間にかレイの手に握られていた安物の錆びた槍を見て。
槍の投擲、それはレイが好んで使う遠距離攻撃の手段だ。レイ自身の人外染みた膂力により放たれた槍は、その槍自体が安物……どころか、廃棄寸前の、普通の戦闘には使えないような物であるにも関わらず肉体に突き刺されば爆散させ、あるいは貫き、鎧や盾を装備していたとしても余程に防御力が高くなければ貫通する。一流の鍛冶師によって作られた防具なら防ぐことも可能だが、その場合でも衝撃は間違い無く肉体へと伝わるのだ。
「っと!」
そんな風に槍を投擲しているレイの横では、冒険者の男が素早く腰の鞘から剣を抜いて振るう。
瞬間、レイと男目掛けて飛んできた矢が地面へと叩き落とされる。
5本の矢を一息で振るった剣により叩き落とす様は、冒険者の男が並以上の使い手であることの証明だった。
「貴様、貴様ぁっ!」
自分の思い通りに事態が進まないのが気に触ったのだろう。ルノジスが叫び……
「……何?」
次の瞬間には目の前に広がっている光景が信じられずに呟く。
そう、一瞬前までは確かに10m程離れた場所にいた筈のレイが、何故か気が付けば自分と戦った時に持っていた巨大な鎌を振り抜いていたのだ。次の瞬間、ルノジスの周囲にいた騎士はその全てが血を吹き出しつつ地面へと倒れ込む。
「誰に喧嘩を売ったのか……痛みと共に理解しろ」
その言葉と共にデスサイズが振るわれ、振り下ろしの一撃でルノジスの右肩から先端が鎧諸共に斬り裂かれて切断され、そのまま斬り上げた一撃で同様に左肩から先端が鎧諸共に斬り飛ばされて空中を飛ぶのだった。