2993話
ニールセンが不満を漏らした件についての話は終わった。
実際にはまだ不満そうな様子はあったのだが、長が声を掛けるとそれで終わってしまったのだ。
この辺り、完全に上下関係が確立されている。
(多分、今までの経験が大きく関係してきてるんだろうな)
落ち込んだ様子で、先程まで食べていた干した果実を再び食べるニールセン。
酸味の強い果実ではなく、もっと甘い果実を渡した方がいいのでは?
若干そんな風に思うレイだったが、今はまず穢れについての話をする方が先だった。
「黒い塵の人型に関しては、ダスカー様が王都の方に追加で情報を送るらしい。……王都がどこまで穢れについて信じるのかは分からないが、人を送ってくるのは間違いない。その時、当然だが妖精郷についても話す必要が出てくると思うんだが……」
「それは構いません。ただ、相手がどういう対応をするのか分からない以上、何かあったらこちらも相応の態度を取ることになると思いますが」
「……だろうな」
正直なところ、王都からやってくる者がどうなろうともレイは気にしない。
きちんと道理を理解している者であれば長も普通に接するし、協力的な態度になるだろう。
だが、もし妖精からの情報だから穢れについて信じず、それどころか妖精を手に入れようとするような相手であった場合、その相手がどんな目に遭っても自業自得で、いい気味だとすら思うだろう。
しかし、それはあくまでもレイの判断だ。
ギルムの領主であるダスカーにしてみれば、そう簡単に割り切るといったような真似は出来ないだろうし、中立派としても恐らく国王派から派遣される相手に気を遣わない訳にはいかない。
(とはいえ、妖精が捕まっても妖精の輪であっさりと逃げるだろうけど)
妖精が使える転移能力、あるいは転移スキルがある以上、妖精を捕まえようとしても簡単に捕まえることは出来ない。
そういった特殊なスキルや能力を封じることが出来る何らかのマジックアイテムがあれば、あるいはどうにか出来るかもしれないが……それはレイも考えすぎなのでは? と思ってしまう。
もし本当にそのようなマジックアイテムの類があれば、レイとしては妖精を助ける名目で是非とも手に入れたいと思うが。
「妖精郷に危害を加えるような奴なら、好きにしてもいいと思うぞ。そういう奴がいれば、後々面倒なことになるのは間違いないだろうし」
「そう言って貰えると助かります」
長にしてみれば、レイから好きにしてもいいという許可を貰えたのはありがたい。
もしレイがどうしてもそのような相手に手を出すのを禁じると口にした場合、長として非常に厳しい判断を下さないといけなかったのだから。
それこそ、最悪の場合はレイと敵対関係になってもおかしくはないような……そんな状況に。
そのようなことにならずにすんだのは、長にとって非常にありがたかった。
「とはいえ、実際に王都から人が来るのは……どうだろうな。それなりに時間が掛かると思うけど」
ギルムから王都まで、具体的にどのようにして情報を送ったのかレイには分からない。
情報についてはともかく、実際に人が来るとなるとどうしても時間は掛かってしまうだろう。
特に貴族としての特権意識が高い者の場合は、それこそ大勢でやって来る可能性が高い。
大勢での移動となれば、どうしても動きは鈍くなる。
最悪の場合、雪が降り始めた後にギルムに到着するといったことにもなりかねない。
そうなれば、当然ながらギルムで冬越えをしなければならなくなる。
特権意識の高い貴族にそれが受け入れられるかどうか。
レイの予想では無理な可能性が高いのだが。
「それは喜んでいいのか、残念に思えばいいのか。……正直なところ、分かりませんね」
長にとっても、王都からやってくるという者達がどのような存在なのかというのは、かなり気になるのだろう。
場合によっては、その者達と協力して穢れに対処する必要があるのだから。
そんな相手が無能な貴族という場合は、それこそ悪戯と称して処分するといったようなことになってもおかしくはなかった。
(ダスカー様が連絡して、それでやって来る相手だ。相応に有能な奴になると思うんだが。それでも夢は見すぎない方がいいか)
期待しすぎると、実際にやって来た者が無能だった場合にかなり強くがっかりしてしまう。
そうならないようにする為には、やはり過大な期待はしない方がいいのは間違いない。
「とにかく、穢れに関してです。……レイ殿の魔法で穢れを何とかすることが出来たというのが判明したのは何より。そうなると、次に穢れをどうにかしないといけない時はレイ殿に穢れを何とかして貰いたいのですが、構わないでしょうか?」
「ああ、それは構わない。とはいえ……問題なのは、次にいつ穢れに関係する連中がやって来るか、なんだよな」
「今日来たんだし、またすぐに来るんじゃないの?」
レイから貰った干した果実を食べていたニールセンがそう告げる。
それは自明の理で、恐らく間違ってはいない……そうレイは思うものの、それでもニールセンの言葉に素直に頷くことは出来ない。
「さっきの連中がトレントの森で俺達に捕まった……というか、穢れを飲んで死んだのは間違いない。そうなると、穢れの関係者達がトレントの森を怪しいと思ってもおかしくはないだろう。それ以前にボブがトレントの森にいたというのは、向こうも分かってるだろうし」
「でしょう? なら、やっぱり……」
「けど、この場合の問題は穢れの関係者が一体どのくらいるのかってことなんだよな」
レイがボブから話を聞いた限り、穢れの関係者はそこまで多いという印象は受けなかった。
だが、ボブが以前洞窟で見た者が全てという訳ではない以上、ボブが見た以外にも穢れの関係者がいる可能性は高い。
「それは……否定は出来ませんね。とはいえ、こちらから穢れに関係している者を調べるのは、それはそれで難しいですし。あの襲ってきた者達から情報を引き出すことが出来ていれば、また話は違ったのでしょうが」
「だろうな。それは俺も賛成だ」
長の言葉にレイは同意する。
レイとしては、あの時に捕らえた者達から穢れに関係している者達の情報を得ることが出来ると、そう思っていたのだ。
しかし、実際にはそれは違った。
まさか捕らえられた者達が穢れを飲んで死に、それだけではなく黒い塵の人型として蘇るとは思ってもいなかったのだ。
ここで情報を得られれば、新たな穢れの関係者を襲ってそこから情報を入手し、そこで得られた情報からまた襲って……といったことを繰り返し、最終的に穢れの関係者の中でも中心人物に、あるいはその側近といった者達まで辿り着けるのではないかと思っていた。
本当にそこまで上手くいくかどうかは、実際にやってみなければ分からないが。
相手の情報を得ようとして、あっさりそこで情報が途切れてしまうといった可能性も否定は出来ない。
そのような状況を思えば、穢れの関係者をそう簡単に辿るといった真似は出来ないだろうが……それでも、手掛かりが少ない以上、今はどうにかして穢れの関係者の情報を集める必要があった。
「ですが、相手から情報を引き出すのが無理な以上、穢れに関係する情報を得るのは難しいのでは?」
「いや、相手の手段が分かった以上、次に会えば対抗手段はある。実際、最初に気絶させた時はそのままで穢れを飲んだりはしなかっただろう? なら、まずは最初に気絶させればいい。あとは気絶させた後で猿轡とかで毒を飲み込めないようにするか、恐らく穢れが仕掛けてあるのは奥歯だろうから、その奥歯から穢れを取り除いてしまえばいい」
レイにはそこまで器用な真似は出来ない。
そのような状況でレイが相手の奥歯から穢れをどうにかするとすれば……それこそ、何らかの道具で奥歯を無理矢理引き抜くといった拷問染みた真似をする必要がある。
奥歯を砕くといった手段もあるのだが、砕いてしまえば奥歯の欠片と共に穢れも飲み込んでしまう可能性が高いだろう。
そうならないようにするには、やはり無理矢理引き抜く必要がある。
あるいは手先の器用な者がいれば、奥歯を引き抜くような真似をしなくても丁寧に穢れだけを除去するといったことも出来るかもしれないが。
「穢れの関係者達は本当に厄介よね。もっとも、向こうにしてみればレイと接触するのは絶対に嫌だと思ってるのかもしれないけど」
「ニールセンの言う通り、向こうにしてみれば俺と接触するのを嫌っているのは間違いないだろう。それに対して、俺は会いたい。お互いの意見は大きく違ってるといった感じだな」
「ボブには会いたいけど、レイには会いたくない訳ね。妖精郷にいる限り、ボブに会うのは難しいと思うけど」
ニールセンにしてみれば、それだけ妖精郷の周囲を覆っている霧に、あるいはその霧に紛れるようにして行動する狼達に自信があるのだろう。
そしてレイもまた、霧と狼の存在を思うとニールセンの言葉は理解出来た。
出来たのだが……
(霧も狼も、実際にはニールセンとは関係なかったりするんだけどな。あ、いや。でも狼達との交渉にはニールセンも関わっていたりするのか?)
レイはそんな風に思う。
しかしニールセンは自分がそのように思われているとは考えていないのか、ようやく酸味の強い干した果実を食べきってレイの方にやってきた。
「レイ、甘いのちょうだい」
今までのが酸っぱかったのだから、次は甘いのをちょうだい。
そう主張するニールセンに、レイはミスティリングの中から甘みの強い、生の果実を幾つか取り出して渡し、同時に長にも渡す。
「穢れの件で色々と迷惑を掛けた感謝の気持ちだ。もっとも、これだけってのは正直どうかと思うけど」
「いえ、十分です。それに穢れの件については、別にレイ殿が何かをした訳ではないですから」
穢れを持っていたボブを妖精郷に連れて来たのは、レイだ。
正確にはニールセンの要望にレイが頷いたといった形だが。
それだけに、穢れの一件にレイが何かをした訳ではないという長の主張は、レイには受け入れられなかった。
全てが自分の仕業だと主張する気もないが。
「もしレイ殿がボブを妖精郷に連れてこなければ、私が穢れに気が付くようなことはなかったでしょう。……勿論、私が気が付かなくても他の妖精郷の長が気が付いた可能性はありますし、妖精以外の誰かが穢れに気が付いた可能性は十分にあったでしょうが」
「つまり、長が早く穢れについて気が付くことが出来たのは……」
「私のお陰ってことね!」
果実を食べつつ、自慢げに叫ぶニールセン。
実際にその言葉は決して間違っている訳ではないので、レイもそんなニールセンに何かを言ったりはしないが。
ただし、長がニールセンに向ける視線が意味ありげなのは間違いなかった。
「そうね。でも……妖精郷は本来なら秘すべき場所。もしボブがああいう性格ではなく、欲望のままに生きるといった性格だったら、どうなっていたのかしらね」
そう告げる長の言葉に、得意満面といった様子だったニールセンの動きは止まる。
「そ、それについては……もうお仕置きを受けたじゃないですかぁっ!」
「ええ、残念なことに……本当に残念なことに、もうお仕置きは終わってしまったわ。けど、今の状況を思えばお仕置きが足りなかったかと思って」
「あ、あはははは。そんなことはないですってば。私も反省してますから!」
長からのお仕置きがよほど怖いのだろう。
ニールセンは慌てた様子でそう告げる。
そんなニールセンの様子を見ていたレイは、この場合はどっちに声を掛けるべきなのかと迷う。
長に協力してニールセンに迂闊なことをさせないようにするべきなのか、ニールセンに協力して長から許して貰えるようにするべきなのか、
どちらに味方をすればいいのかと迷っている間に、やがて話は纏まってしまう。
「では、次からはきちんと後のことも考えて行動するように」
「分かってます。もう迂闊なことはしませんから」
言い含めるような長の言葉だったが、それに分かったと返すニールセンの言葉は、一体どこまで信用していいものか。
それは成り行きを見守っていたレイにとっても分からなかった。
長は数秒の間、ニールセンをじっと見ていたが……やがて視線を逸らす。
ニールセンが自分の言葉をしっかりと理解したと思ったからなのか、それともこれ以上言っても意味がないと諦めたのか。
長の気持ちは分からなかったが、プレッシャーから解放されたニールセンが喜んでいるのは間違いなかった。