2983話
「あら、随分とゆっくりとしているわね。これなら急いでくる必要はなかったかしら?」
中庭にマリーナが姿を現すと、からかうようにそう告げる。
だが、そんな風に言ったのも当然だろう。
マリーナの視線の先では、レイ、エレーナ、ダスカーの三人がそれぞれ紅茶を飲んでお茶会をしていたのだから。
少し離れた場所では、走り回るのに飽きたのかセトとイエロが一緒に寝転がっている。
アーラとダスカーの部下達は、座りこそしていないものの何かを話していた。
そんな様子を見れば、自分が急いで戻ってくる必要はなかったのでは? とマリーナが思ってしまってもおかしくはなかった。
「別にゆっくりしていた訳ではないぞ。マリーナが来るまで話を進める訳にはいかなかったから、こうして待っていただけだ」
ダスカーがマリーナにそう言うが、それを言われた方は呆れた様子で息を吐く。
「ダスカー、貴方……仕事が面倒で抜け出してきたのね?」
「う……い、いや。別にそういう訳じゃないぞ。レイから穢れについての話があると聞いたから、それで渋々……本当に渋々仕事を中断して、ここにやって来たんだ」
ダスカーのその言葉に、マリーナは疑惑の視線を向ける。
しかし、それ以上の追及は止めておく。
穢れの件でレイが戻ってきたという方が今は重要なのだから。
(それに、追及は後でも出来るし)
ビクリ、と。
マリーナの考えに反応するように、ダスカーが何かを感じたのだろう。慌てたように周囲を見回す。
そんなダスカーの様子を気にせず、マリーナはレイの隣に座る。
アーラは何も言われなくても、マリーナの前に淹れたばかりの紅茶を置く。
「ありがとう。……で、レイ。結局何をしに戻ってきたの?」
「そうだな。マリーナも帰ってきたことだし、説明するか。……本来ならヴィヘラもいればよかったんだけど、今はいないし仕方がない」
そう言いつつ、もしかしてギルムに戻って来る時に生誕の塔に顔を出せばそこにヴィヘラがいたのでは? と、レイは今更ながらにそう思ってしまう。
(いや、ヴィヘラの性格を考えると、生誕の塔でじっとしてるよりもトレントの森で強力なモンスターがいないかどうかを探していてもおかしくはないか)
少し無理があると自分でもそう思ったのだが、それでもヴィヘラの件はそういうことにしておく。
もっとも、これからここで行われるのは戦い……とは呼べない。
穢れによってモンスター……恐らくはアンデッドになろうとしている死体をどうするのかといったことを決める為だ。
処分してしまった方がいいのなら、レイはギルムの外のどこか人のいない場所まで移動してから、魔法か何かで燃やしてしまうが。
とにかく、穢れの関係者は迂闊に殺してしまった場合、あるいは自殺させてしまった場合、そのような厄介なことになると、注意しておく必要があった。
それこそ、言葉だけで分からないのなら、実際にミスティリングに入っている実物を見せてでも。
「まず、ギルムから出てトレントの森に戻った時に、セトが怪しい動きをしている奴を見つけた」
そう言いつつ、レイはエレーナに説明したように……あるいはもっと詳細に説明していく。
その説明を聞いている者たちは、それぞれ表情を浮かべる。
特にその表情が顕著なのは、ダスカー。
ダスカーにしてみれば、自分の領地にそのような者達がいたのがはっきりとしたのだから、そのように思うのは当然だろう。
そうして説明が終わると、最初に口を開いたのはマリーナだった。
「これはダスカーの失態……と言いたいところだけど、今のギルムの状況を思えば、そうも言ってられないわね」
「そう言って貰えるのは助かるよ」
ダスカーにしてみれば、マリーナの言葉は気休めのようにも聞こえる。
しかし、実際に今のダスカーの状況でギルムにそのような者が紛れ込んでいても知るのは難しい。
あるいは穢れの関係者が、自分達は穢れと関係していますと宣言をするような真似をしていれば、ダスカーの方でもそのような者がいると認識することが出来るだろう。
だが、当然だがそのような者達は自分達が穢れに関係しているのは隠したままで、ギルムにいた筈だ。
そして今のギルムにどれだけの数がいるのかを考えると、とてもではないがそれを認識しろというのは難しい。
これが増設工事をしていない普通の時であれば……いや、そのような時であっても、それはそれで穢れの関係者がいるとは認識出来たかどうかは微妙なところだが。
「とはいえ、そういう相手がいると判明した以上、ダスカーもそのままにしておく訳にはいかないでしょう?」
「それは……まぁ、そうだな。だが、今でもかなり限界に近いのは間違いない。この状況で穢れの関係者を見つけろと言われても……ちょっと難しいと思う」
「ダスカーの抱える人手を考えると、そんな風に思っても仕方がないわね。けど、出来ないからってそのままにしておくという訳にもいかないでしょう? 穢れの危険性は、話だけで聞いてもどうにか出来るものではないわ」
「だろうな。正直なところ、俺もその意見には賛成だ。だが、人手がない以上は……」
「その、ちょっといいですか?」
ダスカーとマリーナの会話に、レイが割って入る。
ダスカーは助かったといった視線をレイに向けていた。
マリーナからの追及……あるいは意見は、ダスカーも納得出来る点があるのは間違いないものの、それでも現在の状況が限界に近い以上は、どうしようもない。
それに、今までレイは色々とダスカーの予想外のことをやってきた。
そうである以上、ここでもまた何かあるのではないかと期待してもおかしくはないだろう。
「何だ? 何か意見があるのなら言ってくれ。今は手詰まりに近い。この状況を打破出来るのなら助かる」
「そうですか。では、エッグ達が無理なら裏の組織に要請してみてはどうでしょう?」
「それは……難しいな」
裏の組織……それはつまり、違法組織だ。
そのような組織に穢れについて頼むのは、ダスカーとしては気が進まない。
それこそ穢れに関係する何かを入手した時、裏の組織の場合はそれを懐に入れてそのような物は何もありませんでしたと言ってもおかしくはないのだから。
違法組織と領主が接触するのも外聞的には不味いが、そちらの方はどうとでもなる。
「穢れの件を知れば、裏の組織も放っておく訳にはいかないでしょう。いやまぁ、穢れについて裏の組織に説明するのは難しいと思いますが」
「ああ、そうなる。穢れの件はそう簡単に知らせる訳にはいかない。この件はそれだけの大事だからな。そして穢れの件を説明出来ない以上、どのような相手を見つけて貰うかといった問題にもなる」
ダスカーにとって、裏の組織からの助けというのは出来れば欲しい。
穢れの関係者が一体どこにいるのかと考えた時、その可能性が一番高いのはやはりスラム街なのだから。
スラム街ではなく他の場所……普通に表通りに穢れの関係者がいる可能性はあるし、場合によっては普段は増築工事に関わっている可能性すらある。
その辺りの状況を考えれば、やはり見つけるのが難しいのはレイにも理解出来た。
「そもそもの話だが、トレントの森に姿を現した連中は本当にギルムにいたのか? いや、話を聞いた限りではその可能性が高いのは理解出来る。だが、ギルムではなくアブエロやサブルスタにいた者達という可能性も否定は出来ないだろう」
辺境であるギルムに一番近い場所にあるのがアブエロで、その次がサブルスタとなる。
街道を通ってギルムに行く場合に休んだり食料や各種物資を購入したりといったようなことをする場所だ。
そのような場所だけに、穢れの関係者が実はギルムではなくそちらにいたと言われても、レイはそれなりに納得出来るのも事実だが、それでもやはりギルムにいたのが一番可能性が高いというのも、また事実だった。
「国の方には連絡したのよね? アブエロとサブルスタには連絡をしたの?」
「出来る訳がないだろう」
マリーナの言葉に、ダスカーは即座にそう告げる。
普段であれば、ダスカーのそんな態度にマリーナも何かを言ったりしただろう。
しかし、今は真面目な話し合いをしているのだ。
「そうでしょうね。でも、王都から人が来るまでにアブエロやサブルスタで穢れ関係の騒動が起きたらどうするのかしら?」
「その辺は代官に何とかして貰う必要があるだろうな。あまり期待出来ないが」
そもそも、何の情報も与えずに何か騒動があったらしっかりと行動しろという方が無理なのだ。
しかし穢れの重要度を考えれば、その件を迂闊に話す訳にいかないのも事実。
「エッグ達には今まで以上にしっかりと見回りをして貰おう。警備兵と街の見回りをしている冒険者にも」
ダスカーは自分がかなり無理を言ってるのを理解していた。
先程ダスカー自身が口にしたように、エッグ達には現在でもかなり無理をさせている状況だ。
そのような中で更に仕事量を増やすのは、エッグ達にしてみればたまったものではないだろう。
だが……それでも、現在のギルムの状況を思えばやるしかないのも事実。
「今のところはそれしかないでしょうね。……エレーナは何か意見がある?」
マリーナがそう尋ねるも、エレーナは首を横に振る。
「穢れの件を大々的に広めてもいいのならともかく、それを出来るだけ人に知られないようにしてとなると……正直、難しい。それとなく面会をしに来た者達に尋ねるくらいか。とはいえ、話を聞いている限りだと貴族の中に穢れの関係者がいるとはあまり思えんが」
「いや、貴族だからこそ、そういう奴がいてもおかしくないと思う……というのは、俺の思い込みか?」
レイの認識では、それこそ貴族の中には破滅願望とでも思しきものを持っているような奴がいるというものがある。
実際にそれが事実なのかどうかは、具体的には分からなかったが。
しかし、レイのその言葉はエレーナにとっても……いや、エレーナだけではなく、同じく貴族であるダスカーにとってもそう間違いではなかったらしい。
困った様子で何も言えなくなってしまう。
「えーっと……そう言えば、マリーナも戻ってきたし、全員が集まったんだ。そろそろミスティリングに収納してある死体を出してもいいか?」
場を誤魔化すかのように、そう言う。
ただし、その提案そのものはそこまでおかしなものではない。
そもそもレイがギルムに戻ってきたのは、その死体を見せてどうするのかを相談する為というのが大きいのだから。
穢れによってアンデッドと思しきモンスターに変化しようとしているその死体は、非常に厄介な存在なのは間違いない。
レイのミスティリングに収納されてはいるので取りあえず心配はないが。
だが同時に、穢れという存在について証明する為の証拠であるのもまた事実なのだ。
「ん? ああ、そうだな。では、そろそろ死体を出して貰えるか」
話題が変わった――実際にはそうでもない――ことに少しだけ安堵した様子のダスカーがそう告げる。
家主であるマリーナも、レイに視線を向けられると頷く。
そんな二人の様子を確認したレイは、テーブルから少し離れた場所まで移動する。
さすがにテーブルの側で死体を取り出すといった真似はしない方がいいと思ったのだろう。
「さて、出すぞ」
そう口にしてから、レイはミスティリングの中から死体を一つ取り出す。
(いや、モンスターになりかけなんだから、この場合は一匹と表現するべきか?)
取り出された死体は、幸いなという表現が合ってるのかどうかはレイにも分からなかったが、ミスティリングに収納する前と比べてもアンデッド化は進んでいないように思えた。
あくまでもレイが見た限りの話であり、レイが見えない場所……死体の内部では何らかの変化があってもおかしくはないのだが。
死体を見て納得したその瞬間、ぞわりとした冷たさが背中を駆け抜ける。
これが殺気……いや、正確には敵意の類であると理解したレイは、半ば反射的にその敵意を発した相手……マリーナに視線を向ける。
「それをしまって! 早く!」
普段の、強烈なまでの女の艶を感じさせるのとは全く違う、それこそ先程レイが感じたように強烈なまでの敵意を発しながら叫ぶマリーナ。
一体何がどうなったのか、レイには分からない。
分からないが、今のマリーナの様子を見ればその言葉に逆らわない方がいいのは明らかだった。
もしここで少しでも躊躇えば、マリーナの周囲に集まっている小さな竜巻と水球が死体に向かって放たれるのは明らかなのだから。
それは危険だと判断したレイは、素早く死体をミスティリングに収納するのだった。