2987話
黒い塵で出来た人型に向かって放たれた攻撃は、相手が回避をするといったこともしなかったので、その全てが命中した。
デスサイズは大きく相手を斬り裂き、黄昏の槍は相手を貫き、鞭状になったミラージュの一撃は大きく斬り裂き、氷の矢はその身体を貫く。
傍から見れば、一方的にしか見えないような攻撃。
しかし……その攻撃の感触から、レイは恐らく相手に致命傷を与えていないと納得出来てしまう。
自分の放った一撃は、普通の……その辺にいるモンスターを相手にした場合なら、間違いなく仕留めることが出来るだけの威力を持っていた。
だというのにデスサイズと黄昏の槍から伝わってきた手応えは、それこそ何もない空中に向かって攻撃をしたかのような、そんな手応え。
レイと同じく自分の手で直接攻撃したエレーナも、ミラージュを通して伝わってきたのは空中に向かって放ったかのような攻撃の手応えに美しく整った眉を顰める。
唯一セトの使ったアイスアローによって生み出された氷の矢は直接の攻撃ではなかったので、感触はなかったが。
黒い塵で出来た人型は、やがて攻撃で散った部分が再び空中に浮かびながら戻ってきて、欠けた部分を補う。
「これは……って、ちっ!」
黒い塵の人型は、厄介だと言おうとしたレイに向かって手を伸ばしてきた。
先程の攻撃の際、最後に放たれたセトのアイスアローで放たれた氷の矢の邪魔になるということで、黒い塵の人型からレイは距離を取っていた。
距離にして三m程。
それに対し、黒い塵の人型の大きさは百八十cm程。
普通であれば、そのような状況でレイに手を伸ばしたとしても、とてもではないが届かない。
届かないのだが……それは普通ならだ。
相手は普通の人間ではなく、黒い塵の人型なのだから。
レイの方に向けた手は、長く伸びた分だけ細くなる。
黒い塵の人型にとって、レイの攻撃が強烈なので一番の強敵と判断したのか、単純に一番近くにいた相手だから攻撃対象になったのか。
生憎とレイにはその理由は分からなかったものの、だからといって大人しく攻撃を食らう筈もない。
あっさりと黒い塵の人型の攻撃を回避し、カウンターとしてデスサイズの一撃を放つ。
しかし、手の中にはやはり何かを斬り裂いたといった感触はない。
(これは、物理攻撃の類ではなくて燃やす必要があるのか?)
そう思いつつ、デスサイズを握っていた手首を返すと再びデスサイズの一撃を放つ。
ただし、それはただの一撃ではなく魔力を流した一撃だ。
デスサイズのような巨大な武器でこのような真似が出来るのは、デスサイズの持つ能力の一つとして重量を殆ど感じさせないというのが大きい。
その能力があるからこその一撃だったが……
「ちっ、これも駄目か!」
魔力を流した一撃であっても、穢れを切断した感触はない。
そのことを悔しく思いながらも、レイは納得してしまう。
魔力を使った一撃だというのなら、先程のセトのアイスアローも魔法……ではないにせよ、魔力を使って発動したスキルなのだ。
それが効果がなかったのだから、魔力を流したデスサイズの一撃であっても意味がないのは当然だった。
(どうする?)
黒い塵の人型にどう対応するべきかを考えるレイだったが、そこに焦燥感の類はない。
自分達の攻撃の効果がないというのは脅威だ。
それは間違いない。
だが……敵の攻撃も決して強力ではないのだ。
いや、正確には強力かどうかが分からない。
レイに手を伸ばしてきたものの、その動きは決して素早いものではなく、レイであれば回避するのはそう難しい話ではなかった。
(あるいは、黒い塵の人型の元となった死体の能力によるのか? それは十分に考えられるけど)
この程度の相手であれば、攻撃を回避するのは難しい話ではない。
しかし同時に、自分の攻撃の効果がないのも事実である以上、この状況で一体どうすればいいのかと、迷い……最終的に選んだのは、魔法。
「こいつに魔法を使ってみる! 俺の魔法ならどうにか出来るかもしれない!」
レイの叫びを聞いたエレーナとセトは、同時に黒い塵の人型から距離を取る。
もっとも、元々エレーナとセトは離れた場所から攻撃を行っていたので、実際にはそこまで神経質になる必要もないのだが……レイの魔法という言葉を聞けば、慎重になるのは当然の話だろう。
エレーナとセトが距離を取ったのを確認したレイは、自分も黒い塵の人型から距離を取って呪文を唱え始める。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
その呪文を唱えると同時に黒い塵の人型を囲むように赤い線が地面に描かれ、黒い塵の人型を囲む。
黒い塵の人型そのものはそこまで大きくないので、赤い線が囲むのにそう時間は掛からなかった。
そうして赤い線がドーム状になり……中にはトカゲの形をした火精が無数に姿を現す。
『火精乱舞』
魔法の発動と同時に、赤いドームの中にいたトカゲの形をした火精は爆発し……一つの爆発に連鎖するように、他のトカゲの火精も爆発していく。
魔力によって生み出された赤いドームは、黒い塵の人型が人と同じくらいの大きさだけあってそこまで極端に大きな訳ではない。
しかし、それでも……狭い空間の中に多数の火精が存在した為に、その限られた空間内で起きた爆発と爆炎は普通では考えられない威力をもたらす。
「これは……」
離れた場所でダスカーの呟く声がレイの耳に聞こえてきた。
その声にあるのは、驚愕。
勿論、ダスカーもレイがどれだけの実力なのかというのは理解しているし、ベスティア帝国との戦争でその実力を見たこともある。
しかし、それでもこうして間近でレイの使う魔法を見ると……そこにあるのは、ダスカーの目から見ても信じられない光景だった。
ダスカーにしてみれば、レイの魔法を……それも手加減抜きの魔法をこうして見ることが出来たのは、嬉しい一面もあるのだろう。
ただし、今回の本命はやはり穢れの件だが。
「レイ、どうなった?」
ダスカーのその言葉に、レイは少し迷ってから口を開く。
「あの結界が消えないと、内部がどうなってるのかは分かりません。ただ……あれだけの威力だったので、倒したと思いますけど」
「やったのか」
いや、それはフラグ。
そう言おうとしたレイだったが、相手がダスカーということもあって止めておく。
もしダスカーにフラグ云々といったところで、その意味を理解出来るとも思えなかった。
(これで、他にもダスカーの部下がこれが終わったら結婚するんだとか、そんな風に言うと……その場合はどうしたらいいんだろうな)
そんな風に考えている間に、やがて赤いドームが消えていく。
瞬間、周囲に強烈な熱気が溢れ出る。
今までは赤いドームの内部に閉じ込められていた熱気が、赤いドームが消えたことによって周囲に放たれたのだろう。
ましてや、現在は秋で夏と比べると大分涼しくなっていたので余計に暑く感じるのだろう。
ダスカーが腕で汗を拭っているのが見える。
しかし、どこか狭い場所ならともかく、ここは草原のど真ん中だ。
周囲には特に何かがある訳でもない、どこまでも草原――枯れている草も多いが――が広がっており、赤いドームが消えたことによって生み出された熱気も、即座に消えていく。
これでもっと明確な熱気であれば、場合によっては枯れ草が燃えていた可能性もあるだろう。
だが幸いなことに、今のこの状況においてそのようなことにはならず……そして熱気が消えた赤いドームには、何も残っていなかった。
それこそ文字通りの意味で全てが……人型を構成していた黒い塵も、ここには既に存在しない。
「ふぅ」
穢れに侵された死体……黒い塵の人型も、自分の魔法で消滅させることが出来ると知ったレイは安堵の息を吐く。
穢れというのが具体的にどのような存在なのかというのは、生憎と今のレイにも完全に理解出来た訳ではない。
それでも自分の魔法を使えば穢れを消滅させることが出来るということを知ることが出来たのは、大きな意味を持つ。
(けど……もしこれを知ったら、ニールセンは盛大に不満を口にしそうだな)
今回ニールセンがギルムに来なかったのは、ボブから分離した穢れを処分する為だと聞いている。
しかし、レイの魔法によって穢れが消滅……いや、焼滅することが出来ると知れば、ニールセンがわざわざ長と一緒に活動する必要がなかったということを意味するのだ。
レイは自分の魔法が穢れに効果があるというのは、知らなかった。
それは事実だが、問題なのはニールセンがそれで納得するかということだろう。
もしニールセンがそれを知れば、レイに不満を口にするだろう。
「消えた……か」
赤いドームが消えた後、そこには黒い塵の人型の痕跡が何もないのを確認してダスカーが呟く。
ダスカーの目から見ても、黒い塵の人型は異様な存在だった。
それこそレイ、エレーナ、セトが攻撃をしても全く倒すことが出来なかったくらいに。
それでもレイの魔法によってようやく倒すことが出来たのだ。
そういう意味では、倒すことは出来ても厄介な存在であると思えるのは間違いない。
「レイ、実際に戦ってみてどうだった?」
「強い……というのはちょっと違いますね。しぶといという表現の方が正しいと思います」
「もし今のような敵が多数出て来たら、どうなると思う?」
「なかなか勝てないと思いますね。勿論、ギルムには腕のいい冒険者がいるので、中には高い攻撃力を持っている冒険者もいますから、そういう冒険者を中心にして攻撃をすれば何とかなるかと」
「ふむ。攻撃力の問題か。だが、そうなればそうなったで、色々と面倒なのも事実。……やはり最善なのは、穢れと戦わないことか」
「それが一番いいですね。幸い……という言い方はどうかと思いますが、今のところ残り九人分の死体はミスティリングに収納されてますし。それに、穢れに完全に侵食されるよりも前に死体を片付ければ、どうにかなるかもしれませんし」
今回穢れに侵された存在……黒い塵の人型を倒すのに手間取ったのは、結局のところ相手が完全に穢れに侵食されるのを待っていたからというのが大きい。
まだ完全ではない状態で攻撃をすれば、その辺はどうとでもなる可能性が高い。
「それと、見た感じではしぶといというのは間違いなかったが、攻撃力という点では激しく劣っているように思えた」
レイとダスカーの会話に、エレーナがそう割り込んでくる。
エレーナから見て、黒い塵の人型は自分の攻撃は勿論、レイやセトの攻撃を食らっても特にダメージらしいダメージはなかった。
身体を構成している黒い塵が空中に撒き散らかされるといったようなことはあったが、それもそう時間が経たないうちに元に戻っている。
そういう意味ではしぶといというのは間違いないが、攻撃に関しては話が別だった。
攻撃らしい攻撃……という意味では、それこそただ手を伸ばしてきただけだ。
それも攻撃という言葉は決して似合わないような、ゆっくりとした行動だった。
もし黒い塵の人型が伸ばしてきた手に触れた場合、一体どうなるのかは生憎とレイにも分からない。
実際に試してみれば、その辺は理解出来ただろうが……だからといって、レイはそのようなことを試してみたいとは到底思えなかった。
「つまり、倒すのは難しくても足止めは可能だということか? けど、あの黒い塵の人型は何故か俺を執拗に狙ってきた。その辺の理由が判断出来ないと、それはそれで面倒なことになりかねないと思うけど」
「それは否定しない。ただ……私が見たところでは、あの黒い塵の人型に攻撃をした者の中で一番大きなダメージを与えたのがレイだ。向こうもそれを理解したからこそ、レイを狙ったのだと思う」
少し……本当に少しだけ悔しそうな様子だったのは、エレーナが行ったミラージュによる攻撃がレイの一撃――デスサイズと黄昏の槍を使ったので、正確には二撃だが――よりもダメージ的に低いと認識されてしまったからだろう。
レイに対する想いとは別に、エレーナも姫将軍と呼ばれているだけの自負はある。
それだけに、黒い塵の人型に自分よりもレイの方が厄介な相手と認識されたのは面白くなかったのだろう。
「そうなると、敵を決まった場所に誘い出すことはそう難しくはないということか」
「知能の類は高くないようでしたし、ダスカー様が言うようにどこかに誘い出すのは難しくないでしょうね。そして誘い出した場所を狙って強力な攻撃を使えば……」
そこで言葉を止め、レイの視線は黒い塵の人型のいた場所……魔法の中心となった場所に視線を向けるのだった。