2991話
ダスカーが戻って少ししたところで、レイもトレントの森に向かうことにする。
元々レイがギルムに戻ってきたのは、あくまでも穢れに侵された死体の件があったからだ。
その情報をダスカーに伝え、更には穢れに侵された死体が最終的には黒い塵の人型になること、そして黒い塵の人型になった場合は中途半端な攻撃はほぼ効果がなく、レイが使うような強力な魔法でなければ意味はないというのも知ることが出来た。
結局黒い塵の人型の防御力……いや、この場合は再生能力や不死性といった表現が相応しいのかもしれないが、とにかくそのような能力についての説明は出来たものの、攻撃力については結局不明なままだ。
実際に戦ったレイにしてみれば、黒い塵の人型の攻撃を直接受けるのはごめんだった。
これがまだその辺にいる普通のモンスターなら、レイも攻撃を受けるといったような真似をしてもよかったのだが。
相手は穢れ……場合によっては大陸が滅ぶかもしれないという存在なのだ。
とてもではないが、そのような存在を相手に攻撃を無防備に受けてみたいとは思わない。
そんな訳で、レイがダスカーに与えた情報は多少中途半端だったかもしれないが、それでも穢れの情報が何もない今の状況では値千金だろう。
「じゃあ、この肉はマリーナが料理して食ってくれ」
ガメリオンの肉の塊をマリーナに渡し、そう言うレイ。
何故ここでマリーナの名前が出たのかは、単純にここで寝泊まりしている者の中でマリーナが最も料理が美味い為だ。
ヴィヘラやビューネも多少であれば料理は出来る。
だが、それはあくまでも多少だ。
ヴィヘラは元ベスティア帝国の皇女ということで、家事の類は決して得意ではない。
出奔して冒険者になってからは、多少なりとも料理をするようになったが……その料理の腕はお世辞にも上手いと表現は出来ない。
ビューネは、育ってきた環境が環境である以上、料理というよりは死なない為に食べられるものは何でも食べてきた。
それこそ普通なら食べないようなものであっても、生き残る為に必死になったビューネにはそれを食べないという選択肢はない。
エレーナとアーラは、共に貴族の令嬢だ。
騎士としての一面もあるが、それでも軍事行動中に料理を作るのはそれ専門の者達の仕事となる。
双方共に紅茶を淹れるのは非常に上手く、特にアーラの紅茶はマリーナですら勝てないと言わしめる程のものなのだが。
「ええ、任せてちょうだい。折角の初物ですもの。美味しく料理をしてみせるわ。……どうせなら、レイと一緒に食べたかったんだけど」
「出来れば俺もそうしたかったんだが、今の状況を考えるとそういう訳にもいかないんだよ」
穢れについての情報を知らせる為にギルムにやって来た以上、出来るだけ早く妖精郷に戻って今回の件の情報を長に知らせる必要がある。
穢れに侵された死体の件については、長も殆ど理解してなかったようなので余計にだ。
最終的に黒い塵の人型になった件や、レイの魔法で殺せた――既に生きていないのだから、倒せたという表現の方が相応しいのだろうが――というのを知らせる必要があった。
(それに、戻るのが遅くなればニールセンが不満を爆発させてもおかしくはないしな)
ニールセンの性格を考えれば、本来ならニールセンもギルムに来たかった筈だ。
それを却下したのは、長。
ボブから分離した穢れの処理にニールセンの力が必要だという理由からだ。
黒い塵の人型の件を考えると、あるいはレイの魔法でも穢れを封印した花の形をした宝石もどうにか出来るのでは? という思いがない訳でもなかったのだが。
とにかく、今回の情報はダスカーにとっても非常に大きな情報だったが、同時に長にとっても大きな情報となるのは明らかだった。
レイが知ってる中で穢れに一番詳しいのは長である以上、少しでも早く今回の一件を知らせる必要があるのは間違いない。
(それに、マリーナの家の周囲にいる連中も出ていったばかりの俺がすぐに戻ってきたり、かと思えば領主の館からダスカー様が馬車でやって来たりと、かなり気にしてるのは間違いないだろうし。それでもマリーナの家の敷地内に入るのは難しいだろうけど)
一応、ダスカー達がセト籠で出ていった時は、マリーナが精霊魔法で誤魔化しておいてくれた。
しかし、それでも完全に誤魔化すといったことは出来ないだろうし、見張り達が何らかの行動を起こす可能性は高い。
だからこそ、ここにレイがいつまでもいるのは問題なのだ。
「じゃあ、そろそろ行くから。セト」
「グルゥ!」
声を掛けられ、イエロと遊んでいたセトはすぐにレイの方にやって来る。
イエロと遊ぶのがこれで終わりだというのは、セトにとっても残念なのは間違いない。
しかし妖精郷に戻らないといけないというレイの考えは、セトにも十分に理解出来ていたのか、不満を現す様子はない。
自分の近くまでやって来たセトの背に跨がると、レイはその場にいる面々に声を掛ける。
「じゃあ、行くから。また少ししたら戻ってくると思うから、よろしくな」
「その言葉は、ヴィヘラに言ってあげた方がいいと思うわよ。結局今日はヴィヘラに会えなかったんだし」
「それは仕方ないだろう。ヴィヘラの仕事は基本的にギルムの外なのだから」
マリーナの言葉に、エレーナがそう告げる。
実際、その言葉は間違っていない。
エレーナはこの家で待機していることが多く、マリーナは治療院で働いてる。
そんな二人に対して、ヴィヘラはギルムの外に出ていることが多いのだ。
ヴィヘラがマリーナの家に戻ってきている夜はともかく、日中にこうして戻ってきた時にレイがヴィヘラと会える可能性は……ない訳ではないだろうが、それでも可能性は非常に低いだろう。
(あ、でもさっき妖精の森に向かう途中でギルムに向かってるヴィヘラと会ったんだよな? だとすれば、ヴィヘラがギルムにいても……いや、いないか)
もしかしたらギルムにいるのかも? と思ったレイだったが、すぐにその考えを否定する。
何故なら、もしヴィヘラがギルムにいるのなら、レイとセトが再びギルムにやって来たという噂は間違いなく聞いている筈だ。
噂を聞くのが遅くなるというのはあるかもしれないが、それでもレイがダスカー達と共に穢れに侵された死体が変化した黒い塵の人型と戦ったり、あるいはガメリオンと戦ってその解体をしたりした時間を考えれば、噂を聞いていないという可能性はないだろう。
(となると、ギルムに戻ってきた用事を終えた後はまたすぐにギルムを出てトレントの森なりどこかにいったのか、あるいは……疲れてどこかで眠っているとか? そうなると、ちょっと危ないな)
この場合の危ないというのは、歴史上稀に見る美女であるヴィヘラが、娼婦や踊り子を思わせるような薄衣を身に纏って眠っているところを、男に襲われる……という意味での危ないではない。
ヴィヘラについて少しでも情報を知っていれば、そのような真似をする者はまずいないだろう。
だが、現在のギルムには増築工事の仕事を求めて多くの者が集まっている。
それはつまり、ヴィヘラについて何も知らない者も増えているということになる。
そのような者が……それも質の悪い者がヴィヘラの昼寝を見たら、どうなるか。
それこそ当然のようにちょっかいを掛けようとし……その結果として、手足の骨が折れる程度ですめば御の字といったところだろう。
つまり、この場合の危ないというのはヴィヘラではなく、ちょっかいを掛けた者の方を意味する。
(とはいえ、問題なのはどこで昼寝をするのかってことだけど。幾ら何でも道端で寝たりはしないよな。夕暮れの小麦亭は……あれ? ヴィヘラってまだ部屋を取ったままだったか?)
レイの場合は、一応まだ何かに使えるかもしれないということで、夕暮れの小麦亭に部屋を取ったままだ。
ギルムでも有数の高級宿だけに宿泊料金も相応に高いのだが、レイはそんな風に宿を取りながらも、基本的にはマリーナの家で寝泊まりしている。
最近はエグジニスであったり、妖精郷で寝泊まりすることが多いのだが。
高ランクモンスターを倒したり、あるいは盗賊狩りを趣味としていることにより、金に困っていないレイだからこそ出来ることだろう。
もっとも、夕暮れの小麦亭程ではないにしろ、高ランク冒険者ともなれば隠れ家の一つや二つ持っていてもおかしくはないのだが。
「とにかく、ヴィヘラが帰ってきたらよろしく伝えておいてくれ。ビューネも含めて、ガメリオンの肉を食べて貰えると俺としては嬉しい」
そう言うと、レイはセトに乗ってギルムを飛び立つのだった。
「何だか随分と久しぶりに戻ってきた気がするな」
そうレイが言ったのは、妖精郷を守っている霧が発生している場所のすぐ側。
実際には妖精郷から出てから一日……どころか半日も経っていないのだが、数時間で起きた出来事が多く、そして濃かった為に、何となく数日は経っているような気さえした。
もっともそれはあくまでもレイがそう感じているだけで、実際には当然ながら違うのだが。
「グルルゥ?」
レイの呟きが聞こえたのか、セトは不思議そうに視線を向ける。
レイにしてみればもの凄く忙しい数時間だったのだが、セトにしてみればイエロと一緒に遊ぶことが出来たという点で嬉しい時間でしかなかったのだろう。
勿論、黒い塵の人型とはセトも戦ったのだが。
「セトは元気そうでよかったよ。さて、じゃあいつまでもここでこうしていられる筈もないし、そろそろ行くか。妖精郷に入れば、それはそれで忙しくなりそうだし」
それは予想ではなく、半ば確信。
何しろ本来なら長や覚醒したニールセンの力によって穢れを消すといった真似をするしかなかった筈が、レイの魔法でも対処出来ることが明らかになったのだから。
レイが燃やした……焼滅させたのは、あくまでも黒い塵の人型であって、他の穢れにも効果があるのかどうかは、実際に試してみないと何とも言えないのだが。
面倒なことにならないといいけど。
そう考えつつ、レイはセトと共に霧の中に進む。
途中で狼の群れが姿を現したが、レイとセトだと判断すると攻撃をするようなこともなく、そのまま姿を消した。
狼達にとっても、レイやセトは仲間……とまではいかずとも、敵対する相手ではないと理解しているのだろう。
レイとしては、出来ればセトと友好的な関係を築いて欲しいとは思っているのだが。
妖精郷で育っている狼の子供達はセトといい関係を築くことが出来ているのだから、妖精郷の護衛をしている狼達にとってもそこまで難しくないとは思える。
(あるいは子供の頃から接しているからセトを怖がらない……というのはあるのかもしれないな)
ふと、レイは子供の頃は平気で虫を掴むことが出来ていた者が、成長するのに従って掴むことが出来なくなる……という話を思い出す。
正確なところは違うかもしれないが、狼の群れとどこか似たように思える。
「あー、レイ! セトも! どこに行ってたの!? ニールセンは長に連れて行かれたけど、また悪戯したのかしら」
妖精郷の中に入ると、レイとセトを見つけた一人の妖精が早速近付いて来て、そう尋ねる。
妖精にしてみれば、ニールセンが長に連れていかれたのは、また何か悪戯をしたからだと思ってもおかしくはない。
そしてどのような悪戯をしたのかというのが気になるのも、仕方のないことなのだろう。
「別に悪戯したからって訳じゃないぞ。ボブの件……穢れの件は覚えてるよな? あれに関係することだ」
「穢れ……」
普段はお気楽な性格の妖精だったが、穢れという言葉を聞くと大人しくなってしまう。
それだけ、ボブの一件で見た穢れは衝撃的だったのだろう。
あるいはその後で長から穢れについて色々と話を聞かされたのか。
その辺りの理由はともあれ、妖精が真剣な表情になったのは間違いない。
何人か他の妖精達もレイ達に近付こうとしていたものの、穢れという言葉に近付くのを止める。
(穢れに関わると長からお仕置きされるとか、そんな風に思ってるのか? ……あながち間違いじゃないのがちょっと怖いけど)
長のお仕置きが怖いというのは、ニールセンの様子を見て知っている。
レイが見たのは、長によって超能力か何かで振り回されているニールセンの姿だったが、そのお仕置きでもまだそれ以上のものがあるというのは聞いていた。
そうである以上、妖精達が長を怖がるのも……正直なところ、理解出来ない訳ではない。
「長はいつもの場所にいるんだよな? ちょっと話があるんだが」
「え? あ、うん。いつもの場所にいると思うわ」
そう言いながら、妖精はレイから離れていくのだった。