2989話
周囲にはガメリオンが上下に切断されたことにより、濃厚な血の臭いや内蔵の臭いが漂う。
上下に切断されたというのは正しくないのかもしれないが。
頭からレイに向かって突っ込んだので、デスサイズによって顔面を半分にされ、その流れで身体を切断された形となる。
(三枚下ろし……いや、骨はそのままなんだから、二枚下ろしだったか? そんな感じだな。もっとも、骨もどちらかの身体に綺麗についたままって訳じゃないが)
レイの振るったのが、その辺の長剣の類であれば骨に沿って肉を切断するといったようなことも出来ただろう。
だが、デスサイズの一撃は斬れ味が鋭すぎた。
その斬れ味により、ガメリオンの身体は骨も切断された身体の上下についたままという形になってしまったのだ。
「ガメリオンか。それにしても……まだ少し早いだろう?」
ガメリオンが死んだのは見れば明らかなので、ダスカーはそんな風に喋りつつ近付いてくる。
ギルムの領主であるダスカーは、当然ながら秋から冬に掛けての風物詩であるガメリオンについて知っていた。
ガメリオンの売買で動く金の量は、かなりの額になる。
毎年ガメリオンの量によって違うが、それでも大きめの街の年間予算に匹敵する額が……場合によっては都市の年間予算に匹敵する額が動いたりするのだ。
そうなればギルムに入ってくる税収も増えるのだから、ギルムの領主であるダスカーがガメリオンについて詳しくなるのは当然だった。
「そうですね。ただ、ギルムを出てここに来る途中でガメリオン狩りをしようとしていたと思しき連中が何人かいたので、多分今年は今までよりも早くガメリオンが出たんでしょうね。あるいは……」
そこで一旦言葉を切ったレイは、切断された場所から内臓が丸見えになっているガメリオンを見る。
「このガメリオンだけが早く出て来たのかもしれませんけど」
そんな風に言ってると、やがてセトが空から降りてくる。
「グルゥ」
少しだけ不満そうな様子のセト。
本来の予定なら、レイがガメリオンと戦っているところでセトが空を飛んで横からガメリオンに攻撃する筈だった。
なのに、実際にはセトが何をするでもなく、レイがガメリオンを倒してしまった。
わざわざガメリオンに気が付かれないようにと大きな動きで回り込んでいたセトにしてみれば、自分の行動の意味がなくなってしまったのだ。
大好きなレイを相手にしても、不満の一つも言いたくなるのは当然の話だった。
「悪い、ちょっと戦いの中の流れで……」
「グルルルルゥ、グルルルゥ」
レイの言葉に不満そうな様子を見せつつ、それでも謝ったということですぐに許す。
そんなセトを、レイは謝罪と感謝の意味を込めて撫でる。
最初はまだ少し不満そうなセトだったが、それでもレイに撫でられるとすぐに機嫌を直した。
「凄い……」
そう呟いたのは、ダスカーの部下の一人。
こちらもまたアーラやイエロによって守られていたのだが、ガメリオンが殺されたのを見てもう安心だと判断し、近付いて来たのだ。
文官である以上、ガメリオンについて知ってはいるし、肉として売られているガメリオンを見たこともある。
しかし、それでも肉になっていない素のままのガメリオン――切断されているが――を見るのは初めてだったので、いい機会と考えてやって来たのだ。
しかし、そこで文官が見たのは不機嫌そうな様子のセトを撫でるだけで落ち着かせたレイ。
セトがギルムでもマスコットキャラ的な存在だというのは知っている。
知っているが、それでもこうして不機嫌そうなセトを瞬く間に落ち着かせたのは、文官から見れば驚くべき光景としか言えなかった。
さすがグリフォンをテイムしているテイマー……と。
テイマーにして魔法使いにして戦士にして、異名持ちのドラゴンキラー。
レイ本人がそのような相手がいると聞けば、属性盛りすぎだと突っ込んでいてもおかしくはない。
そんなレイの実力が本物であったというのを、改めて確認出来たのだ。
「どうしました?」
文官が驚いている様子に気が付いたのだろう。
アーラが不思議そうに尋ねる。
「いえ、その……まさか不機嫌になっているセトをあそこまで簡単になだめるとは、思っていなかったので」
「ああ、なるほど」
文官にしてみれば驚くべきことなのかもしれないが、レイやセトと接する機会の多い……正確には一緒に暮らしているアーラにしてみれば、そこまで驚くようなことではない。
この認識の差が、文官とアーラの違いなのだろう。
「レイ殿とセトは強い絆で結ばれていますから」
そう言うと、アーラは文官をその場に残してレイの方に向かう。
「レイ殿、お疲れ様です。それで、ガメリオンの方はどうしましょう? このまま収納しますか? それとも、ここである程度解体していきますか?」
「ん? そうだな……」
アーラの言葉に、レイは少し迷う。
出来ればこのガメリオンは今年の初物だけに、すぐにでも食べたい。
だが、この巨体のガメリオンをマリーナの家で解体するのも大変だろう。
特に内蔵や血の処理が。
その辺りを考えると、出来ればここで解体をしていきたいと思う。
しかし、ここはギルムの外だ。
いつこのガメリオン以上に強力なモンスターが姿を現すか分からないのに、そこにダスカーを置いておく訳にいかないのも事実。
(そうなると、一旦ダスカー様を含めた面々をギルムに戻してから、またギルムの外に出てからガメリオンの解体をするか? そうなると、問題なのは他の連中に見られないような場所を探す必要があるということだけど)
もしここに来る途中で見たのが、レイの予想通りにガメリオン狩りだった場合……そんな者達の見ている前でガメリオンの解体をしているところを見せると、嫉妬される可能性がある。
普通ならそのような相手に何かをされても問題はない。
以前からギルムにいる者であれば、レイを知っている者も多いので妙なちょっかいを出すような者はいない……訳ではないが、少数派だろう。
しかし、今のギルムには多くの者が集まっている。
中にはレイを知らない者、あるいは深紅の噂は知っていてもレイを見てそうだと認識出来ない者も多い筈だった。
セトが一緒にいれば、その辺は特に気にする必要もないのかもしれないが。
「レイ? どうした?」
ガメリオンを見て悩んでいる様子のレイを疑問に思ったのか、ダスカーが尋ねる。
ダスカーにしてみれば、何故この状況でレイが考え込んでいるのか……それが全く理解出来なかったのだろう。
「実は、このガメリオンをどうしたものかと思って。マリーナの家に持っていっても、そこで解体をするような真似は出来ないでしょうし。可能ならここで解体をするのが一番いいんでしょうけど、そうなるとダスカー様の身に危険が……」
「ああ、なるほど」
ダスカーはレイが何を言いたいのかを理解する。
現在の自分の状況を思えば、ここで解体をする訳にはいかないのだと。
同時にこのガメリオンの肉を出来るだけ早く食べたいと思っているのだろうとも。
「分かった。構わないから、ここで解体してくれ。ただし、折角のガメリオンだ、俺にも肉を幾らか分けて欲しい」
「それは……別に構わないですけど、本当にいいんですか?」
まさかダスカーの口からそのような言葉が出て来るというのは、レイにとっても予想外だった。
普通に考えれば、ギルムの領主であるダスカーの安全は何よりも重要視するものなのだから。
だというのに、ここでガメリオンの解体をしてもいいと許可を出すのは……一体何がどうなればそうなるのか。
「構わん。それにここにはエレーナ殿やセトもいる。何があっても、そう簡単にどうにかなるようなことはない」
「それは……まぁ、そうでしょうけど」
エレーナとセトという強力な戦力がいる以上、ダスカーを相手にしてもそう簡単にどうにか出来るようなものではない。
何より、もしそのような危険な状態になれば、レイもまたすぐに武器を手に駆けつけるだろう。
そういう意味では、確かにこの場でガメリオンを解体してもダスカーの身の安全は半ば保証されてるようなものなのだ。
「だろう? なら、難しいことを考える必要もない。ここでガメリオンの解体をしてくれ。……正直なところ、ガメリオンを解体する場所を見てみたいしな」
恐らく最後の言葉が本音なのは間違いないのだろう。
レイにしてみれば、わざわざ解体するところを見たいというのはあまり理解出来ない。
「ダスカー様は元々騎士だったらしいですし、そういう意味では解体するのはそこまで珍しいものではないんじゃ?」
「騎士を何か誤解してないか? いやまぁ、騎士が解体をする機会はない訳ではないが……それでも、冒険者達と比べるとそうでもないぞ」
「だから、解体してる場所を見たいと? ……俺は構いませんけど……」
そう言いながらも、レイの視線はダスカーではなく、その部下達に向けられる。
ダスカーの部下達は、ダスカーがこうしてギルムの外で解体をするのを反対するのではないかと思ったからだ。
しかし予想外なことに、ダスカーの部下達は特に反対する様子を見せていない。
それどころか、今回の一件に関しては寧ろダスカーの部下達も興味津々といった様子ですらあった。
(文官だから、こういうのは好まないと思ってたんだけどな)
そう思っていたレイだったが、実際には違った。
文官でもダスカーに仕えているだけのことはあるのだろう。
あるいはその辺もあまり関係なく、純粋に趣味でそのように思っているだけなのかもしれないが。
文官達はレイと視線が合うと、それぞれ頷く。
自分達もダスカーと同じようにガメリオンの解体を見たいという意思を示すかのように。
それを見て、もう話は決まったようなものだと判断したレイはダスカーに向かって頷く。
「分かりました。じゃあ、ここで解体しますね。一応、何かあった時の為にセトに周囲を警戒させておきますから、そこまで問題はないと思います」
「そうしてくれ」
「エレーナはどうする? 周囲の警戒をするか、それとも解体を見学するか」
「む、私か? そうだな……セトが周囲の警戒をしているのは安全だろうから、レイが解体するのを見せて貰おうか。私もモンスターを解体する光景は何度も見たことがあるが、レイが解体するのを見たことはあまりないのでな」
普通の貴族令嬢なら、モンスターを解体する光景を見れば気絶をしてもおかしくはない。
だが、エレーナは姫将軍の異名で呼ばれる存在だ。
戦いに赴くことは珍しくはないし、その相手は他国であったり、敵対する領主であったり……そして中には当然のようにモンスターも含まれる。
そしてモンスターを倒した場合は、エレーナ本人が解体をするといったようなことはないものの、率いていた部下達がモンスターを解体して食料にしたり、あるいは素材や魔石を商人に売ったりといったことを行っていた。
そういう意味では、エレーナはモンスターの解体そのものには慣れているのだ。
「アーラは……」
「私は護衛を」
珍しい。
アーラの言葉にレイはそう思う。
これがエレーナの護衛をすると言ったのであれば、レイもそこまで驚かなかっただろう。
それはアーラにとっては当然のことなのだから。
しかし、今回アーラが護衛をする対象としていたのはダスカーだった。
レイにしてみれば、そのようにダスカーを護衛してくれるのは助かる。
助かるが、何故急にアーラがダスカーを護衛するつもりになったのかというのは、生憎と分からなかった。
エレーナよりもダスカーを優先するのだから、相応の理由があるとは思うのだが。
(単純にエレーナの方がアーラよりも強いし、セトも一緒にいるからというのが理由なような気もするけど。あるいは、ダスカー様の護衛をすることで、エレーナの気分を楽にさせたとか?)
具体的にアーラが何を考えているのかは、生憎とレイにも分からない。
分からないが、それでも今の状況を思えば自分が口出しをするようなことではないだろうと判断し、ガメリオンの解体に入る。
デスサイズと黄昏の槍は収納し、いつも解体に使っているナイフを取り出す。
まず行うのは、二枚下ろしのようにしてしまった死体から内臓を取り出すことだ。
本来なら毛を毟ったり皮を剥いだりといったような真似をする必要があるのだが、こうした殺し方をしてしまった以上、まずは内臓を先に処理する必要があった。
そんな中、真っ先にやるのは心臓から魔石を取り出すこと。
もっとも、デスサイズもセトも既にガメリオンの魔石は使っているので、この魔石は持っていても意味がない。
恐らくギルドに売ることになるのだろう。
そう思いながら、レイは解体を続けるのだった。