2995話
「うわぁ……まさかとは思ったけど、本当にニールセンの言う通りになるとは思わなかった」
「ふふん、でしょう?」
レイの呟きに、ニールセンは自慢げに呟く。
もしかして妖精って何か特殊な力があるのか?
視線の先にいる数匹のオークを見ながら、レイはそんな風に思う。
この場合の特殊な力というのは、妖精の使う魔法や妖精の輪を使った転移能力といったようなものではなく、レイがまだ知らない何らかの力だ。
今のこの状況を思えば、レイがそんな風に思ってもおかしくはない。
(ニールセンが遭遇したいと口にすれば、実際にそんな相手に遭遇するとか? いや、まさかな)
ニールセンがオークと遭遇したいと口にしたところ、トレントの森に……しかも妖精郷からそう離れていない場所にオークの群れの姿を見つけた。
群れとはいえ、五匹程度の小さな群れだが。
それでもオークはオークであるのに間違いない。
今のこの状況を思えば、レイがニールセンにそんな力があると思ってもおかしくはないタイミングだ。
「もしかして、穢れの関係者に会いたいと言えば出て来たりするのか?」
若干の――というには大きな――期待と共に尋ねるレイだったが、ニールセンは即座に首を横に振る。
「もし私にそういう力があっても、穢れの関係者と遭遇したいとは思わないわ」
ニールセンにしてみれば、もし穢れの関係者と遭遇した場合、また自分が長と共に穢れの対処をすることになりかねない。
一応レイの魔法でも出来るかもしれないという話ではあったが、実際に本当にそのような真似が出来るのかどうかは分からないのだ。
もし実際に試してみて、それで成功するのならいい。
だが失敗した場合、ニールセンはまた長と一緒に穢れの対処をしなければならなくなる。
そうならないようにする為には、やはりここは穢れについては……と、そう思うニールセンは、話を誤魔化すべく、オークの群れを指さす。
「ほら、無駄な話はいいから、さっさとオークを倒してきなさいよ。五匹分もあれば、妖精郷でも皆がそれなりに満足出来るだけの量になるでしょ」
「分かっ……待て」
分かったと言おうとしたレイだったが、その視線は一瞬で鋭いものとなる。
気配そのものが、数秒前と比べると大きく変わっていた。
「レイ?」
「隠れてろ。どうやらオークを狙っていたのは俺達だけじゃないらしい。……来た!」
ミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し、いつ戦闘になっても対処出来る準備をしながら、レイが鋭く叫ぶ。
瞬間、空から黒い何かが降下してくると、そのままオークの首筋に鋭い牙を突き立てる。
五匹いたオークのうちの一匹がそうやって死んだところで、空からオークに襲い掛かった相手の詳細な姿形が確認出来る。
それは、端的に言えば翼の生えた黒い豹とでも評すべき存在だった。
黒い豹だけあって、翼もまた艶のある黒だ。
勿論、翼の生えた黒豹という表現はあくまでも第一印象でしかない。
実際には翼以外にも黒豹と違う場所は多々ある。
その中でも最も目立つのは、オークの首筋に突き立てている牙……ではなく、前足から伸びている鋭い爪。
普通、爪というのはそこまで長いものではない。
四足獣型で無意味に爪が長ければ、地面を歩いたり走ったりする時に邪魔になる。
だが、黒豹の場合は翼を持っているのを見れば分かるように……そしてオークに襲い掛かった時も空から降下したのを見れば分かるように、基本的な移動方法は空を飛ぶことだ。
だからこそ、前足から伸びている爪が三十cm程といった馬鹿げた長さであっても移動するのに困らず、それどころか短剣のように使うことが出来るのだろう。
オークの喉に牙を突き立てながら、その爪でオークの身体を斬り裂いているかのように。
しかもモンスターとしての本能からか、的確に心臓を……あるいは魔石を狙っての一撃。
同時に首筋に埋めていた牙も鋭く動かし、周囲にはオークの激しい血が撒き散らかされる。
「ブヒィ!」
仲間が瞬く間にやられたことに気が付いたオークが、手にした棍棒を黒豹の翼に向かって叩き付ける。
ここで身体ではなく翼を狙ったのは、黒豹が明らかに自分達よりも強いと理解していたからだろう。
もし胴体に棍棒の一撃を与えても、そう大きなダメージにはならない。
なら、胴体と比べると脆弱だろう翼ならダメージを与えられるのではないか。
オークはそう考えて一撃を放ったのだが……
「キシャアアア!」
豹の鳴き声とは思えないような鳴き声と共に、黒豹は身体を捻る。
身体を捻れば当然のように翼も動き、オークが放った棍棒の一撃は何もない空間を通りすぎることになる。
「キシャアッ!」
黒豹は身体を捻った動きを利用し、長く伸びた爪で棍棒を振るったオークの首筋を引き裂く。
これで二匹。
残り三匹のオークも、このままだと自分達は死ぬと判断したのだろう。
一斉に黒豹に襲い掛かる。
しかし黒豹はそんな三匹のオークの間を素早く動き回り、次々とオークを倒していく。
その様子は、まさに圧倒的な蹂躙と呼ぶべきものだった。
オークの攻撃は黒豹の身体に一切命中するようなこともなく、その全てが回避される。
黒豹は体長二m半ばと、セトよりも若干小さいくらいの大きさだ。
オークにして見れば狙うべき場所は幾らでも存在するし、翼の部分も相応の大きさを持っているので、狙おうと思えば十分に攻撃出来るだろう。
だというのに、オークは一切……それこそかすり傷も与えることが出来ないまま、一方的に蹂躙されたのだ。
(これは……凄いな。ランクA? いや、ランクBってところか?)
瞬く間にオーク達を殺した黒豹は、しかし油断はしない。
鋭い牙を見せながら、レイやニールセンのいる方を見て唸り声を上げていた。
「ちょっ、ちょっと、どうするのよレイ! オークや穢れの関係者と接触するのを目的にしてたのに、あんな強力なモンスターと遭遇するなんて聞いてないわよ!?」
「落ち着け。向こうはもう完全にこっちの存在を把握している。逃げることは出来ない。それに……ここは辺境だぞ? 高ランクモンスターが現れるのは、そうおかしな話じゃない」
勿論、高ランクモンスターというのはギルムに近付けば危険だと理解出来るだけの知能や本能を持っている。
……中には強者に戦いを挑む為にわざとギルムに接近するといったモンスターもいるが。
レイが見たところ、視線の先にいる翼を持つ黒豹は高ランクモンスターと呼ぶに相応しい力は持っているのは間違いない。
そのような力を持つ者がこうしてトレントの森にやって来たのは……自分の力に自信を持っているからこそだろう。
レイにしてみれば、そのようなモンスターとの遭遇は個人的には非常に嬉しい。
高ランクモンスターで、警戒心もそこまで強くない相手だ。
高ランクモンスターの魔石は、ほぼ間違いなく魔獣術によって新たなスキルを習得したり、もしくは習得しているスキルを強化したりする。
そういう意味では、まさにレイにとって格好の獲物だった。
……もちろん、それはあくまでもレイが黒豹と戦って勝利し、魔石を入手出来るというのが前提だったが。
もし実力の低い冒険者がこのような黒豹と遭遇するようなことにでもなったら、魔石を奪うどころか命を奪われるだけになるだろう。
(そういう意味だと、このトレントの森にもこの黒豹くらいの高ランクモンスターがやって来るということになったのは……ある意味でトレントの森が成長したと言ってもいいのか? 樵やその護衛をしている冒険者が遭遇すると危険だな)
トレントの森で活動しているヴィヘラ辺りなら、このようなモンスターと遭遇しても対抗出来る……どころか、強者との戦いということで嬉々として戦うだろう。
そういう意味では、この黒豹が自分のところに来てくれたのはレイにとって悪い話ではなかった。
(ただ、出来れば二匹来て欲しかったんだけどな)
デスサイズ以外にもセトが魔獣術を使えるのだから、当然ながら魔石の類は出来れば二つ欲しい。
そう思うも、もし二匹出て来たら対処出来るかどうかは分からなかった。
もし二匹同時に戦うといったことがあっても、倒すことは出来るだろう。
だがその場合、トレントの森が大きな火事になったりしてもおかしくはなかった。
「いつまでもこうして隠れている訳にもいかないし……行くか」
「え? ちょっと、レイ、本気?」
慌てたようなニールセンの声に、しかしレイは頷いて手にしたデスサイズと黄昏の槍の感触を確認する。
「ああ。このまま時間が経って、あの黒豹がいなくなったりしたら困るしな」
そんなレイの言葉に、ニールセンは信じられないといった表情を浮かべる。
ニールセンにしてみれば、黒豹は明らかに自分よりも格上の存在だ。
新たな力に覚醒した今となっては、ニールセンはトレントの森にある妖精郷の中で長に次ぐ強さを持っている。
そんなニールセンが見ても、自分が黒豹と戦って勝てる未来は見えない。
元々妖精は直接的な戦闘に向いている種族ではないものの、それでも今のニールセンが勝てないと判断するのは、それこそ余程の相手なのは間違いないだろう。
長なら勝てるだろうとは思うのだが。
そんなニールセンの様子を見て、レイはニールセンを戦闘に巻き込むのは危険だと判断する。
もし今のニールセンを戦闘に参加させた場合、それこそニールセンは死んでしまってもおかしくはないだろうと。
「分かった。なら、俺があの黒豹と戦うから、ニールセンは隠れていろ。あるいは妖精の輪か何かを使って妖精郷に戻ってもいい」
「え……」
ニールセンはレイの言葉に驚く。
まさかここで自分が戦いに参加しなくてもいいと言われるとは、思ってもいなかったのだ。
レイの性格を考えると、それこそ戦いの援護をしろと言ってきてもおかしくはないのに。
「何だよ、その顔は。俺がここでお前を無理に戦いに巻き込むなんて真似をすると思ったのか?」
「うん」
「……そこは普通、そうでもないとか、そんな風に言うんじゃないか?」
自分の言葉に即座に頷いた様子のニールセンに、レイは呆れつつもそう告げる。
とはいえ、今までの経験からすると、そんな風に言われてもおかしくはないかもしれないと思ってしまうのだが。
「まぁ、とにかく……俺があの黒豹と戦っている間に逃げろ。ああ、言っておくが別に俺は黒豹と戦って死ぬとか、そんなことは考えてないからな? そもそも俺は魔の森でドラゴンと戦って勝ったりしてるんだし」
レイのその言葉は正しい。
だが、完全に正解という訳でないのも事実。
クリスタルドラゴンと戦って勝ったのは間違いないが、その時はレイだけではなくセトの姿もあったのだから。
ニールセンはその辺の情報は分からないので、レイの言葉……ドラゴンと戦って勝ったということに頷く。
「わ、分かった。じゃあ……取りあえずレイがあの黒豹と戦ったら私は避難するわね」
「ああ、そうしてくれ。戦いに巻き込まれないようにしてくれよ。オークとの戦闘を見た感じでは、恐らくランクBモンスターだと思うが、俺も見たことがないモンスターだ。戦いの中で周囲に被害が出たりするかもしれない」
「頑張って」
ニールセンの言葉に頷きつつ、レイは茂みから出ていく。
茂みの揺れる音を聞きつつ、黒豹は構える。
やがて出て来たレイの姿を見た瞬間、黒豹は後ろに跳んで距離を取った。
一目見ただけでレイの危険さを判断したのか、それとも単純に距離を取った方が黒豹にとって有利な状況で戦えると思ったのか。
生憎とレイはその辺りの事情は分からなかったが、黒豹が距離を取ってくれるのなら、それは寧ろ望むところだ。
デスサイズも黄昏の槍も長柄の武器なのだから。
敵との間合いはそれなりに開いている方が、レイにとっては戦いやすい。
(長柄の武器との戦い方を知らないのか? もし知ってれば、一気にこっちとの間合いを詰めてくる筈なんだが……いやまぁ、そっちの方が俺にとっては助かるけど)
レイにとって一番嫌だったのは、茂みの中に突っ込んで来て至近距離で戦いを挑まれることだ。
勿論、レイはデスサイズにしろ黄昏の槍にしろ、近接戦闘に持ち込まれてもある程度対処は出来る。
それでもやはり万全の状態で戦うよりはそちらのほうが戦いにくいのは間違いない。
それを抜きにしても、茂みの近くにはまだニールセンがいるのだ。
黒豹との戦いを怖がっていたニールセンだけに、戦いに巻き込むと被害を与える可能性がある。
黒豹が距離を取ってくれたのは、レイにとってもありがたいのは事実。
「さて……じゃあ、行くか」
そう言い、レイは獰猛な笑みを浮かべつつ前に一歩踏み出すのだった。