2986話
レイのミスティリングから出た死体を見て、ダスカーの部下達が眉を顰める。
死体そのものはマリーナの家でも見たのだが、あの時は精霊の影響ですぐにミスティリングに収納した。
それに比べて、今こうして改めて死体をじっくりと見ると思うところがあるのだろう。
ダスカーの部下ではあっても、これが例えば騎士や兵士といったような者達であれば死体を見慣れている。
しかし、今日ダスカーと共にやって来たのは、死体の類は見慣れていない……いわゆる文官達だ。
だからこそ、死体を見て気持ち悪そうにしたのだろう。
もっとも、それでも気持ち悪さから吐くといったような真似をしない辺り、それなりの胆力はあるのだろうが。
(いや、胆力だけじゃないか。この死体は穢れを飲んで死んだ奴の死体だ。つまり、外傷の類がないから、まだそこまで問題はないといった感じなんだろうな)
戦いで生まれた死体の場合は、頭部が粉砕していたり、腹部から内臓が零れ落ちていたりといったようなことが珍しくはない。
それに比べれば、この死体は特に外傷の類もなく非常に綺麗な死体だった。
もっとも普通の死体と違うのは、指先や足、頭といった場所がそれぞれに動いていることで、それだけでも十分に不気味なのだが。
(死体は一人分だけしか取り出さなくてよかった……んだよな? いざという時、対処する数が減るのは楽だし)
あくまでも今回は穢れに侵された死体を確認するというのが目的だ。
であれば、わざわざ複数出す必要はないだろうと、レイが出した死体は一人分だけだった。
「これが穢れに侵された死体か。……こうして見た限りでは、明らかに異常だな。そもそも動いているが、本当に死体なのか?」
マリーナの家にいた時と違って、穢れに侵された死体を出しても周囲には特に異常はない。
その為、ダスカーを含めた他の面々も死体をしっかりと観察することが出来た。
「本当に死体なのは間違いないですよ。死んだのはきちんと確認してますし。ただ、死んだ原因が穢れだったので、その穢れがこうして侵食してきているようです。長の話によると……」
そこまで口にしたレイは一旦言葉を止めてダスカーの部下を見る。
長? といった疑問の表情を浮かべているのかと思ったが、特に気にした様子はない。
(長……というか、妖精について知ってるのか? 穢れに侵された死体の件について話す場所に連れて来た部下達なんだから、妖精について知っていてもおかしくはないか)
穢れについて話す場合、どうしても妖精についても話す必要がある。
そもそも穢れについて教えてくれたのは、妖精郷の長なのだから。
また、現在の状況において穢れを明確に把握することが出来るのは、長だけというのもある。
その穢れに関係する件でレイに会いに行くと判断したダスカーが連れて来た部下なのだから、妖精について聞いていてもおかしくはなかった。
そう思いながら、レイは言葉を続ける。
「長の話によると、アンデッドに近いモンスターになるのではないかということでした。あくまでもアンデッドに近いのであって、正確にはアンデッドではないようですが」
「なるほど。アンデッドであって、アンデッドではないか。……そうなると、モンスターの特徴である魔石の類も持っていないと?」
「分かりません。実際にこうなる相手を見たのは初めてですし。ただ、長から聞いた話の感じだと、多分魔石はないといった様子でしたが」
「せめて、魔石でもあればモンスターとして扱うことも出来るのだがな」
ダスカーの言葉に、レイも頷く。
魔石があれば、魔獣術によって新たなスキルを習得したり、強化出来たりするかもしれない。
そう思いつつも、すぐにその考えを否定する。
(魔獣術はあくまでも普通のモンスターを相手にしてのものだしな。穢れによって魔石を持つモンスターになったとして、それが魔獣術的にありなのか、なしなのか。……いや、それを言うなら異世界のモンスターであったり、迷宮の核であったりで魔獣術を使っている点で何とも言えないか)
あるいは、ゼパイル一門が作った魔獣術であるからこそ、そのように本来の予定と違う相手を斬っても魔獣術が発動するのかもしれないが。
「レイ、見ろ」
魔獣術について考えていたレイは、不意にエレーナに名前を呼ばれてそちらを……エレーナが示す死体の方を見る。
するとそこには、先程まで手足が動くといったような状態だった死体が次の行程と思しき状況になっていた。
具体的には、指先が黒く……それもただの黒ではなくドス黒いといった表現が相応しい色に変わっていたのだ。
見えるのが指先だけだからそのように思えるが、靴を履いている足もまた黒くなっていてもおかしくはない。
動いていた手が黒くなったのだから、同じく動いていた足も……と。
「これは……モンスター化がより進んだってことなのか? ダスカー様、どうします?」
この場での責任者はダスカーである以上、この死体をどうするか尋ねる。
しかし、ダスカーも穢れに侵された死体を見るのは初めてである以上、どのように対応したらいいのかは分からない。
「レイ、何かあったらこの死体はすぐに処分出来るか?」
「死体を燃やせるかという意味なら、問題なく燃やせます。ただ……この死体が穢れに侵されている以上、死体を燃やした後でどうなるかは分かりませんけど」
これが普通の……それこそ、その辺のモンスターの死体ならレイにとっても燃やすのに特に問題はないだろう。
しかし、この死体はただの死体ではなく穢れに侵された死体なのだ。
より正確には、穢れを飲んで死んだ死体が、その体内に存在する穢れによってアンデッドに近い何らかの存在になろうとしているとでも呼ぶべき存在。
ましてや、そのような存在と相対するのも今日が初めてである以上、レイも死体を燃やせるのかと言われて、すぐに問題ないとは言えない。
「難しいか。だが……ギルムを出てここまでやって来たんだ。そのような真似をした以上、この穢れによって死体がどうなるのかはしっかりと確認しておきたい。穢れについての情報は少しでも必要だしな」
王都に伝える穢れについての情報は、多ければ多い程にいい。
問題なのは、その情報を受けた側が信じるのかといったことだが……実際にその辺りについては、ダスカーとしてもどうしようもない。
今のダスカーに出来るのは、少しでも詳細な情報を得て、それを王都に報告するだけなのだから。
「レイ、私もダスカー殿の意見には賛成だ。穢れについての情報が少ない以上、今は少しでも多くの情報を得る必要がある」
エレーナもダスカーの意見に賛成する。
こうして色々と型破りな真似をしている以上、少しでも多く穢れについての情報を必要としているのだろう。
そんな風に二人に言われてしまえば、レイも反対は出来ない。
また、これだけの人数が揃っていれば、何かあってもすぐ対処出来るという自信もある。
「じゃあ、もう少し様子を。ただ……アーラ、ダスカー様の部下の護衛を頼む。もっと離れた場所でな」
「レイ殿!?」
アーラにしてみれば、自分はあくまでもエレーナの護衛であるという認識なのだろう。
そんな自分が、エレーナではなく他の者の護衛をして欲しいと言われて素直に従える筈もない。
「アーラ、私からも頼む。今のこの状況でダスカー殿の部下を守れる者はアーラしかいないのだ」
実際にはセトやイエロという選択肢もある。
しかし、セトは穢れに侵された死体に何かあった時、すぐに対応出来る戦力としてレイやエレーナと同じく期待されている。
また、ダスカーもその外見通りに相応の力を持っているのは間違いないのだが、穢れに侵された死体を確認したいという思いがある。
いざという時は、恐らくレイやエレーナがダスカーを守ることになるだろう。
イエロは……外見は愛らしいものの、黒竜の子供だけあって高い防御力を持ってはいるが、その小ささからダスカーの部下を守るには頼りなく思われてもおかしくはない。
そんな諸々の状況を考えると、やはりアーラがダスカーの部下を守るのが最善なのは間違いなかった。
「エレーナ様……分かりました。ですが、くれぐれも気を付けて下さい」
アーラもエレーナに言われれば、その頼みを断るのが難しい。
元々護衛ではあっても、エレーナの方がアーラより強いというのも、この場合は大きく影響しているのだろうが。
そんな訳で、渋々……本当に渋々ではあったがアーラは護衛を引き受ける。
アーラが頷けば、すぐにそれぞれに準備が行われる。
ダスカーの部下とアーラ、それと一応ということでイエロが離れた場所に行き、レイ、エレーナ、ダスカーの三人とセトは穢れに侵された死体がどうなるのかを確認する。
勿論、何が起きてもすぐ対処出来るようにレイはデスサイズと黄昏の槍を持ち、エレーナは連接剣のミラージュを手にし、ダスカーも一応ということで長剣を手にしていた。
武器を持たないセトも、いつ何が起きても問題はないように準備を整え……そして、穢れの様子を見る。
手が黒く染まっていったのと同じく、恐らく足も黒く染まっているのだろう。
靴やズボンのせいで分からないものの、暫く様子を見ていると……やがて首まで黒く染まっていく。
最後に残った頭部も次第に黒くなっていった。
身体が黒く染まっていく間も、死体はビクビクと動き続けている。
何も知らない者が見れば、とてもではないが死んでいるとは思わないだろう。
……もっとも、胸に触れば心臓が動いておらず、手首や首筋に触れれば脈がないのも明らかだったが。
実際にそのような真似をする者がいるかどうかは別だったが。
「身体全体が黒く染まってきた。……何があるのか分からないから、注意しろ」
ダスカーの言葉に、レイ、エレーナ、セトがそれぞれ何が起きてもいいように準備を整える。
それぞれの視線が向ける中で……とうとう、頭部まで全てが黒く染まる。
瞬間、その身体は崩れ落ちた。
……そう、崩れ落ちのだ。
まるで身体全体が乾いた塵で出来ているかのような、そんな様子で。
「え?」
その一言を口にしたのは一体誰だったのか。
セトではないのは間違いないが、エレーナかダスカー、あるいは自分でも気が付かないうちにレイが出した声かもしれない。
しかし、そんな声が上がっても不思議ではない。
長からの言葉で、恐らく死体は穢れによってアンデッドか何かになるのだと、そう思っていたのだ。
また、穢れを飲んで死んだ者も、死んだことがなかったことになるといったようなことを口にしていたのも聞いている。
だからこそアンデッドになるのだろうと予想はしていたのだが……それがまさか、黒い塵のようになって崩れ落ちるというのは予想外だった。
「これは……」
一体どうなっている?
そんな言葉を続けそうになったレイだったが、その言葉を最後まで口にするよりも前に事態は動く。
防具も服も、そして身体……肉、皮膚、骨、髪、眼球、内臓といった諸々全てが黒い塵になって地面に落ちたのだが、その黒い塵が不意に起き上がったのだ。
塵が起き上がる。
そのような表現が間違っているのはレイにも理解出来る。
しかし、それでもレイの感覚的に黒い塵が起き上がったというのが正しい。
「っ!?」
黒い塵が起き上がった瞬間、レイは……そしてエレーナとセトも後ろに跳ぶ。
そんなレイ達から一瞬遅れてダスカーも後ろに跳んだ。
幸いなことに、黒い塵は起き上がったものの特に何かをするでもなくその場に佇んでいた。
佇みながら、黒い塵はやがて一つの形に……人の姿になっていく。
「これは……一体どういうことだ?」
鋭く叫びながらも、レイは敵が攻撃してきたら即座に対応出来るように武器を構える。
「分からない。分からないが……このままでは不味いだろう。レイ、倒すぞ! ダスカー殿、よろしいな!?」
一応はダスカーに同意を求めているエレーナだったが、その言葉の勢いはもしダスカーが反対をしても、このまま攻撃をするという意思がある。
ダスカーもそれが分かったが、そのことに特に不満はない。
ダスカーの目から見ても、黒い塵が集まった人の形をした存在は危険な相手だと理解出来たのだ。
少しでも多く穢れについての情報が欲しいとは思うが、だからといって本能が危険だと叫ぶ存在をそのままにしておくつもりはない。
「構わん、倒してくれ!」
間髪入れずといった様子でダスカーが指示を出す。
その声を聞いたレイはデスサイズと黄昏の槍による一撃を放ち、エレーナはミラージュを鞭状にしての一撃を放ち、セトはアイスアローを使って五十本の氷の矢を放つのだった。